カテゴリ:百人一首( 5 )

百人一首の分類:メモ(追記、時代順図表)

百人一首の分類:メモ (→主題別)、付録系図 完全版→別サイト#_
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時代順に、
 ____ ____________________ _______________
|\   |_________男 性七九______|_____女 性二一_____|
| \身分|天皇七 |    官人      |僧侶|女帝一 | 女房   | 母 |
|時代\ | 親王一|    五八 (藤原姓)|一三|内親王一| 一七   | 二 |
|___\|____|__________二五|__|____|______|___|
|万葉集時|天智天皇|人麿赤人|     |  |持統天皇|      |   |
|代 計六|   |家持仲麿|     |  |   |      |   |
|(男五 |    |      |     |  |    |      |   |
|_女一)|____|______|_____|__|____|______|___|
|    |    | 猿丸大夫|     |喜選|    |      |   |
|六歌仙 |    | 参議篁11|     | |    |      |   |
| 時代 |    | 河原左大臣|     |遍照|    |  小町  |   |
|    |陽成院 |    14|     |12|    |     |   |
|計一二 |13  |  行平16|     |蝉丸|    |      |   |
|(男一一|光孝天皇|  業平17|     |10|    |      |   |
| 女一)|15  |文屋康秀22|     |  |    |      |   |
|____|____|______|_____|__|____|______|___|
|古今集 |    |大江千里23| 敏行18|  |    |      |   |
| 時代 |    |  菅家24|     |  |    |      |   |
|計一八 |    |  宗于28|三条右大臣|  |    |      |   |
|(男一七|    |  躬恒29|   25|  |    |      |   |
| 女一)|    |壬生忠岑30|     |  |    |      |   |
|    |    |坂上是則31|貞信公26素性|    |  伊勢  |   |
|    |    |  列樹32|     |21|    |  19  |   |
|    |    |  友則33| 兼輔27|  |    |      |   |
|    |    |  貫之35|     |  |    |      |   |
|    |    | 深養父36| 興風34|  |    |      |   |
|    |    |文屋朝康37|     |  |    |      |   |
|____|____|______|_____|__|____|______|___|
|    |元良親王| 参議等39| 敦忠43|  |    |  右近38|   |
|    |  20| 平兼盛40| 朝忠44|恵慶|    |和泉式部56|道綱母| 
|後撰集 |    |壬生忠見41|謙徳公4547|    | 紫式部57| 53
|以後  |    |清原元輔42| 義孝50|能因|    |大弐三位58| 儀同|
|千載集 |    | 源重之48| 実方5169|    |赤染衛門59|三司母|
|までの |    |曽禰好忠46| 道信52|良暹|    小式部内侍60| 54
|時代  |    |  能宣49| 公任5570|    |伊勢大輔61|   |
|    |三条院 |      | 道雅63|  |    |清少納言62|   |
|    | 68 |      | 定頼64|  |    |  相模65|   |
|計四八 |____|______|_____|__|____|______|___|
|(男三四|    |  経信  | 基俊75|  |    |      |   |
| 女一四)    |  71  |法性寺入道|  |    |周防内侍67|   |
|    |崇徳院 |  
匡房  |   76|行尊|    |  紀伊72|   |
|    | 77 |  
73  | 顕輔7966|    |      |   |
|    |    |  
俊頼  |後徳大寺 |道因|    |  堀河80|   |
|    |    |  
74  |左大臣8182|    |      |   |
|    |    | 
 兼昌  | 清輔84|俊恵|    |      |   |
|    |    |  
78  |     |85|    |      |   |
|____|____|______|_____|__|____|______|___|
|新古今集|後鳥羽院|      | 俊成83|西行|    |皇嘉門院別当|   |
|時代  | 99 |  実朝  | 良経9186|    |    88|   |
|    |順徳院 |  93  | 雅経94|寂蓮|  式子|殷富門院大輔|   |
|計一六 |100 |      | 公経9687| 内親王|    90|   |
|(男一二|    |      | 定家97|慈円|  89| 二条院讃岐|   |
| 女四)|    |      | 家隆9895|    |    92|   |
|____|____|______|_____|__|____|______|___|
春六夏四秋一六冬六羇旅四離別一、雑部二〇、恋四三  (参照:鈴木知太郎著『小倉百人一首』29、31頁)
人名:赤=六歌仙紫=六歌仙であり三十六歌仙青=三十六歌仙。人麿と赤人は歌聖。(参照:吉海直人著『図説 百人一首』19頁)
注:元良親王と敦忠(共に古今集に未収録、後撰集に収録)の時代を鈴木知太郎の資料より一つ下げた。



    |  |僧侶
 官僚 |_宗教__
藤原氏 |天皇|
____|__|__
    |  |源氏
 女房 |_武士__
    |平氏|

天智天皇
    ーーー敏行(18)  藤原氏

伊勢(19)、右近(38)  藤原氏の出

嵯峨天皇ー河原左大臣(14) 源氏

平兼盛(40)  光孝天皇(15)の玄孫
俊恵法師(85) 源俊頼(74)の子
西行(86)   元は北面の武士
寂蓮(87)、慈円(95)  藤原氏の出

付録:藤原北家関連系図(数字は百人一首の歌番号)

   ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
   冬嗣┳━━━━━━━━━━┓                     真夏
 ┳━━━良房         良門┳━━━━━━━━━━━━━━━┓   ┃
基経┳━━━━━━━━━━┓    高藤┳             利基  〜
 貞信公┳━━━━┓   時平┳    三条右大臣25       ┃   〜
藤原忠平┃ 醍醐 師尹┳   敦忠   藤原定方          ┃   ┃
26  ┃ 天皇  ┳実時  43   ┃             ┃   伊勢
┃  実頼  ┃ 実方51       ┣━━┳━━┳━━┳━━┓ 兼輔  19
師輔  ┃代明親王┳━┳━右大臣藤原定方女  ┃  ┃  朝忠 女┳27 
┃  頼忠━┳━━厳子┃    代明親王室  朝頼 ┃  44  ┃  
┃ ┳━━━公任 女王┃           ┃  女━━━━┳━雅正    
定頼64 55   ┃           為輔      ┣━━━━━━┓
┣━┳━┳━┓   恵子           ┣━┳━┓   為時     為頼
┃ ┃公季 伊尹━┳女王          惟孝 ┃ ┃   ┣━━━┓  ┃
┃為光 ┃ 45 義孝            ┃ ┃宣孝━┳━紫式部 惟規 〜
┃ ┃ 実成┳  50            ┃ ┃   賢子 57    〜
┃ 道信  公成┳              ┃ 説孝 大弐三位      ┃
┃ 52    実季━━━━━━┳━━┓   ┃ ┃   58       家隆
兼家━┳道綱母         公実 顕季  〜〜〜            98
┃ 道綱 53         ┃  ┃   〜〜〜
┣━┳━┳━┓      三司┣━┓顕輔  ┃ ┃  
道長    道隆━━┳━┳54┃ ┃79 敦頼 殷富門院
┣┳┳┳┓     ┃ 伊周  ┃ ┃┃  道因 大輔    
┃┃ ┃彰子┳一条┳定子┃   実能┃清輔 82 90 
┃┃ ┃   天皇   道雅  ┃ ┃84
┃┃ 頼通━━┳    63  ┃ 通季┳ 
┃頼宗┳   師実━┓     公能┳ 公通┳  
長家 俊家  ┃          実定  実宗┳   
┃  ┃   師通       後徳大寺    公経、入道前太政大臣
忠家 基俊  ┃         左大臣    96
┃  75 ┳忠実┳        81
俊忠┳  頼長  忠通━┳━━━━┓
 俊成83    76 兼実┳  慈円95
  ┣━━━━━┓    良経
定家97┳   寂蓮87 91 
   ┳為家 (養子) 
  為相

(師実の子孫である飛鳥井雅経94は藤原氏に含めなかった。)
http://blog.goo.ne.jp/erika2672-t/e/74e2a8f58e4a801b1d14ae2b4bf5e226
http://homepage1.nifty.com/shiun-sai/sub2_02.html
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by yojisekimoto | 2012-02-12 20:29 | 百人一首

百人一首の分類:メモ下

百人一首の分類:メモ  完全版→別サイト
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主題別に、
 ____ _____________________ _______________
|\   |________男 性七九________|_____女 性二一_____|
| \身分|天皇 親王|    官人     | 僧侶|女帝 内親王 女房  | 母 |
|主題\数| 七  一|    五八 (藤原姓) 一三| 一  一| 一七  | 二 |
|__数\|_____|_________二五|___|_____|_____|___|
| |  |15   |3335|     |   |     | 61|   |
| |春六|     お73   |     |   |     |     |   |
| |__|_____|_____|_____|___|_____|_____|___|
| |夏四|     |36   (8198|   |    |     |   |
|四|__|_____|_____|_____|___|_____|_____|___|
| |  |    | 17|  (79| 47|     |     |   |
| |秋 |     |2223|  (91| 69|     |     |   |
| |一六|     |2932|  (94| 70|     |     |   |
|季|  |     |3771|     |(87|     |     |   |
三|__|_____|_____|_____|___|_____|_____|___|
|二|  |     | 、 |  (64|   |     |     |   |
| |冬 |     げ2831|     |   |     |     |   |
| | 六|     げ78   |     |   |     |     |   |
|_|__|_____|_____|_____|___|_____|_____|___|
|    |     | 11|     |   |     |     |   |
|羇旅 四|     |2493|     |   |     |     |   |
|____|_____|_____|_____|___|_____|_____|___|
|離別 一|     |16   |     |   |     |     |   |
|____|_____|_____|_____|___|_____|_____|___|
|    |68   |     (2634|  |     (5760|   |
|    |99   |     (5575| 10|     |6267|   |
|雑部  100   |     (7683| 12|     |     |   |
|  二〇|     |     |8496|け66|     |     |   |
|    |     |     |     |(95|     |     |   |
|____|_____|_____|_____|___|_____|_____|___|
|    |13 20| 141825| 21|   891938|(53
|    |77   |30392743|(82|     お5658|(54
| 恋  |     へ40414445|け85|     お5965|   |
|  四三|     |42465051| 86|     7280|   |
|    |     げ48495263|   |     け8890|   |
|    |     げ74   (97   |   |     け92   |   |
|____|_____|_____|_____|___|_____|_____|___|
(『百人一首の歴史学』17〜18頁参照。)
図中の「()」は藤原氏の出身なのに藤原姓を名乗っていない、もしくは歌集で採用されていない人。
「げ」は源氏を名乗っている人、「け」は源氏の出身だが源氏を名乗っていない人。「へ」は平氏。
「お」は大江氏(平兼盛の娘と言われる赤染衛門は平氏ではなく大江氏に数えた)。


下級貴族28名?、摂政関白4名、征夷大将軍1名も官人に入れた。なお、藤原姓は厳密には24名以上(94飛鳥井雅経を含めば25名以上は確実)、女性を入れると30名以上いる(出身を含む。19、38、57、58など)。81番の徳大寺実定は母方が藤原氏なので藤原実定とも呼ばれる。よって藤原氏の欄に入れた。天皇も藤原氏と姻戚関係にある場合が多いが、こちらは記載しなかった。
http://www.manabu-oshieru.com/hyakunin.html

