カテゴリ:歴史( 34 )

三跪九叩頭の礼



三跪九叩頭の礼
(字幕の三拝九叩頭の礼は間違い)
 1637年1月30日
傀儡王仁祖第21話(VOL.11)

李氏朝鮮
「丙子胡乱」、「迎恩門」、および「中国朝鮮関係史」も参照
1636年、後金のハーン・ホンタイジが国号を清として新たにその皇帝に即位し、李氏朝鮮に朝貢と明への出兵を求めた。朝鮮王仁祖が拒絶したため、ホンタイジは直ちに兵をあげ、朝鮮軍は為すすべも無く45日で降伏した。和議の条件の1つに大清皇帝功徳碑を建立させた。仁祖はこの碑を建てた三田渡の受降壇で、ホンタイジに向かって三跪九叩頭の礼を行い、許しを乞うた。


http://r35diary.blog4.fc2.com/blog-entry-1878.html
<「傀儡王 仁祖」あらすじ 21話>

南漢山城に避難してから45日後の1月31日、臣下と同じ青い官服を着た仁祖が
清の皇帝ホンタイジに会うために三田渡(サムジョンド)へ向かいました。
階段をのぼり、三拝九叩頭(サンベグゴドゥ)の礼をしてホンタイジと謁見。
頭を下げたからこれだけの被害で済んだんだぞ♪とゴキゲンなホンタイジが
「滅亡する明と大義名分を論じるな!オレらにはは毎年貢ぎものを送れよ!
世子夫妻と鳳林大君は瀋陽へ連れて行くからな!」と有無を言わさず命じます。
和親に反対していたホン・イクハン、オ・ダルチェ、ユン・ジプの引渡しも要求。
3人は最期まで清を認めず処分されましたが、その気概を評価したホンタイジは
彼らを丁寧に弔わせ、碑石に三韓山斗(サマンサンド)と彫らせました。
この3人は、丙子(ピョンジャ)の年の三学士(サマクサ)と呼ばれています。

こうして会談を終えた仁祖は、その日のうちに昌慶宮に戻りました。
誰か一人を責めることでもないし・・・ってことで朝廷の人事改変はほとんどなく、
都元帥のキム・ジャジョムと地方高官だけが罷免され配流されました。
2月8日、朝鮮から引き上げるドルゴンが昭顕世子と鳳林大君を連れ帰ります。
仁祖は弘済院まで出向いて、二人の息子とその嫁たちを見送ったそうです。
また、当時の朝鮮の人口530万のうち、60万人もが清に連れて行かれたとか。
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by yojisekimoto | 2013-04-18 00:56 | 歴史

フーコーと行動システム

パーソンズが思想家を分類した図↓で、行動システムの項だけが空白だった。ウェーバーもしくはモースを入れてもいいと思っていたが、
フーコーがあてはまることに最近思い当たった。

         |人格システム|社会システム
         |フロイト  |マルクス
 有機体システム |    行為システム
 判断力批判   |____実戦理性批判____
         |行動システム|文化システム
         |   ?  |デュルケム 
_________|______|_______
         |
物理・化学システム| 究極システム
純粋理性批判   |  スピノザ
         |
         |

(社会システムには柄谷の交換図が対応する。)

前期フーコーはグラムシの後を継いで文化システム(上記図ではデュルケム)に対応するが、
後期フーコーは行動システムを研究したと見ていい(さらに最初期を考えれば、人格システムの相対化を心理学批判において成し遂げようとしていたし、カントの三批判書を人間学批判において相対化していた。晩年は究極システムへ興味を広げていた)。
法(社会システムの左上に位置する。上図では省略)からはみだす人間の行動に彼は興味を示すのだ。
そのことは彼がかかわった映画に関するインタビューからもわかる。

Michel Foucault A propos de Pierre Riviere par...
http://www.dailymotion.com/video/k7bEl5c8BkVvdh2GERN

