カテゴリ:書評( 6 )

書評:カヴェル『眼に映る世界』〜結婚生活という裏テーマ〜

書評:
『眼に映る世界: 映画の存在論についての考察 』(叢書・ウニベルシタス) [単行本]
  原書名:THE WORLD VIEWED:Reflections on the Ontology of Film
スタンリー カヴェル (著), Stanley Cavell (原著), 石原 陽一郎 (翻訳)
http://www.amazon.co.jp/dp/4588009737

目次
仲間たちをめぐる自叙伝
視覚と音
写真とスクリーン
観客、俳優、スター
類型的人物、シリーズ、ジャンル
起源についての諸説
ボードレールと映画の神話
軍人と女性
ダンディ
神話の終焉
映画のメディウムとメディア
死すべきものとしての世界―絶対的年齢と若さ
全体性としての世界―カラー
自動性
余論―いくつかのモダニズム絵画
展示と自己言及
カメラの介入
テクニックの言明
沈黙の認知

続・眼に映る世界

訳者解説 「なぜ映画が哲学の問題たり得るのか?」
索引

/////以下書評//////

本書はドゥルーズ『シネマ』と並べられる存在らしいが、映画に存在論を適応しているところからして、それはあくまでドゥルーズの『シネマ1』と対応するのであって、そうした存在論が無効になった歴史的段階を描いた『シネマ2』には対応しない。
(ドゥルーズ『シネマ』と質的に比較できるのはタルコフスキーの『映像のポエジア』だけだ。)
それゆえカヴェルがゴダールを酷評し、パゾリーニに言及しないのも無理はないのだ。
カヴェルはあるモデル(後述)を無意識に考えているからだ。

ただ、言いたいのは蓮實重彦なども本書のようなレベルの本は書けなかったし、日本の知識人はこのレベルの映画関連書を書いてこなかった。小林秀雄が生きていたら、柄谷行人が本気を出したら、武田泰淳や埴谷雄高がもう少し映画に時間を割いたら、、、本書のレベルの本は生まれたかも知れないが。


アメリカ超越主義(分析哲学は大学の中だけのことだ)の良き伝統を受け継ぐカヴェルの裏テーマとも言うべき思考モデルを類推するなら、性行為、結婚生活*が挙げられる。
(ちなみにドゥルーズ『シネマ』では、狂気と系列が裏テーマだった、と思う。さらに言えば、ジジェクなら性的倒錯だけが意識的にクローズアップされるだろう。ジジェクによるポルノ映画の定義、見られることなく見る、はカヴェルが本書で展開する主題でもある。)

そこにカヴェル独自の芸術映画に限定されない、商業主義映画の再評価の規準があると思うのだが、その部分は「自動性」「メディウム」といった純理論的、グリーンバーグ経由の芸術論を読みたい人には関心を呼ばないかも知れない。本書の懐の深さはまさに結婚、性生活という主題を隠蔽/開示しているところにある、と思う。

*注:
本書の解説で紹介された季刊「nobody」に掲載されたカヴェルのインタビューがそれを示唆していた。また本書でもルノアールの『ゲームの規則』以上にオペラ『フィガロの結婚』が規準としてあり(87頁)、ヴィゴの『アタラント号』が結婚という観念を扱った最高の映画とされる(257頁)。
ちなみに表紙写真はキートン『探偵学入門』。
この映画は本書でその自己言及性がコメディとして評価されるのだが、(映画を見ている人にはわかるが)ハッピーエンドとは言い切れないテイストを持った結婚生活を暗示するラストが特に優れているのは言うまでもない。

眼に映る世界: 映画の存在論についての考察 (叢書・ウニベルシタス)

スタンリー カヴェル / 法政大学出版局


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by yojisekimoto | 2012-05-18 15:09 | 書評

書評:アドルノ『ヴァーグナー試論 』〜「反復進行原理」による脱弁証法〜

書評:
ヴァーグナー試論 [単行本]
テオドール・W・アドルノ (著), 高橋 順一 (翻訳)
http://www.amazon.co.jp/dp/4861823544/

原書:Versuch über Wagner, Knaur, 1964.

目次:
クナウル社ポケット版への助言
I. 社会的性格
II. 身振り
III. 動機
IV. 響き
V. 音色
VI. ファンタスマゴリー
VII. 楽劇
VIII. 神話
IX. 神と乞食
X. キマイラ
索引
付録「ヴァーグナーのアクチュアリティ」(1963年9月講演)
解説にかえて「仮象と仮象を内破するもの――アドルノのヴァーグナー認識について」高橋順一
ヴァーグナーの作品概要
訳者あとがき

/////以下書評///////

アドルノによるワグナー(ヴァーグナー)批判はワグナーのナチズムとの近縁性をあげつらうような単純なものではない。
それはアドルノに、アドルノ自身の、さらに20世紀のドイツ全体にこびりついた弁証法的思考形式から脱する機会を探るものだからだ。
アドルノによってショーペンハウエルの対立物としてヘーゲルに近いと規定(215頁参照。『指輪』は『精神現象学』に対応する)されるワグナーは、楽劇という現実以上に現実的な幻想によって「労働を隠蔽」するがそれは当初はプチブル批判でもあったのだ(実はミイラ取りがミイラになったとはいえ、ファンタスマゴリー=魔法幻灯(100頁)に対する批判ですらあった)。
つまりワグナーは小市民批判という一点おいて、アドルノと立場が近いのだ。
では、それならば如何にしてワグナーを批判するのか?

