カテゴリ:柄谷行人( 43 )

経済表=フロー循環図:再考

柄谷の交換図をマンキューや西村の経済学の教科書に出てくるフロー循環図と対応させてみた。
(循環図は普通、労働市場を下にするだろうが、上下逆にした。)
二つの需要供給モデルを上下に組み入れたのが味噌だ。図のシンプルさを犠牲にしたが、需給モデルの位置付けは必須になると思い無理やり組み込んだ。
家計と企業は頭と体を捻っている(「意思決定をする」byマンキュー)と解釈して欲しい。
貨幣は左上の国家が発行し起点となっている。すぐ下の図では便宜的に国家ではなく政治学とした。

  政治学 | 宗教
      |(ネーション)
 _____|_____平
  経済学 |  X  等
      |     
     自 由

      労働の需要 生産要素市場 労働の供給  
 お金の流れ------➡︎D  S⬅︎--------- 
  |賃金・地代・利潤 E_\/_均 労働・土地・資本|
  (=GDP)      /\衡点         |
  |  -------⬅︎S  D➡︎-------  |
  | |生産へ         所得(=GDP)| |
  | |の投入                 | |
  ⬆︎ ⬇︎       マクロ /        ⬇︎ ⬆︎
  \ /          /         \ /
  企\業         /          家\計
  / \        / ミクロ       / \
  ⬇︎ ⬆︎                    ⬆︎ ⬇︎
  | |(GDP=) 財・サービス  購入された| |
  | | 収入      市場   財・サービス| |
  |  -------⬅︎D  S➡︎-------  |
  |販売された財   E_\/_均衡点       |
  ・サービス       /\    支出(=GDP)
   ---------➡︎S  D⬅︎---------
        財の供給      財の需要

あるいは(圧縮バージョン)、

  労働の需要 生産要素 労働の供給  
 お金の流れ-➡︎D市場S⬅︎---- 
  |賃金・地代・\/_E 労働・| 
  |利潤=GDP/\ 土地・資本|
  |  --⬅︎S  D➡︎--  |
  | |生産へ    所得=| |
  | |の投入    GDP| |
  ⬆︎ ⬇︎          ⬇︎ ⬆︎
  \ /  マクロ/    \ /
  企\業    /ミクロ  家\計
  / \          / \
  ⬇︎ ⬆︎          ⬆︎ ⬇︎
  | |収入=  購入された| |
  | |GDP 財・サービス| |
  |  --⬅︎D  S➡︎--  |
  |販売された財\/_均 支出=|
  |・サービス /\衡点 GDP|
   ----➡︎S  D⬅︎----
 財の供給 財・サービス市場 財の需要

参照:
マンキュー
 『マンキュー経済学ミクロ』(邦訳第二版35頁)、
○『マンキュー経済学マクロ』(第二版31,128頁,第三版28頁)、
 『マクロ経済学入門篇』(第二版23頁)、
○西村和雄『まんがDE入門経済学』(第二版3頁)

追記:
文字化け、文字ズレについて(コメント欄を改訂):

自分は現在MacbookproとiPadを併用しており、特に使用環境の想定をiPadに特化しています。
多分WindowsとMacで文字コードの扱いが違うので、ブラウザの種類に関係なく、Windowsだと文字化けするか、ズレてしまうと思います。
自分としては今後Windows使用者のためにWindowsを購入して改訂してゆく必要があるのですが、
そうすると今度はMacで見たときにズレてしまいます。
多分Macだけでも調整方法はあるのでしょうが、、、

応急処置として、図の画像キャプを以下に載せておきます。これだと訂正及び閲覧者による自由な変更が難しくなるのですが。

a0024841_21392566.jpg
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by yojisekimoto | 2015-05-10 01:07 | 柄谷行人

