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老子 第1、25章他:メモ

100分de名著 老子 第1回 “道”に従って生きよ <新><全4回>

「物有り混成し
  天地に先立ちて生ず 25章」

何かが混沌として運動しながら
天地よりも先に誕生した
天地のはじまりのとき物体の形も無い
このような状態を無と呼ぼう
無から天地が生まれ
天地から万物が生まれた
これを有と呼ぼう
無から有が生まれたのは道のはたらきによるものである
つまり無と有は道によって存在する
道それは万物創世の母であり
無限のエネルギーを持つものである

http://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2013048869SC000/?capid=nte001


老子『道徳経』第二十五章  (別ブログ

有物混成、先天地生。寂兮寥兮、獨立而不改、周行而不殆。可以爲天下母。吾不知其名、字之曰道。
強爲之名曰大。大曰逝、逝曰遠、遠曰反。 故道大、天大、地大、王亦大。域中有四大。而王居其一焉。
人法地、地法天、天法道、道法自然。

物有り混成し、天地に先んじて生ず。寂(せき)たり、寞(ばく)たり、独立して改(かわ)らず、周行して殆(とど)まらず、以って天下の母と成すべし。吾れ其の名を知らず。これに字(あざな)して道という。
強いてこれが名を成して大と曰う。大なれば曰(ここ)に逝く。逝けばここに遠く、遠ければ曰に反(かえ)る。 故に道は大、天も大、王も亦(ま)た大なり。域中に四大あり。而して王は其の一に居る。
人は地に法(のっと)り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然の法る

形はないが、混沌としたものがあり、天と地より先に存在していた。 音もなく、空漠。 あらゆるところに充ち、疲れることがない。 それは天下の母だといわれる。 その名は知られておらず、「道」と呼ぶだけである。
もし私が名をつけようとするなら、それを「大」と呼ぼう。 「大」は無制限に広がっていくことである。 無制限に広がるとは遠ざかることであり、 遠ざかるとは「近くに」返ってくることである。 このように「道」が大であるように、天も大、地も大、人もまた大である。 世界には四つの大があり、人はその一つの位置を占める。
人は地に従い、地は天に従い、天は「道」に従い、「道」は「自然」に従う。


25. Beneath Abstraction
There is a mystery, Beneath abstraction, Silent, depthless, Alone, unchanging, Ubiquitous and liquid, The mother of nature. It has no name, but I call it "the Way";

It has no limit, but I call it "limitless".
Being limitless, it flows away forever; Flowing away forever, it returns to my self:
The Way is limitless, So nature is limitless, So the world is limitless, And so I am limitless.
For I am abstracted from the world, The world from nature, Nature from the Way, And the Way from what is beneath abstraction.

http://thetaobums.com/topic/27039-scholastic-study-did-lao-tze-create-tao-in-chapter-25/
Chapter 25
1. 有物混成
2. 先天地生
3. 寂兮寥兮
4. 獨立而不改
5. 周行而不殆
6. 可以為天地母
7. 吾不知其名
8. 強字之曰道

9. 強為之名曰大
10. 大曰逝
11. 逝曰遠
12. 遠曰反
13. 故道大
14. 天大
15. 地大
16. 人亦大
17. 域中有四大
18. 而人居其一焉
19. 人法地
20. 地法天
21. 天法道
22. 道法自然


Chapter 25
1. There was a thing formed by chaos;
2. Before the sky and earth were born;
3. Soundless and formless;
4. Independent but unchangeable;
5. Moving but never exhaust;
6. It may be the mother of the heaven and earth.
7. I don't know its name.
8. I'm reluctantly calling it "Tao".

9. I'm even more reluctant to have a name "Big" for it.
10.Big but dynamic;
11.Dynamic but far;
12.Far but reciprocating.
13.Therefore, Tao is great.
14.Sky is great.
15.Earth is great.
16.Human is great.
17.In space, there are four great's;
18.Thus human is one of them here.
19.Human follows Earth.
20.Earth follows Heaven .
21.Heaven follows Tao.
22.Tao follows its own nature.



