カテゴリ:日記( 13 )

Top 1% income share in USA from 1913 – 2008


ウォール街デモ抗議者の声
http://www.youtube.com/watch?v=MfIZEk9BHv4&feature=channel_video_title

以下"Gesell ML" より

米国で若者たちが抗議している所得格差、上位1%のシェアがわかる。


Top 1% income share in USA from 1913 – 2008
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http://anticap.files.wordpress.com/2011/09/us-top.jpg

http://rwer.wordpress.com/2011/09/25/top-1-income-share-in-usa-from-1913-2008/
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by yojisekimoto | 2011-10-06 06:11 | 日記

24日芝公園発、脱原発デモ

昨日の芝公園発のデモ。「他のデモのコースと重なるから」という理由で予定のコースである経産省前を回避させられた。多分官僚側のウソだ。
(東電と経産省間の距離は1Km未満の950m。しかも道路は直行。→ 地図
当日のもう一つの大きなデモ、代々木公園のパレードは最初から経産省前はコースに入っていない。
恐るべき犯罪者集団。経産省。
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by yojisekimoto | 2011-04-25 12:35 | 日記

すべてを飲み込む津波1 (2011.3.11 岩手県 野田村 下安家地区)




http://itaishinja.com/archives/2503317.html






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by yojisekimoto | 2011-04-05 03:02 | 日記

Natalie Time Lapse: Birth to 10 years old in 1 minute 25 sec



【話題/米国】0歳から10歳まで 少女の成長記録「早回し」ビデオが大ヒット[10/12/14]
:2010/12/15(水)

その父親は10年余り前、生まれたばかりの娘の姿をカメラに収めた。
それからほぼ毎日撮り続けた写真を1分25秒のビデオにまとめ、
動画投稿サイト「ユーチューブ」に公開したところ、爆発的な人気を呼んでいる。

写真のモデルはナタリー・スターティングさん(10)。
ビデオの閲覧者はすでに250万人を超えた。
子どもの成長を記録した「柱の傷」のユーチューブ版というわけだ。

何年間かにわたる変化を記録したビデオは、ユーチューブの初期から登場していた。
古典的な例としては2006年、若い女性が3年間毎日自分の写真を撮り続け、
1分のスライドショーにまとめたビデオが、再生回数700万回を記録。
同じ年、「ノア」という男性が公開した6年分の「自分撮り」写真集は、
なんと1700万回も再生された。

ナタリーさんのビデオが過去の作品と違うのは、子どもの成長をとらえている点だ。
大人になってからの10年間に、これほど劇的な変化はまず起きないだろう。

英国では1960年代に7歳児の子どもたちを取材し、その後7年ごとに追跡した
ドキュメンタリー「セブンアップ」のシリーズが話題を呼んだ。
登場人物の心身の成長ぶりが興味深い。
今やインターネット上で、同じような「早回し」の成長記録をだれもが楽しめる時代
となった。

ソースは
http://www.cnn.co.jp/showbiz/30001222.html
画像は
http://www.cnn.co.jp/images/cnn/2010/12/14/18/41/17/t1larg.jpg
YouTube動画は
Natalie Time Lapse: Birth to 10 years old in 1 minute 25 sec
http://www.youtube.com/watch?v=ejbNVWES4LI
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by yojisekimoto | 2010-12-16 03:00 | 日記

はやぶさ





ブラッドベリの『万華鏡』のようでもあり、キューブリックの映画のようでもある。
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by yojisekimoto | 2010-06-14 10:35 | 日記

大審問官、『あらくれ』、宇多田ヒカル


ドストエフスキーが書いた小説『カラマーゾフの兄弟』の大審問官という章に悪魔からキリストへの三つの問いというものがでてくる*。
悪魔が荒野でキリストを試したのものだ。それらは、

荒野をパンに替えろ。
搭から飛び降りて奇跡を見せろ。
ひざまずけ。

といった問いかけだ。

キリストはそれらの問いに見事に応えるのだが、ドストエフスキーは登場人物に、これ以上及びこれ以外の問いかけはあり得ないとまで言わせている。
「人間は本当に、奇蹟、神秘、権威を要求しており、また今後もなお要求していくのだろうか」(ロレンス)と評されるこれらの試み(テスタメント)を柄谷行人の4つの交換図に照らし合わせると、それらはステート、キャピタル、ネーション、に相当すると思う。 
小説内でも、その後、ローマ、カトリックの支配に関して話は及ぶから、決して見当違いな解釈だとは思えない。
そしてドストエフスキーの小説では肝心のアソシエーション(イワンとアリョーシャのキス?、子ども達の連帯?)は寓話の外に位置づけられている。

