What's the difference?:再投稿

20年以上前の「現代思想」の特集「日本のポストモダン」(1987.12)を読んでいたら、ド・マンのことが評価基軸のように複数の論者に何回か触れられていた。柄谷行人がまだポストモダン(結局反ヘーゲルということだったと思う)の反抗的地位にこだわっていた時期で、『世界史の構造』を考えると隔世の感がある。

というわけで、以前別ブログに書いた「What's the difference?」の再投稿です。

ポール・ド・マンは『読むことのアレゴリー』(原著、P. de Man, "Semiology and Rhetoric", in Allegories of Reading, 1979, p.9、未邦訳)で、言語、というよりも読むことの難しさ (=決定不能性)について説明する際の例として、アメリカのテレビドラマ「ALL IN THE FAMILY」を挙げている。柄谷行人は『隠喩としての建築』で以下のように紹介している。

<アーチー・バンカーが、女房に、ボーリングシューズのひもを上結びにしてほしいか下結びにしてほしいかと聞かれて、"What's the difference?"と答えたとき、女房はその違いを説明しようとする。亭主は「そんな違いがどうだっていうんだ」といったのに、女房はそれを「どういう違いがあるか」という問いとして受け取ったわけである。ド・マンは、これを、これを文法的に同一な文が相互に排他的な意味を生み出す例として挙げている。われわれは、その文がはたして問うているのか、問うことを拒んでいるのかを、形式主義的な観点の下では説明できない。>(『隠喩としての建築』岩波版p104より)


DVD:
All In the Family: The Complete Third Season (1971)
episode14. Archhie and the Bowling Team 1972年12月16日放送

ド・マンがこのテレビ番組を見ていたかと思うと、別の意味で感慨深いものがある。。。

柄谷はさらに続ける。

<だが、われわれはこれを「笑う」ことができる。それは、なおわれわれが彼らに対してメタレベルにたつことができるということを意味する。決定不能性の深刻さは、こうした例ではなく、そこからの出口がなくてそれを「生きてしまう」分裂病者に見出されるべきである。>(同p.104)

<誰でも相互に否定しあうような二つのレベルのメッセージに直面し且つその矛盾について語りえないとき、しかもそれに応答することを迫られるような場合には、同じことが生じる。たとえばずる休みした会社員が昼間どこかの盛り場で上役に会い、「どうして(how)」こんな所に来たんだい?」ときかれたとき、「電車で」と答えるとするならば、彼は上役の「どうして」という言葉を定義通りに取ったわけである。>(同p.106)

<かくして、異なる領域で異なるタームで語られてきた諸問題が基本的に、形式化の問題として共通していることが明らかとなる。>(同p.109)


参考サイト(土田知則論文*pdf):http://mitizane.ll.chiba-u.jp/metadb/up/library1/jinbun_33_Tsuchida.PDF
『読むことのアレゴリー』の巻頭論文「記号論とレトリック」には柄谷行人氏による邦訳が存在する(『現代思想』1981.7 /1981.8 )。(上記土田論文脚注より)

*以下、上記論文より:

レトリカル・クエスチョンの一例はいわゆる文学や哲学のテクストからではなく、マス・メディア作品から採られている。この例はド・マンの議論を広く人々に知らしめた重要なものなので、多少長くなるが、その分析に関係する部分を以下に引用しておくことにしよう。

ボーリング・シューズの紐を上結びにしたいか下結びにしたいかを妻に訊ねられ、アーチー・バンカー(Archie Bunker)は"What’sthedifference?"という質問で応じる。極めて単純な読解者(reader)である彼の妻は、辛抱強く上結びと下結びの違いを説明するのだが、どう説明しても夫の怒りをそそるばかりである"What’sthedifference?"〔どう違うんだい?〕は違いを訊ねているのではなく、"Idon’tgive a damn what the difference is."〔どう違おうとどうでもいいよ〕を意味しているのである。同一の文法的パターンが相互に排他的な二つの意味を生む。字義どおりの意味(literal meaning)は概念(違い)を求めているが、その存在は比喩的な意味(figurative meaning)によって否定されてしまう。事がボーリング・シューズの問題に留まっていれば、結果はそう大したことではない。アーチー・バンカーは起源の権威(無論、正しい起源でなければならないが)を大いに信頼しているので、不愉快を感じないわけではないが、字義どおりの意味と比喩的な意味が互いに邪魔し合う世界を何とか切り抜ける。だが、ここで"What’sthe Difference?"と問うのが「バンカー」ではなく、否定する人(de―Bunker)であり、起源(arche/origin)の"de―bunker"、たとえばニーチェやジャック・デリダのような"archie Debunker"だとしてみよう。彼の文法からは、彼が「実際に」「どんな」差異を知りたがっているのか、あるいはそんなものは見出そうとさえすべきではないと言っているのかが分からないのである。文法とレトリックの差異という問題に直面するとき、文法はわれわれに質問を発することを許すが、われわれが質問を発するために用いる文は、まさに質問の可能性そのものを否定してしまうかもしれない。というのも、私はそれを問いたいのだが、ある質問が問うているのか問うていないのかを明確に決定することさえできないならば、質問を発することはそもそも何の役に立つというのだろうか(pp.9―10)。

