<   2007年 01月 ( 5 )   > この月の画像一覧

市民通貨faシステム案:図解

一般の方には何のことかわからないかも知れませんが、faという名称の市民通貨システムの私案を図解してみました。

a0024841_2348434.jpg

会員にccspで口座を開いてもらい会報及び名簿郵送希望の人は事務局に500円を送りその分の地域通貨500faをもらう。
郵送回数に応じて事務局にccspで原則先払いする。
事務局口座は円通帳プラス残高と同じccspマイナス残高(会員からの借入金という認識)ということになる(プラスにはならない)。

ccspだと勝手に振り込まれてしまう恐れがある?ので規約で事務局への勝手な振込は禁止する(会員の事務局円口座への寄付は匿名でなければ受け付ける.匿名による寄付は事務局によって運営使用される)。
他の会員は退会時にマイナス分を円で払うことを承知した上でマイナス発行(10000faくらいまで。赤字上限は500×会員数分が望ましい)がみとめられる。

郵送は円で払った人のみを事務局が認識しておく(登録制)。二種類の通貨が一つの貨幣口座上にあることになりますが、問題ないと思います。

事務局口座のマイナス分=円通帳残高(積立金)はつねに会員に残高が監視されているのが望ましいです。

追記:
イベント時に円で入場料を徴収し、会員にはポイントバックの恩恵がある。
[PR]
by yojisekimoto | 2007-01-31 23:49

ネットワークの地域へのフィードバックについて

地域の多様性とつながりが失われた現代においては、同じ志を持っていても、同じ地域に住んでいる人間同士が知り合うには(互いの関心のジャンルが違うならば)、出会うこと自体に困難がつきまといます。
その人たちは、一度、全国的ネットワークに出て、そのネットワークを経由して知り合う必要があるのです(以下図解)。

参考:地域とネットワーク相関図↓
a0024841_14202717.jpg


上記はNAMの組織構造を解説したものですが、実際のNAMはこうしたネットワーク理論を無自覚に実践していました。もちろん無意識的には一般によくおこっていることでもあります。

例えば、僕も近所で地域通貨に興味のある人を、全国的NGOを通じて紹介してもらったことがあります。

地域の多様性を徐々に再生させるために全国的なネットワークが必要になるということ自体は矛盾しており、一見逆説的ではありますが、そもそも矛盾した現代社会においては避けて通れないことだと思います。

もう少しわかりやすい図を今度は描いてみようと思います。
[PR]
by yojisekimoto | 2007-01-23 13:57

くじ引き関連資料 (改訂版)

以下くじ引きに関して以前書いたものを少し訂正して転載させていただきます。
・・・・・・・・・・・・・・
結論として、私見を述べさせていただければ、くじ引きの利点は以下4つあると思います。、

1、誰でも代表を引き受けられる能力を持つべきだという統整的理念(=能力の平等性)の普及。
2、決選投票という心理的軋轢を避けられる。
3、決定の恣意性の自覚。(多くの社民制が陥る)首相公選政がベストだと思い込むようなポピュリズムの回避。
4、参加者がひとつの時間と場所を共有できる。

そもそも、くじ引きが民主主義の王道(アテネ、ヴェネツィアは別格として、アリストテレス、モンテスキュー、スピノザ、ルソーによる言及がある)であったということが忘れられていることが問題であり、今日のくじ引き批判は、単なる知識人の歴史への無知にその原因があります(そもそもNAMでは選挙プラスくじ引きだから民主的発想の改善、あるいは補完であることが自覚されています)。
柄谷さんが自分で考えたというニュアンスで広めようとしたことにも問題がありますが、くじ引きが「統整的理念」(「超自我」と言ってもいい)であることはもう少し理解されてもいいと思います。


