カテゴリ:フロイト( 6 )

『死の欲動』発見史:再考

http://yojiseki.exblog.jp/11573196/

死の欲動はフロイトの見解ではシュピールラインが発見した(『快感原則の彼岸』1920のフロイト自身による注)。
ただし、シュピールラインはユングから貰い受けたと書き、
ユングはフロイトから受け継いだと書いている。

ユングの貢献をフロイトが隠蔽し、結果としてシュピールラインの功績も
見えにくくなっている。フロイトの歴史的大きさには変わりがないが大きいがゆえの
弊害があるという事だ。



        『死の欲動』発見史

           ゲーテ             |
1808    『ファウスト』第一部         |
1833           第二部         |
                           潜
           ニーチェ            在
1883    『ツァラトゥストラ』         期
                           |
           フロイト            |
1900      『夢判断』            |?
            /\  
     ユング      シュピールライン
1911 『変容の象徴1』 『分裂病(統合失調症)の一症例の心理的内容』(未邦訳)
            \/
            /\
1912 『変容の象徴2』 『生成の原因としての破壊』
             /
           フロイト
1920     『快感原則の彼岸』

Jahrbuch für psychoanalytische und psychopathologische Forschungen (1911)



参考:

メフィストフェレスは言う。自分は「常に悪を欲して、しかも常に善を成す」あの力であると(J・W・フォン・ゲーテ『ファウスト』第1部3〔相良守峯訳、岩波書店、1958年、92頁〕)

ユングの『変容の象徴』(「六 母から自由になるための戦い」ちくま文庫下35頁)では、ニーチェの詩(「猛禽のあいだで」『ディオニソス頌歌』ちくま文庫だと全集別巻2495頁)がリビドーが自分自身を傷つける例として引用される。

http://yojiseki.exblog.jp/7759962/
『続精神分析入門』(1933)より 超自我が入った図の概略
(「自我とエス」(1923)では超自我はない。両者とも抑圧が斜めに入る。
第一局所論は『夢判断』等で展開される)。↓

第一   第 二 局 所 論
局所論    
     __   _____
 意識_|__|_|_____|_
前意識_|超_|_|_自我__|_
無意識 |  | |_____|  
    |  |  _____
    |自 | |     |
    |  | |     |
    |  | | イド  |
    |我 | |     |
    |__| |_____|

あるいは、

       __   _____
   意識_|__|_|_____|_
  前意識_|超_|_|_自我__|//
  無意識 |  | |_____//抑圧  
      |  |  ____//
      |自 | |   //|
      |  | |     |
      |  | | イド  |
      |我 | |     |
      |__| |_____|
第一局所論  第 二 局 所 論 
 『夢判断』 「自我とエス」(1923)
(1900) 『続精神分析入門』(1933、
                 超自我を追加)

上記図はマルクスの経済表↓に少し似ている。超自我が本源的蓄積、抑圧が異なる部門間の交換ということになる。

マルクス経済表(部門1と2が逆):
                               p1
                          追加的不変資本Mc
                    _産業利潤_追加的可変資本Mv
 _____             |      個人的消費Mk
|第1部門 |           P|_利子___単利__|z
|機械と原料|          利潤|      複利  |
|_____|           /|_地代___差額地代|r
                 /        絶対地代|
 不変資本C 可変資本V 剰余価値M 生産物W       |
       _____\____  /          |
          /  \    /           |
 ____    /  労賃\  /    _産業利潤_  |
|第2部門|  /      \/    |      | |
|生活手段| /       /\ 利潤_|_利子___| |
|____ /   労賃__/__\ / |      | |  
     /    /  /   \\  |_地代___| |
    /    /  /    /\\        | |
 不変資本  可変資本/ 剰余価値  生産物______/_/  
          /        /   
 ____    /        / 
|第3部門|  /        /              
|総生産物| /        /          
|____|/        /          
 ____/ _______/__                      
 不変資本  可変資本  剰余価値  生産物
 