採用されたのは以下。()内はカットされている。
(邦訳『ミシェル・フーコー思考集成VI 1976-1977 セクシュアリテ/真理』 より)

「いずれにしろこのディスクールは、考えられるあらゆる攻略方法をあまりに見事に逃れてしまっています。
ですから事件の核心そのものについて、この犯罪、この行為について、無限に後退した位置から発言する以外、
どうしようもありません。なんにせよこれは、犯罪史においてもディスクールの歴史においても、比べる
ものがないような現象です。この犯罪は一つのディスクールに伴われているわけですが、そのディスクールが
あまりに強く、あまりに奇妙なせいで、犯罪というものがついには存在になくなってしまう、ついには
逃れ去ってしまうのです。そのディスクールが、犯罪を犯した本人がその犯罪について書いたものである
という事実によって、そうなのです。」(127ー8頁)

「アリオのフィルムの重要性としては、農民たちにその悲劇を与えたという点もありますね。十八世紀までの
農民の悲劇は、最終的には飢餓の悲劇でした。ところが十九世紀からは、そしておそらく今でもそうなので
すが、それはあらゆる偉大な悲劇と同様に、法の悲劇、法と土地の悲劇なのです。(ギリシア悲劇とは、法の誕生
と、法が人間に与えた致命的な効果を語る悲劇です。リヴィエール事件は一八三六年、つまり民法施行から約二
十年後に起きました。)農民は日常生活の中で新しい法を押し付けられ、この新しい法体系の中で争っていたわけ
です。リヴィエールのドラマはまるごと法のドラマであり、法典の、法律の、土地の、結婚の、あるいは財産の
ドラマなのです。ところが農民の世界は、いつでもまさにこの悲劇の内側で動いています。(だから肝心なのは、
現在の農民たちに、彼らの生活のそれでもあるこの古いドラマを演じさせることであるわけです。古代ギリシア
の市民たちが、舞台の上に自分たち自身の都市を見ていたのと同じことなのです。)」(130頁)


Michel Foucault A propos de Pierre Rivière, par Pascal Kané. (1976)


http://www.arsvi.com/b1990/9400fm8.htm
ミシェル・フーコーとの対話 
P・カネとの対話。R・アリオの映画『私ことピエール・リヴィエールは、母と妹、弟を殺害しましたが......』に 関して

A propos de Pierre Rivière, le film du tournage, réalisé par Pascal Kané. (25min - 1976)より
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by yojisekimoto | 2012-01-13 15:03 | 歴史

神認識=自己認識:カルヴァンの再評価

カルヴァン(Jean Calvin, 1509-1564)の『キリスト教綱要』第一篇第一章第一節には、

「神を知る認識と、われわれ自身を知る認識とは、互いに結びあったものであって、分割することができない」(『カルヴァン』清水書院117頁)

とある。

この主知的な言葉はスピノザと響きあう*。

当時のオランダでは体制側の正統派カルヴィニズムが反動化していたとはいえ**(『スピノザと政治的なもの』所収の柴田寿子論文及び『スピノザの精神と生涯』邦訳91頁他参照)、その勢力に対抗する動きも同じカルヴィニズムから生まれていた(抗議派)。
スピノザの蔵書にもあったその書は(クセジュ『スピノザ入門』54頁ほか参照)、定説とは異なりスピノザからゴドウィン***(こちらはカルヴァン派牧師の子であることが特筆される)にいたる反主流の思想家のバックボーンだ。ネグリは残念ながら触れていないが。

ウェーバーが資本主義の原動力を見たところに、反/脱資本主義の原動力もあったのだ。
またその禁欲主義は、(外在的な目的論に服従するのではなく)自主的、自律的なもの****であるという点で重要だ(ここはカントを想起させるが、カントは体制に対して偶像崇拝の全否定といった決定的な反抗をしない分、ルターに近い*****)。

