カテゴリ:くじ引き( 2 )

ヴェネツィアのくじ引き

以前も書きましたが(くじ引き関連資料)、『ヴェネツィア歴史図鑑』(東洋書林、pp.32-33)によるとヴェネツィアではドージェ(Doge)と呼ばれる総督を決めるときに銅球と金の球を使ってくじ引き(+選挙)をしていたようです。
アリストテレス、スピノザ、モンテスキュー、ルソーも、ギリシアのアテネで確立し近代資本主義それ自体が「くじ引き的」に不安定化するまでは重宝されたこの方式に注目していました。
現代ではようやく柄谷行人がくじ引きを再発見(*)しましたが、日本でも始まる裁判員制度の実施に伴い、参加者の自覚を促す効用のあるこの方式は今後再評価されるべきでしょう。
(*参考:2002年NAM代表くじ引き選出

以下前出書より

総督の選出は最初は市民大集会に委ねられていたが、後に限られた人数の選挙人で行うようになった。選挙の仕組みは徐々に整えられ、1268年の法で明確に規定された。不正を防止するために、抽選と投票を交互に繰り返して総督選挙会議のメンバーとなる41人を指名したのである。まず、「バッロッティーノ(抽選係)」と呼ばれる少年が球を無作為に選んで、大評議会の30歳以上の議員に一つずつ手渡した。金色の球を受け取った30人は、抽選により9人にまで減らされ、この9人が40人の議員を推薦した。この時、9人は投票で40人を選んだが、7票以上を獲得しないと選出が承認されなかった。その後、抽選を行って40人を12人に減らし、この12人が新たに25人の選挙人を選んだ。再び抽選でこれを9人に減らし、この9人が投票で45人を選んだが、抽選でもうー度11人に減らした。この11人が総督の選挙人の選挙人となり、総督選挙会議の41人のメンバーを選出したのである。そして、最後に選ばれた41人が最終的に総督候補者を指名した。候補者の数だけ用意された投票箱に、深紅色の球を入れて投票するという方法をとった。この投票で25票以上を獲得した者が総督に選ばれた。

下:選挙の複雑な仕組みを象徴的に図解した版画。
a0024841_9521197.jpg

下:1709年の選挙で使用された投票用紙。この時はジョヴァンニ・コルネールが総督に選出されている。
a0024841_8382145.jpg

下:選挙の仕組みを解説した印刷物。参考:http://digilander.libero.it/venexian/ita/elezioni.htm
a0024841_1001020.jpg

「大評議会の間」の見取り図と投票の様子。↓
a0024841_9501794.jpg

最終投票で球を数える際に使用した木製の手。↓
a0024841_8362064.jpg

「バッロッティーノ(抽選係)」と呼ばれる少年の絵。↓
a0024841_839370.jpg

[PR]
by yojisekimoto | 2008-01-22 08:43 | くじ引き

くじ引き関連資料 (改訂版)

以下くじ引きに関して以前書いたものを少し訂正して転載させていただきます。
・・・・・・・・・・・・・・
結論として、私見を述べさせていただければ、くじ引きの利点は以下4つあると思います。、

1、誰でも代表を引き受けられる能力を持つべきだという統整的理念(=能力の平等性)の普及。
2、決選投票という心理的軋轢を避けられる。
3、決定の恣意性の自覚。(多くの社民制が陥る)首相公選政がベストだと思い込むようなポピュリズムの回避。
4、参加者がひとつの時間と場所を共有できる。

そもそも、くじ引きが民主主義の王道(アテネ、ヴェネツィアは別格として、アリストテレス、モンテスキュー、スピノザ、ルソーによる言及がある)であったということが忘れられていることが問題であり、今日のくじ引き批判は、単なる知識人の歴史への無知にその原因があります(そもそもNAMでは選挙プラスくじ引きだから民主的発想の改善、あるいは補完であることが自覚されています)。
柄谷さんが自分で考えたというニュアンスで広めようとしたことにも問題がありますが、くじ引きが「統整的理念」(「超自我」と言ってもいい)であることはもう少し理解されてもいいと思います。