この夫婦のやりとりにおいてアーチー・バンカーが発する単純な一文の例(!What’sthe difference?")は、統辞的にまったく明快な文法形式が、同時に二つ以上の意味を有するような文を産出してしまう経緯を雄弁に物語っている。だが、この場合、「二つ以上の」という言い方はいわゆる「多義的な」という表現とは性質を異にしている。言語が多義的であるというのは決して珍しいことではない。多義性の問題圏においては、考えられうる複数の意味を同時に維持することが可能であり、言語使用の価値や意義は――たとえば詩的言語表現におけるように――まさにそうした可能性のうちにあるとさえ言えるだろう。
アーチーの言葉がとりわけスキャンダラスであるのは、それが単に多義的であるからではなく、それが二つのまったく相容れない意味を生じさせ、「文法的あるいは他の言語学的な方策によっては〔......〕どちらがより支配=説得的であるかを決定することが不可能」(p. 10)になってしまうからである。さらに言うなら、意味の決定不可能性は文法形式の決定不可能性を連動的に生じさせる。文法形式的には明快な疑問文であるはずの"What’sthe difference?"という一文がそもそも疑問文であるか否かを決定するのも、意味の場合と同じく、原理的にはまったく不可能と考えられるからである。
こうした考え方を必要以上の杞憂として一笑に付すことは確かに可能かもしれない。ド・マンも言うように、バンカー夫妻の行き違いは、「たとえばアーチー・バンカーが妻の思い違いを正すといったような、テクスト外的な意図の介入によって〔......〕解決される」(p.10)と考えられるからだ。だが、たとえそうであるにせよ、それはあくまでも何らかのテクスト外的な力に訴えかけることによってしかなされえない。テクストの内部に引き起こされる意味の「レトリカルな」決定不可能性については、個々の解釈による以外いかなる対処のしようもないし、その場合、どの解釈がはたして支配=説得的であるかを決める基準のようなものはどこにも存在していないからである。アメリカ人夫婦の一見何の変哲もない会話のなかに不意に引き起こされた苛立ちが、ド・マンにとって(そしてたぶんアーチー・バンカーにとっても)火急の意味合いを帯びるのはそのためである。それはその場限りの問題として瞬時のうちにクリアーされていくようなもの(ド・マンの言う「ミニ・テクストの一部」〔p.10〕)では決してなく、言語そのものが必然的に内包せざるをえないような意味的構造の「ずれ=偏差」という深刻な事態に他ならない。ド・マンは、われわれの意図や論理では把捉しきれないそうした言語の揺動、そしてある種の脅威を、アーチーの不安と重ね合わせながら次のように表現している。

だが、まさに彼〔=アーチー〕がみせる怒りは苛立ち以上のものを示している。つまりそれは自分ではコントロールできないような、そして将来似たような混乱が無限に生じ、もしかするとそのどれもが無残な結果に終わるかもしれないという悲観的な見とおしを与えるような、言語的意味構造に直面させられたときの彼の絶望を暴き出している(p.10)。

ド・マンの言語意識に終始つきまとうアーチー的な苛立ちは、その後イェール学派の系譜に連なる人たち(ショシャナ・フェルマン、バーバラ・ジョンソンなど)によっても精密に分析されていくことになるが)、こうした言語の「内的な差異」という問題について語る際もっとも重要なのは、やはりフランスの哲学者ジャック・デリダの存在であろう。もはやあらためて指摘するまでもなく、アーチーが遭遇する二つの意味間の決定不可能性という現象は、デリダが機会あるごとに暴き出してきたものに他ならない。ド・マンが「文」(レトリカル・クエスチョン)のレヴェルに見出したアポリアを、デリダはさらにミクロな「語」のレヴェルに探りあてていたのである。


(土田知則「『読むことのアレゴリー』を読む」より)


付記:
以下、関係ないですが別ブログのための下書きです。
(かつては形式的な一貫性によって全体を転覆しようとしていた一批評家が、最新作において、ヘーゲルに対抗する体系を構築してしまったことは興味深い。)