上記の理解を手助けするために、くじ引きに関して、以下、歴史的及び基礎的な資料を引用させていただきます。スピノザはヴェネチア(ヴェニス)を、モンテスキューはアテネ(アテナイ)を手本にしています。ルソーは両者を統合していますが、その主権移譲的な社会契約説に関しては、プルードンも指摘した通り注意が必要だと思います。
 ヴェネチアに関しては、中公文庫版『社会契約論』の訳注が詳細に解説しているのでそのまま引用しました。ちなみに帝国主義以降(海外への資本の輸出以降)、くじ引きは(資本主義そのものがくじ引き的だから?)まったく政治学の議論の俎上に乗らなくなります。
 写真2は、S・ドーによるギリシア・アテネの「抽選器復元図」(1939)です(球を上から入れる仕組みになっています。橋場弦著『丘のうえの民主政』p147より)。
以下は別サイトにあるくじ引き関連資料(改訂前)です。
http://blog.livedoor.jp/yojisekimoto/archives/50790316.html

追記:
ヴェネツィアでは『ヴェネツィア歴史図鑑』↓によると銅球と金の球を使ってくじ引きをしていたようです。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4887216882/ref=ord_cart_shr/250-8642134-6970623?%5Fencoding=UTF8&m=AN1VRQENFRJN5

また、日本に関しては、くじ(串が語源といわれる)は神託として扱われる傾向が強いので、少し傾向が異なると思いますが、事例が集まり次第いずれご報告させていただきたいと思います(NAMの事例に関しては写真(=3)のみご紹介させていただきました)。

//////以下、資料///////////////////

<スピノザ『国家論』畠中尚志訳、岩波文庫p139>
 第八章第二七節
 諸事のとり決めならびに官吏の選任にあたってすべての貴族が同じ力を持つためには、そしてすべての事務の決裁が迅速であるためには、ヴェニス国の人たちの守った手続きが最も推薦に値する。彼らは官吏を任命するにあたり会議体から若干名を抽籤で選び、この人々が順次に選ぶぺき官吏を指名し、続いておのおのの貴族は指名された官吏の選任に対し賛成あるいは反対の意見を投票用小石によって表明する。あとになって誰が賛成あるいは反対の意見であったかがわからないように。こうすればすべての貴族が決議にあたって同じ酪威を持ちかつ事務が迅速に決裁されるばかりでなく、その上おのおのの者は(これは会議にあって何より必要なことであるが)誰からも敵意を持たれる心配なしに自分の意見を表示する絶対的自由を有することになる。

/////////////////////////

<モンテスキュー『法の精神』井上尭裕訳、中央公論社、世界の名著p379>
 第二篇第二章
 
 籤による投票は民主制の性質をもち、選択にょる投票は貴族制の性質をもつ。
 抽籤はだれをも苦しめない選び方である。それは、各市民に、祖国に奉仕したいというもっともな希望を残す。
 しかし、それは、それ自体として欠陥をもっているから、偉大な立法者たちは、それを規制し、矯正するために競いあった。
 アテナイでは、ソロンが、全軍職は選択により任命され、元老院議員と裁判官は、籤で選ばれるよう定めた。
 彼は、大きな出費を要する政務官職は選択にょり与えられ、他の職は籤で与えられることを望んだ。
 しかし、抽籤を修正するために、彼は、立候補した者の中からしか選べないこと、選ばれた者は、裁判官により審査されること、だれもが、選ばれた者を不適格として弾劾しうることを規定した。それは、同時に、抽籤にも選択にも相通じていた。政務官職の終わりには、人は、自分の行動した仕方について、いま一度審査を受けなければならなかった。無能な人々は、抽籤に自分の名を出すのを、大いにきらったにちがいない。