20150109 柄谷行人講演会「批評と移動」@紀伊国屋書店:メモ

2015年1月9日の講演で柄谷は、文学と哲学(主にカント)との関係をうまくまとめ
ていた(定本4のスミス関連、定本1の中国語版あとがきが内容的にリンクしていた)。
文学の役割の終わりを、サルトルなど第三の道の不可能性と結びつけていた。
ただ、現代のネーションは文学ではなく音楽を手段にしており、帝国は映画を
手段にしているだろう(共に想像力として位置付けられるので柄谷理論の範囲内だが)。
言及のなかったインターネットなどは二重性を秘めているが、それを可能性とは
柄谷は考えていないようだ。実際の移動が未だに重要だということだろう。「言語
・数・貨幣」を完成させたいという発言が反響を呼んだようだが、個人的には韓国
テレビドラマ*への言及(文学終焉説の反響がそこにあったという)が興味深かった。


http://blog.livedoor.jp/creampan2005/archives/50868724.html
■韓国ドラマ『姉さん(姉貴)』(全55回)2006年 MBC
https://vimeo.com/116675822
『姉さん』第31話vol.11 chapter2より

「文学 は 新しい 倫理 を 生む (문학 은 새로운 윤리 를 낳는다)」

追記:
『大西巨人文選4 遼遠1986-1996』(1996.7、296~7頁)に以下の記述がある。
《講談社一九八五年刊・柄谷行人著『内省と遡行』の「あとがき」に、
「むろん私は後をふりかえようとは思わない。いいかえれば、自分の過去の仕事
に、私的な意味づけを強いようとは思わない。」という雄雄しい断言があり、私
は、その断言を我流に解釈して、たいそう同感同意している。》(「自作再見」1990.7.9)
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by yojisekimoto | 2015-01-13 20:07 | 柄谷行人

20140926 柄谷行人×港千尋×龔卓軍×林暉鈞

20140926 柄谷行人×港千尋×龔卓軍×林暉鈞

20140926【associations.jp】主催トークイベント

柄谷行人×港千尋×龔卓軍×林暉鈞

「新たな対抗運動の可能性―台湾・ひまわり革命」

今年3月〜4月、台湾の首都台北の立法院(国会議事堂)が585時間にわたって
学生たちに占拠された。「サービス貿易協定」の審議打ち切りに端を発した
運動は市民を交え、空前の規模に達した。「太陽花学運」(ひまわり革命)
と呼ばれるこの運動はどのような運動であったのか…

日時 9月26日(金)18:30開場/19:00開演
場所 北沢タウンホール(世田谷区北沢2-8-18)
アクセスマップ:https://kitazawatownhall.jp/map.html
入場料 500円
主催 associations.jp
共催 インスクリプト、隔月刊「社会運動」

////////////


柄谷「(「学生運動において学生は)労働者と違いはない。僕も学生なんです(会場笑)」

管理能力を示したのが台湾学生運動。日本でもそこが問われるし、台湾でも香港でもその持続性が
問われる。
龔(ゴン)氏の話はNAMでネットを使っていた頃を思い出した。
柄谷は台湾の運動は1960年安保闘争19591127国会構内抗争、非暴力のそれに似ていると言うが、
明らかに台湾のひまわり運動は消費者の運動だ。
(柄谷は学生=労働者を強調するが)親が働き、子は勉学=消費をするというように、
消費者としての労働者は学生に複合的に現れる。
(消費者運動をマルクスの言説を鵜呑みにして軽視するべきではない。消費者運動の
方が国境を超えやすい。ただ協同組合を成り立たせるためには1000倍
の消費者運動が必要だ~大概のNPOは1000人を越えると専従が雇えるのが根拠~ラッセ
ルだけが労働組合と消費組合両者の利害対立を指摘した。)
PCや美術を優先する龔氏や港氏の認識に甘さはあるが、両生類のような学生への生
成変化(主体化重視一辺倒だと各主体が孤立しがちだ)を促すのは彼らのデザイン能力だろう。
そのネットを駆使したデザイン能力が、地域通貨、くじ引き、地域金融、代替エネルギ
ー投資に持続的に発揮されるかが課題だ。
新自由主義者には、長期的にはこっちの方が儲かりますよ、と言わなければならない。
また思想的には老子が重要だ。小国寡民、自給自足が理想だ。この理想がないから
新自由主義者は株価に一喜一憂する。

