カテゴリ:文学( 11 )

小林秀雄について:メモ

                   (リンク::::::
今まで柄谷行人は小林秀雄や吉本隆明を超えたところからスタートしたと思い込んでいたが、最近そうではないと思うようになった。
柄谷が吉本を超えたのは『世界史の構造』からだし、小林を超えるのは今年出るであろう柳田国男論からだろう。
最近あった講義を聞いたところによれば、多分、小林が講演で引用した柳田による魂の説明を柄谷は別の左翼的な形で引用するだろう、、、、

さて本題は小林秀雄である。
ドゥルーズを小林が生前誉めていたという話があるが、それを確かめに某大学にある小林文庫の蔵書にある『ベルクソンの哲学』の棒線箇所を調べてきた(最近大澤信亮も小林秀雄の蔵書で赤線の引かれたベルグソンの哲学を確認している)。

本居宣長関連の蔵書が多かったが、『思想と動くもの』『悲しき熱帯』『ニーチェと哲学』に赤鉛筆で線が引いてあった。
『プルーストとシーニュ』もあったがこちらは線が引いてなかった。
基本的に線が引いてある蔵書は少ない。しかも文字の書き込みがあるのはほとんどない。

書き込みのある『ベルクソンと哲学』は珍しいのではないか?
(136頁中約60頁に赤鉛筆または青い万年筆による棒線があった。鉛筆によるものも数カ所あった。文字の書き込みは以下のなかにあるものがすべてである。)

また調べてみたい。


































(棒線は第三者が書いた可能性もあるし、こうした詮索は小林秀雄研究の本筋ではないだろう。ただ書き込みの筆跡は確認してみたい気もする。)



参考:

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/5059/laugh1.html
『ユリイカ(2001年6月号)』p108、p114、p218。

上記ユリイカの鈴木和成氏の論考によれば大岡昇平全集別巻に大岡昇平の証言あるという。

小林秀雄がドゥルーズに関して褒めていたと前田英樹なども書いているが(『小林秀雄』195頁)、郡司勝義『小林秀雄の思い出』に孫引きされているだけで、出典として指摘される肝心の『文学界』1979年11月号の河上徹太郎との対談(「歴史について」)にはない。
郡司が編集者のような立場だったみたいなのでゲラから引用したのだろう(「考える人」2013年4月号のCDにはその内容は収められていなかったので推測の域を出ない)。

<小林秀雄は言う。
「ドゥルーズという若い人がいてね、この人の『ベルクソニスム』という本は
なかなかいい。ベルクソンの影響された当のものは、プラトンしかない、
と言っているんだな。つまり『持続』なんだよ、要するに、こう流れる、
これは『歴史』なんだよ」>(郡司勝義『小林秀雄の思ひ出』262頁)


<…それで、ジル・ドゥルーズの『べルグソン』の訳本(宇波彰訳、一九七四年)が出たときに——あれは『本居宣長』が終ったころだと思いますけれど——彼の心残りは『感想』だろう、次は『感想』をやるだろうと思って、ちょうど間違えて二冊買っちゃったから、彼に一冊贈ったんですよ。アインシュタインとの論争では、ベルグソンがだめだということばかり言われるけれども、その経過においてベルグソンはとてもいいことを言ってるんだということが、書かれているんです。
 大江 ドゥルーズが書いているわけですか。
 大岡 ええ、「註」の中に書いてあるんです。そのほか、ベルグソンについて、差違から入った、新しい見方もある。その時はとっても喜んでたそうですよ。だいたい礼を言わない男でね。ぼくは彼が礼を言ったの聞いたことがないですよ。(笑)>

(大岡昇平「追悼小林秀雄 伝えられたもの 対談大江健三郎」大岡昇平全集別巻1996.8、669頁より。初出『文学界』1983.5)

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by yojisekimoto | 2013-04-12 17:01 | 文学

泉鏡花と法華経

泉鏡花は法華経をいくつかの作品内で引用しているが、それは引用された法華経の章番号と引用している泉鏡花の全体の章の数とを合わせるという興味深い方法で行われている。(→詳細別ブログ)

例:
『高野聖』は全26章→『法華経』第26品の陀羅尼 が引用される。
『薬草取』は全5章→第5品の薬草諭品が引用される。
『葛飾砂子』は全十六章→第16品の如来寿量品が引用される。
(『葛飾砂子』は正確には全15章だが最後の第16品の引用を独立した第16章と読むことが可能だ。)


これはジョイスがユリシーズでホメーロスを下敷きにしたのにどこか似ている。

泉鏡花はあくまでもアレゴリカルに信仰に近づこうとするのだ。



法華経に関していえば、その内容は前後半で分かれる。
スーパースターが活躍する後半より、前半の比喩が優れている。

自然の観察が見られるからだ。泉鏡花も前半部分を引用している(後半部も引用しているが)。
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by yojisekimoto | 2012-04-23 03:14 | 文学

