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『神学・政治論』『国家論』:図解

スピノザ『神学・政治論』
     __________自然6
   宗教の目的:服従13、神学(1〜15)
    |    /\    |
    |   /  \   |
    |  表象能力2\  |
    | 法4ー|ー契約12、17
    |/ _預言者__ \|    
    / |奇蹟6   | \
 マイモニデス7     | |\
 (超自然的力→比喩)__| | \
 /__|__________|__\
    |__________|哲学15、政治(16〜20)
   国家の目的:自由20   理性15、19



スピノザ『国家論』
      目的:平和安全1:6、5:2
悪\                /善4:1
恐怖\     民主国家11   /希望3:3
   \____________/
越権行為\   貴族国家8〜10(8:27くじ引き、8:30元老院400人?)  
4:3、4\________/
      \ 君主国家6〜7(6:15顧問官)
   4:1最高権力  権利(法)2:19、3:5、理性3:6、7
________\__/_______________
自然状態、自然権 \/ 
3:2      本性,本能1:7、6:1


スピノザ『国家論』 :目次

1序論(エチカ参照箇所→)3p1,3p32n,4f13,3p31n,3p31n,4p58n,4p15,5p4n,5p42n
2自然権について(神学政治論,エチカの要約)4p37n2,4p66n,4p67,3p29n
3国家の権利について
4最高権力の所管事項について
5国家の目的について
6、7君主国家について(7)3p29,4p58
8、9、10貴族国家について
11民主国家について(未完、以下を欠く)

※本文より抜粋
-----------------------------------------
人間は必然的に諸感情に従属する。また人間の性情は、不幸な者を憐れみ、幸福な者をねたむようにできており、同情よりは復讐に傾くようになっている 1:5,p14

国家の安全にとっては、いかなる精神にとって人間が正しい政治へ導かれるかということはたいして問題ではない。要はただ正しい政治が行なわれさえすればよいのである。なぜなら、精神の自由あるいは強さは個人としての徳であるが、国家の徳はこれに反して安全の中にのみ存するからである 1:6,p16

実に人間は、自然状態においても国家状態においても、自己の本性の諸法則によって行動しかつ自己の利益を計るものである。人間は――あえて言うが――そのどちらの状態にあっても、希望あるいは恐怖によってこれあるいはあれをなしまたはなさないように導かれる 3:3p37

理性に基づき理性に指導される国家は最も力があり、最も自己の権利のもとにありうるのである。なぜなら国家の権利は、あたかも一つの精神からのように導かれる多数者の力によって決定されるのであるが、精神のこの一致はまさに、健全な理性がすべての人間に有益であると教えるものを国家が最も多く追求する場合でなくては決して考えられえないからである 3:7 p40

臣民は、国家の力または威嚇を恐れる限りにおいて、あるいは国家状態を愛する限りにおいて、自己の権利のもとにはなく、国家の権利のもとにあるということである。この帰結として、報酬あるいは威嚇によって何びともそれへ動かされえないような一切のことは国家の権利に属さないということが生ずる  3:8,p40-41

国家が自己の権利のもとにあるためには恐怖と尊敬との原因を保持するように拘束される。そうでなければ国家はもはや国家ではない。思うに、統治権を握る人あるいは人々にとっては、酔って、裸で、遊女とともに町を歩き回ったり、俳優のまねをしたり、自らの定めた法律をあからさまに破ったり軽蔑したりして、それでいて威厳を保持することは不可能である(中略)臣民を虐殺したり、掠奪したり、処女を誘惑したり、その他これと同様のことどもは、恐怖を憤慨に変え、したがって国家状態を敵対状態に変える   4:4,p53-54

自由な民衆は恐怖よりも希望によって多く導かれるのに対し、征服された民衆は希望よりも恐怖によって多く導かれる(中略)実に前者は生活をはぐくむことに努めるのに反し、後者はただ死を避けることにのみ努力する5:6,p60

