三跪九叩頭の礼



三跪九叩頭の礼
(字幕の三拝九叩頭の礼は間違い)
 1637年1月30日
傀儡王仁祖第21話(VOL.11)

李氏朝鮮
「丙子胡乱」、「迎恩門」、および「中国朝鮮関係史」も参照
1636年、後金のハーン・ホンタイジが国号を清として新たにその皇帝に即位し、李氏朝鮮に朝貢と明への出兵を求めた。朝鮮王仁祖が拒絶したため、ホンタイジは直ちに兵をあげ、朝鮮軍は為すすべも無く45日で降伏した。和議の条件の1つに大清皇帝功徳碑を建立させた。仁祖はこの碑を建てた三田渡の受降壇で、ホンタイジに向かって三跪九叩頭の礼を行い、許しを乞うた。


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<「傀儡王 仁祖」あらすじ 21話>

南漢山城に避難してから45日後の1月31日、臣下と同じ青い官服を着た仁祖が
清の皇帝ホンタイジに会うために三田渡(サムジョンド)へ向かいました。
階段をのぼり、三拝九叩頭(サンベグゴドゥ)の礼をしてホンタイジと謁見。
頭を下げたからこれだけの被害で済んだんだぞ♪とゴキゲンなホンタイジが
「滅亡する明と大義名分を論じるな!オレらにはは毎年貢ぎものを送れよ!
世子夫妻と鳳林大君は瀋陽へ連れて行くからな!」と有無を言わさず命じます。
和親に反対していたホン・イクハン、オ・ダルチェ、ユン・ジプの引渡しも要求。
3人は最期まで清を認めず処分されましたが、その気概を評価したホンタイジは
彼らを丁寧に弔わせ、碑石に三韓山斗(サマンサンド)と彫らせました。
この3人は、丙子(ピョンジャ)の年の三学士(サマクサ)と呼ばれています。

こうして会談を終えた仁祖は、その日のうちに昌慶宮に戻りました。
誰か一人を責めることでもないし・・・ってことで朝廷の人事改変はほとんどなく、
都元帥のキム・ジャジョムと地方高官だけが罷免され配流されました。
2月8日、朝鮮から引き上げるドルゴンが昭顕世子と鳳林大君を連れ帰ります。
仁祖は弘済院まで出向いて、二人の息子とその嫁たちを見送ったそうです。
また、当時の朝鮮の人口530万のうち、60万人もが清に連れて行かれたとか。
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by yojisekimoto | 2013-04-18 00:56 | 歴史


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