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バラモンとキサー・ゴータミー

以下別ブログより、転載です。

「法句経(ダンマパダ)」の注釈書に、子どもを亡くした女性の話が出てくる(仏教説話大系12、すずき出版)。
ブッダの最初の女性の弟子になったというキサー・ゴータミーという名前の女性だ(キサーは痩せているという意味)。
脚色された話かも知れないが、本来の仏教の姿を伝えていて興味深い。

ブッダ 大いなる旅路part1より キサー・ゴータミーの話

http://www8.ocn.ne.jp/~ohmybud/nayami25.htm
以下上記サイトより

キサー・ゴータミーの話

キサーゴータミーは、結婚するとまもなくかわいい男の子を授かった。ゴータミーは大変この子をかわいがり大切に育てていた。しかし、男の子が歩いて遊ぶようになったころ、突然死んでしまったのです。

ゴータミーは愛児の突然の死が信じられず半狂乱の状態になってしまった。ゴータミーは、死んだ愛児を抱きかかえ、

「誰か、この子を生き返らせる薬を下さい」と言って、町じゅうを歩き回ったのです

町の人もさすがに「このまま放って置けない」と考え、ブッダに薬をもらうよう、ゴータミーに教えた。
ブッダに会いに行くとゴータミーは言った。

「この子を生き返らせる薬を下さい」
するとブッダはこう言った。

「ゴータミーよ、よく聞きなさい。それでは今から町に行き、家々を訪ね、まだ一人の死者も出したことのない家から、芥子の粒をもらってきなさい。そうすれば、その薬を作ってあげよう」

町に出たゴータミーは言われた通りに、一軒一軒訪ねて廻った。
しかし、死人を出した事のない家などあろう訳はなかった。そのうちようやくブッダが自分に何を教えようとしたのかわかったゴータミーは、

「愛する我が子よ、わたしは今まであなたが一人だけ死んでしまったとばかり思っていた。でも生まれてきた者は皆死ぬのが定めなのだ」

ゴータミーは愛児を墓に埋めてやり、ブッダのところへ再び言った。
ブッダが訪ねた。

「ゴータミーよ、芥子の粒はもらえたかね」
それに対して、

「ブッダよ、もう芥子の粒はいりません。家々を訪ねて廻るうちに、死なない人などいないということがわかったのです。わたしをあなたの弟子にしてください」
とゴータミーは答えた。

参考サイト:

http://www2.hongwanji.or.jp/kyogaku/mission/howa/rewa/rewa_6.htm
http://72.14.235.104/search?q=cache:edD8IeEjdKcJ:www.takamatsu-u.ac.jp/nlibrary/kiyo/no34/no34akamatsu.pdf+%E3%82%AD%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%80%80%E3%83%96%E3%83%83%E3%83%80&hl=en&ct=clnk&cd=1

追記:
バングラデッシュのチッタゴンに残る仏教の本来の姿。
僧侶はお経を生きているひとたちのために語る。

ブッダ 大いなる旅路part1より お経の本来の姿

by yojisekimoto | 2010-10-27 16:06 | インド哲学


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