前出のようにシンポジウムの内容は「社会運動」に再録される予定。

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by yojisekimoto | 2014-10-02 13:00 | 柄谷行人

文庫版『柳田国男全集』柄谷行人言及箇所:メモ

             (リンク::::::::::民俗学柳田国男文庫版目次作業用目次=本頁柄谷行人

文庫版柳田国男全集において、柄谷行人が文春文庫『遊動論 柳田国男と山人』(頁数)で言及したもの。@は引用。
『遊動論』付録年譜参照。


第1巻 
海上の道(28,87)……………………………………… 7
 「鼠の浄土」(131@)
海南小記(27)…………………………………… 297
島の人生…………………………………… 525
 「島々の話 その四」(89?=第27巻「島の話」の間違い?)
*解説(福田アジオ)(28)…………………… 689


第2巻 
雪国の春(94)……………………………………… 7
豆の葉と太陽……………………………… 345
 「民俗学の話」(24@)

第3巻 
ジュネーブの思い出(92-3@)……………………… 389

第4巻 
遠野物語(31,32,33,35,46,52,67,72@,76)……………………………………… 7
山の人生(70,89@@,116-7@)………………………………………77
 「山人考」(41@,85@@)
 「山に埋もれたる人生のある事」(61@)
山人外伝資料(85-6@)……………………………… 385

第5巻 
後狩詞記(35,52,67.69)……………………………………… 7
山民の生活(99)………………………………… 529


第6巻
妖怪談義……………………………………… 7
 「九州南部地方の民風」(68@,70-1@)
 「天狗の話」(72)

第7巻 
第8巻 
第9巻 
第10巻 
第11巻 
 

第12巻 
婚姻の話……………………………………… 7
 「聟入考」(146)
家閑談(154@,154-5@)……………………………………… 273
親方子方(151)…………………………………… 499


第13巻 
先祖の話(21-,22@,23,25,43,134@@@@@,136-7@,137-8@,140@,150@,167@168(@),174)……………… 7
日本の祭(123@,129@,132-3@,153-4@,169@)…………………………………… 211
神道と民俗学(55@,121-2@,128-9@,129@,134-5@)……………………………… 431
祭礼と世間(135@@)………………………………… 543
神道私見(49@@,129@,170@)…………………………………… 587


第14巻 
山宮考(24)……………………………………… 389

第15巻 
山宮考?

第16巻 
第17巻 
第18巻 


第19巻 
蝸牛考(111@)………………………………………… 7


第20巻 
家の話(152@)……………………………………… 419

第21巻

第22巻
小さき者の声(125@)……………………………… 335

第23巻
こども風土記(124-5@)………………………………… 7

第24巻
狼のゆくえ?(117)
山宮考?

第25巻

第26巻
明治大正史 世相篇(62@@,101-2@,102@,110)………………………… 7


第27巻
青年と学問………………………………… 115
 「青年と学問」(97@,98(@),)
 「南島研究の現状」(90@)
 「東北研究者に望む」(94@)
 「郷土研究ということ」(108-9@)
 「島の話」(89@)
東北と郷土研究(114@)…………………………… 486
実験の史学(11@,37,37,81@@,108,112@,112-3@,115)………………………………… 518

第28巻 
郷土生活の研究法(110@,118,130@@,151)…………………………… 7
民間伝承論(81-2@,110@「重出立証法」,112@@,113@,115@)………………………………… 245

第29巻
時代ト農政(59-60@,62-3@,63-4@)…………………………………… 7
日本農民史(103)………………………………… 229
都市と農村(15@)………………………………… 333