第一章

道可道非常道。名可名非常名。
無名天地之始。有名萬物之母。
故常無欲以觀其妙。常有欲以觀其徼。 此兩者。同出而異名。同謂之玄。玄之又玄。
衆妙之門。

道の道とすべきは常の道に非ず。名の名とすべくは常の名に非ず。
名無きは天地の始め、名有るは万有の母。
故に常無を以ってその妙を見んと欲し、常有を以ってその徼(きょう)を観んと欲す。此の両者は、同じきに出でて而も名を異にす。
同じきこれを玄と謂い、玄のまた玄は衆妙の門なり。

語りうる「道」は「道」そのものではない、名づけうる名は名そのものではない。名づけえないものが天地の始まりであり、名づけうるものは万物の母である。
だから、意図をもたない者が「道」に驚き、意図ある者はそのあらわれた結果しか見れない。
この二つは同じものである。
これらがあらわれて以来、名を異にする。
この同じものは神秘と呼ばれ、神秘から神秘へとあらゆる驚きの入口となる。

1. The Way
The Way that can be experienced is not true; The world that can be constructed is not true.
The Way manifests all that happens and may happen; The world represents all that exists and may exist.
To experience without intention is to sense the world; To experience with intention is to anticipate the world. These two experiences are indistinguishable; Their construction differs but their effect is the same.
Beyond the gate of experience flows the Way, Which is ever greater and more subtle than the world.

第四十章

反者道之動。弱者道之用。天下萬物生於有、有生於無。

反(はん)は道の動なり。弱(じゃく)は道の用なり。天下万物は有より生じ、有は無より生(しょう)ず。

あともどりするのが「道」の動きかたである。 たわみやすいのが「道」のはたらきである。 天下のあらゆるものは有から生まれる。 有は無から生まれる。

40. Motion and Use
The motion of the Way is to return; The use of the Way is to accept; All things come from the Way, And the Way comes from nothing.

第四十二章
道生一、一生二、二生三、三生萬物。 萬物負陰而抱陽、冲氣以爲和。 人之所惡、唯孤寡不殼。而王公以爲稱。故物或損之而益、或益之而損。 人之所教、我亦教之。強梁者不得其死。吾將以爲教父。

道は一を生じ、一は二を生じ、三は万物を生じる。万物は陰を負いて陽を抱き、沖気以って和を為す。 人の悪(にく)む所は、唯(た)だ孤(こ)、寡(か)、不穀(ふこく)なるも、而も王公は以って称と為す。故に物は或いはこれを損して益し、あるいはこれを益して損ず。
人の教うる所、我れも亦たこれを教えん。強梁者は其の死を得ず。吾れ将(まさ)に以って教えの父と為さんとす。

「道」から「一」が生み出される。 「一」から二つのものが生まれ、二つから三つのものが生まれ、 三つから万物が生み出される。 これらすべては肯定と否定の統一によって調和し、 あらゆるものによって包まれる。 長所もなく、価値もなく、孤立したものを誰れも好まない。 ところが、統治者はそれらのことばを自称して使っている。 このように、ものは価値を減らすことによって、かえって価値をふやし、 価値をふやすことによって、かえって価値を減らすのである。 昔の日とはこれを教えている。 「凶暴な人は凶暴さによって自分野人生を終える。」 これが基本的な標語である。

42. Mind
The Way bears sensation, Sensation bears memory, Sensation and memory bear abstraction, And abstraction bears all the world; Each thing in the world bears feeling and doing, And, imbued with mind, harmony with the Way.
As others have taught, so do I teach, "Who loses harmony opposes nature"; This is the root of my teaching.


http://www.fullbooks.com/Tao-Teh-King-by-Lao-Tze.html
42. 1. The Tao produced One; One produced Two; Two produced Three;
Three produced All things. All things leave behind them the Obscurity
(out of which they have come), and go forward to embrace the
Brightness (into which they have emerged), while they are harmonised
by the Breath of Vacancy.


2. What men dislike is to be orphans, to have little virtue, to be as
carriages without naves; and yet these are the designations which
kings and princes use for themselves. So it is that some things are
increased by being diminished, and others are diminished by being
increased.

3. What other men (thus) teach, I also teach. The violent and strong
do not die their natural death. I will make this the basis of my
teaching.

http://space.geocities.jp/afptrsnk/rousi.html

老 子 

老子の亡命の途上で道徳経が成立する言いつたえ
                       ブレヒト

   1
七十のよわいを重ね、からだにはおとろえが来た
師は、しかも、隠棲を迫られていた
なぜなら、国ではまたもや善意が衰弱を
そして悪意が蔓延を見せていた。
で、師は結んだ、わらじのひもを。


   2
荷ごしらえした、要るものを。ことのほか
僅かだ。とはいってもあれこれとあった、
たとえば、晩にはいつも咥えるキセルとか
くりかえして読む小さい本とか。
それから餅を、師は目分量ではかった。


   3
住みなれた谷にもういちど眼をよろこばせ、さて忘れて
山あいへの道をわけいった。
みちみち、牡牛は新鮮な草を喰みつづけて
たのしく歩を運んでいた。
牛歩にもあせらぬ老師を乗せて。


