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論理の限界と詩の可能性

中島一夫氏の「文芸批評批判序説」(『述』2007、近畿大学紀要、明石書店)を読んだ。倉数茂氏の刺激的なブログを通じてこの画期的評論の所在を知ったのだが、題名からして「批評」を「批判」するという縮小再生産を危惧していたにもかかわらず思考の深化を指し示すものだったのがうれしい誤算だった。

中島氏は小林秀雄と柄谷行人をつなぐ円環を、価値形態論と個有名論(これは所有論でもあり得る)で切り取っているのだが、価値形態論と固有名論は差異における他者をみいだすまではいいが、そこには限界があるということが指摘されている。両者は共に唯物論なのだから、社会現象を切り取る際には有効だとしても、論理学特有の限界があるのはどう理解したらよいのだろうか?

結論から言えばゲーデルを考えれば論理学の限界は当たり前なのだ。
原理ということでは男性原理が単性では再生産できないのと同じことだし、それは女性原理も同じだ。
とはいえゲーデルの不完全性定理はしかし、真実であっても証明できないということがあるということ自体を証明したのであり、限界と同時にこれは理性の勝利なのである。
その意味で柄谷の限界は自明のものであり、驚くべきことではない。ただ危惧されるのはこの評論ではむしろ小林秀雄がマルクス全盛期にフランス流のレトリックで詩(筆者の考えでは小林のそれはむしろ経験主義の再興であるが)を体現したことと、柄谷がロジックの内部であえて限界を見いだしたことの意義が青年受け入れられたという社会現象によってパラレルに理解されてしまうことが問題なのだ。

ここでもっと大きな日本における思想潮流の循環を考えてみよう。たとえばドイツとフランスの思想の主流争いをハイデガーもベンヤミンも指摘したが、柄谷は自分の限界を自覚した際でもそこに導入したのがカントというあくまでドイツ哲学だった。これは論理学の範囲ではない、その臨界において導入したのである。つまり柄谷はアンチノミー自体、つまりデータとしての他者をカントによって倫理的に定位したのである。同一性を超越論的仮象によって維持するということが、論理学の限界と倫理学的可能性をつなぐ橋であり、柄谷はこれを自らの名においてではなくカントに名において指摘したのだ。説得力があるかないかは別として取り替えのきかない個有名をカントと呼んだのだ(とはいえあくまでマルクス「と」カントの間に柄谷は留まるのであり、またそれ以外の個有名が重要性、より具体的には『探究2』においては柄谷によるドゥルーズのスピノザ的読解がその端緒であったことは注意すべきだ)。
それはカントという個有名のアクチュアルな場への奪還であったと歴史的には言える。柄谷の場合非対称性の認識はここで構造的な体系の作成ではなく他者の発見というかたちをとった。

また社会的循環を考えるなら、その出発点を見る必要がある。スガ秀実氏がこだわる1968年の、(60年を1サイクルとすれば)2サイクル前の120年前のフランス二月革命において唯一冷静な社会革命の展望を持っていたプルードンを柄谷は社会運動に転用したのである。ちなみにプルードンの交換銀行論は中島氏が「なぜ」ではなく「いかにして」を説明したに過ぎないと喝破した「価値形態論」を逆流させるプログラムであった。プルードンの意義に関しては、マルクスの看板で開始されてしまったNAMなどでもまったく検証されなかった部分である(「無名作家の不在には誰も気づかない」と言ったのはデリダだっただろうか?)。このような原点の意義の見失われた反復は、当事者にとっては「喜劇」(byマルクス)ではなく、不可避的な構造不況を強いるノスタルジックなものになるだろう。筆者が気になったのは中島倉数両氏の論考のノスタルジックな部分である。

ノスタルジックなのは展望のなさが原因だが、その展望のなさの一端は詩の意義が理解されていないということになると思う(ちなみに小林は確かにノスタルジックだし方法論としては使えないが、柄谷は違う)。

以下、少し脱線します。

命の保証がなされる限りでのなし崩しの市場交換(というよりは資本主義的交換)の潮流に逆らい、「批評とは死と引き換えの詩」であると中島氏が述べる時、それは実際には死と詩がおなじ構造上に定位されるということなのである。そして本物の詩は、独自の音韻体系においてその構造を形作り外に開く力なのである。ニーチェ流に詩を論理を超越するものと捉えることも出来るが、むしろ詩はもう一つの別の論理である。小林、柄谷、東浩紀といった批評界の事件が中島氏によって的確に歴史的に位置づけられたとはいえ、その可能性を開くには新たな詩の論理が必要になるだろう。

詩の論理とは、たとえば個有名や鍵括弧のもつ可能性を、そのつど音韻体系(これは音声によって構成される唯物論である)や自由間接話法によってパゾリーニが開いていったやり方である。それは何も文芸時評に限定された出来ごとではない。ジャンルを超えておこっていることなのだ。柄谷行人がカントを導入し、狭義の批評においては『日本近代文学の起源』において行ったのはこのようなジャンルの横断による詩=新たな論理の可能性(インフラ)の開拓であった。東浩紀はそのインフラを確かめたし、中島氏によってその検証がこの評論で歴史的にはじめてなされたことは歓迎したい。

この論理を推し進めるならば、論理学とともに詩を音楽と結びつける必要が出てくる。その昔、龍樹を沈黙させたヒンズー側の反論は、音楽の存在を無と呼べるか?といったものだったそうである。その意味で東氏の著作の重要な部分はリズムに関するものだったし、その可能性が開かれていないのは惜しい。今後、記号と身体といった問題意識は柄谷のアンチノミーを踏まえてこそ演奏(=命がけの飛躍,脱線)がなされ得るであろう。
by yojisekimoto | 2007-11-16 22:14 | 書評


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