人気ブログランキング | 話題のタグを見る

参考:ニーチェのスピノザ評

ネグリのスピノザ論*は(それまでのスピノザ研究を考慮したという点で)精緻ではあるが、スピノザを評価しながらも後にその感情面の欠如を批判したニーチェに似ているかも知れない。
まず、ニーチェはスピノザに最大限の賛辞を贈っている。

「僕はすっかりびっくりして、うっとりしているんだ。僕には先駆者がいたんだ、なんという先駆者だろう。
僕はほとんどスピノザを知らなかった、僕がいまスピノザを(読んで)認めるまで。………彼の説の五つの主要な点に僕は僕の姿を見た。この最も異質な最も孤独な思想家は、まさに僕にもっとも近いのだ。
………つまりだね、高い高い山に登った時のように、ときどき僕の息を苦しくさせたり、僕の血を流させたりした僕の孤独が、すくなくとも(スピノザを読んだ)いまは、二人連れの孤独になったんだ――不思議だね!」
(ニーチェ。1881年、オーヴァーベック宛て書簡)』

その後、ニーチェはスピノザの神への知的な愛が気に入らなくなってくる(悦ばしき知識333など)。
ニーチェは、後にスピノザの神への知的な愛を感情面の肯定である運命への愛へ、コナトゥスを力への意志へと読み替えるのだ。
とはいえ、スピノザ=パルメニデスだとしたら、ニーチェ=ヘラクレイトスである(イルミヤフ・ヨベルの説)。
両者はニーチェの近親憎悪とお馴染みの通過儀礼によって引き裂かれるにしても思考構造は似ている(このことは対カントという問題意識を想定すると分かりやすいかも知れない)。


先の日記に書名を出さなかった英語版タイトルは以下↓。なおこの英語版は『マルチチュード』の共著者であるマイケル・ハートが翻訳している。
ただし、英語版にはドゥルーズの序文は掲載されていない。邦訳には是非収録してほしい。
The Savage Anomaly: The Power of Spinoza's Metaphysics and Politics - Antonio Negri

追記:
スピノザを感情を重視する立場から読み替えたニーチェよりも、老子を契約論的に読み替えた韓非子の態度が参考になるかも知れない。
老子は、記述の方向は真逆だが、直観知を重視した点でスピノザとつながるものがある。
by yojisekimoto | 2008-07-11 00:06 | スピノザ


<< 『エチカ』と「モナド」 マルチチュード、様態の逆襲 >>