ドストエフスキーの未公刊ノートにプルードンの名前を見つけた。
経済的矛盾の体系の書名の後にこう書かれている。
さまざまな国民性の思想こそは、デモクラシイの新しい形態にほかならない。
それはspontanément(自然発生的に。フランス語)現れた。
われわれは人類の思想のspontanéité(自然発生。フランス語)を信じる。プルードン。
『ドストエフスキー 未公刊ノート』(筑摩書房、32〜3頁より、22頁にも名前がある)
これが記された1863〜4年は『地下室の手記』の直前だが、内容はプーシキン記念講演に近い。
青年時代の左翼的傾向や、トルストイ(もしくはゲルツェン)とプルードンとの関係を考えると、もっといろいろなものが見えて来る気がする。
(『地下室の手記』で表明された)中央集権的計画経済への嫌悪とネーションの称揚(
プルードンが自主性なる用語で競争を擁護するのと対照的だ)が結びついていると考えられなくもない。
マルクスのザスーリチへの手紙とも主題的に重なる。
『悪霊』で批判されたバクーニン以外に、アナキズムのイメージをドストエフスキーが持っていたということは少なくとも言える(フーリエの名も28頁に出て来る)。