第30巻 
第31巻 

第32巻 
炭焼日記(13)………………………………… 163
野辺の小草(叙情詩)
 「夕づゝ 」
 かのたそがれの国にこそ/こひしき皆はいますなれ/うしと此世を見るならば/我をいざなへゆふづゝよ..(73-4@)...50
 (定本柄谷行人集第一巻172頁参照)


文庫未収録:
「故郷七十年」(46-7@,48@)
「故郷七十年拾遺」(53-4@)
『近世奇談全集』序言(50-1@)
「世界苦と孤島苦」(27?,90@,91-2@)
「国際労働問題の一面」(95-6@)
「南方氏の書簡について」(107-8@)
「折口信夫対話集」(170,171@)

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by yojisekimoto | 2014-01-20 09:17 | 柄谷行人

2013年11月23日 知の現在と未来:メモ

知の現在と未来【資本主義と国家の未来】 | 柄谷 行人 | 明治大学リバティアカデミー
https://academy.meiji.jp/course/detail/1340/
岩波書店 共催

柄谷講演(「資本主義に安楽死はない〜歴史的段階としての新自由主義」)は、
「帝国主義論」とも言える『世界史の構造』第三部(資本、近代世界システム)の駆け足の要約。
会場の後ろの方はその思考、発話の速度について行けてなかった。
(交換様式については最初に触れただけでほとんど追加説明していなかった。)
新しい観点としては、インドのヘゲモニー国家になる可能性に触れていたのが興味深かった。
ヘゲモニー国家は自由主義的で前ヘゲモニー国家と継承関係になければならないので、
次期ヘゲモニー国家に中国は難しいということらしい。
(資本主義世界が続いていればだが)インドが有力だそうだ。

主な参考文献:
モーゲンソー『国際政治』(帝国と帝国主義の差異。帝国主義を国家間の関係で見た?)
宇野弘蔵『経済政策論』(国家と資本とを分けた?)
ホブソン『帝国主義』(単純な内需拡大論だが、イギリスを見ていた点で、
ヒルファーディング『金融資本論』のドイツ、アメリカ偏重より評価出来るらしい)
デヴィッド・ハーヴェイ 『新自由主義』(柄谷は「中国的特色を持った新自由主義」という言葉を引用した)


柄谷の参加しなかった後半のシンポジウム登壇者の関心をあえて柄谷交換図で分類すると、

丸川|金子
ーー+ーー
堤 |國分

となるだろう。
柄谷講演がネグリ的?もしくはネットワーク型及び分散型対抗運動を帝国主義時代(今)の対抗運動の特徴だと
相対化したので、
マルクスに批判的で分散型社会を提唱する金子は最初から不機嫌だったようだ。
封建制の話、地域行政の話。TPPの話。国連の話、グローバル企業の話 etc.
(丸川の言う自主というよりも)主体、という概念が隠れた共通タームで、
未来にどういう価値観、理想やルール、コモンズを持つかべきは端緒だけで時間切れだった。

会場は大きく、木目調のよく出来たデザインだが省エネのせいなのか空調が悪く、
自分がいた場所は微妙な居心地だった。
各論者ともに日本以外の拠点があることが特徴なので遊動性がキーワードになったら
面白かったのに、と後から思った。
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by yojisekimoto | 2013-11-23 23:16 | 柄谷行人

インスクリプト『柳田国男論』

インスクリプト『柳田国男論』扉には、『一九七二年 作家の肖像』(佐伯 剛正)
http://www.amazon.co.jp/dp/4860293541/
に収めれた柄谷行人の若かりし日の写真が2枚掲載されている。
表紙の港千尋による写真(縄文的イメージ?)が相対化されていると言えなくもない。

内容に関して言うと驚くべきことに、1974年の「柳田国男試論」終盤で柄谷行人はすでに柳田国男の旅行記における移動の重要性に着目していた。「島の文化史上の意義」もすでに指摘されている(253頁)。ただし、この柳田国男の旅行は国家を前提にしたもう一つのノマドロジーの側面も多少ある(むろん当時の柳田国男の「現実の諸条件」における努力を全否定はできないが)。
その他、柳田国男が宣長より荻生徂徠に近いという指摘は面白い*。
また、折口信夫への言及がその論理的一貫性を明確にしていて興味深い(これは他でも書いていたはずだが)。