「神の真理によって規定される自己検討を行なう時、自己の能力についての一切の自信を遠く引き離し、一切の誇りの拠り所を奪い去って屈服させられるような認識を尋ね求むべきである。 理解と行動の正しい目標に到達しようと望むならば、この法則に従わなければならない。(中略)
そこで我々の良い点ばかり思いを引き留めておくような教師に耳を貸すならば、自己を認識することに何の進歩もなく、かえって最悪の無知へと拉し去られるのである。」
(第2篇 第1章 2 )
http://blog.goo.ne.jp/takanori-1223/e/df1cdaf898f9c05573474cfde2d8b005

その人間の無力の認識は、スピノザの『エチカ』の構成(実体からはじまる)を思い起こさせる。ただ、その認識は神の認識と相似でもあるところが重要だ。
さらにそこには国家に対抗する普遍宗教、アソシエーション(柄谷行人)の萌芽がある。

「隣人よりも抜きんでようとし、うぬぼれて他者を軽蔑し、あるいは少なくとも自分より劣ったものとして見下そうとしている。貧しい人間は富んだ者に、平民は貴族に、召使いは主人に、無学な者は学のある者に屈しつつ、しかもだれもが心のなかで自分のほうがすぐれているという認識をはぐくんでいる。ひとりひとりが自分をおだて、心のなかに一種の王国を作り上げているのだ。」http://d.hatena.ne.jp/neverthere/20110403

さて、有名な予定論(スピノザが拒否した様な目的論ではない)は第三篇に記述され、必ずしも中心思想では無いらしいが、後にゴドウィンが小説で格闘したその主題は、反権力と言う意味合いでは重要になるだろう(カルヴァンもまた反抗的だが、ミュンツァーのような武装は考えず、かといってルターの様に体制側に立たず、その中間の代議士的なもの、つまり社会革命的なもの、と考えられよう。ゴドウィンはその権力/自由と言う問題意識を受け継いでいる)。
そこでは総ての『聖書』のテクストも含む情報=条件の開示が前提となるからだ。

http://www.ishizuech.com/
%E4%BA%88%E5%AE%9A%E8%AB%96%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6/
http://www.ishizuech.com/予定論について/

「予定についての議論は、それ自体すでにある程度厄介な問題であるが、人間の好奇心が加わると、きわめて混乱した、危険なものとさえなる。すなわち、この好奇心はどのような枠を設けても、禁じられた脇道にさ迷いで、高く飛び上がることをとどめられないのである。そして、もし許されるなら、究明し、解明すべからざる隠れた奥義を神に残すことをしない。 このような無謀と不正とに、多くの人々がいたるところで陥っているので、かれらのうちのある人たちは、他の点では誤りを犯していないのをわれわれは見ているが、この点についての彼らの処する規準について、時期を見て忠告しておくことが適当である。そういうわけで、第1に彼らに思い起こさせねばならないことは、予定の問題を探求するに際して、自分達が神の知識の最も奥深いところに踏み込んでいるのであって、もし誰かが安心して、自信満々とここに飛び込むならば、その好奇心の満足は決して得られず、迷宮の中に入り、そこからの出口を何一つ発見できなくなる、という点である。何故なら、主がご自身の内に隠しておこうと欲したもうものを、人間が罰も受けないで、明け広げて見せたり、これによって、神がわれわれに驚きの思いを満たすために、理解させるのではなく、あがめようとしておられる気高い知恵を、昔から暴き出したりすることは正しくないからである。神はわれわれに啓示すべきであると考えたもうた、ご意思の隠されたところを、その御言葉によってあらわしたもうた。だが、われわれに関わりがあり、また益があると、あらかじめ見たもうた限りのことだけを、啓示すべきものとされた」。                                