 18藤原敏行
(19伊勢。藤原北家真夏流、伊勢守藤原継蔭の娘。)
 25藤原定方 26藤原忠平 27藤原兼輔
 34藤原興風
(38右近。平安時代中期の女流歌人。父は右近衛少将藤原季縄。醍醐天皇の中宮穏子に仕えた女房で、元良親王・藤原敦忠・藤原師輔・藤原朝忠・源順(みなもとのしたごう)などと恋愛関係があった。)
 43藤原敦忠 44藤原朝忠 45藤原伊尹
 50藤原義孝 51藤原実方 52藤原道信
 53藤原道綱母(ふじわら の みちつな の はは、承平6年(936年)? - 長徳元年5月2日(995年6月2日))は平安時代中期の歌人である。『更級日記』の作者・菅原孝標女は道綱母の妹が母であり、道綱母から見て姪に当たる。
 54儀同三司母 (ぎどうさんしのはは) 藤原道隆の妻で伊周(儀同三司)、隆家、定子の母。平安中期。女性。
 55藤原公任
(57紫式部。屈指の学者、詩人である藤原為時の娘。藤原宣孝に嫁ぎ、一女(大弐三位)を産んだ。)
(58大弐三位。平安中期の女流歌人。女房三十六歌仙の一人。藤原宣孝の女、母は紫式部。本名は藤原賢子、ふじわら の かたいこ/けんし。)
 63藤原道雅64藤原定頼
 75藤原基俊76藤原忠道79藤原顕輔
 81後徳大寺左大臣 (ごとくだいじのさだいじん) 藤原実定 
 82道因法師 藤原敦頼
 83皇太后宮大夫俊成 (こうたいごうぐうのだいぶとしなり)藤原俊成 平安末期・鎌倉初期の歌人・歌学者。定家の父。
 84藤原清輔朝臣
 87寂蓮法師 定長  藤原道長の5代下。俊成 83 の子
(90殷富門院大輔 平安時代末期に活躍した歌人。女房三十六歌仙の一人。父は藤原北家勧修寺流従五位下藤原信成。)
 91後京極摂政前太政大臣(ごきょうごくせっしょうさきのだいじょうだいじん)藤原〔九条〕良経
 95前大僧正慈円 慈円  藤原道長の6代下。法性寺[忠通]76 の子
 96入道前太政大臣 公経 貞信公 26 の10代下
 97参議雅経 (さんぎまさつね)藤原〔飛鳥井〕雅経 
 98藤原定家

ちなみに源氏は、け14(源融)、げ28、げ48、げ74、げ78、け93(源 実朝)などの13名。()内は使われていない人の氏名。平氏はへ40、67の2名。赤染衛門(59)は平氏ので出だが、大江氏に数えた。もっといるかも知れないが、藤原氏は圧倒的である(80の待賢門院堀河、88の皇嘉門院別当も源氏の生まれ。ちなみに両者ともに藤原氏に仕え、後に出家している。92の二条院讃岐も源氏の出)。

参考:
http://hyakuninnissyu.seesaa.net/article/128918542.html
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by yojisekimoto | 2012-02-04 00:22 | 百人一首

百人一首の分類:メモ中

選者:
藤原 定家(ふじわら の さだいえ、1162年(応保2年) - 1241年9月26日(仁治2年8月20日))は、鎌倉時代初期の公家・歌人。諱は「ていか」と有職読みされることが多い。権中納言定家

百人一首から見えてくるのは全体のほぼ1/3を占める藤原氏の隆盛と、それに利用された女性、それに破れた僧侶たちの姿である。みやびともののあはれの対比はそこに現実的基盤をもつ。天皇制に寄生する形で、藤原氏は王朝文化というより官僚政治を創始したと考えていい。

http://channel.pandora.tv/channel/video.ptv?ch_userid=gogoucc&prgid=43125334



追記:
ペアの思想。百人一首はペア(対)で考えると面白い。

親子:
 1(天智天皇)ー2(持統天皇)、
12(僧正遍昭)ー21(素性法師)、
13(陽成院) ー20(元良親王)、
22(文屋康秀)ー37(文屋朝康)、
25(藤原定方)ー44(藤原朝忠)、
30(壬生忠岑)ー41(壬生忠見)、
40(平兼盛) ー59(赤染衛門)、
42(清原元輔)ー62(清少納言)、
45(謙徳公、藤原伊尹)ー50(藤原義孝)、
55(藤原公任)ー64(藤原定頼)、
56(和泉式部)ー60(小式部内侍)、
57(紫式部) ー58(大弐三位)、
71(源経信) ー74(源俊頼)ー(85俊恵法師)、
74(源俊頼) ー85(俊恵法師)、
76(藤原忠通)ー95(前大僧正慈円)、
79(藤原顕輔)ー84(清輔)、
83(藤原俊成)ー97(定家)。
         87(寂蓮法師)は俊成の養子。
99(後白河院)ー100(順徳院)

36(清原深養父)の孫が42(清原元輔) 、曾孫が62(清少納言)。
85(俊恵)は74(源俊頼)の子、の71(源経信)の孫ということになる。

参考:百人一首の歌人たちの血縁関係
http://blog.goo.ne.jp/erika2672-t/e/74e2a8f58e4a801b1d14ae2b4bf5e226


   百 人 一 首:本文

 1 秋の田のかりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ
あきのたのかりほのいほのとまをあらみ わかころもてはつゆにぬれつつ
                            天智天皇(中大兄皇子)

  春過ぎて夏来にけらし白妙の 衣干すてふ天の香具山
はるすきてなつきにけらししろたへの ころもほすてふあまのかくやま
                            持統天皇

 3 あしびきの山鳥の尾のしだり尾の ながながし夜をひとりかも寝む
あしひきのやまとりのをのしたりをの なかなかしよをひとりかもねむ 柿本人麻呂

 4 田子の浦にうち出でて見れば白妙の 富士の高嶺に雪は降りつつ
たこのうらにうちいててみれはしろたへの ふしのたかねにゆきはふりつつ 山辺赤人

 5 奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の 声聞く時ぞ秋は悲しき
おくやまにもみちふみわけなくしかの こゑきくときそあきはかなしき 猿丸大夫

 6 鵲の渡せる橋に置く霜の 白きを見れば夜ぞ更けにける
かささきのわたせるはしにおくしもの しろきをみれはよそふけにける 中納言家持(大伴家持)

