カテゴリ:哲学( 2 )

ボルツァーノ:メモ

「我々が存在するということから我々が表象を有することを知るのではなくて、逆に我々が表象を有することによって始めて我々もまた存在することを知るのである」
  ボルツァーノ(Bernard Placidus Johann Nepomuk Bolzano,1781-1848、『知識学』§42、未邦訳より。創文社、藤田伊吉著『ボルツァーノの哲学』57頁より孫引き。)


ボルツァーノはチェコ出身の数学者、思想家。カント『純粋理性批判』の出た年に生まれ、マルクス『共産主義者宣言』の出た年に没。ちなみにカトリック。

    真理自体
 ____/|\____
|   命題自体    |
|     |     |
|表象自体_|_対象  |
|___________|

表象自体と対象との一致を言表する命題自体が真理自体。
真理自体の中に命題自体が含まれる。認識されるか否かにかかわらず(認識論的には主観から独立して)、命題自体は存在する。そして、真理自体は(少なくとも一つは=『知識学』§31、帰結としては n + 1 の原理で無限に=『無限の逆説』§13)存在する(藤田伊吉『ボルツァーノの哲学』51、58頁、53頁=『知識学』§31)。

主観から独立した表象自体の存立を認めることが、彼の論理的客観主義に必要だった(同書87、246頁)。

以下、ボルツァーノ著作体系(前掲藤田書29頁参照):

  「哲学とは何か?」(遺稿)
 ____/|\____
| 『無限の逆説』数学 |
|     |     |
| 知識学_|_宗教学 |
|        教科書|
|   アタナシア   |
|___________|

上記図に数学の分類も相似である。

普遍

特殊

抽象

具体

あるいは、

抽象と具体

そして、

空間と時間

無限論的集合論であり、自己矛盾を回避した系列的思考と言える。
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by yojisekimoto | 2012-11-05 10:01 | 哲学

cogito ergo sum変奏

以下、某掲示板に書き込んだものの転載。

「我思う、故に我あり(cogito ergo sum)」デカルト
「我歩く、故に我あり(ambulo ergo sum)」ガッサンディ
「疑いつつ在る(我は思惟しつつ存在する Ego sum cogitans)」スピノザ( 『デカルトの哲学原理』)
「私は思惟する事物である 」ライプニッツ(『人間知性新論』4:2 みすず368頁 )
「存在することは知覚されることである」("Esse is percipi"、エッセ・イス・ペルキピ)ジョージ・バークリー
「我思う=我あり(同語反復)」カント?(第一批判A355)
「我思われる、故に我あり」フランツ・バーダー
「わたしは考える、それゆえそれは存在する(コギト・エルゴ・エスト)」ショーペンハウアー
「我思惟す、ゆえに我万人なり(Cogito, ergo omnes sum homines)」フォイエルバッハ
「我思う、ゆえに我ありと思う我がいる」アンブローズ・ビアス
「我あり、故に我思う…(sum cogito…)」ハイデガー(『存在と時間』第43節)
「我思うゆえに他者あり(コギト エルゴ エス)」(ラカン、セミナール14)
「われ思う ゆえに われ見る(コギト エルゴ ヴィデオ Cogito ergo video)」ゴダール(『映画史』1B)
「君あり、故に我あり」サティッシュ・クマール

一見言葉遊びに見えても、各思想家の本を読んでいればそれぞれの哲学体系に即したことばだということがわかる。
特にスピノザの平行論、ライプニッツの分析主義をあらわす言い換えは見事だと思う。

ヘーゲル、
フッサール、
デリダ、
ドゥルーズ、
あたりにもあるかも知れない。
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by yojisekimoto | 2012-10-23 02:36 | 哲学