(以下私見…)

それは具体的には「反復進行(Sequenz)原理」(38、47、207頁)によってである。
否定弁証法の有効性は文化産業批判という限られた範囲内のものであり、幻想の現実化としての資本主義の産物である芸術の内在的批判には無力だが、この「反復進行原理」は新たな批判基盤を提出する。それはカントの超越論的批判に似ているのではないか?と個人的には思う(感性=音楽、悟性=詩、理性=楽劇、といったヒエラルキーではなく、アンチノミーの維持がその特徴だ)。
25年を隔てた2種のワグナー論は、この原理の深化によって区別される。
ただし、この反復の称揚は、アドルノ自身によって自覚的に展開されたとは言えない(初期には反復は否定的に考えられていた〜39頁~)。
『ジークフリート』第3幕の単独公演を提唱(210頁)したりすることに端的に現れるように、全体性(全体主義)にはそれに対する断片化で対抗できるとアドルノは考えているようだ(弁証法はそれら断片の安易な再構成を保証する)。それでも戦後の論考は弁証法に縛られた思考からの脱却が見られるのは確かだ。
むろん本書の大部分を占める戦前の論考が無効というわけではない。アドルノによる文化批判の舌鋒はするどく音楽関連の書と、文化産業批判の書をつなぐ位置に本書はある。
だからワグナーはアドルノにとって最重要の音楽家ではないが、本書はアドルノにとって最重要の書なのだ。

アレゴリーを単純に支持できない、アウラ(後光)の喪失が前提である世代としてベンヤミンと異なる立場から芸術の政治的(というより現実的)再生を探るアドルノの苦闘が読み取れて、本書は秀逸だ。

ヴァーグナー試論

テオドール・W・アドルノ / 作品社


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by yojisekimoto | 2012-05-17 13:34 | 書評

ジジェク『パララックス・ヴュー』(書評)

ジジェク『パララックス・ヴュー』=政治革命から社会革命への転換?

全六章の大著。
精読できていないが、ざっと見渡すと1、2章が哲学、3、4章が精神分析、5、6章が社会的な
ものを扱っている。これらは決して(循環はしても)止揚されることはないヘーゲル的にフラクタ
ルなトリアーデを形成している(結局ジジェクはヘーゲルをラカン的に構造化しているのだが)。

いつものジジェク節全開だが、柄谷(序文からそのヘーゲル批判がジジェクに影響を与え、これに
全体が呼応する)、アガンベン、バディウら、同時代の並走者への言及が多いのが特徴だ。

いつものジジェクと書いたが、(同時代評の多さ以外に)本質的に違う部分もある。

ジジェクがキャリアを通じて政治的レベルを重視し、経済的レベルを決定的なものと見なしていな
いといった訳者による解説は、これまでのキャリアを考えればかなり的を射ており、パララックス
を「交換」(経済も含まれる)へと還元した柄谷とその点においてジジェクは対照的だと思う。

とはいえ、この作品で徐々にジジェクはバディウのようなあからさまな政治主義からは離れ、社会
革命寄りに転回しているように思えるのだ(柄谷の影響か?)。
例えば、ラストの『バートルビー』映画化の話題等は消費者からの変革の志向と読める。
そもそも狭義のマルクス主義に対抗するためにヘーゲルを持ち出しているのだからこの転回は意外
であっても必然であったのかも知れない。

とくに第5章のラストにある以下のような盟友バディウに逆らった極めて柄谷的な言葉が印象的
であり、今後のジジェクの転回を期待させるのに充分だ。

「‥…この行きづまりから脱出する唯一の途は、「経済的」領域に<真理>の尊厳を返還すること、
<出来事>の潜勢力を返還することである。」(585頁)


追記:

肝心なところは映画論でごまかしている気もするが、スターウォーズ、エイゼンシュテイン、タル
コフスキー、黒澤明『羅生門』へのコメントは(近年の映画評をかき集めたものであっても)とて
も興味深いし、めずらしく正論ばかりだと思う(ワーズワース、ヘンリー・ジェイムズ、メルビル
らが扱われるが、全体的に文学の影は薄い)。潜勢力を現実界に解き放つ出来事としての力は映画
が突出しているということだろう。

有名な映画ばかり言及されているが、最後の方で触れられたドキュメンタリー『砂の城』(チベッ
ト映画『ザ・ゴール』の監督らがインタビューされ、資本主義から距離をとるべきだというメッセ
ージがあると言う)は日本公開されていないようだ。
http://icarusfilms.com/new2004/san.html