上記の理解を手助けするために、くじ引きに関して、以下、歴史的及び基礎的な資料を引用させていただきます。スピノザはヴェネチア(ヴェニス)を、モンテスキューはアテネ(アテナイ)を手本にしています。ルソーは両者を統合していますが、その主権移譲的な社会契約説に関しては、プルードンも指摘した通り注意が必要だと思います。
 ヴェネチアに関しては、中公文庫版『社会契約論』の訳注が詳細に解説しているのでそのまま引用しました。ちなみに帝国主義以降(海外への資本の輸出以降)、くじ引きは(資本主義そのものがくじ引き的だから?)まったく政治学の議論の俎上に乗らなくなります。
 写真2は、S・ドーによるギリシア・アテネの「抽選器復元図」(1939)です(球を上から入れる仕組みになっています。橋場弦著『丘のうえの民主政』p147より)。
以下は別サイトにあるくじ引き関連資料(改訂前)です。
http://blog.livedoor.jp/yojisekimoto/archives/50790316.html

追記:
ヴェネツィアでは『ヴェネツィア歴史図鑑』↓によると銅球と金の球を使ってくじ引きをしていたようです。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4887216882/ref=ord_cart_shr/250-8642134-6970623?%5Fencoding=UTF8&m=AN1VRQENFRJN5

また、日本に関しては、くじ(串が語源といわれる)は神託として扱われる傾向が強いので、少し傾向が異なると思いますが、事例が集まり次第いずれご報告させていただきたいと思います(NAMの事例に関しては写真(=3)のみご紹介させていただきました)。

//////以下、資料///////////////////

<スピノザ『国家論』畠中尚志訳、岩波文庫p139>
 第八章第二七節
 諸事のとり決めならびに官吏の選任にあたってすべての貴族が同じ力を持つためには、そしてすべての事務の決裁が迅速であるためには、ヴェニス国の人たちの守った手続きが最も推薦に値する。彼らは官吏を任命するにあたり会議体から若干名を抽籤で選び、この人々が順次に選ぶぺき官吏を指名し、続いておのおのの貴族は指名された官吏の選任に対し賛成あるいは反対の意見を投票用小石によって表明する。あとになって誰が賛成あるいは反対の意見であったかがわからないように。こうすればすべての貴族が決議にあたって同じ酪威を持ちかつ事務が迅速に決裁されるばかりでなく、その上おのおのの者は(これは会議にあって何より必要なことであるが)誰からも敵意を持たれる心配なしに自分の意見を表示する絶対的自由を有することになる。

/////////////////////////

<モンテスキュー『法の精神』井上尭裕訳、中央公論社、世界の名著p379>
 第二篇第二章
 
 籤による投票は民主制の性質をもち、選択にょる投票は貴族制の性質をもつ。
 抽籤はだれをも苦しめない選び方である。それは、各市民に、祖国に奉仕したいというもっともな希望を残す。
 しかし、それは、それ自体として欠陥をもっているから、偉大な立法者たちは、それを規制し、矯正するために競いあった。
 アテナイでは、ソロンが、全軍職は選択により任命され、元老院議員と裁判官は、籤で選ばれるよう定めた。
 彼は、大きな出費を要する政務官職は選択にょり与えられ、他の職は籤で与えられることを望んだ。
 しかし、抽籤を修正するために、彼は、立候補した者の中からしか選べないこと、選ばれた者は、裁判官により審査されること、だれもが、選ばれた者を不適格として弾劾しうることを規定した。それは、同時に、抽籤にも選択にも相通じていた。政務官職の終わりには、人は、自分の行動した仕方について、いま一度審査を受けなければならなかった。無能な人々は、抽籤に自分の名を出すのを、大いにきらったにちがいない。

