カテゴリ:スポーツ( 26 )

スポーツと国家

スポーツと国家ということで考えたいのは、いきなり文化が国境を越えるというようなことではなく、まず国家と地方との関係である。
ドゥルーズは、自己の反対は非自己ではなく自己の部分である、というようなことを言っていた。

今回のオリンピックで明らかになったのは、日本スポーツが地域のスポーツ施設に依拠しながらも、全体的ヴィジョンがないために有効に機能していないということだった。

例えば、青森と長野にはカーリングチームがあるが、全日本選抜をつくる余裕はない。
中京大学に最先端のスケートリンクはあってもそれは全国に開かれてはいない。

これらあからさまに地域の自助努力を如何に有効に開かれたものにするかが問われているという点で、かつて投稿したNAM構造図、SBS組織図、QF図解が参考になるのではないかと思う(以下はNAM構造図だが他も同じ構造だ)。

 セ
評ン
議タ\ __   __   __   __
会| |  | |  | |  | |  |
 & |\ | |  | |  | |  |
\事_|_\|_|__|_|__|_|__|_
 務 |  | |  | |  | |  | |
 局\|◯ |\|◯ | |◯ | |◯ | |
 |_\__|_|__|_|__|_|__|_|
   |\ | |\ | |  | |  |
   | \| | \| |  | |  |
 関 |  \ |  | |  | |  |
 心_|__|\|__|\|__|_|__|_
 系 |  | |  | |  | |  | |
 | |  | |\ | |\ | |◯ | |
 |_|__|_|_\|_|_\|_|__|_|
   |  | |  | |  | |  |
   |  | |  |\|  |\|  |
 階_|__|_|__|_|__|_|__|_
 層 |  | |  | |\ | |\ | |
 系 |◯ | |  | |◯\| | \| |
 |_|__|_|__|_|__|_|__|_|
   |  | |  | |  |\|  |\
   |  | |  | |  | |  | \
   |__| |__| |__| |\_|  \
    地域系  京都   東京   海外  /
    各地             など\/

国家に求められるのは上記図における斜めのネットワークだ(今現在はノマド的な超人たちが個人の力で全国をカバーしようとしている)。過度の期待は禁物だが、税金を払った分だけぐらいは期待してもいのではないか?

そしてこうした分節統合されたアソシエーションの環が、世界に対して「モデル」として参照されるようになることを期待したい。国家と地方の関係が、そのまま世界的な問題に直結するのだ。

追記:
本来これらは教育に予算を回さないことからくる弊害なのだが、教育全体に関してはまたの機会に論じたい。
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by yojisekimoto | 2010-02-27 01:09 | スポーツ

構成的理念と統整的理念

サッカー日本代表の岡田監督(及び大木コーチ)の采配を見ていると、理想を追っているのはいいが、選手を型にはめすぎているような気がする。
これはカントのいう構成的理念を想起させる。

オシムの場合は、最初の頃はワンタッチを強要して、同じく理想を追いすぎていた面があったが、選手の判断を尊重するところがあった。こちらはカントのいう統整的理念のモデルと言っていいだろう。

岡田監督の誕生そのものの背景が、そもそも協会の独断による就任な訳で、構成的理念そのものを体現しているとさえ言える。

オールスターのファン投票を二年連続中止にするような協会の姿勢には問題がある。もっと観客からのフィードバックを考えないと組織のボトムアップもできないだろう。
クリストファー・アレグザンダーのセミラティスではないが、ツリー状の構造は必ずしもリゾームを排除しないのだから、協会、岡田監督はやり方を反省するべきだ。
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by yojisekimoto | 2010-02-17 14:35 | スポーツ

Yankees Ticker Tape Parade - 11/6/09 - MVP Hideki Matsui


感動的なパレード。
リュミエールの列車の到着のような、技巧のないカメラワークだが、こうした動画こそ感動を伝える。
2001年以来、ニューヨークがはじめて同時多発テロの呪いを払拭したのではないだろうか?

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by yojisekimoto | 2009-11-08 12:08 | スポーツ

ジャッキー・ロビンソン

イチローが安打記録を打った際、42番の背番号をつけていた。これは黒人メジャーリーガー、ジャッキー・ロビンソンのつけていた背番号を当日の出場選手が記念につけたものだ。イチローと張本の記事は多かったがジャッキー・ロビンソンの記事が少なかったので動画を紹介したい。


マルコムXは自伝(邦訳p207)で、ジャッキー・ロビンソンのファンであったことを公言している。

「ジャッキー・ロビンスンがブルックリン・ドジャース軍のメンバーに抜擢された一九四七年の四月のあの日、刑務所中にわきたった興奮はいまだに忘れられない。当時私はジャッキー・ロビンスンのもっともっとも熱狂的なファンだった。彼が試合をしているあいだ、耳をラジオにくっつけて離さなかった。そしてどんな試合でも、最終打席までに彼がどれほどの打率をあげたか計算したああとでなければ、試合が終わったような気がしなかった。」

追記:
マルコム・X(中村とうようによればこの表記が正しい)はビンビイという名前の囚人の知的な態度に感銘を受けて、刑務所内で勉強をし始める。
「無神論的体系」のなかにすべてをおさめる方が、悪態をつくより有効だと気づくのだ(自伝、邦訳p206*)。彼がイスラム教に目覚めるのはそのすぐあとで、上記の野球への熱中はそのあいだにある。ちなみにマルコムが好きな歌手はビリー・ホリデーだそうだ(全盛期の彼女を聞いている)。