  C  +  V  +  M  =  W

あるいは、

  _____  (技術革新等 | (労働時間
 |第1部門 |  空間的差異)|絶 の延長)1:10              2:21  
 |機械と原料|___相対的__|対_____       _追加的不変資本___  Mc
 |_____|   剰余価値 |的   ___産業利潤_/_追加的可変資本___\ Mv
本               |剰  |        \_個人的消費_____/|Mk
 固定資本2:9 流動資本   |余  |___利子_____単利_________|
  \機械)(原料/\     |価  |      \___複利________/|
  (土地 消耗品) \    |値 /|___地代_____差額地代_______|
源   \  / (労働力)  | /          \_絶対地代______/|
  不変資本C 可変資本V 剰余価値M 生産物W                  |
     1:6 ____\____  /                     |
           /  \    /                      |
的 ____1:24/  労賃\  /    _産業利潤___3:1〜____   |
 |第2部門|  /      \/    |                \  |
 |生活手段| /       /\   _|_利子_____3:21〜____| |
 |____|/   労賃__/__\ / |        3:24     | |  
蓄     /    /  /   \\  |_地代_____3:37~44__| |
     /    /  /    /\\          3:45     | |
  不変資本  可変資本/ 剰余価値  生産物_____________G___/_/  
           /        /        四:  ◎ 貨幣     
積 ____    /        /             ◯ 
 |第3部門|  /        /          三: /| 一般的 
 |総生産物| /        /             ☆☆☆     1:1、3、
 |____|/ _______/_             ☆☆☆     3:33
      /                      二:|/  拡大
  不変資本  可変資本  剰余価値  生産物        ◯ 
                           形態一:◯=☆ 単純 
                       (相対的価値形態 = 等価形態)


付記:
フロイトによるカントへの言及は以下がある。

「空間性とは、心的装置の広がりの投射であるのかもしれない。他の[かたちでの]派生は在りそうもない。
カントの言う、われわれの心的装置のアプリオリな条件の代わりに。心(プシュケ)とは延長しており、
そのことについては何も知らない。」(邦訳『フロイト全集22』p.285)

カントの概念のヒエラルキーは凡そ一定である。

                             ◎:範型/象徴×
 純粋理性概念→|\ ←理性               ◯:図式
(超越論的理念)| \ 
        |  \                               
        |___◎ ←(規定的/反省的)判断力       
        |   |\                           
        |   | \
        |   |  \         
 純粋悟性概念→|___|___\ ←悟性(超越論的統覚)    
 (カテゴリー)|\  |  /|\  
        | \ | / | \     
        |  \|/  |  \     
        |___◯___|___\ ←構想力
        |  /|\  |    \
        | / | \ |     \ 
 感性的多様性→|/__|__\|______\ ←感官
                         (経験的統覚)



追記:ジャネとの関係

フロイトは『ヒステリー研究』でジャネとの無意識の先取権争いを告白している。
もしかりにフロイトのジャネ批判が正しいとしても逆にだからこそジャネのある
程度の先取性は認められるだろう。

http://yojiseki.exblog.jp/4946359/
ピエール・ジャネ(Pierre Janet、1859-1947)
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by yojisekimoto | 2011-10-28 11:20 | フロイト

「死の欲動」:メモ その2

死の欲動をフロイトより先に(『快感原則の彼岸』1920のフロイト自身による注及び、ユング『変容の象徴』1952年版、ちくま文庫下294頁の注を参照)提唱したとされるシュピールライン(S. Spielrein )の論文(ユングを引用した箇所)の原文(1912)は以下。
http://www.archive.org/details/JahrbuchFuumlrPsychoanalytischeUndPsychopathologischeForschungenIv_509

http://www.archive.org/stream/JahrbuchFuumlrPsychoanalytischeUndPsychopathologischeForschungenIv_509/JdP_IV_1912_1_Haelfte#page/n467/mode/2up
466頁〜

Die Destruktion als Ursache des Werdens.

Von Dr. Sabina Snielrein (Wien).

„Die leidenschaftliche Sehnsucht, d. h. die Libido hat zwei Seiten:
sie ist die Kraft, die alles verschönt und unter Umständen alles zerstört.
Man gibt sich öfter den Anschein, als ob man nicht recht verstehen könne,
worin denn die zerstörende Eigenschaft der schaffenden Kraft bestehen
könne. Eine Frau, die sich, zumal unter heutigen Kulturumständen, der
Leidenschaft überläßt, erfährt das Zerstörende nur zu bald. Man muß
sich um ein Weniges aus bürgerlich gesitteten Umständen herausdenken,

