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ゴドウィンとマルサス

プルードンとマルクス以上に、思想史的な欠席裁判の事例として公平性に欠けていると思われるのがゴドウィンとマルサスとの関係だ。
ゴドウィンの《政治的正義》(Political justice, 1793年)などは、一部邦訳されたが今ではまったく手に入らないのではないだろうか?

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(英:William Godwin, 1756年3月3日-1836年4月7日)

マルサスの人口論は、人口が幾何級数的に増えれば(食料は算術級数的にしか増えないため)政府による管理、計画経済が必要になるといったたぐいの論理だ。マルサスは絶えずゴドウィンを批判しているが、誤読した上で批判しているのでマルクスがプルードンを批判している場合のように、後から検証できるたぐいの文章足り得ていない。

人口を変数に入れる場合には、宇野弘蔵やコンドラチェフのように結論を急がない態度が重要だが、マルサスには最初に結論があるのだ。

さて、そこまで危険視されたゴドウィンだが、僕の知る限り『政治的正義』は自殺論や美学も含んだ総合的な百科全書(フランス啓蒙思想の影響がある)のおもむきがある。
明らかにプルードンはゴドウィンを意識している(*)。特に『革命と教会における正義』などは題名からしてそうだ。1822年出版業を営んで破産したそうだがそうした点も似ている。

系列的な思考法もゴドウィンに学んだのではないだろうか?

ゴドウィンは女性人権家メアリ・ウォルストンクラフトを妻に持ち、シェリーなどとも間接的に関係があった(こうしたゴシップだけは資料が入手しやすい)。
彼のカルヴィニズム的決定論はスピノザとの親和性も高いと考えられる。
今後も研究を続けたい。
ウィリアム・ゴドウィンwikipedia


*教育におけるゴドウィンのルソー批判は、プルードンにおいては政治的なものに転化している(参照:住岡英毅『プルードンの教育思想』p229)。
by yojisekimoto | 2008-01-26 17:48 | 歴史


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