ただ、 大抵の柳田国男論に乗り切れない自分の意見を述べると、

柳田国男は、

本来の日本=今の日本-西欧文化-江戸-仏教-中国-アイヌ

と考えたようだが、江戸を引いたのが余計だった、と思う。
この明治維新以降の政府官僚だったことによるバイアス(江戸時代への対抗心)があちこちで齟齬をきたす要因になっている**。
例えば協同組合の原型であり得た報徳社を柳田国男は必要以上に批判しすぎた。

信用制度が弱いのは当たり前だし、それこそ明治以降の近代国家において政府官僚***がやるべき仕事なのに。
これで日本の協同組合運動は断ち切られた(オーバーな言い方かも知れないが)。
端的に言えば自然主義****から始まった柳田国男の仕事は一からやり直す必要があるのだ。

  ______


 最新の「文学界」連載の柳田国男論(『山人と柳田国男』文春新書(2014年刊行予定))では新国学は宣長を継ぐものとされる。

**
 それに対して、多角的な視点が熊楠にはあったし、他者からの視点が折口信夫にはあった。

***
 社倉は遊動性を確保した貯蓄ということなのだろうが、それでも論理的矛盾は消えない。国家は両義的になる。柳田国男はそうした国家の両義性から逃避している。
柄谷はat18でそうした柳田国男を擁護しているが、これはプルードン批判したマルクスを擁護するのと同じ構図だ。

****
 自然主義はナチュラリズムとして考えると良い。超-に対してただの自然主義。その意味ではスピノザも自然主義と言える。
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by yojisekimoto | 2013-11-11 02:47 | 柄谷行人

ボロメオの環と交換図:メモ

ボロメオの環(カント、ヘーゲル):
   ____  ____
  /    \/    \
 /     /\     \
|     |  |     | 
| 悟性  |__| 感性  |  
|    /|  |\    |
 \  /  \/  \  /
  \|___/\___|/ 
   |        |
   |   想像力  |
    \      /
     \____/ 
   ____  ____
  /    \/    \
 /     /\     \
|     |  |     | 
| 国家  |__| 市民社会|  
|    /|  |\    |
 \  /  \/  \  /
  \|___/\___|/ 
   |        |
   |  ネーション |
    \      /
     \____/ 

(柄谷行人『世界共和国へ』175頁より)

「市民社会=市場経済(感性)と国家(悟性)がネーション(想像力)によって結ばれている…」

(左右反転させると、)

ちなみに、スピノザは神学を国家で克服しようとする。
エチカ以外では90度回転する。
 
   価格                       価値
               神学
   資本[身体]      国民       [精神]国家 
            アソシエーション
   自由          友愛           平等

[モナドロジー]+(エチカ):

              1実体  
               /\ 
       [神] 系列 (無限)   [論理] 
             /_無限定_\
    ________/_2a属性__\________
    \知 抑制  / 小←/\→大 (完全性)至福/ 
     \ (悪)/___2b様態\____\(善) /  
      \(受動)悲しみ_/\_喜び (能動)/ 
       \/ 憎しみ \努力/(愛)  \/ 
       /\対象/ /[調和]\ \認識/\
     所産的自然/物体__欲望__観念[反省]\
     / 延長 (身体)3感情/(精神) 思惟 \能産的
   神/__[襞]_\___\/_第三種認識____\自然 
       [動物] \ 4理性  /  [魂]
       [欲求]  \[基礎]/  [表象] 
       [精神]   \ (徳)/   [多様性] 
       [神の国]   \/   [モナド]
              5自由 
 カント、
ヘーゲル、
 ラカン、
吉本隆明:
           ____  ____
          /    \/    \
         / 感性  /\  悟性 \
        |市民社会 ファロス 国家  | 
        |現実界R の享楽| 象徴界S| 
        | 対幻想/| a|\共同幻想|
         \  /文学\/意味\  /
          \|_芸術/\___|/ 
           |   想像力  |
           |  ネーション |
            \ 想像界I /
             \個人幻想/ 