百人一首の交換図:メモ

百人一首の交換図:試作

女房文学(王朝文学)から隠者文学へ」(折口信夫)の流れは、律令制=官僚Aから始まり、女房文学Bを生み、鎌倉=武士Cを通って僧Dに至る流れだ。律令制は一貫して存在、併存していると見ていい。
天皇は官僚(官人)と僧の中間(初期〜起点)、または僧と武士の中間(後期〜政争に敗れれば出家も余儀なくされる)に位置づけられる。

官僚  |   僧
 A  |   D 
____|_____ 
    |  
女房  |  武士 
 B  |   C

あるいは、
    
 官僚 |天皇  僧
 58 |親王8 13    
____|_______ 
    |  
 女房 |    武士 
 17 |   (鎌倉)
(女性 |     0
 21)|

数字は百人一首への採用数(参考:関幸彦『百人一首の歴史学』18頁)。
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by yojisekimoto | 2012-01-16 21:11 | 文学

【お笑い】ドリームマッチ2011 富澤・後藤


【お笑い】ドリームマッチ2011 富澤・後藤
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by yojisekimoto | 2011-01-11 21:49 | 文学

「和歌ではない歌(うたではないうた)」(wikiへのリンク付き)

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中島敦

1909年(明治42年)5月5日 - 1942年(昭和17年)12月4日

以下、wikiより
「和歌でない歌」は日本の作家、中島敦の作品、連作詩の題名。以下の「遍歴」はその冒頭の詩。
54人ほどの偉人、歴史上、伝説上の人物が全55行のなかに言及、引用されている(引用者注:東洋人が11人でそのうち日本人が4人、中国人が6人、インド人?が1人)。中島敦の圧倒的な教養とバランス感覚を伺い知ることができる(英訳がなく、海外研究者に知られていないのが残念だ)。
以下はふりがなを()内に入れ、ワ+濁点をすべてヴァ*に変え、固有名詞を一般的なものに変えたヴァージョン。
原文に記号としての()は存在しない。()内のリンクはすべてwikiに飛ぶようにしてある。

追記:
「ある時は整然として澄みとほるスピノザに來て眼(め)をみはりしか」の「來て」は「似て」の誤植かと思ったが、元原稿が存在しないので校訂された全集版にしたがった。

