猫と互酬性

21日、柄谷行人氏の第二回長池講義行ってきました。以下メモです。

講義は交換をめぐる論考のなかでも主に、互酬性、共同体をテーマにしたものだった。
印象に残ったのは高澤秀次氏がマルクスの人間所有の歴史観に関してホワイトボードにこう書いたのを、

   共同(体)所有
    |
   私的所有
    |
   個体的所有


柄谷氏が以下に訂正したことだった。


   共同(体)所有
    |   個体的所有
国家ー私的所有


解説するなら、個体的所有は古代にもあったし、私的所有は納税義務を見れば分かるように国家に付随した概念だということになる。
共同体所有と記述し、共同所有としなかったのは、生協などの共同所有と混同しないようにという配慮であり、現代の感覚では
「互酬性」は見えて来ないというのがこの日の講義の一貫したテーマだった。
モースの再評価も行われたが、これは共同体所有を「神が所有するようなもの」という感覚を現代人が理解することができるかが鍵
だということだろう(この件に関して柳田国男にも触れられた)。

at,12号に掲載されるザスーリッチへの書簡をめぐる考察の詳細が語られたのも印象的だった。
簡単にいえば、マルクスはギリシアの独立精神のある(「未開の」)氏族共同体に可能性を見出したのであって、中世共同体やロシア
の農村共同体の可能性に関して否定的だったということである。
これはスターリンの行った農機具国有化への追認として誤解される恐れがある見解だと個人的には思うが、マルクスの読みとしては
正しいと思う。

講義の後半はこうした生産ではなく交換に眼を向けることの重要性と、アジア的生産様式の概念を維持すべきだという(そうでない
とギリシアの独自性も分からない)ことの解説が行われた。後者は当日太田出版の方から購入したat,12号(最新号)に詳しい。また、
22日朝日新聞掲載の書評でもアジア的生産様式に関しては触れられているようだ。

ブーバーの『我と汝』*における猫の記述をアニミズムと関連づけていた(at,7号に詳細あり)のも印象的だった。

追記:
レジュメは以下に掲載されると思う。第一回のレジュメも掲載されている。
http://web.nagaike-lecture.com/

* ブーバー『我と汝』(岩波文庫p123)より

「大地が動き、関係が生まれ、つぎの瞬間、ほとんど間を置かず別の関係が起こる。<それ>の世界が私と猫を取り囲み、一瞬の間、
<なんじ>の世界が深淵から輝いたけれど、今や再び<なんじ>の世界は、<それ>の世界へ消えていったのである。」
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by yojisekimoto | 2008-06-23 02:07 | 柄谷行人


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