宥坐の器(ゆうざのき)及び『論語』概念構造図:メモ

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付録:
宥坐の器(ゆうざのき)

敧器ともいう。
満杯に注げば、確かに覆る。覆って、水が入っていない状態では傾いたままになる。
中庸の重要性を孔子はこの器で弟子に説明した。

出典 (明治書院)新釈漢文大系53『孔子家語』宇野精一著 118頁
巻第二 三恕 第九

孔子觀於魯桓公之廟、有敧器焉。夫子問於守廟者曰、此謂何器。對曰、此蓋爲宥坐之器。孔子曰、吾聞、宥坐之器、虡則敧、中則正、滿則覆。明君以爲至誡。故常置之於坐側。顧謂弟子曰、試注水焉。乃注之水、中則正、滿則覆。夫子喟然歎曰、嗚呼夫物惡有滿而不覆哉。

孔子、魯の桓公の廟(べう)を觀(み)るに、敧器(きき、傾いた器)有り。
夫子(ふうし)、廟を守る者に問ひて曰く、此れ何の器と謂ふ、と。
對へて曰く、此れ蓋(けだ)し宥坐(いうざ)の器(き)爲(た)り。
孔子曰く、吾聞く、宥坐の器は、虡(むな)しきときは則ち敧(かたむ)き、中なるときは則ち正しく、滿(み)つるときは則ち覆(くつがへ)る。
明君、以て至誡(しかい)と爲(な)す。故に常に之を坐の側(かたはら)に置く、と
顧みて弟子(ていし)に謂ひて曰く、試みに水を注げ、と。乃(すなは)ち之に水を注ぐに、中なれば則ち正しく、滿つれば則ち覆(くつがへ)る。
夫子(ふうし)、喟然(きぜん)として歎じて曰く、嗚呼(ああ)、夫(そ)れ物は惡(いづ)くんぞ滿ちて覆(くつがへ)らざるもの有らんや、と。

(ほぼ同じ内容が、『荀子』宥坐篇、『淮南子』道應訓、『説苑』敬愼篇、『韓詩外伝』巻三にある)


http://plaza.rakuten.co.jp/siawasesuper/diary/200510200000/
以下上記ブログより引用。

これは「宥座の器(ゆうざのき)」というものです。

中国の孔子という人が桓公の廟(おたまや)に参拝したところ、そこに傾いてつるしてある「器」がありました。


孔子は廟守(びょうもり)に
「この器は何というものでしょうか」と尋ねると、廟守は「これはたぶん『宥座の器』というものでございましょう」と答えました。

それを聞いた孔子は、
「宥座の器ならば、中が空ならば傾き、程ほどならば正常になり、一杯に充満すれば転覆すると聞いています」と言って、傍らのお弟子さんに向って、「器に水をついでごらん」と言った。

御弟子さんが水を器に注ぎました。
中ほどのところでは正常の位置になり、
水が一杯になるとガクリと転覆し、
水がこぼれて空になると、またもとの傾いた状態になりました。

そこで孔子は言いました。
「世の中の万事、すべてこれと同じだ。結局満ちて覆らないものはない」

虚なれば即ち傾き
中なれば即ち正しく
満なれば即ち覆る
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by yojisekimoto | 2012-05-08 07:08 | 孔子


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