日本サッカー代表監督オシムが発言したことで有名になった「肉でも魚でもない」という言葉は、ことわざかもしれないが、『精神現象学』の序文の終わり近くにある言葉でもある(平凡社ライブラリー版上p90)。
ヘーゲルは「詩でも哲学でもない」という言葉をならべて、どっちつかずという否定的意味をこの言葉に込めている。
オシムは旧ユーゴ出身で、一部ではマルクス(=ヘーゲル左派)主義者だと思われているが、あえて言えばへーゲリアンなのではないだろうか?これは同じユーゴ出身のへーゲリアン、ジジェクを思い出す。
ユーゴスラビアの自主管理には実はプルードン(*)が援用されたという間接的な証言があるが、一般的にはマルクスからヘーゲルに遡行することでソ連主導のマルクス主義による息苦しさを免れた部分があるかもしれない。
ヘーゲルにはもちろん後年の国家主義への傾斜など欺瞞的な部分もあるが、解釈によっては自由な読みが可能なのだ。
*ちなみに、サッカーにプルードンの相互主義を援用するなら、味方同士の一対一のコンビネーションを組み合わせていくことによる、個人と集団という二元論の回避ということになると思う。
また、工場ではすべての作業(全系列)を個人が体験するべきだというプルードンの労働作業論は、トータルフットボール(自主管理だから監督もいらない?)ということになると思う。