um zu versteacn, welch ein Gefühl grenzenloser Unsicherheit den Menschen
befällt, der sich bedingungslos dem Schicksal übergibt. Selbst fruchtbar
sem — heißt sich selber zerstören, denn mit dem Entstehen der folgenden
Generation hat die vorausgehende ihren Höhepunkt überschritten: So
werden unsere Nachkommen unsere gefährlichsten Feinde, mit denen wir
nicht fertig werden, denn sie werden überleben und uns die Macht aus den
entkräfteten Händen nehmen. Die Angst vor dem erotischen Schicksal
ist ganz begreiflich, denn es ist etwas Unabsehbares daran; überhaupt birgt
das Schicksal unbekannte Gefahren, und das beständige Zögern des Neu-
rotischen, das Leben zu wagen, erklärt sich aus dem Wunsche, abse'ts
stehen zu dürfen, um nicht im gefährlichen Kampfe des Lebens mitringen
zu müssen. Wer auf das Wagnis, zu erleben, verzichtet, muß den Wunsch
dazu in sich ersticken, eine Art Selbstmord begehen. Daraus erklären sich
die Todesphantasien, die den Verzicht auf den erotischen Wunsch gerne
begleiten 1 )."

Ich führe absichtlich so ausführlich die Worte Jung's an, weil
seine Bemerkung den von mir gewonnenen Resultaten am meisten ent-
spricht, indem er auf eine unbekannte Gefahr, welche in der erotischen
Betätigung liegt, hinweist; außerdem ist es für mich sehr wichtig,
daß auch ein männliches Individuum sich einer nicht nur sozialen Gefahr
bewußt ist.

(邦訳『秘密のシンメトリー』365頁、「情熱的な憧れとしてのリビドーには二つの面がある。すなわち、リビドーとは、あらゆるものを和解し、かつ状況によってはあらゆるものを破壊する力なのである。‥‥」)


引用元であるユングの原文1911は以下(この機関誌の同じ号に掲載されたシュピールラインの論文Spielrein: "Über den psychologischen Inhalt eines Falles von Schizophrenie (Dementia praecox)"をユングは『変容の象徴』の続編で参照してる。無論両者の源流にフロイト『夢判断』があるがそれ以上にニーチェも両者に影響を与えている)。

           ニーチェ
1883    『ツァラトゥストラ』

           フロイト
1900      『夢判断』
            /\  
     ユング      シュピールライン
1911 『変容の象徴1』 『分裂病(統合失調症)の一症例の心理的内容』(未邦訳)
            \/
            /\
1912 『変容の象徴2』 『生成の原因としての破壊』
             /
           フロイト
1920     『快感原則の彼岸』

Jahrbuch für psychoanalytische und psychopathologische Forschungen (1911)


http://www.archive.org/details/p2jahrbuchfrpsyc03junguoft

http://www.archive.org/stream/p2jahrbuchfrpsyc03junguoft#page/218/mode/2up
218頁〜

冒頭:
"Die leidenschaftliche Sehnsucht, d. h. die Libido hat zwei Seiten:
sie ist die Kraft, die alles verschönt und unter Umständen alles zerstört.‥ "
(注:d.h.=das heisst=即ち)

「情熱的な欲望にもふたつの面がある。それはすべてを美化するがまた事情によってはすべてを破壊することもある力である。‥」(ちくま学芸文庫『象徴と変容 上』「五 蛾の歌」225頁の訳)
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by yojisekimoto | 2010-11-16 04:06 | フロイト

「死の欲動」:メモ

「死の欲動 the death instinct, the death drive ,todestrieb」の発見史において、ゲーテの『ファウスト』は特権的な地位を占める。ウパニシャッド(ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド1:4:3)も同じ箇所がユング、フロイトに引用されている。

以下、メモ:

ユング 『変容の象徴』ちくま文庫上
ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド 男女合一(1:4:3)321頁
ゲーテ ファウスト 「患者」上188、
「悪を欲して善をなす」267




シュピールライン『秘密のシンメトリー』  
図112
ファウスト「上も下も同じ」369
キリスト387
ワーグナー「ジークフリート」400




フロイト『自我とエス』ちくま文庫
「抑えられずにいつも前へと突き動かされる」書斎の場
ファウスト 168頁
ハイネ?
ウパニシャッド男女合一190-1頁
(生物学的起源がよく批判される。シュピールラインも微生物学者メチニコフの影響で死の欲動〜厳密には彼女はこの用語は使っていない〜を提唱したとされる。:『<死の欲動>と現代思想』)

ラカン『フロイトの技法論上』(参考:スタンレー・カヴェル『哲学の<声>』230頁)
 ゲーテ ウェルテル上228頁


指揮:フィリップ・ジョルダン
ウィーン国立歌劇場管弦楽団
演出:アンドレイ・セルバン
ウェルテル…マルセロ・アルバレス
シャルロット…エリーナ・ガランチャ
(ただしラカンが挙げたのは両者の出会いのシーン)