「主の御言葉こそ、彼について当然知るべきすべてのことを捜すための唯一の道であり、彼について見るべきすべてのことを見通すために、我々を照らす唯一の光であるとの考えが、我々の心を占めているならば、我々は容易に一切の無思慮から引き留められ、抑制される。何故なら、我々は御言葉の限界を超えるやいなや、道を外れて闇の内を進み、そこで繰り返し繰り返し迷い、滑り、躓かざるをえない、ということを知っているからである。従って、我々はこのことを第一に目の前に据えよう。いわく、神の言葉によって明らかにされる以外に、予定について知ろうと志すことは、人が道のないところを突進したり、闇の中で物を見たりするのに劣らず、狂気の沙汰である。また、我々はある種の無知の知が成立するこの件について、何か知らない事があるのを恥じてはならない。むしろ、我々はそれを渇望することが愚かであると共に危険であり、更に破滅的であるような知識を求めることを進んで自制する。しかし、もし、我々の気ままな好奇心が我々をせき立てるなら、それを抑制する次の言葉を常に対置すべきである。即ち、多すぎる蜜が良くないように栄誉を求めることは、好奇心の持ち主にとって栄誉にならない。何故なら、これが我々を破滅に突き落とすことができるのを見るとき、この大胆不敵さを我々が思い留まるのに十分な理由があるからである。」 

「聖書は聖霊の学校であって、そこでは、知らねばならないこと、また知って益あることは、何1つ省略されていないが、知るに役立つこと以外は、何1つ説かれていないからである。従って、およそ予定に関して聖書の内に示されているすべてのことを、信仰者達に隠すことがないように注意しなければならない。それは、我々が信仰者たちから、彼らの神の恵みを意地悪くだまし取ったように思われたり、あるいは、隠しておいてこそ有益なものを、聖霊が公開したとして、我々が聖霊を告発し、侮辱しているように思われないためである。私は言う、我々は、キリスト者が彼に向けられた神のあらゆる語りかけに、精神と耳とを開くのを禁じないようにしよう。但し、その際、主が聖なる御口を閉じたもうやいなや、人もまた問い尋ねる道を直ちに断ち切る、という態度を守らなければならない。」 

(ジャン・カルヴァン著「キリスト教綱要3巻21章」より)





参考:

人間的自由と神の認識14 【りらっくま神学序論】
2006年1月4日 投稿者: rirakuma2006
キリスト教の文献からいくつかを取り上げ、詳細に検討するようなこともしていきたいと思っています。今回取り上げるのは、宗教改革者ジャン・カルヴァン(1509-1564)の『キリスト教綱要(christianae religionis institutio)』の冒頭部です。 ... また初版では、引用した冒頭文の後、以下のような構成で、「神認識」と「自己認識」の内容が鏡像のような相似形で、要約されて提示されます。 a. 神認識: 私たちは神について次のことを知るべきである 1. 神は無限の知恵、義、善、憐れみ、力、また生命である。 ...



追記:

カルヴァンが最も多く引用したのは、「キリストは神に立てられて、わたしたちの知恵となり、義と聖とあがないとになられたのである」(コリント人への第一の手紙、1:30)だそうだ(清水書院前掲書146頁)。知恵を真っ先にもってくる部分を引用したのは、やはり主知的と言える。

以下、メモ:

義 |聖
__|__
あが|
ない|知

**
『神学政治論』は1670 年、著者名を伏せて、発行者と発行所を偽って世に出たが、アムステルダムのカルヴァン派長老法院は臨時の会議を開き、同書を「卑猥で涜?神の」書とした。1672 年のあるパンフレットは、『神学政治論』を「異端のユダヤ人と悪魔が地獄で作り出した」書として扱っている。
『神学政治論』には、人間は自由を求めて隷属を得るというような、カルヴァン派の内部闘争が批判的に揶揄されていると見なされる部分がある。
参考:スピノザ研究――『神学政治論』における「自由」の概念(3) 福島清紀pdf

***
以下wikiより。
「カルヴァン派の牧師であった経歴はゴドウィンを理解する場合重要である。神の王国が倫理的共産主義である。外的世界の印象が、人間の心を善くも悪くもする。しかし権力と暴力に基づいた政府は、正義や幸福に反するすべての制度を温存させ、自由を阻害する。このような政府は、罪悪であり反自然である。
このような前提により、ゴドウィンは政府のない社会・富の平等な分配を要求する。」