附録:
邦訳『パララックス・ヴュー』主要言及映画リスト

キェシロフスキ(『カメラマニア』p60,『十戒』p134他)
『ジョーズ』p71
ヒッチコック(『白い恐怖』『汚名』p84『マーニー』p85『サイコ』p565,683,『北北西に進路を取れ』p620)
ベルイマン(『秋のソナタ』p122『ペルソナ』p132,344,698『沈黙』p132『ミラー(魔術師、夜の儀式?)』p308)
『卒業』p134-7
タルコフスキー『サクリファイス』p156-8
☆『スターウォーズ』 新シリーズp185-188,703
メル・ギブソン『パッション』p193,634-7
『ブラジル』p212
『エイリアン』p215
デビットリンチ(『ロストハイウェイ』p131,『ワイルドアットハート』p216-218)
『街の灯』p217
『ビフォアサンセット』イーサンホークp242
『ザホイップハンド(『私は見た!』)』メンジースp307
『羅生門』p315
エイドリアンライン『運命の女』p344
『恍惚/ナタリー』p344
『グラディエーター』p357
☆『マトリックス』(レボルーションズp359,564,リローデットp558-564)
『ファインディングニモ』p564
☆スピルバーグ『マイノリティリポート』p366-378,718
『太陽に灼かれて』p511
『イワン雷帝』p524
コルホーズミュージカル(『陽気な子どもたち』『ヴォルガヴォルガ』p525)
『北の星』p525
『プルートの化け猫裁判』p526
『ニクソン』p527
『セックス発電』p558
『エネミーオブメリカ』p570
『インサイダー』p570
『逃亡者』ハリソンフォードp608
『タクシードライバー』p609
ジョンフォード(『捜索者』p611『アパッチ砦』p614他)
『ローンスター』ジョンセイルズp612
『ミスティックリバー』イーストウッドp613
マルクス兄弟p615
イェリネク『ピアノ教師』p629
イニャリトゥ『21グラム』p631
『ア フューググッドメン』p656
『地獄の黙示録』p657
『最後の誘惑』p665
『砂の城(未公開)』p681
『バートルビ』アンソニーフリードマンp683
『バートルビ』ジョナサンパーカーp683
『脱走者』プドフキンp706
『黄金の盃』p709
ヴィスコンティ『熊座の淡き星影』『ヴェニスに死す』p711
『AI』718
『フランケンシュタイン』p720
『夕暮れにベルが鳴る』p720



p308の『ミラー』は邦題が確認できなかった。多分『魔術師』だろうが、似たようなストーリーでベルイマンは作品を撮っていることがわかった。
どれも見るものが見られる側へ移行し、合理主義的立場が敗北するというものだ。

夜の儀式



狼の時間


魔術師



改訂版:
『パララックス・ヴュー』主要言及映画リスト(頁は邦訳書)

第一部:
『カメラマニア』、
『ふたりのヴェロニカ』キェシロフスキp60
『ジョーズ』p71
『白い恐怖』、
『汚名』ヒッチコックp84
『マーニー』p85
『秋のソナタ』ベルイマンp122
『ロストハイウェイ』デビットリンチp131☆
『ペルソナ』p132☆、
『沈黙』ベルイマンp132
『十戒』キェシロフスキp134
『卒業』p134-7
『サクリファイス』タルコフスキーp156-8
『スターウォーズ』 新シリーズp185-188☆
『パッション』メル・ギブソンp193,634-7
『ブラジル』p212
『エイリアン』p215
『ワイルドアットハート』デビットリンチp216-218☆
『街の灯』p217☆

『ビフォアサンセット』イーサンホークp242

第二部:
『ザホイップハンド(『私は見た!』)』メンジースp307
『ミラー(魔術師)』p308
『羅生門』p315
『運命の女』エイドリアンラインp344
『恍惚/ナタリー』p344
『ペルソナ』p344☆
『グラディエーター』p357
『マトリックス』(レボルーションズp359)☆
『マイノリティリポート』スピルバーグp366-378

第三部:
『太陽に灼かれて』p511
『イワン雷帝』p524☆
『陽気な子どもたち』、
『ヴォルガヴォルガ』コルホーズミュージカルp525☆
『北の星』p525
『プルートの化け猫裁判』p526☆
『ニクソン』p527
『ヘラクレス対マチスタ』p558
『セックス発電』p558
『マトリックス』(レボルーションズp564,リローデットp558-564)☆
『ファインディングニモ』p564
『サイコ』p565☆
『エネミーオブメリカ』p570
『インサイダー』p570
『逃亡者』ハリソンフォードp608
『タクシードライバー』p609
『捜索者』ジョンフォードp611
『ローンスター』ジョンセイルズp612
『ミスティックリバー』イーストウッドp613
『アパッチ砦』p614
『(不明)』マルクス兄弟p615☆
『北北西に進路を取れ』p620
『ピアノ教師』イェリネクp629
『21グラム』イニャリトゥp631
『ア フューググッドメン』p656
『地獄の黙示録』p657
『最後の誘惑』p665
『砂の城(未公開)』p681
『バートルビ』アンソニーフリードマンp683
『バートルビ』ジョナサンパーカーp683
『サイコ』p683☆

注:(第一部)
『ペルソナ』p698☆
『スターウォーズ』 新シリーズp703☆
『レベッカ』、
『めまい』p704☆
『脱走者』プドフキンp706
『黄金の盃』p709
『熊座の淡き星影』、
『ヴェニスに死す』ヴィスコンティp711
『AI』p718
『マイノリティリポート』p718
『フランケンシュタイン』p720
『夕暮れにベルが鳴る』p720

☆はDVD"The pervet's guide to cinema"で言及あり。
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by yojisekimoto | 2010-01-29 00:54 | 書評

論理の限界と詩の可能性

中島一夫氏の「文芸批評批判序説」(『述』2007、近畿大学紀要、明石書店)を読んだ。倉数茂氏の刺激的なブログを通じてこの画期的評論の所在を知ったのだが、題名からして「批評」を「批判」するという縮小再生産を危惧していたにもかかわらず思考の深化を指し示すものだったのがうれしい誤算だった。

中島氏は小林秀雄と柄谷行人をつなぐ円環を、価値形態論と個有名論(これは所有論でもあり得る)で切り取っているのだが、価値形態論と固有名論は差異における他者をみいだすまではいいが、そこには限界があるということが指摘されている。両者は共に唯物論なのだから、社会現象を切り取る際には有効だとしても、論理学特有の限界があるのはどう理解したらよいのだろうか?