 7 天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも
あまのはらふりさけみれはかすかなる みかさのやまにいてしつきかも 安倍仲麿
(注:歌が詠まれたのは唐と伝わる。百人一首で唯一外国で詠まれた歌ということになる。)

 8 わが庵は都の辰巳しかぞ住む 世をうぢ山と人はいふなり
わかいほはみやこのたつみしかそすむ よをうちやまとひとはいふなり 喜撰法師


 9 花の色は移りにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに
はなのいろはうつりにけりないたつらに わかみよにふるなかめせしまに 小野小町

10 これやこの行くも帰るも別れては 知るも知らぬもあふ坂の関
これやこのゆくもかへるもわかれては しるもしらぬもあふさかのせき 蝉丸

11 わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと 人には告げよ海人の釣船
わたのはらやそしまかけてこきいてぬと ひとにはつけよあまのつりふね 参議篁

12 天つ風雲の通ひ路吹きとぢよ 乙女の姿しばしとどめむ
あまつかせくものかよひちふきとちよ をとめのすかたしはしととめむ 僧正遍昭
(注:宮中で五節の舞を見て詠んだ歌。)

13 筑波嶺の峰より落つるみなの川 恋ぞ積もりて淵となりぬる
つくはねのみねよりおつるみなのかわ こひそつもりてふちとなりぬる 陽成院

14 陸奥のしのぶもぢずりたれゆえに 乱れそめにしわれならなくに
みちのくのしのふもちすりたれゆゑに みたれそめにしわれならなくに 河原左大臣

15 君がため春の野に出でて若菜摘む わが衣手に雪は降りつつ
きみかためはるののにいててわかなつむ わかころもてにゆきはふりつつ 光孝天皇

16 立ち別れいなばの山の峰に生ふる まつとし聞かば今帰り来む
たちわかれいなはのやまのみねにおふる まつとしきかはいまかへりこむ 中納言行平

17 ちはやぶる神代も聞かず竜田川 からくれなゐに水くくるとは
ちはやふるかみよもきかすたつたかは からくれなゐにみつくくるとは 在原業平朝臣

18 住の江の岸に寄る波よるさへや 夢の通ひ路人目よくらむ
すみのえのきしによるなみよるさへや ゆめのかよひちひとめよくらむ 藤原敏行朝臣

19 難波潟短き蘆のふしの間も 逢はでこの世を過ぐしてよとや
なにはかたみしかきあしのふしのまも あはてこのよをすくしてよとや 伊勢

20 わびぬれば今はたおなじ難波なる みをつくしても逢はむとぞ思ふ
わひぬれはいまはたおなしなにはなる みをつくしてもあはむとそおもふ 元良親王

21 今来むといひしばかりに長月の 有明の月を待ち出でつるかな
いまこむといひしはかりになかつきの ありあけのつきをまちいてつるかな 素性法師

22 吹くからに秋の草木のしをるれば むべ山風をあらしといふらむ
ふくからにあきのくさきのしをるれは むへやまかせをあらしといふらむ 文屋康秀

23 月見ればちぢにものこそ悲しけれ わが身ひとつの秋にはあらねど
つきみれはちちにものこそかなしけれ わかみひとつのあきにはあらねと 大江千里

24 このたびは幣も取りあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに
このたひはぬさもとりあへすたむけやま もみちのにしきかみのまにまに 菅家(菅原道真)

25 名にし負はば逢う坂山のさねかずら 人に知られで来るよしもがな
なにしおははあふさかやまのさねかつら ひとにしられてくるよしもかな 三条右大臣

26 小倉山峰の紅葉葉心あらば いまひとたびのみゆき待たなむ
をくらやまみねのもみちはこころあらは いまひとたひのみゆきまたなむ 貞信公

27 みかの原わきて流るるいづみ川 いつ見きとてか恋しかるらむ
みかのはらわきてなかるるいつみかは いつみきとてかこひしかるらむ 中納言兼輔

28 山里は冬ぞ寂しさまさりける 人目も草もかれぬと思へば
やまさとはふゆそさびしさまさりける ひとめもくさもかれぬとおもへは 源宗于朝臣

29 心あてに折らばや折らむ初霜の 置きまどはせる白菊の花
こころあてにおらはやおらむはつしもの おきまとはせるしらきくのはな 凡河内躬恒

30 有明のつれなく見えし別れより 暁ばかり憂きものはなし
ありあけのつれなくみえしわかれより あかつきはかりうきものはなし 壬生忠岑

31 朝ぼらけ有明の月と見るまでに 吉野の里に降れる白雪
あさほらけありあけのつきとみるまてに よしののさとにふれるしらゆき 坂上是則

32 山川に風のかけたるしがらみは 流れもあへぬ紅葉なりけり
やまかはにかせのかけたるしからみは なかれもあへぬもみちなりけり 春道列樹
(注:古今集の詞書は「志賀の山越えにてよめる」。)

33 ひさかたの光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ
ひさかたのひかりのとけきはるのひに しつこころなくはなのちるらむ 
                                紀友則

34 誰をかも知る人にせむ高砂の 松も昔の友ならなくに
たれをかもしるひとにせむたかさこの まつもむかしのともならなくに
                               藤原興風

35 人はいさ心も知らずふるさとは 花ぞ昔の香に匂ひける
ひとはいさこころもしらすふるさとは はなそむかしのかににほひける
                                紀貫之
(注:古今集の詞書によればこの「古郷」は、初瀬と平安京の間のどこか。)

36 夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを 雲のいずこに月宿るらむ
なつのよはまたよひなからあけぬるを くものいつこにつきやとるらむ
                              清原深養父

37 白露に風の吹きしく秋の野は つらぬきとめぬ玉ぞ散りける
しらつゆにかせのふきしくあきののは つらぬきとめぬたまそちりける
                               文屋朝康