****
「権威と自由」というカルヴァンの問題意識は、先述した様にゴドウィンを経由して、プルードンにまでつながる。

*****
カントの両親はルター派の(ドイツ)敬虔主義を奉じていたという。

なお、スピノザが直接交流していたのは無教会主義のコレギアント派であるが、彼等の聖書中心主義をスピノザが受け入れていたわけではない。

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(ホルバイン作と言われるカルヴァンの肖像画)
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by yojisekimoto | 2011-06-08 20:01 | 歴史

中国歴史ドラマ年表

   |        中 国            韓 国        日 本
___|___ドラマ|__映画__|書籍____________________________
周  |  封神演義|      |封神演義                      前800
   |      |      |         無                前600
春秋 |  臥薪嘗胆|      |孔子       土                前400
   | 燃ゆる呉越|      |         器
戦国 |  大秦帝国|始皇帝暗殺 |      
・秦 |      |HERO  |
   |      |墨攻    |         古                前200
   |      |      |項羽と劉邦    朝
前漢 |訓邦の大風歌|      |         鮮
___|(大漢国記)|______|_________『朱蒙』_______縄文・弥生____0
後漢 |シルクロード|      |                    奴国金印   
   |   英雄伝|      | 
三国 |   三国志|レッドクリフ|三国志                 邪馬台国   200 
晋・ | 北魏馮太后|      |                    古墳・飛鳥
五国 |      |      |
十六国|      |      |         『太王四神記』           400
   |      |      |
南北朝|      |      |         三国         仏教伝来   600
   |      |      |天平の甍
随  |   楊貴妃|      |楊貴妃伝     統一新羅・渤海    遣隋唐使
唐  |      |LOVERS|                    奈良     800
   |      |女帝    |
   |      |王妃の紋章 |西遊記      『太祖王建』
北宋 |大敦煌(上)|      |敦煌       高麗         平安    1000
南宋 |      |蒼き狼、  |水滸伝                       1200
   |      |MONGOL|
元  |  大明帝国|      |
   |   朱元璋|      |                    鎌倉
明  |      |      |         『チャングムの誓い』 室町    1400
   |      |      |          李子朝鮮
   |      |鄭成功   |         『不滅の李爵臣』   戦国    1600
清  |大敦煌(中)|      |         『イ・サン』     江戸    1800
___|______|______|_________『明成皇后』_____明治____1900
中華 |      |      |         日本統治       大正
民国 |大敦煌(下)|      |
   |末代皇妃~ |      |                    昭和
   |紫禁城の落日|ラストエンペラー                   
   |      |      |
中華 |      |      |         大韓民国           
人民 |      |      |                    平成
共和国|      |      |                          2000


参照:
http://www.chuka-drama.com/year_history.html
http://www.chuka-drama.com/testblog/file/history.swf
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by yojisekimoto | 2010-11-07 10:43 | 歴史

ウルクの大杯(The Uruk Vase)

イラク戦争のどさくさで、ウルクの大杯(The Uruk Vase)という五千年前の国宝など多数の博物学的資料が持ちさられた事件があった。

破損しつつも無事?博物館に戻ったそうだが、これはシュメール人の文明、信仰を考える上でいいサンプルなのだ。

『シュメル―人類最古の文明 』(中公新書、小林 登志子)に詳しいことは譲るとして、WEBで見つけたなるべく大きな写真を紹介したい。
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以下のサイトでもっと詳しく見ることができる。
http://oi.uchicago.edu/OI/IRAQ/dbfiles/objects/14_4.htm

穀物を捧げられる女性の頭の部分が欠けているので、女神なのか侍女なのか判別しないらしい。
(どちらにせよここには柄谷行人の言う「贈与」、「交換」がある。ちなみに『群像』2010年11月号で柄谷はシュメール国家にも「諸子百家」のような思想家がいたのでは、と推測している。)