『世界史の構造』(岩波書店):参考文献表登場順50音順)。☆は参考図あり。関連年表 正誤表 TOP
                     (参考→『世界共和国へ』索引定本柄谷行人集総合索引
序文_序説 交換様式論*____________________________________
| 序論 国家の起源  | B1  |     | 序論 氏族社会への移行           |
|1原都市|2ルソー |1アジア |     |氏族社会 農業共同体B←定住民A       |
|6官僚制 | ホッブズ(中心、中核)     |呪術(互酬と共同寄託)|    4首長の逆説| 
|___第1章国家___|__第3章世界帝国__|  第2章贈与と呪術 |  第1章定住革命  |
|     3国家の矛盾|3ギリシア|  B3 |  モース、ブーバー |サーリンズ、モーガン|  
|     |     4ローマB2| 5封建制|      フロイト|2交易と戦争、クラストル 
|     |     |(亜周辺)|2周辺と亜周辺         |           |
|_____|_第二部 世界=帝国_1ウィットフォーゲル_第一部 ミニ世界システム__(交換様式)
|         (B)1呪術から宗教へ   |         (A)(再分配)|(互酬) |
|1国家と貨幣     | ウェーバー、ニーチェ|           | B国家 |Aネーション
| 自給自足     |2帝国と一神教    |遊牧民C←狩猟採集民(遊動バンド)D     |
|  第2章世界貨幣  |  第4章普遍宗教  |           |_*序説 交換様式論_|
|3『リヴァイアサン』と|3模範的、4倫理的預言者           | 2図:近代の社会構成体☆
|『資本論』価値形態論|     6キリスト教|           |(商品交換) (X)歴史☆
|  ホッブズ、マルクス|8イスラム教・仏教・道教           | C資本 |D X 平等☆
|___________|___________|___________4交通概念、モーゼス・へス
| 序論 世界=帝国と世界=経済 ウォーラーステイン          |           |
| ドップ、スウィージー、ブローデル、ポランニー|           |           |
|4マルクスの国家論  |    2アンダーソン|           |           |
|  第1章近代国家  |第3章ネーション   |           |           |
|3カール・シュミット |3スミス4バウムガルテン           |           |
|           |    5図:ボロメオの環☆         |           |
|           |           |           |           |
|____第三部 近代世界システム_______|______第四部 現在と未来________|
|          (C)ロールズ      |          (D)          |
|           |9福祉国家主義   |           |2アンチノミー(国家)|
|7産業資本主義の限界 |第4章        |           |           |
|  第2章産業資本  |アソシエーショニズム |第1章世界資本主義の | 第2章世界共和国へ |
|4「二つの道」と国家 |     3経済革命と|   段階と反復   |     5贈与による|
|3産業資本の自己増殖|      政治革命 |1図:資本主義の世界史的諸段階☆  永遠平和 | 
|2労働力商品     |      プルードン|4ネグリ&ハート   |4カントとヘーゲル  |
|_アンチノミー____|4労働組合と協同組合|___________|___________|TOP
                       


あるいは、

序文_序説 交換様式論*____________________________________
| 序論 国家の起源  | B1  |     | 序論 氏族社会への移行           |
|1原都市☆|2ルソー |1アジア |     |氏族社会 農業共同体B←定住民A       |
|6官僚制 | ホッブズ(中心、中核)     |呪術(互酬と共同寄託)|    4首長の逆説☆|
|___第1章国家___|__第3章世界帝国__|  第2章贈与と呪術 |  第1章定住革命  |
|     3国家の矛盾|3ギリシア|  B3 |  モース、ブーバー |サーリンズ☆、モーガン|   
|     |     4ローマB2| 5封建制|      フロイト☆|2交易と戦争、クラストル
|     |     |(亜周辺)|2周辺と亜周辺☆         |           |
|_____|_第二部 世界=帝国_1ウィットフォーゲル_第一部 ミニ世界システム_(交換様式)|
|         (B)1呪術から宗教へ   |         (A)(再分配)|(互酬) |
|1国家と貨幣     | ウェーバー、ニーチェ|           | B国家 |Aネーション
| 自給自足☆     |2帝国と一神教    |       遊牧民C←狩猟採集民(遊動バンド)D
|  第2章世界貨幣  |  第4章普遍宗教  |           |_*序説 交換様式論_|
|3『リヴァイアサン』と|3模範的、4倫理的預言者           | 2図:近代の社会構成体☆
|『資本論』価値形態論☆|     6キリスト教|           |(商品交換) (X)歴史☆
|  ホッブズ、マルクス|8イスラム教・仏教・道教           | C資本 |D X 平等☆
|___________|___________|___________4交通概念、モーゼス・へス
| 序論 世界=帝国と世界=経済 ウォーラーステイン          |           |
| ドップ、スウィージー、ブローデル、ポランニー|           |           |
|4マルクスの国家論  |    2アンダーソン|           |           |
|  第1章近代国家  |第3章ネーション   |           |           |
|3カール・シュミット |3スミス4バウムガルテン           |           |
|           |    5図:ボロメオの環☆         |           |
|           |           |           |           |
|____第三部 近代世界システム_______|______第四部 現在と未来________|
|          (C)ロールズ      |          (D)          |
|           |9福祉国家主義☆   |           |2アンチノミー(国家)|
|7産業資本主義の限界 |第4章        |           |           |
|  第2章産業資本  |アソシエーショニズム |第1章世界資本主義の | 第2章世界共和国へ |
|4「二つの道」と国家 |     3経済革命と|   段階と反復   |     5贈与による|
|3産業資本の自己増殖☆|      政治革命 |1図:資本主義の世界史的諸段階☆  永遠平和 | 
|2労働力商品     |      プルードン|4ネグリ&ハート   |4カントとヘーゲル  |
|_アンチノミー____|4労働組合と協同組合☆|___________|___________|
                       ☆

参考:
農業共同体B←-------定住民A            
    \    / 
    原都市=国家  ↑
    /    \ 
遊牧民C ←-------狩猟採集民D
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by yojisekimoto | 2010-09-14 12:22 | 柄谷行人


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