柄谷『ネーションと美学』
カントとフロイトに「平行性」95頁 

カント『判断力批判』岩波文庫上
1:26  ピラミッド、聖ピエトロ寺院 157-8頁 →量、不快の問題
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by yojisekimoto | 2010-11-04 12:32 | フロイト

Cronenberg’s “A Dangerous Method”

「ザビーナ・シュピールラインはすでにこの考え方(引用者注:「死の欲動」)をうちだしている。その論文は内容も思想も豊富だが、残念ながらわたしは完全には理解できない」(フロイト『快感原則の彼岸』一九二〇 の脚注より)


2011年公開予定のクローネンバーグによるフロイト伝記映画『デンジャラス・メソッド』のスチール写真及び撮影風景。
(近年再評価の声が高い)ザビーナ・シュピールライン(*)をキーラ・ナイトレイが演じるようです。
a0024841_555072.jpg
a0024841_5544564.jpg
a0024841_5542951.jpg

a0024841_22572745.jpg





http://www.filmshaft.com/very-interestink-more-images-from-a-dangerous-method/

http://eiga.com/news/20100312/3/
以下上記サイトより

デビッド・クローネンバーグ監督とビゴ・モーテンセンが、「ヒストリー・オブ・バイオレンス」「イースタン・プロミス」以来3度目となるタッグを組むことが分かった。クローネンバーグ監督の新作「The Talking Cure」から当初キャスティングされていたクリストフ・ワルツが降板したため、モーテンセンが代役で出演する。

同作は、クリストファー・ハンプトンの同名戯曲を映画化するもので、精神分析学の創始者ジークムント・フロイトとカール・ユング、そして患者として知り合ったユングと恋に落ち、のちに自身も精神分析家となる美女ザビーナ・シュピールラインの3人の複雑な人間関係を描く。フロイト役をモーテンセン、ユング役をマイケル・ファスベンダー、そしてザビーナ役をキーラ・ナイトレイが演じる。5月中旬のクランクインを予定。


以下、wikiより

ザビーナ・シュピールライン(Sabina Spielrein 1885年 - 1942年)はロシア出身の精神分析家。

ロストフの裕福なユダヤ人の家庭に生まれ育つ。父ニコライは商人、母エヴァは当時のロシアでは珍しい大学卒(歯学部)の女性だった。
ロストフの女子ギムナジウムを経て、1904年8月17日、統合失調症患者としてチューリヒ近郊のブルクヘルツリ精神病院に入院し、ここで医師として働いていたユングと知り合い、恋に落ちる。1905年6月1日に退院した後、チューリヒ大学医学部に入学し、1911年、統合失調症に関する論文を提出して医学部を卒業するまでユングとの関係は続いた。ユングは彼女が学位論文を書くにあたっての助言者だったが、同時に彼自身もザビーナから学問的に多大な影響を受けた。しかし既婚者のユングが、彼の子を産みたいというザビーナの希望を撥ねつけたため、二人の愛は破局を迎えた。同じ1911年、ウィーンでフロイトと会い、ウィーン精神分析学協会に参加。ユングとの恋愛体験に基づく論文『生成の原因としての破壊』は、フロイトのタナトス概念に影響を与えた。
1912年、ロシア系ユダヤ人医師パヴェル・ナウモーヴィチ・シェフテルと結婚し、ベルリンで暮らした。第一次世界大戦中はスイスで暮らしたが、1923年、ソヴィエト政権下のロシアに帰国し、ロシア精神分析学協会に参加すると共に、モスクワにて幼稚園を設立。なるべく早い時期から子供たちを自由人として育てることを旨とした幼稚園であり、スターリンが息子ヴァシリーを偽名で入園させたこともあったが、3年後、幼児たちへの性的虐待という冤罪をかけられたため、閉鎖を余儀なくされた。背後には、精神分析学に対するスターリン政権からの弾圧があった。
1936年、大粛清の最中に夫が病死し、ザビーナと娘たちは1942年に故郷ロストフにて、侵攻したナチの手で殺害された。
2002年、『私の名はザビーナ・シュピールライン』と題するドキュメンタリーがスウェーデンの映画監督エリザベト・マルトンによって作られ、2005年には米国でも封切られた。近年、精神分析学に対する彼女の貢献に関して再評価が進みつつある。