////////////////////////

<ルソー『社会契約論』井上幸治訳、中公文庫p145-147>
 第四編第三章 選挙について
 執政体と施政者の選出は、さきに述べたように複合的な行為であるが(第三編十七章参照)、それを行なうには、二つの方法がある。すなわち選挙と抽籤(ちゅうせん)である。両者ともに、今日まで、多くの共和国で採用されてきており、現在でもなお、ヴェネツィアの統領の選挙では、この二つがきわめて複雑にまじり合った方法が行なわれている(*1)。          
「抽籤による選任が民主政の本質である」とモンテスキューは言っている (*2)。賛成である。しかし、どうしてそうなのか。モンテスキューは続けて言っている。「抽籤はだれも傷つけない選び方である。それは、各市民に祖国に奉仕できるという、もっともな期待をもたせるのである」しかし、理由はこの点にあるのではない。
 政府の首長を選ぶことは政府の権能であって、主権の権能ではない点に注意すれば、なにゆえに抽籤による方法がより民主政の本性にかなっているかがわかるだろう。民主政においては、行政は、その行為が簡単ならば簡単なほど、よりよく行なわれるのである。
 真の民主政においては、施政者の職は、いかなる場合でも、利益ある地位ではなく、わずらわしい負担であって、とくにある特定の個人を選んで、これを押しっけることは正当ではない。ただ法律のみが、籤(くじ)に当たったものにこの負担を屈することができる。なぜならば、この場合には、条件は全員にとって平等であり、選択は人間の意志になんら依存せず、したがって、法律の普遍妥当性をそこなうような特定の適用は、まったく存在しないからである。
 貴族政においては、執政体が執政体を選び、政府は自分の手で自分を維持する。そして、投票制が最も所を得ているのは、この政体においてである。
 ヴェツィアの統領の選出の例は、この二つの方法の区別をくずすどころか、確証するものである。つまり両者の混合したこの形式は、混合政府に適合しているのである。なぜかといえば、ヴェネツィアの政府を真の貴族政とみなすのは誤りであるから。そこでは人民がまったく統治に参与していないとしても、貴族身分が、それ自体人民なのである。数多くの貧しいパルナボト(*3)たちは、いかなる施政官の職にも近づいたことがなく、その貴族の身分によって、ただ実質のともなわない「閣下」の称号と、大評議会への出席権をもっているにすぎない。この大評議会は、ジュネーヴのわれわれの総評議会(*4)と同じくらい多人数からなっており、その有力な構成員も、われわれの単なる市民と同じ程度の特権しかもっていない。二つの共和国のあいだの極端な差異を除いて考察すれば、ジュネ?ヴのブルジョア身分が、まさにヴェネツィアの貴族身分にあたり、ジュネーヴの二世居住民と居住民(*5)の両身分は、ヴェネツィアの都市民と民衆にあたり、ジュネーヴの農民は、イタリア半島のヴェツィア領内の従属民にあたるといってさしつかえない。要するにどのような見方でヴェネツィア共和国を考察しようとも、その規模が大きいことを別にすれは、その政府は、ジュネーヴのそれよりも、貴族政的であるとはいえない。両者の違いのすべては、われわれは終身の首長をもっていないので、ヴェネツィアのように抽籤にたよる必要さえないということに尽きる。
 抽籤による選出は、真の民主政においては、ほとんどなんの不都合も生じないであろう。全員が、習俗や才能によっても、あるいはまた政治的原則や財産によっても、まったく平等であるから、選択はほとんど無関心なものとなるであろう。しかし、さきに述べたように(*6)、真の民主政は、かつて存在したことがなかった。
 選挙と抽籤が混用される場合、前者は軍職のように特別の才能を要する地位を満たすのに用いられるべきであり、後者は司法官職のように良識、正義、公正などの徳をもっていればまにあう地位に適している。なぜなら、よく構成された国家においては、これらの資質は、全市民に共通のものだからである。
 君主政体においては、抽籤も投票も行なわれない。君主のみが、当然、唯一の統治者であり、施政者であるのだから、その代理官の選択権も、君主だけに属している。サン=ピエール神父(*7)が、フランス国王顧問会議を増設し、その構成員を投票により選ぶことを提案したとき、彼は政体を変えるよう提案しているのだということがわかっていなかった。
 残るところは、人民の集会で投票を行ない、それをとりまとめるしかたについて述べることであろう。しかし、この点については、ローマ国制の歴史事実が、私の立てうる格率のすべてを、いっそう明白に説明するであろう。二十万人もの人々が参加した評議会で、公私の政務がいかにして取り扱われていたかを、多少、細部にわたって見ることも、公正な読者にとっては不当なこととは思われない。