最近、成瀬巳喜男監督、高峰秀子主演の『あらくれ』を見たが、この映画は大正時代を舞台にしながら、主人公がキャピタル、ネーション、ステートを生き抜く様を描いているように解釈できる(それぞれキャピタル/ネーション/ステートに男性が割り振られ、高峰の男性遍歴のかたちをとる)。ただし、ここで要は、ネーションの中にキャピタルが、キャピタルの中にステート(大正期の話なのでこれが弱いが戦争景気の話が後半にでる)があるといったように、フラクタルな多面性を各場面が映し込んでいるということだ。寓話と違い映画は画面に内包する多要素を表現できる。
そして、この映画におけるアソシエーションは映画撮影に現場において体現させられており、安易な希望が一切排除されている。
映画のラスト、高峰が雨の中を歩く(疾走する?)姿はなぜか感動的だった。
先日書いたライプニッツの話に無理矢理つなげると、「∞/1」に対する「1/∞」としてのモナド(ドゥルーズの解釈)を高峰は体現し、時代を反射している。

さて、視点を今に転じると、時代を疾走している宇多田ヒカルのある歌の歌詞(劇場版『エヴァンゲリオン』の主題歌)が前述の悪魔の問いに、4つめの問いを付け加えたような気がしてならない。

それは「もしも願い、ひとつだけかなうなら」という問いだ。

そのあとの歌詞はこうだ。

「君のそばで眠らせて」

ここまでは安易だが、このあと、

「どこでもいいよ」

と続く。

共同体の利点を持ちながら、どこにも移動する覚悟を示すことで狭義の共同体から突き抜けようとする。
この場合アソシエーションは聞き手にかかっているのは言うまでもない。
アソシエーションとしては『カラーマーゾフの兄弟』の冒頭に掲げられる自己犠牲の主題**を相互的なものとして感じ取ることができるかが鍵だと思う。


*参考
井桁研究室HP

http://www.kt.rim.or.jp/~igeta/igeta/dos/kara.html

上記サイトより、以下、聖書からの引用。

 さて、イエスは悪魔から誘惑を受けるため、“霊”に導かれて荒れ野に行かれた。そして40日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた。すると、誘惑する者が来て、イエスに言った。「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」イエスはお答になった。
「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」

「マタイによる福音書」第4章1~4節


 次に悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、言った。
「神の子なら、飛び降りたらどうだ。『神があなたのために天使たちに命じると、あなたの足が石に打ち当たることのないように、天使たちは手であなたを支える』と書いてある。
 イエスは「『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてある」と言われた。

「マタイによる福音書」第4章5~7節


 更に、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、
「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」と言った。
  すると、イエスは言われた。「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」
  そこで、悪魔は離れ去った。すると、天使たちが来てイエスに仕えた。

「マタイによる福音書」第4章8~11節

**
エピグラムは以下。

 はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。

(「ヨハネによる福音書」第12章24節) 
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by yojisekimoto | 2008-07-02 22:45 | 日記

官製不況とRSIとSRI

官製不況という言葉を知ってはいたが、これほど実感できる時代が来るとは思わなかった。
建設業界、タクシー業界、ゆとり教育の撤回、(角を矯めて牛を殺した)NOVA、etc、現場を知らない人間が上から改革しようとすると最悪になるということの見本のようだ。
先日紹介した、セミラティスという概念は、官僚制を打破するためにどうしても必要な概念だ。
それは単なる一時的な感情に身を任せたアンチテーゼではなく、建設的な概念だからだ、、、

最近テレビで「ご近所の底力、限界集落」「クローズアップ現代、NPOバンク」など、知人が出演する番組を立て続けに見ると、不平不満を述べているだけでは不十分だということに気づかされる。。。。

話は変わるが、
最近、RSIとSRIという言葉が似ていて気になった、、、
RSIは精神分析家のラカンが現実界(R)、象徴界(S)、想像界(I)がそれぞれ相互に依存しつつ組み合わさって存在しているということを述べたものだ。
人間は幼年期から考えると想像界→象徴界→現実界と成長しつつ進むらしい、、、

SRIは社会的責任投資の略で、先のテレビ番組におけるオルタナティブな戦略にも関係する。
強引にいえば、こちらは企業、行政、市民の三角形のうち、市民と企業が手を結んだ姿を現している。
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参考サイト:
http://www.city.kawasaki.jp/30/30kokuse/home/gc/kch17.html


ラカンは象徴界を失った文学の典型として、ジョイスを挙げていたが、SRIは社会システムにおけるジョイス的なものということになるだろうか。
エイゼンシュテインはその『資本論』映画化のためのノートで、「形式面はジョイスに捧げられる」と述べていたのだった。
資本主義のただ中で、思考と行動を紡ぐという点で、RSIとSRIの三角形は相似かもしれない、、、、

無論パーソンズのようなレベルの違いを指摘する声も重要ではあるが、どちらも象徴界(社会システムでは官がこれにあたる)だけに依存していては現状を打破できないということを教えてくれている。


追記:
ちなみに「分析家の仕事は、

1. [S] 象徴的な自由連想を用いて、
2. [I] 自我の防衛と想像的転移を潜り抜けて、
3. [R] 無意識の欲望と思考にたどりつく

ということ」らしい、、、
http://d.hatena.ne.jp/lacanian/20070611
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by yojisekimoto | 2008-01-18 16:30 | 日記

