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『クビリ浜の物語』及び『がじゅまる物語』書評

あくまで一般論だが、「ぽっかりと口をあけた空虚」こそが創造の原動力だとしたら、芸術家ほど不幸な存在はないだろう。だが、この童話の作者は沖縄の自然の助けを借りて、あくまで自然との交感を楽しみつつ、その空虚な名づけられる以前の場所に、物語、というよりも汎神論的対話を対置する。

「人が胸に深く深く刻んでしまった想いは、海に返すことはできない」

その汎神論はやがて「海」という人格神の形をとり、こう主人公に告げる。
作者は、海に人格を付与することで、内的モノローグの外に出ようとするのだ。
いや、それは作者の記憶と同時に読者の記憶をもまた、それぞれの魂の内側に宝物のようにしまい込む作業でもあるだろう。それが誠実な芸術家の任務だし、同作者の『がじゅまる物語』の最後で作者はこう読者にエールを送るのを見てもそれは明らかだ。

「それはわたしの大事な友だち、つまりあなたのことなのだから」。

作者のとぎ澄まされた身体感覚は、汎神論的世界観を通り、さらに対話的世界を通り抜けることによって、新たな他者に開かれてゆくことになる。
それは過去の克服、超自我の形成と言えなくもない。
また、私家版としてそれぞれ一冊しか存在しないこの二冊の本は主人公と作者の一回しかない同一性の危機、つまり少女期をアレゴリカルに示していると言える。
なお、美しい装丁とあいまって宝物のような本であるということも書き添えておく。
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by yojisekimoto | 2005-01-30 22:29 | 書評