38 忘らるる身をば思はず誓ひてし 人の命の惜しくもあるかな
わすらるるみをはおもはすちかひてし ひとのいのちのをしくもあるかな
                                 右近

39 浅茅生の小野の篠原忍ぶれど あまりてなどか人の恋しき
あさちふのをののしのはらしのふれと あまりてなとかひとのこひしき
                                参議等

40 忍ぶれど色に出でにけりわが恋は ものや思ふと人の問ふまで
しのふれといろにいてにけりわかこひは ものやおもふとひとのとふまて
                                平兼盛

41 恋すてふわが名はまだき立ちにけり 人知れずこそ思ひそめしか
こひすてふわかなはまたきたちにけり ひとしれすこそおもひそめしか
                               壬生忠見

42 契りきなかたみに袖をしぼりつつ 末の松山波越さじとは
ちきりきなかたみにそてをしほりつつ すゑのまつやまなみこさしとは
                               清原元輔

43 逢ひ見てののちの心にくらぶれば 昔はものを思はざりけり
あひみてののちのこころにくらふれは むかしはものをおもはさりけり
                             権中納言敦忠

44 逢ふことの絶えてしなくはなかなかに 人をも身をも恨みざらまし
あふことのたえてしなくはなかなかに ひとをもみをもうらみさらまし
                              中納言朝忠

45 あはれともいふべき人は思ほえで 身のいたずらになりぬべきかな
あはれともいふへきひとはおもほえて みのいたつらになりぬへきかな
                                謙徳公

46 由良の門を渡る舟人かぢを絶え ゆくへも知らぬ恋のみちかな
ゆらのとをわたるふなひとかちをたえ ゆくへもしらぬこひのみちかな
                               曾禰好忠

47 八重むぐら茂れる宿の寂しきに 人こそ見えね秋は来にけり
やへむくらしけれるやとのさひしきに ひとこそみえねあきはきにけり
                               恵慶法師
(注:拾遺集の詞書によればこの「宿」は河原院。京六条、鴨川畔。)

48 風をいたみ岩打つ波のおのれのみ くだけてものを思ふころかな
かせをいたみいはうつなみのおのれのみ くたけてものをおもふころかな
                                源重之

49 御垣守衛士のたく火の夜は燃え 昼は消えつつものをこそ思へ
みかきもりゑしのたくひのよるはもえ ひるはきえつつものをこそおもへ
                            大中臣能宣朝臣
(注:「みかき」は御垣。宮門のこと。)

50 君がため惜しからざりし命さへ 長くもがなと思ひけるかな
きみかためおしからさりしいのちさへ なかくもかなとおもひけるかな
                               藤原義孝
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by yojisekimoto | 2012-02-04 00:21 | 百人一首

百人一首の分類:メモ上

51 かくとだにえやは伊吹のさしも草 さしも知らじな燃ゆる思ひを
かくとたにえやはいふきのさしもくさ さしもしらしなもゆるおもひを
                             藤原実方朝臣

52 明けぬれば暮るるものとは知りながら なほ恨めしき朝ぼらけかな
あけぬれはくるるものとはしりなから なほうらめしきあさほらけかな
                             藤原道信朝臣

53 嘆きつつひとり寝る夜の明くる間は いかに久しきものとかは知る
なけきつつひとりぬるよのあくるまは いかにひさしきものとかはしる
                             右大将道綱母

54 忘れじのゆく末まではかたければ 今日を限りの命ともがな
わすれしのゆくすゑまてはかたけれは けふをかきりのいのちともかな
                              儀同三司母

55 滝の音は絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れてなほ聞こえけれ
   たきのおとはたえてひさしくなりぬれと なこそなかれてなほきこえけれ
                              大納言公任
(注:拾遺集の詞書などによれば、嵯峨の大覚寺で詠まれた歌。)

56 あらざらむこの世のほかの思ひ出に いまひとたびの逢ふこともがな
   あらさらむこのよのほかのおもひてに いまひとたひのあふこともかな
                               和泉式部

57 めぐり逢ひて見しやそれとも分かぬ間に 雲隠れにし夜半の月影
   めくりあひてみしやそれともわかぬまに くもかくれにしよはのつきかけ
                                紫式部

58 有馬山猪名の笹原風吹けば いでそよ人を忘れやはする
   ありまやまゐなのささはらかせふけは いてそよひとをわすれやはする
                               大弐三位

59 やすらはで寝なましものをさ夜更けて かたぶくまでの月を見しかな
   やすらはてねなましものをさよふけて かたふくまてのつきをみしかな
                               赤染衛門

60 大江山いく野の道の遠ければ まだふみも見ず天の橋立
   おほえやまいくののみちのとほけれは またふみもみすあまのはしたて
                              小式部内侍

61 いにしへの奈良の都の八重桜 けふ九重に匂ひぬるかな
   いにしへのならのみやこのやへさくら けふここのへににほひぬるかな 
                               伊勢大輔

62 夜をこめて鳥のそら音ははかるとも よに逢坂の関は許さじ
   よをこめてとりのそらねははかるとも よにあふさかのせきはゆるさし
                               清少納言

63 今はただ思ひ絶えなむとばかりを 人づてならでいふよしもがな
   いまはたたおもひたえなむとはかりを ひとつてならていふよしもかな 
                             左京大夫道雅

64 朝ぼらけ宇治の川霧たえだえに あらはれわたる瀬々の網代木
   あさほらけうちのかはきりたえたえに あらはれわたるせせのあしろき
                             権中納言定頼

65 恨みわび干さぬ袖だにあるものを 恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ
   うらみわひほさぬそてたにあるものを こひにくちなむなこそをしけれ
                                 相模

66 もろともにあはれと思え山桜 花よりほかに知る人もなし
   もろともにあはれとおもへやまさくら はなよりほかにしるひともなし
                             前大僧正行尊
(注:金葉集の詞書によれば大峯で修行中の作。)