中公文庫・訳注
*1 ポーラヴォンの注解によれば十三世紀から共和政の終わりまで統領の選挙は次のように行なわれたという。ヴェネツィアの大評議会は、まず三十人の市民を選び、これらが九人の市民を、その九人が四十人の市民を選び、その四十人中の十二人がくじで選ばれ、二十五人の市民を選び、そのうちの十一人がくじで選ばれ、その十一人が四十一人を選び、その人たちが統領を選んだ。
*2 『法の精神』第二編第二章参照。
*3 バルナバ会員のこと。ここでは、ヴェネツィア市中に聖バルナバ教会があり、その地区に住む比較的貧しい貴族をいう。
*4 ジュネーヴの主権を握る上層階級にあたる市民とプルジョア(町人)の総会をいう。これにより、小委員会または二十五人会が法の執行を委任された。
*5 当時のジュネーヴ人はシトワイヤン(市民)、ブルジョア(町人)、アピタン(居住民)、ナティフ(二世居住民)、シュジェ(隷属民)の五階級に分かれていた。前の二者は千六百人以下で行政・立法に参加。市民は、市民または町人の子供で、市で生まれていなけれはならない。町人は町人証明書を得た着で、各種職業に従事した。町人の息子は、市区以外で生まれると市民になれない。居住民は市の居住権を買った外国人、二世居住民は市内に生まれた居住民の子供たち。彼らは商業に従事する権利をもたず、さらに多くの職業につくことが禁じられ、しかも主に彼らが課税の対象になった。隷属民はその地方に生まれたといなとにかかわらず、この地区に居住する農民で、最も無力な存在であった。
*6 第三編第四章参照。
*7 フランスの聖職者。『永久平和草案』で知られる。
一六五八〜一七四三。ルソーはその『顧問会議制度論』を分析、批判した。


補記:
アリストテレス「政治学」第4巻15章(岩波文庫及び世界の名著8所収)では、くじ引きと選挙の組み合わせが考察されています。
彼自身は貴族制を支持したと思われるのでくじびきという「民主制のやり方」を推奨していないようです。

アテネと同じく「球」を使ったヴェネティアのくじ引きに関しては前出の『ヴェネツィア歴史図鑑』(東洋書林)が図版入りで詳しい。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4887216882/sr=1...
追記:ヴェネツィアに関してはその後資料を以下に追加しました。
http://yojiseki.exblog.jp/d2008-01-22


その他の参考文献:
『丘のうえの民主政—古代アテネの実験 』 写真2所収
橋場 弦 (著)
http://www.amazon.co.jp/丘のうえの民主政?古代アテネの実験-橋場-弦/dp/4130230492/sr=8-1/qid=1168908777/ref=sr_1_1/503-5582828-5887142?ie=UTF8&s=books

アリストテレス『政治学』 (岩波文庫)
http://www.amazon.co.jp/政治学-アリストテレス/dp/4003360451/sr=1-4/qid=1168908867/ref=sr_1_4/503-5582828-5887142?ie=UTF8&s=books

アリストテレス『アテナイ人の国制』(岩波文庫)写真2所収(研究過程の詳細な解説付き、最重要文献)
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%83%86%E3%83%8A%E3%82%A4%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%9B%BD%E5%88%B6-%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%86%E3%83%AC%E3%82%B9/dp/4003360478/sr=1-4/qid=1169475746/ref=sr_1_4/249-9681056-2452320?ie=UTF8&s=books


世界の歴史〈4〉ギリシア (1974年) [古書] 写真1所収
村田数之亮、河出書房新社
http://www.amazon.co.jp/世界の歴史〈4〉ギリシア-1974年/dp/B000J9EJAY/sr=1-22/qid=1168908961/ref=sr_1_22/503-5582828-5887142?ie=UTF8&s=books

写真1
a0024841_13433841.jpg

写真2、アリストテレス『アテナイ人の国制』(岩波文庫より)↓
a0024841_13435580.jpg
写真3
a0024841_13441876.jpg

(写真3は2002年のNAM代表くじ引き選挙時のもの)→2002年NAMくじ引き選出(4分)
写真4
a0024841_1416390.jpg

写真4はmixiコミュニティ「NAM再建準備会」管理人選出で使用した<黒ひげ危機一髪・スターウォーズバージョン>。工具を挿し、ライトセーバーが飛んだ人間が勝ち(ジョージ・ルーカス公認のおもちゃだが、オーソドックスなタイプの黒ひげが一番が使いやすい)。
[PR]
by yojisekimoto | 2007-01-17 13:47 | くじ引き

