吉本隆明と柄谷行人

合田正人『吉本隆明と柄谷行人』。
力作だが二人の共通項であるマルクス(その政治学ではなく経済学)を考察からはずしているから噛み合ない。これなら別々に評論を書いた方がいい(実際別々だが)。
スピノザが多く言及されるのは個人的にうれしいが、これだと属性を規定しないで実体を規定しようとするようなものだ。

以下、独自に吉本隆明のタームを(思想家名を媒介に…そうでなければ対幻想と個人幻想の位置は逆に考えるのが一般的だろうが)柄谷のタームに合わせてみた(合田氏がこだわったボロメオの環より象限図の方が応用が利く)。

実際には吉本には右下のアソシエーションが無く、左下に吸収される。
      
共同幻想  |対幻想
(ヘーゲル)|(フロイト)
______|______
個人幻想  |\指示表出
(マルクス)|自\
      |己 \
      |表出 \
  
指示表出/自己表出はマルクスに於いて、(キャピタルという場で)価値形態論に転化し得る。

(個人幻想=欲望を指示表出させるという逆転、二重性が生じる。指示表出/自己表出はキャピタルには馴染むが、アソシエーションには馴染まないタームかも知れない。指示表出=平等<右縦>、自己表出=自由<下横>と解釈することも可能だが、アソシエーションには平等/自由のタームの方がふさわしい)。

吉本は対幻想をアソシエーションと考えたのかも知れない。

 共同幻想  (ヘーゲル)
_____________
個人幻想  |対幻想  
(マルクス)|(フロイト)   
      |

こうなると上下で単純な二元論になる。

あるいは以下の様に量的に規定される。

○○○○○○共同幻想(指示表出)

  ○ ○  対幻想

   ○  個人幻想(自己表出)  

ただし、これだとやはり立体的な世界観は築けない。

吉本は出発点に於いて花田の単純再生産=ユートピア説(『復興期の精神』)を党派的につぶした。
柄谷が地域通貨、くじ引きでやっているのは花田のような技術(史)論の復権だ。プルードンを読んでいるかいないかが吉本と柄谷の差だが、現代思想の文脈からはこうした読みは出てこない(剰余価値も集合論の見地から論ずるなら別だが、価値論ではなくあくまで価格論である)。

追記:
個人的に柄谷はドゥルーズと、丸山真男はフーコーとそれぞれ対比すべきで、吉本は江戸っ子の系譜(勝海舟、夏目漱石、小林秀雄、ビートたけし)として論じなければならないと考える。

別案:

 指示表出⇨
自 個人幻想 |共同幻想
己 アトム化 |氏族社会
表______|______
出 対幻想  |
⇩ 交換   |
       |
       
国家に於いて人は個人化、アトム化するので、左上に個人幻想を置いた。
アソシエーションの模索には、自己表出、指示表出の反対物が常に求められる。
あるいは、

  個人幻想 |共同幻想
  アトム化 |氏族社会  ↑
 ______|______指
  対幻想  |      示平
  交換   |      表等 
       |      出
        ←自己表出
          自由

この場合も、指示/自己表出より、やはり平等/自由のタームの方がいい。
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by yojisekimoto | 2011-05-23 21:47 | 柄谷行人


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