   4
しかし四日め、道はまた岩のあいだ──
と、税関史がひとり、柵を構えて道をふさいだ。
(課税対象になるものは?」──「何もない」
牛をひく童子がつけ加えた、「このひとは先生だ」
なるほど、じゃあカネメのものは持ってない。


   5
が、男はふいに明るく
たたみかけた、「では何を教える?」
童子はいった、「水は柔軟で、つねに流れる、
流れて、強大な岩に時とともにうちかってゆく。
つまり、動かぬものがついに敗れる」


   6
童子は牛を駆りたてた、
いつか日はしだい暮れ
ひとと牛は黒松の幹をまわって消えかけた、
と、とつぜんぼくらの税関史は、生気にあふれ
叫んだ、「おおい、待ってくれ!


   7
じいさん、あの水のたとえは何かね、いってえ?」
老人は牛をとどめた、「それに興味あるのか?」
男はいった、「あっしゃあ、しがねえ
税関史だ、でも何が何に勝つってのはおもしれえ。
わかってるならしゃべってくれ!どうか


   8
書いてってくれ、その子に口授するって手もある!
出し惜しみして、あの世へ持ってっちゃいけない。
わしらのとこに紙はある、墨もある
晩メシだってある、それにあっしの家は近い。
さあ、どうだい?」


   9
老人は肩ごしにふりかえり
男を見た。男の足は素足、服にはつぎがあたり
ひたいにはひとすじの深い皺があった。
ああ、ここで師に近づくのは、勝者ではなかった。
師はつぶやいた。「おまえもやはり?」


   10
ていちょうな願いをしりぞけるのに
師は、どうやら、としをとりすぎていた。
ききたまえ、師のはっきりしたことば、「答えは問う者に
あたえられて当然だ」すると童子が、「それにもう冷えてきました」
「よかろう、ちょっと泊まろう、ここに」


   11
で、賢者は牡牛の背からおり
七日のあいだ、童子を手助けとして書いた。
税関史が食事をはこんだ(そんなおりおり
きつくはなく、密輸業者らのことをこぼした
そして、道徳経は成立した。


   12
ある朝、童子の手から税関史は
あの八十一章を受ける。
ささやかな餞別に礼をのべ、ひとと牛は
岩のかなたへ、松の幹をまわって消える。
いってくれきみたち、誰が、この師にまさる礼をつくせる?


   13
しかし、ぼくらが讃えるのは賢者だけではない、
かれの名が書物の上にかがやいた機縁を思おう!
まず賢者の智慧をもぎとるひとがいなくては、賢者の智慧もない。
だから、あの税関史にも感謝しよう、
かれがのぞまなかったら、すでに師の智慧はない。


 以上がベルトルム・ブレヒトの詩「老子の亡命の途上で道徳経が成立する 言いつたえ」(ブレヒトp131ベンヤミン著作集9よりの引用、ブレヒト全 集には載っていない。)であるが、ハンナ・アレントは此詩について以下のような解説をしている。

 『今世紀に書かれた詩のなかでも最も静穏で──奇妙な言い方だが──最も心の慰 められるものの一つである。ブレヒトの詩が多くそうであるようにこれも教育を目的 としているが、この場合は非暴力と智慧についてである。

 「柔らかい水も動いていれば、いつかは固い石に勝つ。わかるか。固いものが 負けるのだ」

  まさしくそうであった。この詩は戦争の初期にフランス政府がドイツからの亡命者を 強制収容所に入れる決定をしたときはまだ刊行されていなかった。しかし1939年春、 ヴァルター・ベンヤミンがデンマークにいたブレヒトを訪問してそれを持ち返ると、 ちょうど良い便りについてのうわさのように、こうした知恵が最も必要とされている ところで──慰めと忍耐と持久力の源泉として──急速に口から口へと伝えられた。』 (暗い時代の人々p295)  

 非暴力としての知恵に水の力をとらえたアレントではあるが、ベンヤミンは次のように 解説している。

 『この詩は、友情が詩人の表象世界のなかで演じている特別の役割を、明らかにする 手がかりとなるであろう。ブレヒトは友情に高い位置をあたえている。
 …
 さらにこの詩は、約束および理論とならんで、モラルをも含んでいる──つまり 動かぬものを打ち破ろうとしている人間は、友情を実現する機会をやりすごしては ならないのだ。』(ブレヒトp136-140ベンヤミン著作集9)
by yojisekimoto | 2013-05-10 11:26 | 老子


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