結論から言えばゲーデルを考えれば論理学の限界は当たり前なのだ。
原理ということでは男性原理が単性では再生産できないのと同じことだし、それは女性原理も同じだ。
とはいえゲーデルの不完全性定理はしかし、真実であっても証明できないということがあるということ自体を証明したのであり、限界と同時にこれは理性の勝利なのである。
その意味で柄谷の限界は自明のものであり、驚くべきことではない。ただ危惧されるのはこの評論ではむしろ小林秀雄がマルクス全盛期にフランス流のレトリックで詩(筆者の考えでは小林のそれはむしろ経験主義の再興であるが)を体現したことと、柄谷がロジックの内部であえて限界を見いだしたことの意義が青年受け入れられたという社会現象によってパラレルに理解されてしまうことが問題なのだ。

ここでもっと大きな日本における思想潮流の循環を考えてみよう。たとえばドイツとフランスの思想の主流争いをハイデガーもベンヤミンも指摘したが、柄谷は自分の限界を自覚した際でもそこに導入したのがカントというあくまでドイツ哲学だった。これは論理学の範囲ではない、その臨界において導入したのである。つまり柄谷はアンチノミー自体、つまりデータとしての他者をカントによって倫理的に定位したのである。同一性を超越論的仮象によって維持するということが、論理学の限界と倫理学的可能性をつなぐ橋であり、柄谷はこれを自らの名においてではなくカントに名において指摘したのだ。説得力があるかないかは別として取り替えのきかない個有名をカントと呼んだのだ(とはいえあくまでマルクス「と」カントの間に柄谷は留まるのであり、またそれ以外の個有名が重要性、より具体的には『探究2』においては柄谷によるドゥルーズのスピノザ的読解がその端緒であったことは注意すべきだ)。
それはカントという個有名のアクチュアルな場への奪還であったと歴史的には言える。柄谷の場合非対称性の認識はここで構造的な体系の作成ではなく他者の発見というかたちをとった。

また社会的循環を考えるなら、その出発点を見る必要がある。スガ秀実氏がこだわる1968年の、(60年を1サイクルとすれば)2サイクル前の120年前のフランス二月革命において唯一冷静な社会革命の展望を持っていたプルードンを柄谷は社会運動に転用したのである。ちなみにプルードンの交換銀行論は中島氏が「なぜ」ではなく「いかにして」を説明したに過ぎないと喝破した「価値形態論」を逆流させるプログラムであった。プルードンの意義に関しては、マルクスの看板で開始されてしまったNAMなどでもまったく検証されなかった部分である(「無名作家の不在には誰も気づかない」と言ったのはデリダだっただろうか?)。このような原点の意義の見失われた反復は、当事者にとっては「喜劇」(byマルクス)ではなく、不可避的な構造不況を強いるノスタルジックなものになるだろう。筆者が気になったのは中島倉数両氏の論考のノスタルジックな部分である。

ノスタルジックなのは展望のなさが原因だが、その展望のなさの一端は詩の意義が理解されていないということになると思う(ちなみに小林は確かにノスタルジックだし方法論としては使えないが、柄谷は違う)。

以下、少し脱線します。

命の保証がなされる限りでのなし崩しの市場交換(というよりは資本主義的交換)の潮流に逆らい、「批評とは死と引き換えの詩」であると中島氏が述べる時、それは実際には死と詩がおなじ構造上に定位されるということなのである。そして本物の詩は、独自の音韻体系においてその構造を形作り外に開く力なのである。ニーチェ流に詩を論理を超越するものと捉えることも出来るが、むしろ詩はもう一つの別の論理である。小林、柄谷、東浩紀といった批評界の事件が中島氏によって的確に歴史的に位置づけられたとはいえ、その可能性を開くには新たな詩の論理が必要になるだろう。

詩の論理とは、たとえば個有名や鍵括弧のもつ可能性を、そのつど音韻体系(これは音声によって構成される唯物論である)や自由間接話法によってパゾリーニが開いていったやり方である。それは何も文芸時評に限定された出来ごとではない。ジャンルを超えておこっていることなのだ。柄谷行人がカントを導入し、狭義の批評においては『日本近代文学の起源』において行ったのはこのようなジャンルの横断による詩=新たな論理の可能性(インフラ)の開拓であった。東浩紀はそのインフラを確かめたし、中島氏によってその検証がこの評論で歴史的にはじめてなされたことは歓迎したい。

この論理を推し進めるならば、論理学とともに詩を音楽と結びつける必要が出てくる。その昔、龍樹を沈黙させたヒンズー側の反論は、音楽の存在を無と呼べるか?といったものだったそうである。その意味で東氏の著作の重要な部分はリズムに関するものだったし、その可能性が開かれていないのは惜しい。今後、記号と身体といった問題意識は柄谷のアンチノミーを踏まえてこそ演奏(=命がけの飛躍,脱線)がなされ得るであろう。
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by yojisekimoto | 2007-11-16 22:14 | 書評

『世界共和国へ』(岩波新書)・メモ

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先月、ピースボート船上で、若い人たちにおすすめの本を紹介する機会があった。僕は『老子』を紹介したが、この本が出版されていれば、真っ先に推薦していただろうと考えると、少し残念なことをしたと思う。ポジティブな響きを持つ書名に加え、777円という安さも魅力だ。以下、読んだばかりのメモです。

