カテゴリ:映画( 30 )

フェルガナ運河

昨日深夜NHKで中村哲医師のドキュメンタリーを見てエイゼンシュテインの映画の企画(シナリオ)、フェルガナ運河を思い出した。
後者はアフガニスタンではなく中央アジアが舞台だが。
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by yojisekimoto | 2016-10-08 19:17 | 映画

弁証法の拒絶=ゴダール『さらば、愛の言葉よ』:メモ

ゴダールの3Dは、ドゥルーズがゴダール作品の特質として最初に指摘した、弁証法の拒絶の結実だ。映画内の章にも1(隠喩)と2(自然)はあるが3はない。エイゼンシュテインがその立体映画論において未来に存在を楽観視した民衆のための広場はそこにはないが、未来の代わりに現在がある。子供の代わりに犬がいる(デリダへの応答は珍しい)。

夫婦から生まれる赤ん坊の隠喩はヘーゲルの弁証法のプロトタイプだが、ゴダールは音だけで処理する。
想像力がある者は現実に頼らない、ということだろう。

未来はないと言ったが、前半仕切りに流れるスラブ行進曲(音楽ではなく音への遡行、むしろ数学への傾倒)は、プーチンの暴走を予言している。ゴダールはプロセスをそのまま作品にしているが、未来を予言しているところもある。例えば、『ソシアリスム』冒頭に出ていた経済学者はシャルリーへのテロに巻き込まれて2015年に殺されている。

左右のカメラをわざとズラすシーンは2箇所。ともに男女の乖離を描いているが、すぐに元に戻る。モンタージュされないのだ。2Dではどういう処理になるのだろうか?
ちなみに同じく視差を扱って成功しているのは宮崎駿の風立ちぬ(冒頭メガネのシーン)くらいだろう。

3Dの効用は、望遠が使えず、画角が一定になり、人物に近づくしかなくなるために、かえって被写体が生き生きしてくることだ。

邦題が不評だが、ハードボイルド小説を踏まえた命名はこれまでのゴダール作品の流れからは正しい。しかし今回はもっと素のゴダールが出ている。
引用群はここではない何処かではなく(アフリカが記号的に使われるが)、日常を異化効果によって蘇らせる。『ソシアリスム』にあった資本への視点は消え、自然への視点が増えた。映画の引用は素材が3Dではないからか後退しており、それがいい方向性を示している。『リア王』の時のソニマージュ(における実験の体験)を立体映画でやり直している観がある。もっと私小説的なのだ。

政治的問題は男女間の問題(排泄と平等及び『アリア』的女性の叫びの変奏)に二重写しされる。
ゴッホの点描を見た後のような視覚の広がりを歴史的にゴダールは我々にもたらした。
普通の日本語字幕が浮き出て見えることで映像と観客との溝は広がるのだが、その溝が心地よい。

弁証法の拒絶は、同一化への希求の表れ(キリーロフ)でもある。

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以下、参考サイト:

動物を追う、ゆえに私は〈動物で〉ある (単行本): ジャック・デリダ, マリ=ルイーズ・マレ, 鵜飼 哲: 本
http://www.amazon.co.jp/dp/448084743X/
内容紹介
猫に自らの裸を見られた体験から始まる講演など4編を収録。デカルト、カント、レヴィナス、ラカン、ハイデッガーを辿り直し、動物と人間の伝統的な対立関係を考察する。
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by yojisekimoto | 2015-03-28 22:26 | 映画

『風立ちぬ』メモ

『風立ちぬ』の前半は傑作
ただ後半、特にラストはうまく行っていない
冒頭の少年時代の夢は視差と矛盾をうまく表現していたのに…

最後は二郎に「日本の少年よ」と観客に向けて語らせれば良かった

また「飛行機は戦争のためでも商売のためのものでもない」というセリフがあったが、商売を否定するのは間違いだ
夢の交換も商売と言えるし、坂本龍馬やプルードンの夢はそこにある

アーセナルも大砲生産をサッカークラブに変えたし、ソ連製の楽器ビックマフも戦車工場を楽器工場に変えるなかで生まれたという…

主人公とユンカースという戦争に反対したドイツ人技師とを並べるのは無理があった
どうせなら「広場の孤独」を書いた堀田善衞の人生も組み込めばよかった…

追記
黒澤は戦争を関東大震災のイメージで、宮崎は関東大震災を戦争のイメージで描いている
戦争と天災の混同は加害責任への無自覚と関わるので追記したい
ただ両天才ともに美しい夢への代償と責任を誰よりも知っていたと思う
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by yojisekimoto | 2013-07-25 01:01 | 映画

翼(2000年制作)


2000年制作
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by yojisekimoto | 2013-01-09 04:14 | 映画

ロッセリーニ『ソクラテス』

ゴダールはロッセリーニはソクラテスだと言ったそうだが、そのロッセリーニは晩年、教育的な歴史映画シリーズの一環として、西欧の偉大な哲学者を題材にした作品を作っている(「ソクラテス」(1970) 、「ブレーズ・パスカル」(1972)、「デカルト」(1974))。
上記作品は全編ネット上で見ることができる。

Sócrates - filme completo

http://youtu.be/SlJSF-V6yBA
参考:
http://shahr.exblog.jp/12516561/
古代世界の午後雑記 : 古代ギリシア歴史映画1971年版「ソクラテス」