「ビンビイは私に、めったに多くを語らなかった。彼は個々の
人間にたいしてつっけんどんだったが、私は彼に好かれている
と感じた。彼と友だちになろうという気になったのは、彼が宗
教を論じるのを聞いたときである。私は自らを、もはや無神論
を越えたものと見なしていた~~つまり私はサタンだった。し
かしビンビイは無神論哲学を、いわば一つの体系のなかにおさ
めたのである、私はそれまでの激しい罵倒による宗教攻撃をや
めてしまった。私の態度は彼にくらべるとじつに迫力のないも
のに思われた。そのうえ彼は、下品な言葉など一度も口にした
ことさえなかったのだ。」
『マルコムX自伝』邦訳206頁
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by yojisekimoto | 2009-04-18 14:14 | スポーツ

カテゴリーと投球カウント

野村監督が野球のカウントの種類は12個あると言っていたが、これはカントのカテゴリーと同じ数だ。
(アウトカウントを無視すれば)どちらも4×3個あるのだ。

先のWBCのイチローの決勝打の打席は全部で8球。カウント数は(0-0を入れれば)5種類。ファールで粘れば2ストライク以上は動かない。

カウントは同じでも質が全く異なる。イチローは粘ることで投球を打者に有利な方向へ導いて行った。一球一球、質というよりも様相の変化がみられたといえるだろう。

http://www.youtube.com/watch?v=KzZMotE-0i4
2009.3.24 WBC決勝 10回表 イチロー、値千金の決勝タイムリー
http://live.sports.yahoo.co.jp/wbclive/20090324/2009032461_10t05.html

投手イム・チャンオン 2アウトランナー1、3塁
●1 ストレート151km/h外角高目ボール 0 1 2
●2 ストレート151km/h内角低目見逃しストライク[岩村盗塁成功] 1 1 2
●3 ストレート149?or153?km/h外角真中ファール 2 1 2
●4 ストレート154km/h真中低目ファール 2 1 2
▼5 シンカー140km/h真中低目ファール 2 1 2
●6 ストレート150km/h真中高目ファール[高めのつり球] 2 1 2
●7 ストレート151km/h外角真中ボール 2 2 2
▼8 シンカー137km/h真中ヒット(中堅手ライナー)2 2 2


追記:
1980年代にはじまった韓国プロ野球は日本の約三倍のスピードで進化している。これは亜周辺の特権だろう。エリート主義という弊害はあるが、人材を教育することでアメリカに対抗する姿勢は正しいと思う。願わくばアジアシリーズの覇者がワールドシリーズの覇者と対戦するシステムが構築されることを願うばかりだ。
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by yojisekimoto | 2009-03-25 02:24 | スポーツ

ドリブラーの不在

2007年アジアカップ、7月9日の日本サッカー代表カタール戦は残念な結果だった。
1対1の引き分けだったが、本当は勝てた試合だった。
ドリブラーの不在、ミドルシュートの力のなさに加え、何よりも全体に覇気がないのが気になった。
パス練習ばかりするからこうなるのだろう。
最後は前線に巻というターゲットを入れてセーフティーなクリアーを第一にするべきだったと思う。
平等に汗をかくオシムのコミュニズムサッカーは理想としては素晴らしいが、シュートを打ったりドリブルをする判断のためには、自律的なアナーキズムというべきものが必要になると思う。
その点、今カナダで戦っているu-20のチームは、才能の点で劣ってもドリブルとパスの判断が素晴らしい。
サッカーには日本の現状を反映するだけではなく、新たなモデルケースになって欲しい。
その意味で、日本サッカー代表の今後の健闘に期待したい。



追記:
興味深い記事を見つけた。


375 名前: み Mail: 投稿日: 2010/01/19(火) 15:32:58 ID: L50r806x0

ドゥンガの指摘
・日本人選手に望んでいるのは、フィジカル、戦術面、技術面、そして精神面といったものをバランスよく持つことである。
しばしば日本人は、いくつかの要素に気を使い過ぎるあまり、ほかの重要な要素をおろそかにしてしまう傾向がある。
良い結果を出すためには、あらゆる要素をバランスよく同時に発揮できなくてはならない。
・日本人選手は、基本的な技術を往々にして軽視しがちだが、ゲームの中での重要性は決して低いものではない。
日本人は、非常に難しいことはできるのに、ショートパスやディフェンスのカバーリングといった基本的なことができなかったりする。
・日本人選手に強く望むのは精神面を鍛えること。ピッチ上では“チームメイト”ではあっても“お友だち”ではない。
それぞれが責任感をもってプレーするのはプロとして当たり前のことだろう。
・控えの選手も、もっと貪欲にレギュラーの座を狙っていってほしい。『給料だけをもらっていればよい』というような、サラリーマン的な選手が多いのが非常に気になる。
・日本に来てから目にしたのは、誰もがみな自分のことだけをやっているという姿だった。まるで工場みたい。
自分の仕事だけをし、まるで機械の歯車のように働いている。そして、まわりの人を助けようとは思いもしない。他人のことなど、まったく眼中にないのだ。
・日本でサッカーをしてみて、日本人はすぐに集中力を失うということに気がついた。
・自己満足なプレーをしている選手が多い。カッコつけなくてもよい、泥くさくてもよいから、しっかりと結果を出してほしい。
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by yojisekimoto | 2007-07-09 22:26 | スポーツ