////////////////////////

<ルソー『社会契約論』井上幸治訳、中公文庫p145-147>
 第四編第三章 選挙について
 執政体と施政者の選出は、さきに述べたように複合的な行為であるが(第三編十七章参照)、それを行なうには、二つの方法がある。すなわち選挙と抽籤(ちゅうせん)である。両者ともに、今日まで、多くの共和国で採用されてきており、現在でもなお、ヴェネツィアの統領の選挙では、この二つがきわめて複雑にまじり合った方法が行なわれている(*1)。          
「抽籤による選任が民主政の本質である」とモンテスキューは言っている (*2)。賛成である。しかし、どうしてそうなのか。モンテスキューは続けて言っている。「抽籤はだれも傷つけない選び方である。それは、各市民に祖国に奉仕できるという、もっともな期待をもたせるのである」しかし、理由はこの点にあるのではない。
 政府の首長を選ぶことは政府の権能であって、主権の権能ではない点に注意すれば、なにゆえに抽籤による方法がより民主政の本性にかなっているかがわかるだろう。民主政においては、行政は、その行為が簡単ならば簡単なほど、よりよく行なわれるのである。
 真の民主政においては、施政者の職は、いかなる場合でも、利益ある地位ではなく、わずらわしい負担であって、とくにある特定の個人を選んで、これを押しっけることは正当ではない。ただ法律のみが、籤(くじ)に当たったものにこの負担を屈することができる。なぜならば、この場合には、条件は全員にとって平等であり、選択は人間の意志になんら依存せず、したがって、法律の普遍妥当性をそこなうような特定の適用は、まったく存在しないからである。
 貴族政においては、執政体が執政体を選び、政府は自分の手で自分を維持する。そして、投票制が最も所を得ているのは、この政体においてである。
 ヴェツィアの統領の選出の例は、この二つの方法の区別をくずすどころか、確証するものである。つまり両者の混合したこの形式は、混合政府に適合しているのである。なぜかといえば、ヴェネツィアの政府を真の貴族政とみなすのは誤りであるから。そこでは人民がまったく統治に参与していないとしても、貴族身分が、それ自体人民なのである。数多くの貧しいパルナボト(*3)たちは、いかなる施政官の職にも近づいたことがなく、その貴族の身分によって、ただ実質のともなわない「閣下」の称号と、大評議会への出席権をもっているにすぎない。この大評議会は、ジュネーヴのわれわれの総評議会(*4)と同じくらい多人数からなっており、その有力な構成員も、われわれの単なる市民と同じ程度の特権しかもっていない。二つの共和国のあいだの極端な差異を除いて考察すれば、ジュネ?ヴのブルジョア身分が、まさにヴェネツィアの貴族身分にあたり、ジュネーヴの二世居住民と居住民(*5)の両身分は、ヴェネツィアの都市民と民衆にあたり、ジュネーヴの農民は、イタリア半島のヴェツィア領内の従属民にあたるといってさしつかえない。要するにどのような見方でヴェネツィア共和国を考察しようとも、その規模が大きいことを別にすれは、その政府は、ジュネーヴのそれよりも、貴族政的であるとはいえない。両者の違いのすべては、われわれは終身の首長をもっていないので、ヴェネツィアのように抽籤にたよる必要さえないということに尽きる。
 抽籤による選出は、真の民主政においては、ほとんどなんの不都合も生じないであろう。全員が、習俗や才能によっても、あるいはまた政治的原則や財産によっても、まったく平等であるから、選択はほとんど無関心なものとなるであろう。しかし、さきに述べたように(*6)、真の民主政は、かつて存在したことがなかった。
 選挙と抽籤が混用される場合、前者は軍職のように特別の才能を要する地位を満たすのに用いられるべきであり、後者は司法官職のように良識、正義、公正などの徳をもっていればまにあう地位に適している。なぜなら、よく構成された国家においては、これらの資質は、全市民に共通のものだからである。
 君主政体においては、抽籤も投票も行なわれない。君主のみが、当然、唯一の統治者であり、施政者であるのだから、その代理官の選択権も、君主だけに属している。サン=ピエール神父(*7)が、フランス国王顧問会議を増設し、その構成員を投票により選ぶことを提案したとき、彼は政体を変えるよう提案しているのだということがわかっていなかった。
 残るところは、人民の集会で投票を行ない、それをとりまとめるしかたについて述べることであろう。しかし、この点については、ローマ国制の歴史事実が、私の立てうる格率のすべてを、いっそう明白に説明するであろう。二十万人もの人々が参加した評議会で、公私の政務がいかにして取り扱われていたかを、多少、細部にわたって見ることも、公正な読者にとっては不当なこととは思われない。