http://www.linkclub.or.jp/~kiri/r29.html
以下上記サイトより
「アルド・カロテヌート『秘密のシンメトリー』について

 1977年、スイスのジュネーヴで、女性精神分析家ザビーナ・シュピールラインの1909年から1912年にかけての「日記」と彼女の「手紙類(ユング宛、フロイト宛書簡を含む)」が偶然発見され、イタリアのユング派精神分析家アルド・カロテヌートが、それらの資料に「秘密のシンメトリー」と題した一文を付して、80年にイタリアで出版した。内容は欧米で反響を呼び、数か国語に翻訳されたという。この日本語版には、他にシュピールラインの生前の論文『生成の原因としての破壊』(1912年『精神分析学・精神病理学年報』)と英語版から訳出されたフロイト派の精神分析家ブルーノ・ベッテルハイムの解説文『ベッテルハイムのコメント』(1983年「ニューヨークレビュー紙」)を加えたものとなっている旨が、あとがきにことわられている。
 おそらく精神分析運動史の研究者でもなければ、その名を知ることもないであろう一女性分析家の半世紀以上も前に残した手紙や日記をまとめた書物が、なぜ欧米でことさら話題になったのかといえば、とりあえずは資料が分析心理学の創始者カール・グスタフ・ユングとザビーナ・シュピールラインとの間に生じた不幸な恋愛事件についての記録(スキャンダル)をあかすものだったからだとはいえよう。また、そうした暴露的興味とは別に、彼女がユングやフロイトに与えた思想的な影響ということに関して、フロイト派とユング派の研究者たちに激しい解釈上の対立を投げかける内容となっていることがあげられるかもしれない(註1)。
(略)
(註1)ユング派のカロテヌートは「シュピールラインはこの論文(「生成の原因としての破壊」1912年)で、フロイトが1920年に『快感原則の彼岸』の中で提出する概念を、ほとんどそっくり先取りしている」と指摘しており、フロイト派のベッテルハイムは、アニマの概念にとどまらず、ユング心理学の多くの基礎概念が「直接または間接的にシュピールラインに負うものである」ことが明白になったという論旨を展開している。解説者が、互いの属する学派の始祖の思想の核心となるような概念の独創性に疑念をはさんで辛辣にやりあっていることの意味や切実さは、私などにはとうてい了解できない。 」

追記:
フロイト関連映画では、(ヒッチコックやダグラス・サークなどの精神分析的映画もいいが)ジョン・ヒューストン監督、モンゴメリー・クリフト主演の伝記映画"Freud: The Secret Passion"(1962)がお勧めなのですが、残念ながら日本語版DVDは出ていないようです。
サルトルの書いたシナリオ第一稿は邦訳が出版されているのですが、、、




追記の追記:

ざっと『秘密のシンメトリー』を読んだ感想としては、一人の女性(の転移)に翻弄された二人の医師というよりも、二人の偉大な思想家の中間点を探った女性という印象だ。ユングの集合無意識とフロイトの破壊衝動の中間点として、シュピールラインは個人的体験と違って種族的体験は自己犠牲的な死を自ら選ぶ場合があることを主張している(395頁)。三角関係に関しては、ユングの手紙が遺族によって公開を拒否されているのでよくわからない。
ブログ冒頭に掲げたフロイトの記述は(ちくま『自我論集』186頁の訳はニュアンスが少し違う)結果的に死の欲動におけるシュピールラインのプライオリティーを認めているが、同時にシュピールライン自身も語るユングのプライオリティー(参照:ユング『変容の象徴』**ちくま学芸文庫下294頁)を隠蔽しているところに複雑さがある(ジャネに対するフロイトの対抗心とも似ている)。

参考:http://www.shosbar.com/works/crit.essays/spielrein.html

**注:
シュピールラインが1912年の論文冒頭で引用したユングの『リビドーの変容と象徴』は、日本語版と少し訳文が違うようだ(内容的には重複するが「二重の母」という章はない)。多分『生命力の発展』(世界大思想全集44所収の方だと思われる)。

「情熱的な欲望にもふたつの面がある。それはすべてを美化するがまた事情によってはすべてを破壊することもある力である。‥」(ちくま学芸文庫『象徴と変容 上』「五 蛾の歌」225頁の訳)

参考:http://nirc.nanzan-u.ac.jp/Hito/watanabem/links/jungbib-b.htm

追記:
日本語版トレーラー


カットされていないバージョン

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by yojisekimoto | 2010-10-24 05:16 | フロイト

