人気ブログランキング | 話題のタグを見る

スピノザとパゾリーニ

スピノザからヘーゲル(総合)ではなく、スピノザからニーチェ(断片)の系譜にゴダールをおくのが正しい。ただゴダールは平行論的であっても汎神論を受け継いでいない。ブレヒト経由でマルクス的であるかに見えて、実はカント的な批判哲学に親和性がある。ドイツ的なものに逆らいながら。

スピノザに近いのはパゾリーニだ。ゴダール作品から俳優を借りた『豚小屋』で主人公が見る夢(主人公自身が豚に食べられる夢)は、シナリオ段階ではスピノザの夢と命名されていた。この作品のストーリーの交差こそ平行論的だ。マルクス主義者のパゾリーニは一つの意味を提示するが、身体をなくした主人公の精神はアレゴリカルに身体と分離している。

「私は、映画は本質的かつ本来的に、詩的なものであるという意見です。その理由として私はこう言ってきました。
すなわち、映画は夢のようであり、夢に近いものであるからと。また、映画のシークェンスも、さらにそのシーク
ェンスの事物までも実に詩的であるからだと。撮影された木は詩的ですし、撮影された人間の額も詩的です。なぜ
なら、それらの物理的存在がそれ自身詩的なものであり、一つの表出であり、神秘にみちており、あいまいさに溢
れており、多面の価値を意味するものであり、また一本の木すらが言語体系における一つの記号だからです。しか
し、だれが木によって語るのでしょうか。それは神、または現実それ自身です。だから、一つの記号としての木
は、われわれを神秘的な語り手とコミュニケートするようにさせるのです。だから、事物を物理的にただ素直に再
生する映画は、本質的に詩的なのです。このことは、歴史以前の問題というか、ほとんど映画以前の問題に属す
るものです。
私たちが歴史的事実としての映画。コミュニケーションの手段としての映画などを持ったとき、はじ
めて、映画もまたあらゆるコミュニケーションのメディアと同じように、異った種類のものへと発展していくので
す。ちょうど文学が散文のための言語と韻文のための言語を持っているように、映画も持っています。私が言っ
ているのはこのことです。ですからこの場合は、映画が詩的な一形式であるがあるがゆえに本来的に詩的であるな
どということは忘れるべきです。くり返して言いますが、それはあくまでも歴史以前の、無形の、非自然的な問題
なのです。もっとも陳腐な西部劇や古い商業映画を見るようなときでも、もしそれを月並みでない見方で見るなら
ば、どんな映画にも、映画の物理的存在自体に本来的に備わっている夢的で詩的なものを発見しないではおかない
でしょう。しかし、このことはそのまま詩的映画だということにはなりません。詩的映画とは、詩人が一篇の詩
を書こうとするときに特別な技術を用いるのとちょうど同じように、特別な技術を用いた映画です。あなたが一冊
の詩の本を開くならば、あなたはたちまちそこに文体や、リズムなど一切を読みとれるでしょう。あなたは手段と
しての言語を見、また詩句の音節を認めるのです。ところで、映画の中にも、あなたが詩に見るものとまったく同
じものを見つけることができます。その文体を通して、つまりカメラの動きやモンタージュを通して見るのです。
ですから、映画を作るということは、詩人になることなのです。」

『パゾリーニとの対話』p185波多野哲朗訳、晶文社、1972.4より


/////////

國分功一郎『スピノザの方法』(みすず書房)刊行記念
スピノザの哲学原理

■2011年2月19日(土)18:30開演(18:00開場)

國分功一郎×千葉雅也

「この華奢でひ弱な体が、この輝く黒い眼をした卵形の浅黒い顔が、
どうしてこれほど大いなる生の活気に満ちた印象を与えるのだろう」
(ドゥルーズ『スピノザ――実践の哲学』)。
緻密かつ大胆にスピノザ哲学の原理へと迫る國分功一郎の『スピノザの方法』が
描き出すのも、その「方法」の弱々しさと力強さに他ならない。
思想の最前線で活躍する二人の集中討議。

◆プロフィール◆
國分功一郎(こくぶん・こういちろう)
1974年生。哲学。高崎経済大学講師。著書に『スピノザの方法』(みすず書房)。
訳書にガタリ『アンチ・オイディプス草稿』(みすず書房、千葉との共訳)、
デリダ『マルクスと息子たち』(岩波書店)、
ドゥルーズ『カントの批判哲学』(ちくま学芸文庫)ほか。
朝日出版社より2冊目の著書を、また『思想』にてドゥルーズ論連載を準備中。

千葉雅也(ちば・まさや)
1978年生。哲学、表象文化論。日本学術振興会特別研究員PD、
高崎経済大学非常勤講師、東京藝術大学非常勤講師。
訳書にガタリ『アンチ・オイディプス草稿』(みすず書房、國分との共訳)。
最新の論考は「インフラクリティーク序説」(『思想地図β』1号)。
東京大学に博士論文「動きすぎてはいけない
 ──ジル・ドゥルーズと哲学のエコノミー」(仮題)を提出予定。

☆場  所  ジュンク堂 新宿店 8Fカフェ
☆入 場 料  1,000円 (1ドリンク付き)
☆定  員  50名
☆予約受付は7Fレジカウンターにて、また電話ご予約も承ります。
ジュンク堂書店 新宿店 TEL 03-5363-1300
by yojisekimoto | 2011-01-24 03:05 | スピノザ


<< ドーハの悲喜劇 カタール戦 >>