(柄谷行人『世界共和国へ』175頁他参照、改変) a=対象a,剰余享楽

(さらに反時計回りに回転させると、)

     ____  ____
    /    \/    \
   / 悟性  /\ 想像力 \
  |  国家 |意味|ネーション| 
  |象徴界S |__|想像界I | 
  |共同幻想/| a|\個人幻想|
   \ ファロス\/文学\  /
    \の享楽_/\芸術_|/ 
     |   感性   |
     |  市民社会  |
      \ 現実界R /
       \_対幻想/

(柄谷行人『世界共和国へ』175頁他参照、改変) a=対象a,剰余享楽
通常はネーションが共同幻想になるが、吉本隆明の場合、共同幻想と個人幻想は逆立する。


柄谷行人:
 _________________
|        |        | 
|  S     |  I     | 
|  国家    |  ネーション |  
|  B     |  A     |
|  共同幻想  |  個人幻想  |平 
|________|________|
|        |        |等 
|  R     |        | 
|  資本    |アソシエーション| 
|  C     |  D  X  | 
|  対幻想   |        |  
|________|________|
        自 由

『世界史の構造』15頁、定本『トランスクリティーク』425頁(文庫版415頁)参照、改変。
文学芸術の位置にアソシエーションがあるとも考えられる。aの位置にあると考えても同じことである。
対象a=アソシエーション?とも言える。
最初の図で言えば、カントのような公私の逆転はあり得る。
吉本の欠点はアソシエーションの位置がわかりにくいことだ。

http://www.momoti.com/blog2/2008/02/post_143.php
http://www.momoti.com/blog2/bw_uploads/tm_08013103_1.jpg
http://d.hatena.ne.jp/furuyatoshihiro/20120609
http://yokato41.blogspot.jp/2010/12/blog-post_19.html 

こうなるとむしろ、ラカンで参照すべきなのは四つの言説であろうが…。


   ______
  / 悟性  /|
 /_____/想|
 |     |像|
 | 感性  |力|
 |     | /
 |_____|/ 

上記の図形とその展開図を考えればいい。


補記:
吉本隆明、
 ラカン:

common, pair, and individual illusions
共同、対、個人幻想
      ____
     /    \
    / 個人幻想 \
   |        |
   |___  ___|
  /| 文学\/   |\
 /  \芸術/\  /  \
|    \|__|/    | 
| 対幻想 |  | 共同幻想|  
|     |  |     |
 \     \/     /
  \____/\____/ 

『共同幻想論』の骨格
吉本隆明:『日本語のゆくえ』:p123~124をトポロジーとしてまとめてみたもの
http://www.momoti.com/blog2/2008/02/post_143.php
http://www.momoti.com/blog2/bw_uploads/tm_08013103_1.jpg

ラカンで言えば以下、

      ____
     /    \
    /  想像界 \
   |     I  |
   |___  ___|
  /| 女の\/ 意味|\
 /  \悦楽/\  /  \
|    \|_a|/    | 
| 現実界 |ファロス 象徴界|  
|   R の悦楽|   S |
 \     \/     /
  \____/\____/ 

a=対象a,剰余享楽

      ____
     /    \
    /  現実界 \
   |        |
   |___  ___|
  /|   \/   |\
 /  \  /\  /  \
|    \|__|/    | 
| 想像界 |  | 象徴界 |  
|     |  |     |
 \     \/     /
  \____/\____/ 

共同、対、個人幻想の訳語は以下を参照。
common, pair, and individual illusions
http://ci.nii.ac.jp/naid/110006865306