どちらにせよ豊穣な農産物と信仰がこの文明を作っていたことが分かる。

よく言われる日本の判子文化もメソポタミア起源だと分かると、あまり悪い気はしない。

イラク復興にはこれまたこの地域が起源のビールを産業化すべきだと思うが、イスラム教が飲酒を推進しないのと、コカコーラ工場がビール工場に取って代わられたというニュースをどこかで聞いたので、前途多難だろう。
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by yojisekimoto | 2010-10-10 19:37 | 歴史

伊能忠敬

ヘーゲル(1770−1831)のエンチクロペディーに対抗しうる日本人の業績は何かと聞かれたら、伊能忠敬(1745ー1817)の作成した日本地図(「大日本沿海輿地全図」)と答えたい。
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ヘーゲルより伊能の方がだいぶ年上だが、1800年から17年かけて測量し、死後の1821年に完成したこの地図は、ヘーゲルのエンチクロペディー(1817、1827、1930)とも年代が重なる。

参考:
忠敬が測量に使った道具
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追記:
伊能忠敬の測量の動機の一つに地球全体の大きさを測るというものがあったということはよく知られている。日本を測量すれば地球全体の大きさを計算できるのである。ドメスティックなものがグローバルな認識につながった例である。
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by yojisekimoto | 2010-10-10 10:34 | 歴史

『四庫全書』

司馬遷の『史記』などは武田泰淳も指摘する通り、構造主義の先駆けであう。しかし、この『史記』をも包含する「書籍」がある。

それは、『四庫全書』(一冊というより百科事典を集めた図書館のようなものだが)である。
ヘーゲルはその『歴史哲学』で清の時代に乾隆帝によって編纂された『四庫全書』(現在のCD-ROM版でも153枚!!)を絶賛している。
http://www.china7.jp/bbs/board.php?bo_table=2_11&wr_id=3


以下上記サイトより
<四庫全書>は中国歴史上規模が一番大きい著書だけではなく世界的にも規模が一番大きい百科著書である。

<四庫全書>の編纂は紀元 1773年から始まった。 その頃の中国は情勢が安定して経済が繁栄したので集権した乾隆皇帝は成果を誇るために前人未到な大きい本を編纂する事にした。 そして清朝政府は <四庫全書館>を特別に設立して <四庫全書>の編纂の責任を負うようにした。 乾隆皇帝の6番目の息子である(永瑢)に編纂の責任を負うようにしてその頃の著名な学者である朱筠(1729―1781)に総執筆を担当するようにした。
< 四庫全書>は 10年の歳月を経ってからこそ編纂されたが、全般著書は経、史、子、集4部に 44類、3503種、36000冊、230万ページ、10億字になっている。その頃編纂に参加して正式に名前が登録された文人学者だけで400人を超え筆 写人員は 4000人余りである。

<四庫全書>の編纂過程はとても特色があり、 全書は経、史、子、集(*注1)の大分類に従って四種類の色になっている。 その頃の編纂総管はこの全書が中国の古代と現代の内容が網羅され、数量がとても多いことを考慮して便利さと美観を考慮し春、夏、 秋、冬 の四つの季節の色で区分することを主張した。なので<経>は緑で, <史>は赤い色<子>は薄い藍色で、 <集>は浅黒い色になった。

<四庫全書>には 18世紀後期の多くの学科領域と学術流派の重要な古代書籍たちが収録された。 ここには中国の著名な経典古籍である (論語)、(春秋)、(史記)、(資治通鑒)、(孫子兵法)、(本草綱目)などがあるだけでなく日本と韓国、インド、そしてヨーロッパから中国へ来た宣教 師たちの一部著書も入っている。

*注1
# 経部 - 儒教の経書・注疏および言語学関連書
# 史部 - 歴史書
# 子部 - 思想・宗教・自然科学関連書
# 集部 - 文学作品


引用終わり。

つまり


は、ひとつずつが図書館(庫)であるとともに、



という季節でもあるのだ。

『源氏物語』に出てくる庭園のような、、、、

もしも、未来において、異常気象で季節がなくなれば、こうした発想は人類からなくなるのだろうか。


追記:CD-ROM
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台湾にある『四庫全書』(上記記述の色と実際の色とではイメージが違う)
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by yojisekimoto | 2010-10-09 23:26 | 歴史