和歌でない歌

中島敦

    遍歴

ある時はヘーゲルが如萬有をわが體系に統(す)べんともせし
ある時はアミエルが如つゝましく息をひそめて生きんと思ひし
ある時は若きジイドと諸共に生命に充ちて野をさまよひぬ
ある時はヘルデルリン(ヘルダーリン)と翼(はね)竝べギリシャの空を天翔りけり
ある時はフィリップ(シャルル・ルイ・フィリップ)のごと小(ち)さき町に小(ちひ)さき人々(ひと)を愛せむと思ふ
ある時はラムボー(ランボー)と共にアラビヤの熱き砂漠に果てなむ心
ある時はゴッホならねど人の耳を喰ひてちぎりて狂はんとせし
ある時は淵明(えんめい(陶淵明))が如疑はずかの天命を信ぜんとせし
ある時は觀念(イデア)の中に永遠を見んと願ひぬプラトンのごと
ある時はノヴァ*ーリス(ノヴァーリス)のごと石に花に奇しき祕文を讀まむとぞせし
ある時は人を厭ふと石の上に默(もだ)もあらまし達磨の如く
ある時は李白の如く醉ひ醉ひて歌ひて世をば終らむと思ふ
ある時は王維をまねび寂(じやく)として幽篁の裏(うち)にひとりあらなむ
ある時はスウィフトと共にこの地球(ほし)のYahoo(ヤフー)共をば憎みさげすむ
ある時はヴェルレエヌ(ヴェルレーヌ)の如雨の夜の巷に飮みて涙せりけり
ある時は阮籍(げんせき)がごと白眼に人を睨みて琴を彈ぜむ
ある時はフロイド(フロイト)に行きもろ人の怪(あや)しき心理(こころ)さぐらむとする
ある時はゴーガン(ゴーギャン)の如逞ましき野生(なま)のいのちに觸ればやと思ふ
ある時はバイロンが如人の世の掟(おきて)踏躪り呵々と笑はむ
ある時はワイルドが如深き淵に墮ちて嘆きて懺悔せむ心
ある時はヴィヨンの如く殺(あや)め盜み寂しく立ちて風に吹かれなむ
ある時はボードレエル(ボードレール)がダンディズム昂然として道行く心
ある時はアナクレオンピロンのみ語るに足ると思ひたりけり
ある時はパスカルの如心いため弱き蘆をば讚(ほ)め憐れみき
ある時はカザノヴァ*(カサノヴァ)のごとをみな子の肌をさびしく尋(と)め行く心
ある時は老子のごとくこれの世の玄のまた玄空しと見つる
ある時はゲエテ(ゲーテ)仰ぎて吐息しぬ亭々としてあまりに高し
ある時は夕べの鳥と飛び行きて雲のはたてに消えなむ心
ある時はストアの如くわが意志を鍛へんとこそ奮ひ立ちしか
ある時は其角(宝井其角)の如く夜の街に小傾城などなぶらん心
ある時は人麿(柿本人麻呂)のごと玉藻なすよりにし妹をめぐしと思ふ
ある時はバッハの如く安らけくたゞ藝術に向はむ心
ある時はティチアン(ティツィアーノ) のごと百年(ももとせ)の豐けきいのち生きなむ心
ある時はクライストの如われとわが生命を燃して果てなむ心
ある時は眼(め)・耳・心みな閉ぢて冬蛇(ふゆへび)のごと眠らむ心
ある時はバルザックの如コーヒーを飮みて猛然と書きたき心
ある時は巣父の如く俗説を聞きてし耳を洗はむ心
ある時は西行がごと家をすて道を求めてさすらはむ心
ある時は年老い耳も聾(し)ひにけるベートーベンを聞きて泣きけり
ある時は心咎めつゝ我の中のイエスを逐ひぬピラトの如く
ある時はアウグスティン(アウグスティヌス)が灼熱の意慾にふれて燒かれむとしき
ある時はパオロ(パウロ) に降(お)りし神の聲我にもがもとひたに祈りき
ある時は安逸の中ゆ仰ぎ見るカントの「善」の嚴(いつ)くしかりし
ある時は整然として澄みとほるスピノザに來て眼(め)をみはりしか
ある時はヴァ*レリイ(ヴァレリー)流に使ひたる悟性の鋭(と)き刃(は)身をきずつけし
ある時はモツァルト(モーツァルト)のごと苦しみゆ明るき藝術(もの)を生まばやと思ふ
ある時は聰明と愛と諦觀をアナトオル・フランス(アナトール・フランス)に學ばんとせし
ある時はスティヴンソン(スティーヴンソン)が美しき夢に分け入り醉ひしれしこと
ある時はドオデェ(ドーデ)と共にプロヴァ*ンスの丘の日向(ひなた)に微睡(まどろ)みにけり
ある時は大雅堂(池大雅)を見て陶然と身も世も忘れ立ちつくしけり
ある時は山賊多きコルシカの山をメリメとへめぐる心地
ある時は繩目解かむともがきゐるプロメテウスと我をあはれむ
ある時はツァラツストラ(ツァラトゥストラ、ザラスシュトラ)と山に行き眼(まなこ)鋭(す)るどの鷲と遊びき
ある時はファウスト博士が教へける「行爲(タート)によらで汝(な)は救はれじ」
遍歴(へめぐ)りていづくにか行くわが魂(たま)ぞはやも三十(みそぢ)に近しといふを



出典:
青空文庫:[http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/43043_17363.html]

なお、Yahoo知恵袋に、中島敦の「悟浄出世」が、「いろいろな師に教えを請いながらも、どの思想にも安住できずに放浪を続ける主人公の悟浄は、この「遍歴」の中島敦とそのまま重なります」という指摘がある。
上記サイトや日本語版wikiでもピロンに関する情報が少ないが、著名なところでは『カラマーゾフの兄弟』(上/第三篇 淫蕩な人たち/八 コニャクを飲みながら)で父親によって言及される。
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by yojisekimoto | 2010-10-26 23:38 | 文学

折口信夫の文学史観

以下は別ブログで以前紹介した折口信夫の文学史図(日本文学系図)。



横向きにして簡略化し、さらに折口自身による解説を加えると以下になる。

                                  階級 図では
         __祝詞___女房日記、記紀_隠者の文学     上層 左
        | (のりと) <上から下へ>
        |「祝詞は、上から下に対して云ふものである」
        |
呪詞(唱詞)__|__鎮護詞__ものがたり、歌______浄瑠璃  中流 中央
(じゅし)   | (いはひごと)<上から間接的に下へ>
        |「『俺もかうだから、お前達も、かうして貰はなければならぬ』」
        |
        |__寿詞___歌垣、万葉詞、芸能_____小説  下層 右
          (よごと)  <下から上へ>
         「寿詞は、下から上に対して云ひ、其と共に、服従を誓ふ」

        (「」内は『呪詞及び祝詞』↓より)