フロイト超自我・図解

フロイトによる無意識の図解。

基本的に、
意識Bw
前意識Vbw
無意識Ubw
と並んで、斜めに抑圧が入る。

「自我とエス」(1923)より、エスの図 ↓(超自我はまだ入っておらず、「聴覚帽」が自我の上に斜めにのっている。最新の脳科学を取り入れた結果かもしれない)。
a0024841_0454778.jpg

『続精神分析入門』(1933)より 超自我が入った図↓(横向きに掲載されることもあるがフロイト原典は未確認。Ichを強調しているから本来は横向きだろうが上図との比較の便宜上、縦にした)。
エスの下が開いているのは身体領域の本能エネルギー(リビドー)が取り込まれるためらしい。
参考:http://www.kbc.gr.jp/concerto/study/seisinbunseki.html
a0024841_0561055.jpg


超自我が加わることでフロイト理論は難解さが増した。実際超自我の位置づけはフロイト自身の中でも変化している(ちなみにフロイトは図よりも実際は意識の部分が大きいと注意している*)。

下記サイトより日本語訳バージョン。
http://www.2px.jp/psycho/p3.htm

a0024841_11931100.gif

http://filmplus.org/thr/2004.html
フロイト自身の図解ではないが、超自我の位置づけに関しては上記サイトの図↓がわかりやすい。超自我が無意識・前意識・意識と広範囲を横断することがよく明示されている。
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以下は集団の理想が外部にある状態を説明したもの(自我理想)。ラカンの記載法だとi(a)。超自我(理想自我)とは直接関係ないが、再び内部から外部へ超自我=理想が移行した場合と似ていなくもない。
「集団心理学と自我の分析」(1921)より自我理想の図↓
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ちなみにエスはドイツ語で非人称の主語、「それ」のこと。諸説*あるがフロイトがグロデック経由でニーチェから借りた言葉と言われる**。邦訳『エスとの対話』解説(p284)で詳しく引用されている。

「論理学者たちの迷信に関して言えば、私はこれらの迷信家たちが承認したがらないひとつの小さな簡短な事実を何度でも繰り返し強調しようーーひとつの思想というものは「それ es」が欲するときにやって来るもので、「われ ich」が欲するときにやって来るのではない、と。」(『善悪の彼岸』第17節より)

注*
これはマルクスが最初に経済表の交換される部分の割合を制限していたのと似ている。どちらもその制限はその後無効化され理論の刺激的な部分が拡大されたのも似ている。これは元々両者の実在的体系、カント***が示そうとしたような観念論的フィードバック装置を欠いた体系それ自体に不備があると考えるべきかも知れない。フロイトは二元論を維持したが臨床は捨ててしまったのでその文明論に反証可能性は極端に少なくなった。

注**
フロイトはインタビューでニーチェへの親近感を語っている(下記の他に記憶がなければ永劫回帰に意味はない、とも語っているが)。

「ニーチェは最初の精神分析者の一人です。彼の直感がどれほどわれわれの発見を先取りしていたかは驚異的です。それまで誰も人間行動の二重の動機と,終わりのない支配に執着する快感原則を彼以上に深く認識していませんでした。ツァラトゥストラは言います。//苦しみは/泣き叫ぶ、なくなれ、と/だが、快楽は永遠を求める/消えない,永遠を」(文芸春秋『インタヴューズ1』p382より)

しかし、学説の優先権争いに関しては複雑なものがあり必ずしも率直に語ってはいない。
たとえば『ヒステリー研究』はピエール・ジャネ(Pierre Janet、1859年5月30日 - 1947年2月24日)との争いだったし(フロイド選集版に詳しい)、それだけでなく、例えば、「マゾヒズムの経済的問題」(1924)に関しては、ジャネの『心理学的医療』 (1919)や『心理学的医学』(1923,邦訳あり)に似た発想(心理的経済)が既にある。また、後期フロイトはリビドーに代表される生理学から離れ、心理学を社会的に位置づけるようになるが、これもジャネがすでに行っていたことだ。しかもフロイトは『モーゼと一神教』で心的外傷モデルというジャネの理論を援用している。


追記(2010.1.12):

第一   第 二 局 所 論
局所論    
     __   _____
 意識_|__|_|_____|_
前意識_|超_|_|_自我__|_
無意識 |  | |_____|  
    |  |  _____
    |自 | |     |
    |  | |     |
    |  | | イド  |
    |我 | |     |
    |__| |_____|