倫理的=くじ引き?(NAMプログラムをめぐって)

「倫理的」であるとはどういうことでしょうか?
他者をめぐる考察に関しては、カントが他者の人格を手段としてだけでなく同時に目的として扱えとのべているのが有名ですが、『人倫の形而上学』ではさらに人間の至上義務は「他者の幸福、自己の完全性」であり、その逆はありえないと言っています。
これは変革を求める際、自ら変革せずに他者に変革を求めることの傲慢さを述べたものでしょう。
ガンジーはそのことを理解して、自ら糸を紡いだ(=チャルカを廻した)のだと思います。

NAMという社会運動団体の原理にもこのあたりは明確に書かれています。
引用すると、NAMのプログラムの(四)に以下のようにあります。 

「NAMは、その組織形態自体において、この運動が実現すべきものを体現する。すなわち、それは、選挙のみならず、くじ引きを導入することによって、代表制の官僚的固定化を阻み、参加的民主主義を保証する。」

NAMのプログラムは大ざっぱにいって倫理を述べた部分と経済を述べた部分の二つに分けられますが、僕はこれを左右に振り当てて図解↓したことがあります。

a0024841_17453755.jpg


  (注:プログラム(四)は図では④になります。)

右の倫理の部分は、自らのうちにフィードバック装置をもち、自らの権力を絶えず検証しうることを示しており、組織構造の中にチェック機能を具体的なシステムとして持つことを意味します。一個人では「良心」ということになりますがNAMという組織ではそのシステムは「くじ引き」でした。

その主体が団体である場合、倫理的とは運動が目指すその理想を自らが体現していなければならないということであって、具体的には「選挙」プラス「くじ引き」を導入するということになります。

また、選挙は民主主義の基本だから解説不要ですが、くじ引きもまた民主主義の根幹にあったことが歴史を調べるとわかります。
くじ引きは、同一の時間をスリリングにすごすので楽しいですし、決選投票の心理的軋轢を避けることで対人関係も良好になります。

(20002年のNAMくじ引き選挙模様はいずでどこかに動画をアップしたいと思っています。)

追記:
NAMのプログラムは以下のmixiコミュニティを参照していただけると幸いです。
http://mixi.jp/view_community.pl?id=17417
プログラム(三)の「非暴力」は政治革命から経済革命への転換を説明するものですから、むしろ経済の説明ということになるでしょう。
[PR]
by yojisekimoto | 2007-01-13 18:20

ポールとピエール、ジャネの法則の謎

「ジャネの法則(Janet's law)」または「ジャネーの法則」というものがあって、それは「人が感じる時間の長さは、自らの年齢に反比例する」というものです。
この法則それ自体は僕個人の経験からも納得できるから謎でもなんでもありませんが、出典がなかなかわからなかったことが「謎」としてずっと気にかかっていました。
ネット上で「ジャネの法則」の「ジャネ」が、心理学者のピエール・ジャネ(Pierre Janet、1859-1947)のことだという人もいるし、その叔父さんの哲学者ポール・ジャネ( Paul Janet 、1823-1899)のことだという記事もあったからです。日本ではテレビで紹介されて有名になったようですが出典はどのサイトにも正確に紹介されてはいませんでした。

結論から言うと、ピエールが書いた本(『記憶の進化と時間観念L'évolution de la mémoire et la notion du temps』1928)で展開された時間論の中で叔父ポールの説(1876年か1878年に出版されたことは明記されているも正確な出典は未検証)だとして紹介されたものだということがわかりました(フランス語版wikipediaによれば、ポールの書籍もデータ化されているようなので、出典の正確なタイトルも今後の課題として調べていきたいです。以下はデータ化された書籍の一例↓)。
http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/CadresFenetre?O=NUMM-77814&M=tdm
参考サイト:http://fr.wikipedia.org/wiki/Paul_Janet

正確にはポールの説ですが、ジャネ(ピエール)がジャネ(ポール)の説として紹介して有名になったのだから、「ジャネの法則」のジャネはどっちのジャネでも正解だということになるでしょう。