イブン・シーナ

イブン・スィーナ(またはイブン・シーナ、Ibn SINA 980-1037)は西欧ではアヴィセンナまたはアヴィケンナの名で知られる近代医学の創始者。アリストテレスの百科全書的知識の後継者でもある。
『世界史の構造』(158頁)で世界帝国における合理的で総合的な知の例として、朱子、トマス・アクィナスと並べられていたので調べてみた。

『東方の医と知』に詳しいが、ヒポクラテスの四元素説を医学に定式化したことや、恋煩いの青年の相手を特定することでその病を治すエピソードが面白い。

「自然とは元素のこと
  混じり合っては体となる
 ヒポクラテスは正しくも
  水、火、土、風を説く
 証拠といえば肉体は 
  死して四元素に帰りゆく」


(『東方の医と知』152頁より。『医学の歌』としても邦訳〜〜草風館版だと上記の該当箇所は13頁〜〜がある。)


          黄胆汁ー火ー夏
             /\
            /  \
           /    \
         熱/______\乾
     血液  /|      |\  黒胆汁
     |  / |      | \  |
     空気/  |      |  \ 土       
     | \  |      |  / |      
     春  \ |      | /  秋   
         \|______|/        
         湿\      /冷           
           \    /               
            \  /                  
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           粘液ー水ー冬

四体液、四元素、四季との関係図(『医学の歌』232頁より孫引き)


血液循環説を否定したので、現代医学からは評価されないが、その知の体系化は評価されていい。
むろん、その功績は医学にとどまらない。「救済の書」などは「誤謬の海に溺れることからの救済」を意味し、論理学、自然哲学、数学、形而上学(神学と倫理学とを含む)の四部門からなる予定だったという(中世思想原典集成11解説より)。

今のウズベキスタン出身で、旧ソ連時代に「アヴィセンナ」のタイトルで映画も作られている。




むろんアラブ圏(イラン?)制作のドラマもあった。




追記:
全然関係ないが以下最先端医療のビデオ、



参考:
以下、『カラー図解哲学事典』より、アヴェロエスとの比較。
上の図は以前紹介したダンテ『神曲』とイスラム文化との関連性を示す。
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by yojisekimoto | 2010-10-05 23:46 | 歴史

大逆事件、だいぎゃくとたいぎゃく

https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2010019656SC000/
http://www.nhk.or.jp/etv21c/update/2010/0822.html

8月22日放送、NHK『ETV 埋もれた声 大逆事件から100年』を見た。

NHKのアナウンサーは大逆をタイギャクと読むが現地の関係者はダイギャクと発音していた。

多分、ここに関係者とそうでない人間の齟齬が象徴的に現れている。
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by yojisekimoto | 2010-09-02 14:42 | 歴史

communism in living

「生きているコミュニズム」という言葉があって、それはモルガン『古代社会』で使われエンゲルスが引用し、それをサーリンズが引用し、それを柄谷(『世界史の構造』53頁)が引用したものだ。
もともとは“communism in living”(googleブック検索)だが、「生活上の共産主義」とエンゲルスの全集及び岩波『古代社会』では訳されている。

ただモルガンはハワイのプナルアという制度に関してもこの言葉を使っている。それは妻を亡くした夫が妻の姉妹と再婚する制度だ(こうした"贈与"の制度が氏族社会をつくる)。

これは日本でも見られた慣習だが、一歩間違えば人権を侵しかねない。

柄谷によれば贈与による互酬も、純粋贈与(共同寄託=共有を含む)とポトラッチ戦争といって相手を支配するための贈与とがあり、これまた難しい。
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by yojisekimoto | 2010-07-30 20:08 | 歴史