「祝詞と、鎮詞との区別は、大体左の如きものである。

祝詞
      ┌→イ
 a─→a’│→ロ
      └→ハ
鎮詞
     ┌→イ
 a─→b│→ロ
     └→ハ
aは天皇、a’は中臣、bは斎部、イロハは中臣・斎部それ/″\の命令をきくもの
祝詞は、天皇の資格で、その御言葉のとほりに、中臣が云ふのであるが、鎮詞は、少し趣きが違ふ。氏族の代表者が、ほんとうに服従を誓うた後、其下に属してゐる者に、俺もかうだから、お前達も、かうして貰はなければならぬ、といふやうな命令の為方である。」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/46952_26569.html
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by yojisekimoto | 2010-01-15 15:26 | 文学

ジョイスの朗読音声:James Joyce "Anna Livia Plurabelle" Poem Animation Movie

James Joyce "Anna Livia Plurabelle" Poem Animation Movie

「フィネガンズ・ウェイク第1部第8章」「アナ・リヴィア・ブルーラヴェル」他より. 録音:1924年、パリ/1929年、ケンブリッジ。
河出文庫『フィネガンズ・ウェイク1』p397-403に対応(追記:集英社『フィネガンズ・ウェイク : 抄訳 』 宮田恭子 編訳だと、p.251-257に対応。こちらの訳の方がオーソドックスでおすすめ。)
James Joyce "Anna Livia Plurabelle, Finnegans Wake "

http://www.acoolsha.org/joyce-tapes/467/anna-livia-plurabelle
Anna Livia Plurabelle, Finnegans Wake (starting on page 213) 20 January 07
Section: joyce-tapes
Categories: Mention

Well, you know or don’t you kennet or haven’t I told you every telling has a taling and that’s the he and the she of it.
ねえ知ってたっけ知らなかったっけ言わなかったっけ?どんな話もおしまいになるでしょ。彼と彼女のがそうだもの。
Look, look, the dusk is growing!
ほらほら暗くなってきたじゃない!
My branches lofty are taking root. And my cold cher’s gone ashley.
あたしの高粱が根を張って来たわ。私の冷たい座も灰色になって来たわ。
Fieluhr? Filou! What age is at? It saon is late.
何時?何時代?お話するには遅いわ。
‘Tis endless now senne eye or erewone last saw Waterhouse’s clogh. They took it asunder, I hurd thum sigh. When will they reassemble it? O, my back, my back, my bach! I’d want to go to Aches-les-Pains. Pingpong! There’s the Belle for Sexaloitez! And Concepta de Send-us-pray! Pang! Wring out the clothes! Wring in the dew! Godavari, vert the showers! And grant thaya grace! Aman. Will we spread them here now? Ay, we will. Flip! Spread on your bank and I’ll spread mine on mine. Flep! It’s what I’m doing. Spread! It’s churning chill. Der went is rising. I’ll lay a few stones on the hostel sheets. A man and his bride embraced between them. Else I’d have sprinkled and folded them only. And I’ll tie my butcher’s apron here. It’s suety yet. The strollers will pass it by. Six shifts, ten kerchiefs, nine to hold to the fire and this for the code, the convent napkins, twelve, one baby’s shawl. Good mother Jossiph knows, she said. Whose head? Mutter snores? Deataceas! Wharnow are alle her childer, say? In kingdome gone or power to come or gloria be to them farther? Allalivial, allalluvial! Some here, more no more, more again lost alla stranger. I’ve heard tell that same brooch of the Shannons was married into a family in Spain. And all the Dunders de Dunnes in Markland’s Vineland beyond Brendan’s herring pool takes number nine in yangsee’s hats. And one of Biddy’s beads went bobbing till she rounded up lost histereve with a marigold and a cobbler’s candle in a side strain of a main drain of a manzinahurries off Bachelor’s Walk. But all that’s left to the last of the Meaghers in the loup of the years prefixed and between is one kneebuckle and two hooks in the front. Do you tell me. that now? I do in troth. Orara por Orbe and poor Las Animas! Ussa, Ulla, we’re umbas all! Mezha, didn’t you hear it a deluge of times, ufer and ufer, respund to spond? You deed, you deed! I need, I need! It’s that irrawaddyng I’ve stoke in my aars. It all but husheth the lethest zswound. Oronoko! What’s your trouble? Is that the great Finnleader himself in his joakimono on his statue riding the high horse there forehengist? Father of Otters, it is himself! Yonne there! Isset that? On Fallareen Common? You’re thinking of Astley’s Amphitheayter where the bobby restrained you making sugarstuck pouts to the ghostwhite horse of the Peppers. Throw the cobwebs from your eyes, woman, and spread your washing proper! It’s well I know your sort of slop. Flap! Ireland sober is Ireland stiff Lord help you, Maria, full of grease, the load is with me! Your prayers. I sonht zo! Madammangut! Were you lifting your elbow, tell us, glazy cheeks, in Conway’s Carrigacurra canteen? Was I what, hobbledyhips? Flop! Your rere gait’s creakorheuman bitts your butts disagrees. Amn’t I up since the damp dawn, marthared mary allacook, with Corri- gan’s pulse and varicoarse veins, my pramaxle smashed, Alice Jane in dec and my oneeyed mongrel twice run over, soaking and bleaching boiler rags, and sweating cold, a widow like me, for to deck my tennis champion son, the laundryman with the lavandier flannels? You won your limpopo limp fron the husky hussars when Collars and Cuffs was heir to the town and your slur gave the stink to Carlow. Holy Scamander, I sar it again! Near the golden falls. Icis on us! Seints of light! Zezere! Subdue your noise, you hamble creature! What is it but a blackburry growth or the dwyergray ass them four old codgers owns. Are you meanam Tarpey and Lyons and Gregory? I meyne now, thank all, the four of them, and the roar of them, that draves that stray in the mist and old Johnny MacDougal along with them. Is that the Poolbeg flasher beyant, pharphar, or a fireboat coasting nyar the Kishtna or a glow I behold within a hedge or my Garry come back from the Indes? Wait till the honeying of the lune, love! Die eve, little eve, die! We see that wonder in your eye. We’ll meet again, we’ll part once more. The spot I’ll seek if the hour you’ll find. My chart shines high where the blue milk’s upset. Forgivemequick, I’m going! Bubye! And you, pluck your watch, forgetmenot. Your evenlode. So save to jurna’s end! My sights are swimming thicker on me by the shadows to this place. I sow home slowly now by own way, moyvalley way. Towy I too, rathmine.