中公文庫・訳注
*1 ポーラヴォンの注解によれば十三世紀から共和政の終わりまで統領の選挙は次のように行なわれたという。ヴェネツィアの大評議会は、まず三十人の市民を選び、これらが九人の市民を、その九人が四十人の市民を選び、その四十人中の十二人がくじで選ばれ、二十五人の市民を選び、そのうちの十一人がくじで選ばれ、その十一人が四十一人を選び、その人たちが統領を選んだ。
*2 『法の精神』第二編第二章参照。
*3 バルナバ会員のこと。ここでは、ヴェネツィア市中に聖バルナバ教会があり、その地区に住む比較的貧しい貴族をいう。
*4 ジュネーヴの主権を握る上層階級にあたる市民とプルジョア(町人)の総会をいう。これにより、小委員会または二十五人会が法の執行を委任された。
*5 当時のジュネーヴ人はシトワイヤン(市民)、ブルジョア(町人)、アピタン(居住民)、ナティフ(二世居住民)、シュジェ(隷属民)の五階級に分かれていた。前の二者は千六百人以下で行政・立法に参加。市民は、市民または町人の子供で、市で生まれていなけれはならない。町人は町人証明書を得た着で、各種職業に従事した。町人の息子は、市区以外で生まれると市民になれない。居住民は市の居住権を買った外国人、二世居住民は市内に生まれた居住民の子供たち。彼らは商業に従事する権利をもたず、さらに多くの職業につくことが禁じられ、しかも主に彼らが課税の対象になった。隷属民はその地方に生まれたといなとにかかわらず、この地区に居住する農民で、最も無力な存在であった。
*6 第三編第四章参照。
*7 フランスの聖職者。『永久平和草案』で知られる。
一六五八〜一七四三。ルソーはその『顧問会議制度論』を分析、批判した。


補記:
アリストテレス「政治学」第4巻15章(岩波文庫及び世界の名著8所収)では、くじ引きと選挙の組み合わせが考察されています。
彼自身は貴族制を支持したと思われるのでくじびきという「民主制のやり方」を推奨していないようです。

アテネと同じく「球」を使ったヴェネティアのくじ引きに関しては前出の『ヴェネツィア歴史図鑑』(東洋書林)が図版入りで詳しい。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4887216882/sr=1...
追記:ヴェネツィアに関してはその後資料を以下に追加しました。
http://yojiseki.exblog.jp/d2008-01-22


その他の参考文献:
『丘のうえの民主政—古代アテネの実験 』 写真2所収
橋場 弦 (著)
http://www.amazon.co.jp/丘のうえの民主政?古代アテネの実験-橋場-弦/dp/4130230492/sr=8-1/qid=1168908777/ref=sr_1_1/503-5582828-5887142?ie=UTF8&s=books

アリストテレス『政治学』 (岩波文庫)
http://www.amazon.co.jp/政治学-アリストテレス/dp/4003360451/sr=1-4/qid=1168908867/ref=sr_1_4/503-5582828-5887142?ie=UTF8&s=books

アリストテレス『アテナイ人の国制』(岩波文庫)写真2所収(研究過程の詳細な解説付き、最重要文献)
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%83%86%E3%83%8A%E3%82%A4%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%9B%BD%E5%88%B6-%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%86%E3%83%AC%E3%82%B9/dp/4003360478/sr=1-4/qid=1169475746/ref=sr_1_4/249-9681056-2452320?ie=UTF8&s=books


世界の歴史〈4〉ギリシア (1974年) [古書] 写真1所収
村田数之亮、河出書房新社
http://www.amazon.co.jp/世界の歴史〈4〉ギリシア-1974年/dp/B000J9EJAY/sr=1-22/qid=1168908961/ref=sr_1_22/503-5582828-5887142?ie=UTF8&s=books

写真1
a0024841_13433841.jpg

写真2、アリストテレス『アテナイ人の国制』(岩波文庫より)↓
a0024841_13435580.jpg
写真3
a0024841_13441876.jpg

(写真3は2002年のNAM代表くじ引き選挙時のもの)→2002年NAMくじ引き選出(4分)
写真4
a0024841_1416390.jpg

写真4はmixiコミュニティ「NAM再建準備会」管理人選出で使用した<黒ひげ危機一髪・スターウォーズバージョン>。工具を挿し、ライトセーバーが飛んだ人間が勝ち(ジョージ・ルーカス公認のおもちゃだが、オーソドックスなタイプの黒ひげが一番が使いやすい)。
[PR]
by yojisekimoto | 2007-01-17 13:47 | くじ引き