//////////////////

『世界共和国へ』で、柄谷行人はまずチョムスキーを援用し(p4)※、

  国家 ネーション
  資本 アソシエーション

という4種類の交換様式図を『トランスクリティーク』に引き続き再解説している(p5,9)。
そこには、

不平等←→平等
統制


自由、

といったベクトルが加わったため、資本/ネーション/国家/アソシエーションという4つの要素の位置付けが恣意的でないものとして理解できるようになった(p5,9,22,39)。「複数の基礎的な交換様式の連関を超越論的に解明すること」(p40)に成功していると言える。ちなみに、統制に関しては、プルードンに倣って、権威と言い換えてもいいだろう。

また、プルードンに関する記述が多い点も指摘できる。最終章に「カントの構想」(p179)に引き続き「プルードンの構想」(p185)という節があるのだ。
ただ、晩年プルードンが国際政治(フェデレーション=連合の原理を提唱した)に関して考察したことが触れられていないため、プルードンが国家を内側からしか考えていないということになってしまっている(p194)。プルードンがヘーゲルやカントよりもすぐれている点はアンチノミーを維持した点であって、なおかつそれを相互主義的な交換的正義の理念、連合主義にまで高めた点だ。プルードンのいう「真実社会」(p190、公認の社会に対して現実の社会と訳されることもある)はまた、疎外論と一緒には出来ない。なぜならプルードンにとっては政治、経済、宗教の三要素がアソシエーション内部(=真実社会)にアウフヘーベンされずに残っているからである(プルードンは『革命家の告白』で、自分が影響を受けた人物として、スミス、ヘーゲル、フォイエルバッハの名を挙げているが、これはそれぞれ「資本、国家、ネーション」という三分野に自覚的に対応させた発言だ)。

さらに、プルードンは交換銀行を国営で行うために議員となったことが重要であり、経済的革命(p10.191。こちらの方が社会革命よりも用語的にわかりやすい)を目指す視点は一貫していたと考えるべきだ。
とはいえ、プルードンとマルクスを安易に対立させていない点や(p12,26,191)、ルソーの社会契約論をプルードンが交換的正義において徹底化したとする評価(p186,187)は的確だと思う。
プルードンに関しては、生産様式より交換様式(p20,27)を重視した点においては歴史的先行者なのだし、その重要性は明らかだ。この本で具体的ではない国連改革に関しても先に触れた彼の社会革命の原理が当てはまると思う。不幸なことに他の思想家と比べ、テキストが入手しにくいため、岩波新書のようなスタイルで入門書が必要になるだろう。

細かく述べるなら、柄谷氏の過去の同種の本より良くなった点は以下(箇条書き)である。

まず、ウェーバー(p53,61,90.93,124.154)、ウィットフォーゲル(p34,38,61)のラインを加えたことで、国家(官僚制及び封建制=分権制p62など)への視点が明瞭化し、マルクスの立場が比較的相対化された。
またモース(p21,43)、クラストル(p42.57)、サーリンズ(p46)、ポランニー(p49.68,83)への言及で、文化人類学的な互酬的交換の位置づけがはっきりした。
アダム・スミス(p66,168)、アンダーソン(p164)についての言及でネーションのねつ造をめぐる説明も明瞭になった。
モンテスキューの名前を出したので、「くじ引き」=民主主義説の説得力が増した (p54)。

一言で言えば、全体的にコンパクトでわかりやすくなった点が何よりの収穫だ。『原理』のような実効性はないが、この書の浸透は確実に世界を変えるだろう。初学者には参考文献一覧や索引があればと親切だったのにとも思う。さらに、記述としてはガンジーや日本の事例等の具体例が加わればもっとわかりやすくなるのだろうが、それは読者個人個人の課題だと思う。
持ち運び便利で、移動する際に携帯できるのも利点だ(Think globally ,act locallyの前者をこの本は解析するが、後者の行動の際にも携帯できる)。かなり推敲のあとがみられるが、やはり最後の章が具体性において弱い。情報資本主義への考察、セミラティス(斜め?)の組織論等に関しては定本第三巻『トランスクリティーク』も参照する必要がある。日本文学(ネーション)、建築的原理(ステート?)、フロイト(資本のトライブ?)などに関しても、それぞれ定本第一巻(五巻も一巻の続きとして読める)、二巻、四巻(『帝国』への言及はここにもある)参照が望まれる。様々な言語への翻訳も今後期待したい。