Ah, but she was the queer old skeowsha anyhow, Anna Livia, trinkettoes! And sure he was the square old buntz too, Dear Dirty Dumpling, foostherfather of fingalls and dotthergills. Gammer and gaffer we’re all their gangsters. Hadn’t he seen dams to wive him? And every dam had her seven crutches. And every crutch had its seven hues. And each hue had a differing cry. Sudds for me and supper for you and the doctor’s bill for Joe John. Befor! Bifur! He married his markets, cheap by foul, I knkow, like and Etrurian Catholic Heathen, in their pinky limony creamy birnies and their turkiss indienne mauves. But at milidmass who was the spouse? Then all that was was fair. Tys Elvenlan! Teems of times and happy returns. The seim anew. Ordovico or viricordo. Anna was, Livia is, Plurabelle’s to be. Northmen’s thing made southfolk’s place but howmulty plurators made eachone in person? Latin me that, my trinity scholard, out of eure sanscreed into oure eryan! Hircus Civis Eblanensis! He had buck goat paps on him, soft ones for orphans. Ho, Lord! Twins of his bosom. Lord save us! And ho! Hey? What all men. Hot? His tittering daughters of. Whawk?

Can’t hear the waters of. The chittering waters of. Flittering bats, fieldmice bawk talk. Ho! Are you not gone ahome? What Thom Malone? Can’t hear with bawk of bats, all thim liffeying waters of. Ho, talk save us! My foos won’t moos. I feel as old as yonder elm. A tale of Shaun or Shem? All Livia’s daughter-sons. Dark hawks hear us. Night! Night! My ho head halls. I feel as heavy as yonder stone. Tell me the John or Shaun? Who were Shem and Shaun the living sons or daughters of? Night now! Tell me, tell me, elm! Night night! Telmetale of stem or stone. Beside the rivering waters of, hitherandthithering waters of. Night!


追記:
ジョイスのユリシーズ朗読(以下の後半部)が以下(トラック13)で試聴できる。
http://jp.juno.co.uk/products/310482-01.htm

"He began:

-- Mr Chairman, ladies and gentlemen: Great was my admiration in listening to the remarks addressed to the youth of Ireland a moment since by my learned friend. It seemed to me that I had been transported into a country far away from this country, into an age remote from this age, that I stood in ancient Egypt and that I was listening to the speech of some highpriest of that land addressed to the youthful Moses.

His listeners held their cigarettes poised to hear, their smoke ascending in frail stalks that flowered with his speech. And let our crooked smokes. Noble words coming. Look out. Could you try your hand at it yourself?

-- And it seemed to me that I heard the voice of that Egyptian highpriest raised in a tone of like haughtiness and like pride. I heard his words and their meaning was revealed to me.

    From the Fathers

It was revealed to me that those things are good which yet are corrupted which neither if they were supremely good nor unless they were good could be corrupted. Ah, curse you! That's saint Augustine.