国家は常に敵のゆえによりも国民のゆえに危険であるということが確実である。事実、善良な国民は稀だからである 6:6,p67

王の意志は王が国家の剣を握っている間に限って法的効力を持つのである。統治の権利はもっぱら力によってのみ規定されるのであるから。ゆえに王は退位することはできるが統治権を他人に譲渡することは民衆あるいは民衆の大多数の同意なくしてはできないのである 7:25,p107←→ホッブズ

本性はすべての人々において同一である。すべての人々は支配する時に傲慢になり、恐れを持たぬ時に恐ろしい(「彼らは恐れを持たざる時に恐ろし」p109。元ネタは、タキトゥス『年代記』1:29より)。またどこにあっても真理は、圧迫された者あるいは隷属的立場にある者たちによって多く歪曲される 7:27,p110

王の力がもっぱら民衆自身の力によって決定され、民衆自身の守護によって保持されるようにさえすれば、民衆は王のもとにおいて十分の自由を保持しうる、と。そしてこれこそ私が君主国家の諸基礎を建てるに際して従ってきた唯一の規則である 7:31,p116

参照サイト:http://blog.goo.ne.jp/eliesbook/e/6e0669ee9898a7f0995a47fd66d8bd11

 諸事のとり決めならびに官吏の選任にあたってすべての貴族が同じ力を持つためには、そしてすべての事務の決裁が迅速であるためには、ヴェニス国の人たちの守った手続きが最も推薦に値する。彼らは官吏を任命するにあたり会議体から若干名を抽籤で選び、この人々が順次に選ぶぺき官吏を指名し、続いておのおのの貴族は指名された官吏の選任に対し賛成あるいは反対の意見を投票用小石によって表明する。あとになって誰が賛成あるいは反対の意見であったかがわからないように。こうすればすべての貴族が決議にあたって同じ酪威を持ちかつ事務が迅速に決裁されるばかりでなく、その上おのおのの者は(これは会議にあって何より必要なことであるが)誰からも敵意を持たれる心配なしに自分の意見を表示する絶対的自由を有することになる。8:27, p136
<スピノザ『国家論』 第八章第二七節、畠中尚志訳、岩波文庫p139> 

参考:http://yojiseki.exblog.jp/4997449/#note

スピノザ『神学・政治論』
     __________自然6
   宗教の目的:服従13、神学
    |    /\    |
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    |  表象能力2\  |
    | 法4ー|ー契約12、17
    |/ _預言者__ \|    
    / |奇蹟6   | \
 マイモニデス7     | |\
 (超自然的力)_____| | \
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    |__________|哲学15、
   国家の目的:自由20   理性15、19

スピノザ「神学・政治論」の構成
Tractatus Thoelogico-Politicus de Spinoza
緒 言
第1章 預言について
第2章 預言者について
第3章 ヘブライ人たちの召命について。又預言の賜物はヘブライ人たちにのみ特有であったかどうかについて。
第4章 神の法について
第5章 諸々の祭式が制定された理由について。又史的物語への信憑について、換言すればそうした信憑が何故に、又如何なる人々のために必要であるかについて
第6章 奇蹟について
第7章 聖書の解釈について
第8章 本章にはモーゼ五書並びにヨシュア、士師、ルツ、サムエル、列王の諸巻が之らの人々自身に依って書かれたのではないことが示される。その後で、之らの諸巻の著者が数人であったか、それとも一人であったか、一人であるとすれば一体誰であったかについて探究される
第9章 之らの諸巻に関する他の諸研究、即ちエズラは之らの諸巻に最後の仕上げをしたかどうか、ヘブライ写本の中にある欄外註は異なれる読み方を示したものかどうか
第10章 旧約聖書に於ける爾余の諸巻が上記の諸巻と同様の方法で吟味される
第11章 使徒たちは彼らの書簡を使徒として又預言者として書いたのか、それとも教師として書いたのかが探究される。次いで使徒たちの職分の何たるかが示される
第12章 神の律法の真の契約書について。又如何なる意味に於て聖書が聖書と呼ばれ、又如何なる意味に於てそれが神の言葉と呼ばれるか。そして最後に聖書は、神の言葉を含む限りに於ては損われざる形に於て我々に伝わったことが示される
第13章 聖書の教えは極めて単純なものであること、又聖書は服従以外の何物をも目的としていないこと、更に又聖書は神の本性については人間が一定の生活方法に依って模し得られること以外の何ものをも教えていないことが示される
第14章 信仰とは何であり、信仰者とは如何なる人々であるか。更に信仰の諸基礎が規定され、そして終りに信仰が哲学から分離される
第15章 神学は理性に隷属せず、理性も神学に隷属しないことが示され、併せて我々が聖書の権威を信ずる理由が説かれる
第16章 国家の諸基礎について、各人の自然権及び国民権について、また最高権力の権利について
第17章 何びとも一切を最高権力に委譲することが出来ないし、又その必要もないことが示される。更にヘブライ人の国家がモーゼの在世時代にはどんな風であったかについて、又モーゼの死後、諸王が選ばれる前には、どんな風であったかについて、又その国家の優越性について、最後に又神の国家が亡んだり、騒擾なしには殆ど存続し得なかったりした理由について語られる
第18章 ヘブライ人たちの国家組織と歴史とから若干の政治的教義を帰結する
第19章 宗教上の事柄に関する権利は全然最高権力のもとにあること、又我々が神に正しく服従しようと欲すれば宗教への外的崇敬は国家の平和を顧慮してなされねばならぬことが示される
第20章 自由なる国家に於ては各人はその欲することを考え、その考えることを言うことが許される、ということが示される