その他気になる項目/索引?は以下(作業中です)。
索引(@は引用、#は定義):
[ア]
アーレント 207,209@
アウグスティヌス 181
アジア的 34(-社会構成体),62-3
亜周辺 35-7,60,63(表)
アソシエーショニズム 5,9-10,15 ,179#,180
アソシエーション 10(生産-消費協同組合),12(連合体),30,89(新たな交換様式),97,171,181,189(生産者協同組合),191(-の-),193,225(グローバル・コミュニティ)
アトミズム 115,118
アナキスト 12 ,100
アナキズム 217-8
アナール学派 208
アナルシー 187#
アパシー(無関心) 8
アフリカ 8,34
尼崎 228
アミン(サミール)33,34,86,109(資本主義構成体論?)
アメリカ 7,11,45(-大陸).82,107,211-2,218,221
アラビア 33(-諸国),85,90-1
アルチュセール 33
アンダーソン 163-5@
アンチノミー 136(二律背反),141, 188
イエス 93,95-7,101
イギリス 11,100,124,134,137,139,146,171,215
イスラーム 86,97,111,124(-国家),158,161,170 ,208(イスラム化),215(-圏)
イタリア 120
イデオロギー 32,91(「イデオロギー装置」,アルチュセール),120(イデオロギー的装置),146
イロコイ族 55
インカ、マヤ、アステカ 34,45
インド 2,8,79,91,150,214-5
ウィットフォーゲル 34-5(「水力社会」),61(『オリエンタル・デスポティズム』)
ウェーバー 90@,93@,124@ ,154
ウォーラーステイン 9,39-40,107
ウンマ 98
「永遠」 165
『永遠平和のために』222@
エコシステム(循環系) 28-30,152
エジプト 53,56,80,91
M-C-M' 78,80,135-6,142
遠隔地 36,84(-交易),139
エンゲルス 19,51,99@,153
負い目 94
オーウェン 73,101
オスマン帝国 208
『オリエンタル・デスポティズム』 61
[カ]
階級 124
階級闘争 153-
カウツキー 153
火器 111
革命 10,100-1(ピューリタン-,プロレタリア-),(114,118-9,162,市民-)
家産制国家 124
価値形態論 72,95-6
金貸し資本 80
家族 25,151
家父長的家産制(アジア的国家) 123
貨幣 26,71-6,78(-フェティシズム),(83,86,-の機能)
『貨幣体論』(ヘス) 26
「貨幣の王権」198
神の国 99,181-3(「-」)
カリスマ的 93
環境 152(-汚染),155(-問題),224(-破壊)
カント 102@(『道徳形而上学原論』),179@,180@(「たんなる理性の限界内での宗教」),221-2@,223@(『世界公民的見地における一般史の構想』),181-4
官僚 53,61,119-,121,125(軍・-機能)
技術革新 142-3
「擬制商品化」 148
ギリシア36,57,54,55,56,85
キリスト教 98(国教),99(原始-),100,170
ギルド 59
京都 61,100
協同組合 10,189,193
共同体 19(部族的-),22(-と-の間) ,25,43(-のホメオスタシス),55,58(農業-),65,83,92(盟約-),94,97,98(ウンマ),149,151,170,199(-と-の間)
「近代世界システム」 133,160,165,176,214
くじ引き 54-5
クラストル 42(『国家に抗する社会』),43-4,57
グラムシ 120
グローバリゼーション 2,150 (「資本の輸出」)
『経済学・哲学草稿』27
経済革命 10(経済的革命←→政治的革命),189,191
契約 115
ケインズ主義 122
「結婚」 205
コイン 71
交換 24,27,101(-銀行),115(契約),118(ホッブズ)
交換的正義 186
交換様式 21,25 ,32,33(三つの-),39,43(A),65(C),69(ABC),71(B),87(BC),88(D),89
(AC)103,205(基礎的-),113(国家)
構造 6,19,43(親族-,代数-,数学的-主義),178(-論的に)
交通 27,200
交通形態 25
コールリッジ 167
『国富論』66
互酬 21,22(「恩」)#,23,50,52-5(-原理),70,76,92,106,187(-的=双務的?)
国家 2-(国民-),4-(-の形態),100(民衆-,加賀),114(-の本質)
コミュニズム 5(評議会-),12#,54(スパルタの- ),179
コムーネ 59(フィレンツェ),98(自治都市)
コンミューン 59(ケルン),195
[サ]
サーリンズ 46(『歴史の島々』)
サン・シモン 9,171(-主義),186
サンディカリスト 14
自給自足的 106
自己再生的(オートポイエーシス的) 147
自己統治 187
市場経済 108
市場主義 169
自然 27-30,44(←→文化).80(「-成長的」),130(-に),151-2,116,118(「-状態 」),220(本性,-の狡知←→理性の狡知),223(-の計画),224(-の隠微な計画)
資本 3(「資本=ネーション=国家」),18,78,81,140(個別-),150(-の輸出),152(-の限界)
市民 58,60,112(ブルジョア),(112,119,162,-革命),159,(121,217,-社会)
社会 42-(未開-),44(「-」),47(原始-),67-(未開-)
社会契約 75,113(-論),115,117(-論),124(-論者),187
社会構成体 32,33(五つの-)
社会政策 124
社会的総資本 143
ジャコバン主義 9#,186-7
自由 102,185-,187(-の次元)
宗教 53,89-(普遍-,世界-),98-(-改革),164
周辺 35(margin)
呪術 89,90,92
シュミット(カール) 51(「友と敵」)
商人138
常備軍と官僚機構 64,119,(:112,125,127)
消費者 140,146
消費社会 146
剰余価値 149,142(相対的-),143-
真実社会 195,197,217
スウィージー 135
スコットランド 168
ストライキ 156
スピノザ 172,216-7
スミス(アダム) 4,20,66,73,132,168-9,170
正義 9-10(配分的-),(182,186,分配的-),186(交換的正義)
生産 24,27-8 ,137(-手段)
生産様式 19,20 32(五つの-)
政治的革命 186
聖書 95-6@,97@,160
世界貨幣 82
世界共和国 15,182-3#,222
世界経済 39,40#
世界史 64 ,( 人類史 42),219(ー的理念)
世界資本主義 150
世界市場 107(バルト海,地中海),132,213-4
世界帝国 40#,91(エジプト)
石油 30
戦争 57(-体制),114,119,220
想像の共同体 38,165 ,170, (163,167,想像された共同体)
想像力 7,167,170
ソクラテス 56,85(「ソクラテス以前の哲学者たち」)
ゾンバルト 134,近世資本主義?
[タ]
太閤検地 62
第三世界 8,150
代替通貨 10,189(代替貨幣)
他者 102,181(カント)
「たんなる理性の限界内での宗教」(カント) 180@
中核 35
中国 2,8,53,61,91,110,112,150,154,163,214
「抽象力」 47,
朝鮮 61(周辺)
チョムスキー 4-9
罪の感情 95
天皇 61,161
動機 3,84(「身分動機」←→「利潤動機」)
ドイツ 160(-語),171,177 ,210,213,218
『ドイツ・イデオロギー』24-5@,245@
統整的理念6#,183(「世界共和国」),184
『道徳の系譜』91@,94-6@
東洋的専制国家 64
都市 100(自治-,堺,京都)
ドップ 135
トライブ 58-9
[ナ]
ナショナリスト 178
ナショナリズム 151,165,171,185
ナチス 188
ナポレオン(ボナパルト) 10,127
ニーチェ 91(『道徳の系譜』)@,94-96@
日本 6,11,61-3,63(「-資本主義論争」),122,161,218
ネーション 3,27,157-,162-,178
ネグリとハート 211@,212@ (『帝国』),217-8@(『マルチチュード』)
ネットワーク 88,120,218,225
[ハ]
ハイエク 5(「隷属への道」)
配分的正義 9-10,(182,186,分配的正義)
ハウ 69#,71 ,76
バウムガルテン 172(『美学』),173
パウロ 96
バクーニン 193
ハチソン168,173
バビロニア 71 ,80,83
バブーフ 185
パリ 195
パリ・コンミューン 12,59,192,195
「パンとサーカス」 56
ビザンツ 98(東ローマ帝国 ),111,124
ビスマルク 9,171,201
微生物 28
ヒューム 183
ピューリタン革命 100
フィレンツェ 59
フーコー 120-1
フォイエルバッハ25,190
普通選挙 126
ヒューム 183
フェビアン協会 11
フォイエルバッハ 25-6,190
仏教 93,97,100-1,170
普遍宗教 93-
プラトン 56,85
ブラン (ルイ) 186
ブランキ 13,186
フランク 109
フランス 11,33,101(-革命),112,170(-革命),171,185,213
『フランスの内乱』191
プルードン 9-10,12,101,185-194 ,197-9
ブルジョア 59(ビュルガー),60, 62(町人),112(市民),159
フロイト 91(『モーゼと一神教』)
ブローデル 208
プロシャ 11,195
プロレタリア 99(-的),137,139,140#,149,156,
192(プロレタリアート独裁),217
文学 19,174-5
フンボルト 4
ヘーゲル 25(青年-派),28,35,121@,190(青年-派),197@,220,122
ヘゲモニー 120,211
ヘス (モーゼス) 25,27,190
ベラーズ(ジョン) 101
ヘルダー 175-7
ベルンシュタイン 14,154
ヘロドトス55
封建制,(=分権制) 61-4,135
「封建制から資本主義への移行」135
『法権利の哲学』 121,197-8@
封建論争 63
ボイコット 156
ホッブズ 75,115-6@,118,217,220
ポランニー 49(『人間の経済』),50,68(『人間の経済学』),83(『人間の経済』),84,148
ボロメオの環 175#-8
[マ]
マニファクチュア 132-4,138
マホメット 93
マリノフスキー 68
マルチチュード 212(『-』),217
マルクス 12,18-9,20,23,24-5@,27,28-9(-主義者),70@,74-5@,77@,78@,127@,128@,p135@,136@,
138@@,192@,200@
マントラン(ロベール)208@,
ミュンツァー(トーマス)99
明治維新 11,62
モース 21,43
モンゴル 53,91
モンテスキュー 54
[ヤ]
友愛 170-,181,187
ユダヤ 92 -3
ヨーロッパ 2,59,87(西-),79,109,121(西-,東-),133,146,167,209(-連邦),218,220
預言者 90(-宗教),92-3(倫理的-,模範的-)
[ラ]
ラッサール 192-3
ラテン・アメリカ 133
ラテン語 159
リービッヒ 29
利子 80
理念 7,16,219(世界史的-),222
リベラリズム 11 ,216(ネオ-)
流通 134-,156
領土 92
倫理 38,89,91(宗教-),103,169(-学),180
ルカーチ 155
ルソー 175,186-7,194
ルター 93(-派),159-161
ルナン 161,297
レヴィ=ストロース(クロード) 43,44
レーニン 14,184(マルクス・-主義),196(-主義),204
歴史 184
レッセ・フェール(自由放任) 169
連合 12(アソシエーション=連合体),222,223
労働 138
ローマ 36,56,98(-帝国),159(-教会),207
ロシア 14,63,93(-正教),110,124,154,215
ロック 118,176
ロベスピエール 182-3,187
[ワ]
湾岸戦争 211-2