-- Why will you jews not accept our culture, our religion and our language? You are a tribe of nomad herdsmen; we are a mighty people. You have no cities nor no wealth: our cities are hives of humanity and our galleys, trireme and quadrireme, laden with all manner merchandise furrow the waters of the known globe. You have but emerged from primitive conditions: we have a literature, a priesthood, an agelong history and a polity.

Nile.

Child, man, effigy.

By the Nilebank the babemaries kneel, cradle of bulrushes: a man supple in combat: stonehorned, stonebearded, heart of stone."

http://www.online-literature.com/james_joyce/ulysses/7/

    即席の演説

(略)

 彼ははじめた。
 −『議長、紳士淑女のみなさん。ただいま、学識深いわが友人がアイルランドの若者に与えられた言葉を拝聴して、わたくしの賛嘆は大いなるものがあります。わたくしは、あたかも、この国から遥かな彼方の国へ、この時代から遥かな遠い時代へ連れ去られ、あたかも、古代エジプトの地に立って、かの国の大司祭が若いモーセに与える言葉を聞くかのような気がいたしました』。
 聞く者たちは煙草の手をとめて耳をかたむけた。煙がかぼそい茎となって立ち昇り、演説とともに花を咲かせた。『渦巻き昇る煙をば』。高貴な言葉がつづくぞ。気をつけて聞け。きみ、自分でやってみる気はない?
 −『またわたくしは、あたかも、あのエジプトの大司祭の声が、ひとしく高慢と誇りの音調に高まるのを聞く思いをいたしました。わたくしはその言葉を聞き、その意味はここに明らかにされたのであります」。
      
    父祖より伝わる
 
 滅びるものもやはり善いものであり、最高の善であれば滅びはしないが、また善いものでなければ滅びもしないことが、ここに明らかにされたのである。畜生! こりゃ聖アウグスティヌスだ。
 − 『おまえたちユダヤ人はなぜわれわれの文化を、われわれの宗教を、またわれわれの言語を受け入れようとしないのか? おまえたちは居住定まらぬ遊牧の民。われわれは強大な民族だ。おまえたちには都市も富もない。われわれの都市は人類のむらがり集う中心であり、わがガレー船は三層、四層の楷座を備え、あらゆる商品を積んで、この世界の海に乗り入れている。おまえたちは原始生活から抜け出したばかりだが、われわれには文学が、聖職が、古い歴史が、政治組織がある』。 
 ナイル河。
 子供、大人、彫像。
 ナイルの岸であの赤子マリアたちがひぎまずく。葦の揺藍(ゆりかご)。格闘でも身ごなしのすばやい男。石の角に、石の髭に、石の心。

(河出文庫「7 アイオロス」『ユリシーズ1』p349-351より)
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by yojisekimoto | 2010-01-05 02:41 | 文学

W.B.Yeats Reading His Own Verse

以下、イェーツ本人による詩の朗読(全4篇?,一篇は重複)。
ジョン・フォード『静かなる男』の舞台の名も「イニスフリー」だったが、以下の詩からとられている。

http://www.youtube.com/watch?v=u2FT4_UUa4I#t=2m
http://www.chiark.greenend.org.uk/~martinh/poems/yeats.html#lake
http://www.chiark.greenend.org.uk/~martinh/poems/yeats.html

The Lake Isle of Innisfree

I will arise and go now, and go to Innisfree,
And a small cabin build there, of clay and wattles made:
Nine bean-rows will I have there, a hive for the honey-bee,
And live alone in the bee-loud glade.

And I shall have some peace there, for peace comes dropping slow,
Dropping from the veils of the morning to where the cricket sings;
There midnight's all a glimmer, and noon a purple glow,
And evening full of the linnet's wings.

I will arise and go now, for always night and day
I hear lake water lapping with low sounds by the shore;
While I stand on the roadway, or on the pavements grey,
I hear it in the deep heart's core.



http://www.youtube.com/watch?v=u2FT4_UUa4I#t=4m
http://izzarina.wordpress.com/category/w-b-yeats/

THE FIDDLER OF DOONEY

When I play on my fiddle in Dooney.
Folk dance like a wave of the sea;
My cousin is priest in Kilvarnet,
My brother in Mocharabuiee.

I passed my brother and cousin:
They read in their books of prayer;
I read in my book of songs
I bought at the Sligo fair.

When we come at the end of time
To Peter sitting in state,
He will smile on the three old spirits,
But call me first through the gate;

For the good are always the merry,
Save by an evil chance,
And the merry love the fiddle,
And the merry love to dance:

And when the folk there spy me,
They will all come up to me,
With ‘Here is the fiddler of Dooney!’
And dance like a wave of the sea.