【参考】
「神学・政治論」執筆の動機

スピノザ書簡30
スピノザからオルデンブルクへ
「私は目下聖書に関する私の解釈について一つの論文を草しています。私にこれを草させるに至った動機は、第一には、神学者たちの諸偏見です。この偏見は私の見るところによれば、人々の心を哲学へ向わせるのに最大の障害となっています。ですから私はそれらの偏見を摘発して、それをより賢明な人々の精神から取り除くように努力しているのです。第二には、民衆が私について抱いている意見です。民衆は私に絶えず無神論者という非難を浴びせているのです。私はこの意見をも出来るだけ排撃せねばなりません。第三には、哲学することの自由並びに思考することを言う自由です。この自由を私はあらゆる手段で擁護したいと思います。当地では説教僧たちの過度の勢力と厚かましさのために、この自由がいろいろな風に抑圧されているのです(以下省略)。」
フォールブルフ、1665年9月(または10月)
「スピノザ往復書簡集」(畠中尚志訳、「岩波文庫」岩波書店、1958年)

参照サイト:http://www.furugosho.com/precurseurs/spinoza/tp.htm

参考書籍:スピノザーナ7

注:図はあくまで「発見的 heuristic な仮説」(必ず正しい答えが導けるわけではないが、ある程度のレベルで正解に近い解を得ることが出来る方法)である。



追記訂正:

スピノザ『神学・政治論』
        ________自然6
       |   宗教の目的: |
       |    /服従13、|
       |   /  \ 神学|
       |  / (1~15)|
       | /      \ |
       |/ ______ \|    
       | |奇蹟6   | |
    マイモニデス7     | |\
    (超自然的力→比喩)  | | \
    /  | |_預言者__| |  \
   /   | 法4=|=契約12、17 \
  /    |  表象能力2   |    \
 /_____|__________|_____\
       |__国家の___哲学15、政治(16~20)
          目的:自由 理性15、19
             20


スピノザ『国家論』
         目的:平和安全1:6、5:2
   悪\                /善4:1
   恐怖\     民主国家11   /希望3:3
      \____________/
   越権行為\   貴族国家8〜10(8:27くじ引き、8:30元老院400人?)  
   4:3、4\________/
         \ 君主国家6〜7(6:15顧問官)
      4:1最高権力  権利(法)2:19、3:5、理性3:6、7
___________\__/_______________
   自然状態、自然権 \/ 
   3:2      本性,本能1:7、6:1

『神学・政治論』と『国家論』とでは国家の位置づけが違う。
前者では自然権に近かったが、後者では制度となっている。
(国家の目的設定は自由から安全平和へ移行する。)
国家の二重性とも言える。
エチカでの前半と後半の態度変更に近い。
民主国家は目指すべき希有なものとされる。
by yojisekimoto | 2009-10-26 01:49 | スピノザ


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