Blaise Pascal - Filme Completo

http://youtu.be/C3fhX3q0-SQ


Descartes - Filme Completo

http://youtu.be/T9cq7G8hoAE

字幕がなかったり、ポルトガル字幕だったりするので内容はよくわからない。ソクラテス以外は英語字幕版が発売されているようだ。
デカルト以外は主人公の死で終わる。まるでパゾリー二映画みたいだ(逆か?)。

近代を題材にした方が出来がいいように思える。

以下はデカルトの英語字幕版(一部のみ)。

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by yojisekimoto | 2012-05-10 11:43 | 映画

『旅芸人の記録』

疑惑のバイク事故によって亡くなった、テオ・アンゲロプロスの代表作『旅芸人の記録』より。
町のごろつきがファシストに転向する様子をワンカットで描いている。右傾化するギリシア史が象徴的に描かれる。
そのカメラは特異点を示すが故に特権的な一元論に誤解されるくらいはあったが、、、
ゴダールはテオ・アンゲロプロスがいることでギリシアは文化大国だわかると断言していた。

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by yojisekimoto | 2012-01-26 00:04 | 映画

鈴木清順『春婦伝』



http://www.56.com/u15/v_NTE2MDk2Mjg.html
春妇传 春婦伝 鈴木清順
『暁の脱走』の原作も同じ

http://www.answers.com/topic/story-of-a-prostitute

Story of a Prostitute

Plot

Seijun Suzuki directed this hard-hitting account of a woman who volunteers to serve as a "comfort woman" (prostitute to the Japanese army) at the Manchurian front in 1937. Harumi (Yukimo Nogawa) is desperate to get out of Japan to escape the memory of a doomed romance. She offers to serve the Army in Manchuria, where the sadistic Lieutenant Narita (Isao Tamagawa) uses her violently and wants her as his private servant. However, Harumi has become infatuated with Mikami (Tamio Kawachi), Narita's subordinate, and they embark on an affair that would mean certain punishment for both of them if it were ever to be discovered. Diary Of A Prostitute was based on a novel by Taijiro Tamura, which was previously filmed (in bowdlerized form) in 1950 as Escape At Dawn. ~ Mark Deming, Rovi
Cast

Yumiko Nogawa; Tamio Kawachi
Credit

Seijun Suzuki - Director


Read more: http://www.answers.com/topic/story-of-a-prostitute#ixzz1iaDGJ4qv
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by yojisekimoto | 2012-01-05 20:41 | 映画

『家族ゲーム』

『家族ゲーム』におけるブニュエルの影響(『ビリディアナ』)は成功しているが、それでもその後の森田の作品を見ると、その影響が本質的なものではなかったことがわかる。
ロラン・バルトは『映像の修辞学』で意味を保留する映画の代表としてブニュエルの『皆殺しの天使』を挙げていたが、これがそもそも誤解の元というかその誤解の代表的な例のひとつだ。
ブニュエルは決してナンセンスをテーマにしたのではなく、ブルジョア批判という後期のテーマを持っており、これは内在的資本主義批判を意味する。
森田もまた(プチ)ブルジョア批判を記号論的な手つきで行うが、この記号論的手つきそのものがそもそも資本主義の産物なのだ。
だから森田は資本主義によって資本主義を批判、戯画化している。
この矛盾、二重構造は自覚する限りでは面白いテーマになる。寺山の『田園に死す』などがその成功例だ。
だが森田はこのパラドックスに気がついていない。
ここが致命的である。
追悼文を書くつもりが手厳しい文面になってしまったが、むろんこうした課題は引き継がれるべきものだ。
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by yojisekimoto | 2011-12-28 02:44 | 映画

「パッダフキ」

タルコフスキー『映像のポエジア』(第6章)でわからない単語があってそのままにしてきたが、最近調べてみた。
「パッダフキ」という言葉だ。英訳ではgive-awayというゲーム、ということらしい。邦訳では253頁。パッダフキのあとに「(贈与)」と書かれている。
ロシア語でテキストがネット上にるので原文を調べてみた。

http://tarkovskiy.su/texty.html

http://tarkovskiy.su/texty/vrema/vrema7.html

"Это уже игра в «поддавки»."

自動翻訳:
http://translate.google.co.jp/translate?hl=ja&sl=auto&tl=ja&u=http%3A%2F%2Ftarkovskiy.su%2Ftexty%2Fvrema%2Fvrema7.html


http://translate.google.co.jp/translate?client=firefox-a&hl=ja&ie=UTF8&oe=UTF8&twu=1&u=http://tarkovskiy.su/texty.html


A misère game

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http://grandgames.net/ru/rules/poddavki


ポトラッチの誤記かと思っていたが、こういう逆型ゲーム(=A misère game、相手に点を与えると勝ち)があるらしい。
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by yojisekimoto | 2011-12-23 18:50 | 映画

サッカーと映画

サッカーと映画、というと大げさだが、
戦艦ポチョムキン(1925)のオデッサの階段で倒れる子供(写真右上)は少年サッカーチームのゴールキーパーだったそうだ。
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ベンヤミンはこの映画を見たが押し黙ったまま感想は何も言わなかったと言われる。
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by yojisekimoto | 2011-10-06 05:26 | 映画