5:07〜5:52
http://theotherpages.org/poems/yeats01.html

The Song of the Old Mother

I RISE in the dawn, and I kneel and blow
Till the seed of the fire flicker and glow.
And then I must scrub, and bake, and sweep,
Till stars are beginning to blink and peep;
But the young lie long and dream in their bed
Of the matching of ribbons, the blue and the red,
And their day goes over in idleness,
And they sigh if the wind but lift up a tress.
While I must work, because I am old
And the seed of the fire gets feeble and cold.

The Lake Isle of Innisfree 5:59-7:03

I will arise and go now, and go to Innisfree,
And a small cabin build there, of clay and wattles made:
Nine bean-rows will I have there, a hive for the honey-bee,
And live alone in the bee-loud glade.

And I shall have some peace there, for peace comes dropping slow,
Dropping from the veils of the morning to where the cricket sings;
There midnight's all a glimmer, and noon a purple glow,
And evening full of the linnet's wings.

I will arise and go now, for always night and day
I hear lake water lapping with low sounds by the shore;
While I stand on the roadway, or on the pavements grey,
I hear it in the deep heart's core.

http://www.poemhunter.com/poem/coole-park-and-ballylee-1931/

Coole Park And Ballylee, 1931 7:04-8:20

( Under my window-ledge the waters race,
Otters below and moor-hens on the top,
Run for a mile undimmed in Heaven's face
Then darkening through 'dark' Raftery's 'cellar' drop,
Run underground, rise in a rocky place
In Coole demesne, and there to finish up
Spread to a lake and drop into a hole.
What's water but the generated soul?

Upon the border of that lake's a wood
Now all dry sticks under a wintry sun,
And in a copse of beeches there I stood,
For Nature's pulled her tragic buskin on
And all the rant's a mirror of my mood:
At sudden thunder of the mounting swan
I turned about and looked where branches break
The glittering reaches of the flooded lake.)以上略

Another emblem there! That stormy white
But seems a concentration of the sky;
And, like the soul, it sails into the sight
And in the morning's gone, no man knows why;
And is so lovely that it sets to right
What knowledge or its lack had set awry,
So atrogantly pure, a child might think
It can be murdered with a spot of ink.

Sound of a stick upon the floor, a sound
From somebody that toils from chair to chair;
Beloved books that famous hands have bound,
Old marble heads, old pictures everywhere;
Great rooms where travelled men and children found
Content or joy; a last inheritor
Where none has reigned that lacked a name and fame
Or out of folly into folly came.


以下略(A spot whereon the founders lived and died
Seemed once more dear than life; ancestral trees,
Or gardens rich in memory glorified
Marriages, alliances and families,
And every bride's ambition satisfied.
Where fashion or mere fantasy decrees
We shift about - all that great glory spent -
Like some poor Arab tribesman and his tent.

We were the last romantics - chose for theme
Traditional sanctity and loveliness;
Whatever's written in what poets name
The book of the people; whatever most can bless
The mind of man or elevate a rhyme;
But all is changed, that high horse riderless,
Though mounted in that saddle Homer rode
Where the swan drifts upon a darkening flood.)
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by yojisekimoto | 2010-01-05 01:18 | 文学

『細雪』とゲンズブール

先日亡くなったマサオ・ミヨシが『オフセンター』の中で、谷崎潤一郎の『細雪』のラストが下痢の話になることを誰も論じていないと書いていた(これは三島由紀夫や大島渚について辛辣だが的確な評を提示していて刺激的な本だ)。
ミヨシはある種の侵犯及び反抗を読み取っているのだが、これは近代主義的な構図のもとにある読みであろう(『源氏物語』の品定めを男女逆にしてパロディー化するところ等は確かに「侵犯」ではあるのだが)。

ところで、フランスのシンガーソングライター、セルジュ・ゲンスブールは死後発表することを定めていたインタビューのなかで、しかもその最後の発言として以下のように言っていた。

<「自分の下でする」というだろう。何しろ、「する」という動詞は最も原始的なる言葉だから。「私は音楽をする」とか「私は映画をする」とか、「写真をする」、「詩をする」というけれど、私たちが小さい時には、「ママン、しちゃったよ」と言うと何をしたかわかるだろう。>
(邦訳『ゲンスブール×2ノワール』128頁)

最後の、死後に天国で?インタビューしたという設定の発言はちょうどここで終わっている。

ゲンスブールも谷崎も最後(生涯の最後と作品の最後)に、より根源的な言葉、しかも母の記憶と結びつくものとしてスカトロジーを選択したのである。
フロイト的な分析も可能だが、両者とも最後の最後まである種の逆説的なダンディズムを保持していたことが特筆される。
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by yojisekimoto | 2009-12-05 13:29 | 文学