以下の書籍では幻想にimageの訳語を採用している(異論もある。特にフーコーに
渡した翻訳文は訳語に問題があったとされる)。
The Critique of the Virtual Shifting Discrusive Space in Japanese Literature ... - Koichi Haga -
http://books.google.co.jp/books?id=Hit0_9wIgjMC

図解に関しては、以下の書籍の評価が高い。
http://www.amazon.co.jp//dp/4907221002/
吉本隆明『共同幻想論』の読み方 (テツガクのなる木) [単行本(ソフトカバー)]
宇田亮一 (著)

      
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by yojisekimoto | 2013-10-28 11:48 | 柄谷行人

柳田国男と靖国神社(柄谷行人「遊動論-山人と柳田国男(前篇)」:メモ)

柄谷行人「遊動論-山人と柳田国男(前篇)」「文学界」2013.10:メモ

柄谷は柳田国男の後継者にコモンズを導入した宇沢弘文を置く。
講演時に柄谷の語った(柳田の)死後の魂のアソシエーションは靖国の論理に近いと思ったが、 実際靖国が「先祖の話」を模倣したという。
以下柄谷が参照した川田順造の文章から引用。

 経世済民の志と学問のあり方をめぐって、初期柳田に執着する私がこだわらずにいられないのは、敗戦直後、GHQの政策で存亡の危機に立たされた靖国神社を、新暦の盆に当たる七月一五日を中心とする「みたままつり」を民俗に基づく行事としてGHQに認めさせ、それを基礎に靖国神社を存続させたことへの、民俗学者柳田国男の関与だ。
(略)
 昭和二〇年(一九四五)、三月に折口信夫の養子春洋(はるみ)が硫黄島で戦死したこともおそらく契機のひとつとなって、柳田は空襲下の東京で四月から五月にかけて『先祖の話』を書き(刊行は筑摩書房から昭和二一年(一九四六))、仏教の盂蘭盆会で「精霊」とされる以前の「みたま」とそのまつり方について、考察をすすめた。これを読んだ当時の靖国神社禰宜・総務部長坂本定夫は、度々柳田を訪ねて教えを乞い、昭和二一年七月一五日に、長野県遺族会有志が盆踊りを奉納した機会に、七月二五日から柳田に三回の民俗学講座「氏神と氏子について」の連続講演を依頼し、実現させた。九月から一一月にかけても、ほぼ毎週土曜日に「民間伝承の会」主催の民俗学講義を靖国会館講堂で開き、講師として柳田国男も何度も招いている。
 翌昭和二二年七月からは、柳田の『先祖の話』を基礎に神社側でもパンフレットを作って準備し、一三日から一六日までを正式に「みたま祭」として、踊りの奉納、雪洞の奉納を中心に、夜店も出し、伝統的民俗行事として靖国神社で執り行うことにした。GHQにも「フォーク祭」(民俗行事)として説明して了承を得、担当官も招いた。このようにして靖国神社は、占領下も無事存続した。
 ただ、「みたま」の性格からして、それまで靖国神社に祀られていた祭神(戦死者)以外の死者の「みたま」も祀ることになるので、昭和二四年(一九四九)からは、神社側でもみたま祭前夜祭に先立ち、七月一三日午後六時から、新たに「諸霊祭」を行うようになった。
(略)
(川田順造「最初期の柳田を讃える」「現代思想」2012年10月 臨時増刊号 柳田国男 134ー5頁より)


(上記はA級戦犯合祀の問題などとも関連するが話を柳田にもどすと)柳田は報徳社などを否定的媒介(by花田清輝)としたので、江戸の可能性を切り捨てた。
だから個人的には包括的協同組合論とは思うが評価出来ない。
柳田国男の協同組合論を読んでも何もでてこない。
柳田国男は協同組合に関して近代主義だ。
言っていることとやっていることが違う。