***参考:
フロイトによるカントへの言及は以下がある。

「空間性とは、心的装置の広がりの投射であるのかもしれない。他の[かたちでの]派生は在りそうもない。カントの言う、われわれの心的装置のアプリオリな条件の代わりに。心(プシュケ)とは延長しており、そのことについては何も知らない。」(邦訳『フロイト全集22』p.285)

さらに柄谷行人(「死とナショナリズム」定本第四巻p95)によって論考された、

「それゆえカントの定言命法は、エディプス・コンプレクスの直接の相続人である」[Freud: Studienausgabe 3, S.351] 。(「マゾヒズムの経済的問題」1924『著作集6』p306、ちくま『自我論集』p287。<フロイト曰く「子供の頃両親に従うよう強制されたように、自我はその超自我(Über-Ich)の定言命法に服従する」[Freud: Studienausgabe 3, S.315]。「それゆえカントの定言命法は、エディプス・コンプレクスの直接の相続人である」[Freud: Studienausgabe 3, S.351] 。>)

などがある。

参考サイト:http://http-server.carleton.ca/~abrook/KTFRDJAP.htm


追記の追記:

さらに、フロイトが著作集第9巻.304頁で引用した文章に、カントの乳搾りの比喩というものがある。

「一人が雄山羊の乳をしぼり、もうひとりが篩でそれをうけている」(カント純理平凡社上199頁)

元々は昔話らしいが、これによって合理的に問うことそのものの重要性をカントは説き、それをフロイトはシュレーバーの症例研究上の方法論にあてはめ、精神分析の重要性を指摘している。

カントの原文は以下、

Kritik der reinen Vernunft - 2. Auflage B83

http://gutenberg.spiegel.de/?id=5&xid=1369&kapitel=24&cHash=e1996c376b2#gb_found

Es ist schon ein großer und nötiger Beweis der Klugheit oder Einsicht, zu wissen, was man vernünftigerweise fragen solle. Denn, wenn die Frage an sich ungereimt ist, und unnötige Antworten verlangt, so hat sie, außer der Beschämung dessen, der sie aufwirft, bisweilen noch den Nachteil, den unbehutsamen Anhörer derselben zu ungereimten Antworten zu verleiten, und den belachenswerten Anblick zu geben, daß einer (wie die Alten sagten) den Bock melkt, der andere ein Sieb unterhält.
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by yojisekimoto | 2008-12-24 00:44 | フロイト

フロイトの性図式

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石澤誠一氏(『翻訳としての人間』)も言うようにフロイト初期の理論は単純だが奥深い(この他に記憶におけるニューロンの作用に言及した草稿はデリダや東浩紀にインスピレーションを与えた)。
上記のフロイトの描いた図(性図式)は、 縦横の軸をはさみ、
下が身体(神経系統含む) 、
上が心、
左が自己、
右が他者、を意味する。

四分表としては、
左上が意識/無意識の場所、右上が他者の場所、
左下が自己の身体、右下が理想化された他者である。

セクシャリティー(性的嗜好)の流れは時計回りに流れる。
右上の他者がなくなり、右下から矢印が引かれると自慰行為等を引き起こし、神経衰弱をもたらす。
冷感症/不感症/ヒステリーの違いは問題点の位置に起因する。
例えば、性的緊張の部分に不安があるとヒステリーの原因になる。 これは男女間で非対称的関係に作用する。

逆流した場合、この時期は緊張、神経症という症状にいたるが、これは後の死の欲動につながるのではないか?
リビドーの概念のまだない時期なのだが応用範囲の広い図である。

ラカンの欲動のグラフとも逆回転ながら一致する。
対象/自我理想の図や、「自我とエス」の無意識図とも重なる(それぞれ性図式の上部、左半分に対応)図と言える。


神経衰弱→神経症(ヒステリー/強迫神経症/パラノイア)→精神病
という進行状況にも対応している図である。


また、上記はラカンの4つのディスクールに対応するだろう。
ラカンによると、

動因(左上)  他者(右上)
真理(左下)  生産物 (右下)

において
(Sbarreは去勢された主体<barreは斜線を意味する> 、S1はイデオロギーなどのシニフィアン1、S2は知識などのシニフィアン2、a は剰余としての対象a。)