ダンテ『神曲』とイスラム文化

以下のサイトを参考にして『神曲』を図解してみた。

~図解・『神曲』~
『神曲』世界を図解しようと試行するページ
http://commedia.jakou.com/index.html

ちなみに、地獄から煉獄へ出るところで引力の方向が逆転している。「下へおりる」から「上へ登る」になる(どこかスピノザ『エチカ』の構成を連想させる)。
a0024841_0482468.jpg


なお、スぺースの関係で煉獄と天国が重なってしまったが、本来はもちろん重ならない。小さな数字はそれぞれの界を構成する圏の数。天国篇では月から至高天へ到る星?の数。

さて、(ここからが本題だが)地獄篇28歌でマホメットが苦しんでいる場面をダンテが描いたために、『神曲』はイスラムを蔑視するべきでないと考える人々からは評判が悪いが、アヴェロエス(イブン・ルシュド)にも言及しているし(地獄篇5歌)、こうした物語の構造自体をダンテがイスラム文化から学んだものだと言う説がある。

より詳しく言えば、イスラムの凖聖典ハディースのマホメット昇天後の夜の旅、アル・ミーラージュ(Al-Miraj)からの影響があるという(『現代アラブ文学選』創樹社p306)。

アシン・パラシオスという学者が1919年に著作("La Escatologia Musulmana en la Divina Comedia"、『神曲におけるイスラム終末論』未邦訳、英語では以下。"Islam and the Divine Comedy")で発表した説らしいが、その指摘された影響源であるハディースには、ムハンマドの昇天、すなわち「夜の旅」は以下のように描写されている。

<私の精神が上昇したとき、私は天国につれていかれた。私は天国の門の前に置かれた。天使ガブリエルが門のところにいたので、私は中に入れてくれるようたのんだ。ガブリエルはこう答えた。「私は神の召使にすぎない。汝、もし門が開かれることを欲するならば、神に祈れ」。そこで、私は祈った。すると神がこういわれた。「私は、最愛の者たちにだけしか門を開かないであろう。汝と汝にしたがう者は、私の最も 愛する者たちである」。>

参考:
「スーフィー・イスラムの神秘階梯」ラレ・バフティヤルー著、竹下政孝訳平凡社
http://www2.dokidoki.ne.jp/racket/sufi-kig.html
http://webcatplus-equal.nii.ac.jp/libportal/DocDetail?hdn_if_lang=jpn&txt_docid=NCID:BA50160964
(中公文庫の牧野信也訳のハディースではガブリエルはジブラールと表記されている。)

イブン=アラビー(後述)などを参照するとさらにはっきりするが、これは『神曲』のコンセプトそのままであり、サイードの『オリエンタリズム〈上〉 (平凡社ライブラリー)』などでは指摘されていないが、重要な指摘だと思う。

日本では以下の楠村雅子の研究がネット公開されている。
http://ci.nii.ac.jp/vol_issue/nels/AN00015107/ISS0000160930_jp.html

「ダンテとイスラム文学との接点」( 楠村雅子 「京都大学大学院 イタリア学会誌」)
以下上記サイトで公開されているpdf(8/11)より

 「スペインのムルシアに誕生し、セビィリャで活躍したスーフィー教の神秘学者、イブン・アラビー(Ibn・'Arabi)は"メッカの天啓"一六七章、"幸福の魔術"の中で、哲学と理性に導かれた魂が人間、解脱、再生の遍歴をする様を描いている。彼はイスラム教神学者の伝統に則り、黄泉の構造を図式化し、それを前述の書に挿入した。
(略)
 彼のこの宗教思想を図式化したものは同心円を七区分し、中心にくればくる程重い罪の刑罰を配したものである。ダンテのそれと比較した場合、区分数に差異が認められるが、構造面から見れば、両者が基本的に同質であることに疑いをはさむ余地はないと言えよう 。」

以下のサイトで、この説を最初に発表したアシン・パラシオスについて紹介されている。
koguma-blog
http://koguma.wordpress.com/2007/07/21/asin_palasios/
樺山紘一講演
http://www.angel-zaidan.org/danteforum2004/www/session2_kabayama.htm

ヘーゲルなども遵奉するトリアーデは新プラトン派経由だが、むろんその前にアラブ系の学者たちの研究があるのは歴史的事実だ。

とはいえ、最近河出書房から文庫化された『神曲』を読めばわかるが、こうした政治的な論争を超越してかつ世俗的(=身体的)なものとして『神曲』は屹立している。

そして、ダンテが当時のイタリア語の口語で書いた脚韻を踏んだラップのような詩は、(最新のイスラム文化をふまえた上で)、最高級のロールプレイングゲーム(イタリア語と英語ではウェブでいいサイトがあるが、ドレーの挿し絵とともにニンテンドーDSかPSPにできないか?)として現代語で読むのが今日、より相応しいと思う。
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by yojisekimoto | 2009-01-23 00:47 | 文学