67 春の夜の夢ばかりなる手枕に かひなく立たむ名こそをしけれ
   はるのよのゆめはかりなるたまくらに かひなくたたむなこそをしけれ
                               周防内侍

68 心にもあらで憂き夜に長らへば 恋しかるべき夜半の月かな
   こころにもあらてうきよになからへは こひしかるへきよはのつきかな
                                三条院
(注:後拾遺集の詞書によれば、三条院が皇位にあった時、内裏で詠んだ歌。)

69 嵐吹く三室の山のもみぢ葉は 竜田の川の錦なりけり
   あらしふくみむろのやまのもみちはは たつたのかはのにしきなりけり
                               能因法師

70 寂しさに宿を立ち出でてながむれば いづくも同じ秋の夕暮れ
   さひしさにやとをたちいててなかむれは いつくもおなしあきのゆふくれ
                               良暹法師

71 夕されば門田の稲葉訪れて 蘆のまろ屋に秋風ぞ吹く
   ゆうされはかとたのいなはおとつれて あしのまろやにあきかせそふく
                              大納言経信

72 音に聞く高師の浜のあだ波は かけじや袖のぬれもこそすれ
   おとにきくたかしのはまのあたなみは かけしやそてのぬれもこそすれ
                           祐子内親王家紀伊

73 高砂の尾の上の桜咲きにけり 外山のかすみ立たずもあらなむ
   たかさこのをのへのさくらさきにけり とやまのかすみたたすもあらなむ
                            前権中納言匡房

74 憂かりける人を初瀬の山おろしよ 激しかれとは祈らぬものを
   うかりけるひとをはつせのやまおろしよ はけしかれとはいのらぬものを
                              源俊頼朝臣

75 契りおきしさせもが露を命にて あはれ今年の秋もいぬめり
   ちきりおきしさせもかつゆをいのちにて あはれことしのあきもいぬめり
                               藤原基俊

76 わたの原漕ぎ出でて見ればひさかたの 雲居にまがふ沖つ白波
   わたのはらこきいててみれはひさかたの くもゐにまかふおきつしらなみ
                       法性寺入道前関白太政大臣

77 瀬をはやみ岩にせかるる滝川の われても末に逢はむとぞ思ふ
   せをはやみいわにせかるるたきかはの われてもすゑにあはむとそおもふ
                                崇徳院

78 淡路島通ふ千鳥の鳴く声に いく夜寝覚めぬ須磨の関守
   あはちしまかよふちとりのなくこゑに いくよねさめぬすまのせきもり
                                源兼昌

79 秋風にたなびく雲のたえ間より 漏れ出づる月の影のさやけさ
   あきかせにたなひくくものたえまより もれいつるつきのかけのさやけさ
                             左京大夫顕輔

80 ながからむ心も知らず黒髪の 乱れてけさはものをこそ思へ
   なかからむこころもしらすくろかみの みたれてけさはものをこそおもへ
                             待賢門院堀河

81 ほととぎす鳴きつる方をながむれば ただ有明の月ぞ残れる
   ほとときすなきつるかたをなかむれは たたありあけのつきそのこれる
                            後徳大寺左大臣

82 思ひわびさても命はあるものを 憂きに堪へぬは涙なりけり
   おもひわひさてもいのちはあるものを うきにたへぬはなみたなりけり
                               道因法師

83 世の中よ道こそなけれ思ひ入る 山の奥にも鹿ぞ鳴くなる
   よのなかよみちこそなけれおもひいる やまのおくにもしかそなくなる
                           皇太后宮大夫俊成

84 長らへばまたこのごろやしのばれむ 憂しと見し世ぞ今は恋しき
   なからへはまたこのころやしのはれむ うしとみしよそいまはこひしき
                             藤原清輔朝臣

85 夜もすがらもの思ふころは明けやらぬ ねやのひまさへつれなかりけり
   よもすからものおもふころはあけやらぬ ねやのひまさへつれなかりけり
                               俊恵法師

86 嘆けとて月やはものを思はする かこちがほなるわが涙かな
   なけけとてつきやはものをおもはする かこちかほなるわかなみたかな 
                               西行法師

87 村雨の露もまだ干ぬまきの葉に 霧立ちのぼる秋の夕暮
   むらさめのつゆもまたひぬまきのはに きりたちのほるあきのゆふくれ
                               寂蓮法師

88 難波江の蘆のかりねのひとよゆゑ 身を尽くしてや恋ひわたるべき
   なにはえのあしのかりねのひとよゆゑ みをつくしてやこひわたるへき
                             皇嘉門院別当

89 玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば 忍ぶることの弱りもぞする
   たまのをよたえなはたえねなからへは しのふることのよはりもそする
                              式子内親王

90 見せばやな雄島の海人の袖だにも 濡れにぞ濡れし色は変はらず
   みせはやなをしまのあまのそてたにも ぬれにそぬれしいろはかはらす
                             殷富門院大輔

91 きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに 衣かたしきひとりかも寝む
   きりきりすなくやしもよのさむしろに ころもかたしきひとりかもねむ
                        後京極摂政前太政大臣

92 わが袖は潮干に見えぬ沖の石の 人こそ知らねかわく間もなし
   わかそてはしほひにみえぬおきのいしの ひとこそしらねかわくまもなし
                             二条院讃岐

93 世の中は常にもがもな渚漕ぐ 海人の小舟の綱手かなしも
   よのなかはつねにもかもななきさこく あまのおふねのつなてかなしも
                             鎌倉右大臣

94 み吉野の山の秋風さよ更けて ふるさと寒く衣打つなり
   みよしののやまのあきかせさよふけて ふるさとさむくころもうつなり
                              参議雅経

95 おほけなく憂き世の民におほふかな わが立つ杣にすみ染の袖
   おほけなくうきよのたみにおほふかな わかたつそまにすみそめのそて
                            前大僧正慈円
(注:「我たつ杣」は比叡山のこと。)