S1  S2
---- ----

S barre   a

が主人の言説であり、
Sbarre  S1
---- ----
a  S2

がヒステリーの言説であり、
a  Sbarre
---- ----
S2   S1

が分析家のディスクールであり、


S2  a
---- ----
S1   Sbarre

が大学のディスクールである。

「メランコリーの場合、穴は心的領域にある」とするならば、メランコリー及び神経衰弱は動因に穴である対象aを持つ
分析化のディスクール、


a  Sbarre
---- ----
S2   S1


に相当するかもしれない(メランコリーにおける他者の不在を重視し、大学のディスクールとみなすこともできるが、、、、)。
これは分析家のディスクールを高く評価するラカンには反しているが、他者が欠けた場合の分析家の危うい一面をうまく表現している。
ここからひとつ退行するとヒステリーの言説、

Sbarre  S1
---- ----
a  S2

ということになる。

参照:
『フロイト フリースへの手紙—1887‐1904 』(誠信書房)
加藤弘一氏のサイト
http://www.horagai.com/www/salon/edit/ed2006l.htm
http://www.loc.gov/exhibits/freud/freud02a.html


以下、参考までに『フロイト フリースへの手紙』(誠信書房、p95)より「草稿G」の一部を引用する。

「しばしば使用される性図式を使って、今、心的性群(ps.S.)がその興奮量を失う諸条件が論じられる。ここでは二つの場合が明らかになる。

一、身体的性的興奮(s.S)の生産が低下するか途絶えるとき、
二、性的緊張が心的性群から別の方向に逸らされるとき。

第一の場合、身体的性的興奮の生産の中止は、多分、周期的に回帰する本物の真性重症メランコリーにおける、あるいは生産上昇の時期と生産中止の時期が交代して現れる循環性メランコリーにおける、特徴的なものである。さらに、過剰のマスターベーション-----これはそれについての理論によれば、終末器官(E)の過度の負荷軽減およびそれと同時に終末器官における低い刺激水準に行き着く-----は身体的性的興奮の生産に干渉し、身体的性的興奮の永続的な貧困化に、それと同時に心的性群の弱化に行き着く、と仮定することができる。これは神経衰弱性メランコリーである。
身体的性的興奮の生産は減少していないのに性的緊張が心的性群れから逸らされる第二の場合は、身体的興奮が他の場所で(境界で)使用されることを前提としている。しかし、これは不安の条件であり、それと同時にこれは不安メランコリーの、つまち不安神経症とメランコリーの混合形態の場合を覆っている。
 それ故、この議論においてメランコリーの三つの形態(引用者注:冷感症/不感症/ヒステリー)が説明されるが、これらは実際区別されなければならないのである。」

引用以上。

この場合、メランコリーは単純に抑圧を意味する。
コカインを研究していたフロイトらしく、ケミカルな神経回路に精神分析の根拠を見ていいる点が興味深い。
ヒステリーも神経衰弱も他者の喪失である悲哀と構造的にパラレルであり、性的原因に起因するという点が画期的なのだが、これは後に撤回される。
後に残った自己と他者の二元論のみが画期的ということになる。

追記:
図のキーワードを日本語訳したものを以下に載せる。

 性図式(アンダーライン)
          <自我境界>       

心的群       <特異的→>       外界 
                     性対象
ps.S(心的群)


                  反応↓      
                      <精神ー身体>
快感の伝道路↑ 性的緊張↑            境界

          脊髄中枢 <感覚>  
        E終末器官↑    ←有利な位置における性対象
反射的行為 ↓

s.S([身体的性的緊張]の生産障害) *

///////////////////
*注
s.S=メランコリーの原因
 貧困化現象

追記2:
ところで、私見では、アドラー的解釈だが、この時期(初期)のフロイトを動かしたのはジャネに対する無意識の先取権争いという名誉欲であって、性欲ではない。
ただし、柄谷行人も指摘するように性への視点によってフロイトはロマン主義から脱するのは間違いない。フロイトによるジェンダーの固定化の弊害に関してはゴドリエのレヴィ・ストロース批判と同様である。
男性の不能(神経衰弱)が女性のヒステリーを引き起こすという指摘も関係の非対称性という視点から見たとき重要となるだろうし(p29) 、ヒステリーを表象機能の問題とした点、心身並行論及び自他の二元論を維持した点が今なお画期的だろう。
また、初期フロイトの率直な以下の言葉も興味深い。

「僕を煩わせている主要な患者は僕自身です」(邦訳『フリースへの手紙』p272 , 1897.8 .14)
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by yojisekimoto | 2007-06-02 18:36 | フロイト