柳田国男は報徳社の意義を理解できなかったのだと思う。NAMのように報徳社は母体であって主体ではない。協同組合社会は法律だけでは獲得出来ない。柄谷論考でも引用されている以下の並松論文を読んで改めてそう思う。

http://ksurep.kyoto-su.ac.jp/dspace/bitstream/10965/448/1/AHSUSK_SSS_27_83.pdf

ただし靖国のそれは片務的契約で柳田のそれは双務的であろう。
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by yojisekimoto | 2013-09-13 10:07 | 柄谷行人

イワンと大審問官

書評メモ:
柄谷行人蓮實重彦全対話 (講談社文芸文庫) [文庫]

最近の柄谷の概念フレームに本書の断片的な言説が整理され得ることに気づいたら、既読の対談集で資料として買っただけのつもりの本書が途端に面白くなった。
詳述するなら、本書の柄谷の言説の数々は、ネーション、ステート、キャピタル、アソシエーションという枠組みに収斂され得るのだ。
言語の問題がアソシエーションに対応するが、ここではまだ積極的な提案にはなり得ていないし、ある種の実体論が仮想敵になっているので立場が今日とは逆に見える場合もある(交換という概念を実体化するパーソンズが批判される〜48頁〜)。
柄谷と蓮実とのすれ違いは、これらの対談後、1999年の柄谷の蓮実批判で決定的になる(映画祭のシンポジウムでの発言で未単行本化)。
柄谷はプロレタリアートの立場から映画における歴史性、主題の欠如に耐えられない。蓮実はロラン・バルトよろしく意味の宙吊りを楽しもうとする、そしてそれ自体はブルジョアの典型的な態度なのだ。
とはいえ蓮実も大正的なるものを体現しておりこれも倫理的なものだしそれ自体歴史的なものとして評価し得る。このあたりを理解するには、両者の参加した『近代日本の批評』を併読すべきだろう。
とにかく、柄谷が希有な思想家として成長する過程が、映画=映画という図式を守る大審問官(=蓮実)との対峙を通して確認できるのは興味深い。
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by yojisekimoto | 2013-08-04 23:42 | 柄谷行人

エイゼンシュテインと柄谷行人

形式化を徹底することによって形式化を打ち破るというプログラムは、かつての柄谷行人のものだが、個人的にはエイゼンシュテインが『イワン雷帝』で試みたものが歴史的に最高の成果だと思う。
(柄谷を最初に読んだ時、エイゼンシュテインと同じことをやっているなと、思ったことを覚えている。)
エイゼンシュテインはゲーデルを知っていたかは疑問だが、その論理学の成果を実体化するかのようにスターリン時代を生き抜き晩年の作品を作り上げた。
エイゼンシュテインとスターリンの戦い、、、、それはチャップリンとヒトラー、プルードンとナポレオン3世の戦いに匹敵する。
形式に対する戦いは柄谷の場合、世界史を交換という視点から見ることで近年『世界史の構造』という新たな枠組みを獲得するに至ったが、エイゼンシュテインがイワン雷帝に商業的改革者の側面を見たことにそれは対応する。
イワン雷帝は信長と同時代なのだが、その後の(あくまで資本主義分析を経たあとでの)封建社会の再評価を切り開くものであるとしたら、チャップリンに詩人的と言われたエイゼンシュテインのこの遺作と(詩的であることを禁じた)柄谷の近著はある奇妙な相似関係にあることになる。
今日、『イワン雷帝』に見出せるのは圧倒的美である。
そこにピラネージ、プロコフィエフといった諸要素は見事に統合されてある。
ただし、統合されているのはそれだけではない。
宗教(雷帝の唯一の親友が司教だ)、権力、商業、アソシエーション(あくまで雷帝の親衛隊がそう言えたらの話だが)、、交換図のすべての要素を集めて圧倒的美を誇るこの作品が柄谷の理論と照らし合わされる時、そこに新たな人類の再生の道があるような気がしてならない。
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by yojisekimoto | 2013-06-15 22:12 | 柄谷行人