96 花さそふ嵐の庭の雪ならで ふりゆくものはわが身なりけり
   はなさそふあらしのにはのゆきならて ふりゆくものはわかみなりけり
                           入道前太政大臣

97 来ぬ人を松帆の浦の夕なぎに 焼くや藻塩の身もこがれつつ
   こぬひとをまつほのうらのゆふなきに やくやもしほのみもこかれつつ
                            権中納言定家(藤原定家)

98 風そよぐ楢の小川の夕暮は 御禊ぞ夏のしるしなりける
   かせそよくならのをかはのゆふくれは みそきそなつのしるしなりける
                             従二位家隆

99 人も愛し人も恨めしあじきなく 世を思ふゆゑにもの思ふ身は
   ひともをしひともうらめしあちきなく よをおもふゆゑにものおもふみは
                               後鳥羽院

100 百敷や古き軒端のしのぶにも なほ余りある昔なりけり
    ももしきやふるきのきはのしのふにも なほあまりあるむかしなりけり
                                 順徳院
(注:「百敷」は皇居をさす。)





参考:
土地による分類:別サイト(http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/100i/100i_u.html)も参考になる。


◆畿 内 30首 山城国12(皇居124968100宇治8、64小倉山26、みかの原泉川27、河原院47、嵯峨55、大江山60、楢の小川(上賀茂神社)98)
       大和国11(香久山2、三笠山7、立田川17、69手向山24、吉野3194、初瀬と平安京の間のどこか?35奈良の都61大峰66、初瀬74)
       摂津国7(住の江(住吉)18、難波19、2088有馬山猪名58、高師浜72、須磨78)
◆東海道 8首 近江国6(逢坂10、25、62志賀32、伊吹山51、比叡山95)
       駿河国1(田子の浦富士4)
       常陸国1(筑波嶺男女の川13)
◆東山道 3首 陸奥国3(信夫14、末の松山42、雄島90)
◆南海道 3首 淡路国2(淡路島78重出、松帆の浦97)
       紀伊国1(由良の門46)
◆山陽道 1首 播磨国1(高砂34)
◆山陰道 4首 丹波国 1(生野60重出)
       丹後国1(天の橋立60再重出)
       因幡国1(因幡の山16)
       隠岐国1(隠岐島11)       固有の土地と特に関係ない歌が54首あるとされる。


http://homepage.mac.com/xupotomo/baka29agatuma01.html



「藤原氏は、中臣鎌足が大化の改新の功により天智天皇に賜った「藤原」の姓が、子の藤原不比等の代に認められたのに始まる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E6%B0%8F

「道長を代表格とする摂関家の権力は増大した…この、道長や一条天皇の近辺の女性が百人一首でオンパレードするのが53番右大将道綱母あたりから 67番周防内侍あたり…」
http://hyakuninnissyu.seesaa.net/article/151688025.html

「源氏は源の姓を持つ氏族であるが、嵯峨天皇が生まれた子らにその姓を与え、皇室と祖を同じくするという名誉の意味をこめて与えた。…嵯峨天皇に皇子皇女が増え、朝廷の財政を逼迫させる基にもなることから、早くに臣籍降下することが皇胤にとって子孫繁栄の道であった。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E6%B0%8F

「西行。俗名は、佐藤義清(さとうのりきよ) 1118~1190 平安後期の歌人。北面の武士として鳥羽院に仕えた後に出家。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E8%A1%8C

参考:折口信夫「女房文学から隠者文学へ 後期王朝文学史」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/46958_27475.html
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by yojisekimoto | 2012-02-04 00:20 | 百人一首

百人一首関連系図

系図 →改訂版別頁


付録 天皇家、清原氏、大江氏系図:

               ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ 
               天智1               天武
               ┣━━┳━━┳━━┓     ┏━━┻━━┓
               施基 弘文 持統 元明    皇子    舎人親王
               皇子          ┏━┻━┓   ┣━━━┓
               ┃            文武  元正  御原王 貞代王
               光仁           ┃       ┃   ┃
               ┃            聖武      小倉王 有雄
    ┏━━━━━━━━━━桓武━━┳━━━┓    ┃       ┃   ┃
    葛原親王(桓武平氏祖)┃   平城  良岑安世 孝謙・称徳   繁野王  通雄?房則?
    ┃      ┏━━━嵯峨  ┃   ┃                ┃
 ┏━(略)    (略)  ┣━┓ 阿保  遍昭12             清原深養父36
将門 ┏┻━┓    ┃   ┃源融 親王  ┃                ┃
  (略)(略)  参議等3914 ┣━┓ 素性21             春光?顕忠?
周防内侍  紀伊       ┃  行平 業平                 ┃
  67  72       仁明 16 17                 元輔42
    ┏(略)━土師氏   ┣━━━━━━━━━━━━━━━━┓       ┃
┏━━(略)┓    ┏━━━光孝15             文徳      清少納言62
大江音人  菅原道真(略)  ┣━━━━━━━━━━━━━┓  ┃
┣━━━━┓  24 ┃伊勢━宇多            是忠 清和
千古   大江千里  ┃19 ┣━(略)┓  源氏   親王 ┣━━━━┳
┣━━━┓  23 (玄孫) 醍醐   (71、74、  ┃  陽成13 ┃ 貞元親王━┓
維明  維明    平兼盛  ┣(略)┓ 85、78へ) 源宗于┃    貞純親王  (略)
┃   ┃     40   村上 55、64へ)   28 元良親王      
 