参考文献(*は書名未出):
アミン『不均等発展』?p33/ウェーバー『支配の社会学2』123-4,『宗教社会学』90,『プロテスタンティズムと倫理の精神』134/ウィットフォーゲル『オリエンタル・デスポティズム』p61/エンゲルス『ドイツ農民戦争』99/クラストル『国家に抗する社会』p42,『暴力の考古学』p44/カント『純粋理性批判』173,174@,183「たんなる理性の限界内での宗教」 (カント全集第 10巻、岩波)p180, 『道徳形而上学原論』102@,179@,181@,/『世界公民的見地における一般史の構想』(『啓蒙とは何か』岩波文庫所収)223@ 『判断力批判』174/コールリッジ『文学評伝p194』*第13章(法政大学出版)167/シュミット『政治的なものの概念』*51/スミス『国富論』66『道徳感情(情操)論』169/『聖書』 95-6@,97@,160/ソクラテス 85/ゾンバルト,『近世資本主義』*?p134/チョムスキー「未来の国家」(Government in the Future) 4「チョムスキー・インフォサイト」http://www.chomsky.info/audionvideo.htm(音声)/ニーチェ『道徳の系譜』91@,94-6@/ネグリ『帝国』『マルチチュード』/ハチソン『美と徳の観念の起源』*(玉川大学)/ヘーゲル『法の哲学(法権利の哲学)』177,197-8@/ヘルダー 『言語起源論』175/ヘロドトス,『歴史』*?p55/プルードン「貨幣の王権」云々(p189,198)→「信用と流通の組織化と社会問題の解決」(阪上孝訳『資料フランス初期社会主義二月革命とその思想』*河野健二編、平凡社)、「真実社会」(p190)→「二つの社会」『プルードン』*(河野健二、平凡社)「プルードンの社会理論」(作田啓一)『プルードン研究』*(岩波書店)/ヘス『初期社会主義論集』*(未来社、ヘス「貨幣体論」収録)p26/『ブローデル 歴史を語る』208/ホッブズ 『レヴァイアサン』115-6/ポランニー 49,68,83-4,(148)『人間の経済』×→『経済の文明史』?/マリノフスキー『西太平洋の遠洋航海者』68/マルクス『資本論』(頁数)は書名のみ。(125)(146)(191),第一巻23,29,70,77,78,136,138、第二巻、第三巻135,138、『ドイツイデオロギー』24-5,(27),200、『ブリュメール18日』126-7,128、『経済学批判』18-9、『グルントリセ』32、『フランスの内乱 』191、『ゴータ綱領批判』(12),192、共産党宣言(12,201)/モンテスキュー 『法の精神』54/ルソー『言語起源論』 175/サーリンズ『歴史の島々』46/レヴィ=ストロース『親族の基本構造』43