ヘーゲルと柄谷行人(メモ)

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定本柄谷行人集(*)の構成を図にしてみた。
この選集には全編にわたってヘーゲルへの批判的言及があり、興味深い。
この図では逆にヘーゲルの体系から柄谷の思考を検討してみた。
柄谷は、概念と概念の間にありつづけるという点でヘーゲルの神秘主義を回避している。

追記:
第四巻のフロイトの欲動というタームをキャピタルとして解釈した。アソシエーションは大きな三角形の真ん中の逆三角形内にあり、第四巻は直接アソシエーションを扱っているので内部に「4」という数字がある。
ステート・ネーション・キャピタルは、通常四角形でも表現されるが、柄谷の初期論文に思想の三角形を扱ったものがあり(**)それも参考にした。


「定本柄谷行人集」・岩波書店・2004年
  第1巻『日本近代文学の起源』(改訂増補版)
  第2巻『隠喩としての建築』
  第3巻『トランスクリティーク』
  第4巻『ネーションと美学』
  第5巻『歴史と反復』

以下、NAM学生作成の総合索引より「ヘーゲル」の項目を引用。
http://d.hatena.ne.jp/yojisekimoto/20060526
第一巻・J、第二巻・M、第三巻・T、第四巻・A、第五巻・H、世界共和国へ・W、NAM原理・N or 、@は引用あり。
ヘーゲル.Hegel,Georg,
 ・J.33,115@?,200,/・M.163/・T.156~,157@,164@@,184,185,212(-左派,256),239,256(-左派(青年-派)),257,472/・A.39,139,140.258,259-/・H.28@,193-203,202(-の体系),258/・W.25(青年-派),28,35(-的),121@,122,190(青年-派),197@,220,122/・N.62
 『小論理学』,・T.185,
 『精神現象学』, ・J.33/・T.164@@/・A.77/・H.193,207,207
 『精神哲学(エンチクロペディー)』, ・J.200/・T.239/・A.77/・H.198-9@
 『大論理学』,・T.157@,
 『法権利の哲学』,・T.198(『法の哲学』<・N.62>),256,421@,424@,430(:マルクス),507/・A.39(『法の哲学』)/・84
 『歴史哲学』,・A.139,258/ ・H.28@,258

重要なのは、1巻p33,115,200、2巻p225、3巻p422,430、4巻p77,139、5巻p193。



**
「思想はいかに可能か」(1966年)
ここでは三島由紀夫・吉本隆明・江藤淳がそれぞれ三極構造(「明晰」-「自立」-「成熟」)として固定されている。
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by yojisekimoto | 2007-07-26 13:53 | 日記

煙突の貸し出し計画

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遅ればせながら、アースデイ東京お疲れ様でした。

天候にも恵まれ、充実した2日間でした。

工場建設に関して言えば、怪我がなかったことが何よりでした。

さて、ミニ工場の煙突部分は本日23日分解したあと25日の共同
代表者会議まで廃棄を保留することにしました。

(ほとんど一日がかりで運送業者探しに奔走していただいた永沼さんと
みなみさんに感謝します。)

永沼さんからは各地のアースデイに貸し出すという案も出ましたし、使
い捨てはよくないというみなみさんのご意見もごもっと
もなので、横浜の関本の実家にとりあえず保管させていただきます。

4/22という日付にこだわらず各地でアースデイをされる方には実費
でお貸しできたらと思います。
次の別の地域のアースデイイベントまでタライ回しにしていく形がベス
トではないかと個人的には考えています。
輸送費は都内でも2万円ぐらいかかりますが、、、
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by yojisekimoto | 2007-04-24 10:04 | 日記

悪魔のように細心に、天使のように大胆に

「悪魔のように細心に、天使のように大胆に」

これは、黒澤明が仕事をする上でモットーとしていた有名な言葉だ。
なぜこの言葉を紹介するのかといえば、今開催中のトリノオリンピックの日本人選手に伝えたい言葉だからだ。
日本人選手には、天使と悪魔というようなメリハリが欠けているような気がする。残念ながらその潜在能力を活かしきっていないのだ。
オリンピックに参加することだけでも立派なことだとは思うが・・・
言うまでもないが、大胆なプレーの前には悪魔のような細心の注意に基づく準備が必要なのだ。

ところで、プレッシャーのかかった選手たちの気分転換のために、選手村で黒澤映画の上映会でもやればよいと思う。
僕のオススメは『乱』だけれども、雪の中の決闘シーンがある『続姿三四郎』はどうだろうか?
市川昆が監督した『東京オリンピック』も、当初は黒澤が監督する予定だった。複数のカメラを駆使した黒澤のスタイルは、スポーツ中継では御なじみだが、技術の進んだ現在でもいまだに誰も黒澤のようには使いこなしていない・・・。

黒澤映画全体がそうだが、黒澤の複数カメラ方式こそはまさに「悪魔のように細心に、天使のように大胆に」という言葉を体現するスタイルだったと思う。a0024841_1511154.jpg
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by yojisekimoto | 2006-02-18 15:05 | 日記