仲宣  重光    ┃    ┣━━┳(略)┓ 藤原氏       20 源経基   (孫)
┃   ┣━━┓  赤染   円融 冷泉 80、88へ)源氏      ┃
      源重之 
清言  雅到 匡衡┳衛門   ┃  ┣━━━━━━━━┓         満仲     48
┣━┓ ┃    ┃59   一条 花山       三条68      ┣━━━┓ 
公資┃ 和泉┳橘 挙周    ┣━━━━━━┓    ┃         頼光┓ 頼信┓
 相模 式部┃道貞┃     後朱雀    後一条  敦明親王━┓     (略) (略)
 65 56┃  成衡    ┣━━━━━━┓        (孫)     二条院 実朝
     小式部 ┃     後三条    後冷泉       行尊     讃岐  93
     内侍  匡房    ┃                66     92
     60  73   (三代略)
               ┣━━━━━━┳━━━━━┓
               後白河    崇徳77  近衛
               ┣━━━━━━━━━━━━━━━━┓
               高倉               式子内親王
               ┣━━━━━━┳━━━━━┓      89
               後鳥羽99  安徳    守貞親王  
               ┣━━━━━━┓     ┃
               土御門    順徳100 後堀河
               ┃      ┃     ┃
               後嵯峨    仲恭    四条

(桓武平氏高棟流の子孫である周防内侍67及び桓武平氏紀伊72や清和源氏、三条源氏の系譜は入れたが、宇多源氏〜71源経信、74源俊頼、85源俊恵、78源兼昌が該当〜と村上源氏〜80堀河、88皇嘉門院別当が該当〜は省いた。醍醐天皇関連の藤原氏〜55公任、64定頼が該当〜も省いた。周防内侍67と桓武平氏紀伊72は葛原親王高棟流の系譜。ちなみに平将門も高望流ではあるが葛原親王の系譜。大江氏と菅原氏は共に野見宿禰を遠い祖に持つ土師氏の出と言われる。)


歴代天皇の略系図外部



付録:藤原家関連系図(数字は百人一首の歌番号)

   鎌足
   ┃
   不比等
   ┣━━━━━━━━━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓ 
   房前(北家)     (南家)(式家)(京家) ┃   宮子┳文武天皇
   ┃           ┃       ┃  光明子━┳━聖武天皇
   真楯         (略)     (略)     孝謙
   ┃           ┣━━━━┓  ┃      天皇
   内麻呂        (略)  (略) 興風34 
   ┃           ┃    ┃
   ┃           敏行18 右近38
   ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
   冬嗣┳━━━━━━━━━━┓                     真夏
 ┏━━━良房         良門┳━━━━━━━━━━━━━━━┓   ┃
基経┳━━━━━━━━━━┓    高藤┓             利基  〜
 貞信公┳━━━━┓   時平┓    三条右大臣25       ┃   〜
藤原忠平┃ 醍醐 師尹┓   敦忠   藤原定方          ┃   ┃
26  ┃ 天皇  ┏実時  43   ┃             ┃   伊勢
┃  実頼  ┃ 実方51       ┣━━┳━━┳━━┳━━┓ 兼輔  19
師輔  ┃代明親王┳━┳━右大臣藤原定方女  ┃  ┃  朝忠 女┳27 
┃  頼忠━┳━━厳子┃    代明親王室  朝頼 ┃  44  ┃  
┃ ┏━━━公任 女王┃           ┃  女━━━━┳━雅正    
定頼64 55   ┃           為輔      ┣━━━━━━┓
┣━┳━┳━┓   恵子           ┣━┳━┓   為時     為頼
┃ ┃公季 伊尹━┳女王          惟孝 ┃ ┃   ┣━━━┓  ┃
┃為光 ┃ 45 義孝━┓          ┃ ┃宣孝━┳━紫式部 惟規 〜
┃ ┃ 実成┓  50 行成         ┃ ┃   賢子 57    〜
┃ 道信  公成┓              ┃ 説孝 大弐三位      ┃
┃ 52    実季━━━━━━┳━━┓   ┃ ┃   58       家隆
兼家━┳道綱母         公実 顕季  〜〜〜            98
┃ 道綱 53         ┃  ┃   〜〜〜
┣━┳━┳━┓      三司┣━┓顕輔  ┃ ┃  
道長    道隆━━┳━┳54┃ ┃79 敦頼 殷富門院
┣┳┳┳┓     ┃ 伊周  ┃ ┃┃  道因 大輔    
┃┃ ┃彰子┳一条┳定子┃   実能┃清輔 82 90 
┃┃ ┃   天皇   道雅  ┃ ┃84
┃┃ 頼通━━┓    63  ┃ 通季┓ 
┃頼宗┓   師実━┓     公能┓ 公通┓  
長家 俊家  ┃  忠教┓     実定  実宗┓   
┃  ┃   師通  (略)  後徳大寺    公経、入道前太政大臣
忠家 基俊  ┃   雅経94  左大臣    96
┃  75 ┏忠実┓        81
俊忠┓  頼長  忠通━┳━━━━┓
 俊成83    76 兼実┓  慈円95
  ┣━━━━━┓    良経
定家97┓   寂蓮87 91 
   ┏為家 (養子) 
  為相

(飛鳥井雅経94も藤原氏に入れた。)

右近




参考:天皇家と藤原氏の近親相姦的血縁関係のプロトタイプ

          舒明
        ┏━┻━┓
   鎌足  天智   天武
   ┃   ┏┻┓  ┃
  不比等 元明┓持統┳┛
   ┃    ┃  ┃
   ┃    ┗┳草壁皇子
  ┏┻┓   ┏┻┓   
光明子┓宮子┳文武 元正
   ┃  ┃
   ┗┳聖武
    ┃
    孝謙

親子:┃
夫婦:┳ 

「彼(不比等)は、鎌足が死の直前まで手に入れることのできなかった大臣の位を、五十歳で獲得し、
また、文武天皇の夫人として入内させた娘、宮子の生んだ首(おびと)皇子を、皇太子の地位につけて、
藤原氏の血をひく最初の天皇の実現の道を確保し、藤原氏の家格を一挙に最高位にひき上げるための基礎
をきずいたのです。」(『埋もれた巨像』上山春平)


参考:系図体系 http://keizusoko.yukihotaru.com/contents_html.html#taikei

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by yojisekimoto | 2012-02-01 00:00 | 百人一首