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ラカンによるプルードン評

ラカンはプルードンの恋愛論(おそらく『革命と教会における正義』におけるそれ)に関して「セミナール2」において以下のように述べています。

「プルードンを読まれることを薦めます。この人は揺るぎない精神の持ち主で、教父のような確かな語調で語る人です。彼は人間の条件についてほんの少し身を引いて考察し、一般に考えられているよりずっと手を焼かされると同時に繊細なこの事柄、つまり貞節に接近しようとしました。(中略)プルードンの思考はことごとくロマンティックな幻想に刃向かうものですが、一見したところ神秘主義的とも見えるような文体で結婚における貞節を規定しようとします。そして彼が解答を見いだすのは象徴的契約としてしか認識できない何ものかにおいてなのです。」(「ソジー」『フロイト理論と精神分析技法における自我―1954-1955 (下) 』岩波書店pp146-7)

相手である異性を通して「すべての男/女」につながろうとする恋人同士の感情の奥に潜む無意識をラカンは、プルードンの相務的契約=相互主義的交換理論をヒントに読み解こうとしています。ラカンもプルードンも原理的な主張と政治的な主張を一つの文章の中で行なおうとしていて文章が難解になる点が似ているのですが、そこから明確な解答を得ようとする方向性も似ています。
二人とも交換=契約によってカオスを脱しようとしているのです。
もちろんラカンは「剰余享楽」(これはセミナール16にある用語)にも注意を払っています。マルクスの用語である剰余価値をラカンは「剰余享楽」と読み替えるなど、思い切った試みをしています。かつて、ラカンはフロイトよりもジャネの方がすぐれていると指摘したことがあるらしいですが(『ラカン』マローニ、新曜社)、マルクスやフロイトに対する見直しもラカンを鍵に行えるかもしれません。
ちなみに、プルードンの交換システムなどは、文学理論とは違う「現実界」のものですが、ラカンの立場からは「象徴界」と「想像界」を含むボロメオの結び目(これはイタリアのボロメオ家の紋章が名称の元になっている)をつなぐ試みとして考えることも出来るでしょう。ラカンとプルードンの違いをあえて指摘するならば、ラカンの方が、契約を保障する象徴的な第三項により多くの構造上の力点を置いている点でしょう。

ところで、『ジャック・ラカン伝』(河出書房新社、p26,69)を読むと、ラカンは若いころスピノザのエチカの構成を表す図面(色付の矢印つき)を部屋に飾っていたそうです。プルードンも『革命と教会における正義』で『エチカ』から引用していましたが(第5部定理20)、これは相互主義の理論的強化に役立つ部分でした。ラカンとプルードンのスピノザ理解(具体的にはラカンの飾った図はどのようなものだったのでしょうか?)も興味深いところです。
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by yojisekimoto | 2006-12-26 19:55 | プルードン

12月2日柄谷行人講座

以下mixi柄谷コミュより転載です。

テーマ「国家と資本主義」

講座の内容: 国家とは何か。資本主義とは何か。両者のあいだにはどのような関係があるのか。『世界共和国へ』において人類史的なスケールで国家と資本主義の生成原理をとらえなおした柄谷行人氏と、『国家とはなにか』で知られる若手哲学者の萱野稔人氏が、国家と資本主義の問題をめぐって原理的な思考をくりひろげます。
(http://www.acc-web.co.jp/sinjyuku/0610koza/A0101.html#)

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上記の12月2日の講座、行ってきました。
100人ほど入る会場はほぼ満員でした。都庁のすぐ近くのビルの一角は柄谷さんらしくないシチュエーションでした。
肝心の中身は、(『世界共和国へ』の交換図をボードに描いた後)柄谷さんが萱野氏の質問に応える形で、国家と資本主義の癒着をいろいろな角度から話していくといったものでした。結論としては(?)ある時期から国家と資本主義が癒着したのではなく、最初から癒着していたと考える方がよい、とのことでした。
奴隷制から資本主義への移行を契約関係という観点からつなげようとする萱野氏に対して、資本主義は生産者というよりも(交換という観点から見れば)消費者を作ったのだからそれではだめだといさめていたのが印象的でした。このあたりは萱野氏に対する柄谷さんの個人授業のようでした。
柄谷さんは最近、槌田敦の本を読んで環境問題に関しても学んでいるそうですし、結構勉強しているな、という印象を持ちました(最近食欲がない、というのが心配ですが)。
その他、冗談まじりに『トロイ』という映画をホメーロスを読む代わりに見た方がいいと勧めていました(「トロイ映画ですけど(笑)」ということです)。
今関心のあるテーマは世界宗教だそうです。そこには鎌倉仏教なども入るようです。
メモも取らず、録音にも失敗したので、どなたか行かれた方でレポートして下さるとうれしいです。とりいそぎ、では
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追記:
柄谷氏が最初に描いた図は上記のようなものです。
講座の最後に「人民は最終的に国家に勝つのではないでしょうか?」といった会場からの質問に対して柄谷さんが「人民」という言葉の曖昧性を指摘し、定義し直すのを聞きながら、この図はかなり有効ではないか、という意を強くしました。

NAMに関連して言えば、柄谷さんへの人格的帰依から脱却するために、現在、その学問的内実の検証が大事になる、と僕個人は思います。官僚制に関する柄谷さんの最近の研究は、NAMでの反省に立ったもので注目に値するものです(先の講座でも「私的官僚制」に関して述べていました)。
さらに先の講座で柄谷さんは日本の地域通貨で唯一成功した事例は「おうみ」だと述べていました。「おうみ」はタクシーや映画館で使える原資担保型地域通貨です。この認識もQ(無担保型)での反省にもとづいたものなのでしょう。
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by yojisekimoto | 2006-12-11 23:13 | 柄谷行人