正誤表:p4 チョムスキーの講演、1971×→1970/p59「宣言」ではなく実質的な成立/p83『人間の経済』×→『経済の文明史』*/p71コインの発明はバビロニアではなくリュディア?/p175図4→図5

『世界共和国へ』関連年表:
紀元前十四世紀エジプト王イクナトン一神教開始p91
紀元前598第一回バビロン捕囚p92
紀元前565(?)年から486(?) 仏陀p93
紀元30年頃までイエス布教活動p95
306ローマ帝国コンスタンティヌス皇帝即位p98
七世紀マホメット活動p93
八世紀日本、律令国家p61
1112(独)ケルン自由都市成立p59
1115(伊)フィレンツェ、コムーネ宣言?p59
十三世紀モンゴル帝国p53,91
十五から十六世紀、日本農民戦争p100、ドイツ農民運動p99、
         世界帝国連結p106
十七世紀オランダ世界商業頂点p134
1649 (英)絶対王権倒れるp117
1651『レヴァイアサン』p116
1660(英)王政復古p117
1688(英)名誉革命p117
1750-1758(英)『美学』(バウムガルテン)p172
1759(英)『道徳感情論』p169
1789(仏)フランス革命p101,129
1848(仏)二月革命p10,127
『共産党宣言』p201
1851周期的世界恐慌p128
1868(日)明治維新p11
1871(仏)パリ・コンミューンp12,59,192,195
1875(独)ゴータ綱領p192
1884(英)フェビアン協会設立p11
1914第一次世界大戦p220
1945第二次世界大戦終結p221
1968(五月革命)p6
1973(米)金との兌換中止?p82
1991湾岸戦争p211-2
2003イラク戦争p212

※注
『世界共和国へ』(p4)で紹介されている1970年(1971年は間違い)のチョムスキーの講演「未来の国家」(Government in the Future)が以下で聞けます。

チョムスキー・インフォサイト?
http://www.chomsky.info/audionvideo.htm
http://www.chomsky.info/audionvideo/19700216.mp3
Government in the Future. Poetry Center, New York. February 16, 1970.

追記:
以下のサイトを使うと上記索引をA4横四段に変換出来ます。
http://www.noguchi.co.jp/datebook2006/pasteit.php
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by yojisekimoto | 2006-04-23 17:01 | 書評

『クビリ浜の物語』及び『がじゅまる物語』書評

あくまで一般論だが、「ぽっかりと口をあけた空虚」こそが創造の原動力だとしたら、芸術家ほど不幸な存在はないだろう。だが、この童話の作者は沖縄の自然の助けを借りて、あくまで自然との交感を楽しみつつ、その空虚な名づけられる以前の場所に、物語、というよりも汎神論的対話を対置する。

「人が胸に深く深く刻んでしまった想いは、海に返すことはできない」

その汎神論はやがて「海」という人格神の形をとり、こう主人公に告げる。
作者は、海に人格を付与することで、内的モノローグの外に出ようとするのだ。
いや、それは作者の記憶と同時に読者の記憶をもまた、それぞれの魂の内側に宝物のようにしまい込む作業でもあるだろう。それが誠実な芸術家の任務だし、同作者の『がじゅまる物語』の最後で作者はこう読者にエールを送るのを見てもそれは明らかだ。

「それはわたしの大事な友だち、つまりあなたのことなのだから」。

作者のとぎ澄まされた身体感覚は、汎神論的世界観を通り、さらに対話的世界を通り抜けることによって、新たな他者に開かれてゆくことになる。
それは過去の克服、超自我の形成と言えなくもない。
また、私家版としてそれぞれ一冊しか存在しないこの二冊の本は主人公と作者の一回しかない同一性の危機、つまり少女期をアレゴリカルに示していると言える。
なお、美しい装丁とあいまって宝物のような本であるということも書き添えておく。
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by yojisekimoto | 2005-01-30 22:29 | 書評