まるでパゾリーニの言う「自由間接話法」ですが、これによってフロイトより先に無意識を発見したというピエール・ジャネへの興味が一段と大きくなりました。ピエールは「人格」やそれを束ねる「心的エネルギー」を重視し、フロイトのような歴史的時間軸や性的トラウマを必要以上に重視しなかった人です。ベルグソンなどにも引用されたその時間論は以下で後半部を読むことが出来ます(ジャネの法則が開示されるのは以下のサイトでは53ページ)。
http://classiques.uqac.ca/classiques/janet_pierre/evolution_memoire_temps/janet_memoire_temps.pdf

僕はbabelfishの翻訳サイトとyahoo翻訳サービスを駆使して読み取りましたが、ドッグイヤー?などとも言われるウェブ上の体感時間などにも応用可能な理論で、翻訳が待たれます。


参考:
哲学者ポール・ジャネ(Paul Janet 1823 - 1899)↓。
a0024841_2145679.jpg

ポールの甥の心理学者ピエール・ジャネ(Pierre Janet 1859-1947)、十七歳の時(1876)↓。
a0024841_2143822.jpg

晩年の心理学者ピエール・ジャネ(Pierre Janet)↓。
a0024841_2152434.jpg



////以下、自動翻訳を使った翻訳プロセスです/////

p53の原文は以下、
「On a essayé bien des systèmes polir expliquer la mesure du temps. Il y a déjà bien
dès années (1876 ou 1878) a paru un article du philosophe Paul Janet, qui a eu sa
petite heure de célébrité. Son explication était très ingénieuse et amusante. Il prétend
que le présent, le temps que nous vivons, est toujours apprécié par rapport au reste de
notre vie. Quand nous sommes un enfant de dix ans, une année de notre vie est le
dixième de la vie. Le dixième, c'est une partie importante de la vie ; par conséquent,
pour l'enfant de dix ans, une année, c'est très long. Quand nous avons vécu soixante
ans et plus, une année n'est plus que la soixantième partie de notre vie ; c'est tout
petit, beaucoup plus petit que le dixième. C'est pour cela que les gens qui vieillissent
trouvent que l'année est courte. Cette explication ne tient pas devant les faits patho-
logiques où les choses varient indéfiniment. 」

これを、http://babelfish.altavista.com/ で自動翻訳すると、

「One tried many systems to polish to explain the measurement of time. There is already well as of years (1876 or 1878) appeared an article of the philosopher Paul Janet, who had his small hour of celebrity. Its explanation was very clever and amusing. It claims that the present, time that we live, is always appreciated compared to the remainder of our life. When we are a ten year old child, one year of our life is the tenth of the life. The tenth, it is a great part of the life; consequently, for the ten year old child, one year, it is very long. When we lived sixty years and more, one year is nothing any more but the sixtieth part of our life; it is very small, much smaller than the tenth. It is for that which people who age find that the year is short. This explanation does not hold in front of the logical facts patho- where the things vary indefinitely.」

となり、これをさらにhttp://honyaku.yahoo.co.jp/ で自動翻訳すると以下になりました。

「人は、時間の測定値を説明するために、光沢剤に多くのシステムをためしました。井戸がすでに、年(1876または1878)で哲学者P・ジャネの記事のように見えたので、あります。そして、その人は有名人の彼の小さな時間を持ちました。その説明は非常に賢くて、面白かったです。それは、現在(我々が生きるという時)が我々の人生の残りと比較して常に有り難いと主張します。我々が10才の子供であるとき、我々の人生の1年は生命の第10です。第10、それは生命の大きな部分です;従って、10才の子供のために、1年、それは非常に長いです。我々が生きたとき、60年と、より、1年はよりこれ以上の何も、しかし、我々の人生の第60の一部です;それは非常に小さいです。そして、第10より非常に小さいです。年をとるどの人々が年が短いとわかるかは、それのためです。この説明は、ものが無期限に異なる論理的事実patho-の前で、保ちません。」

ついでに、google翻訳サイト、http://www.google.co.jp/language_tools?hl=jaだと、

「1つは磨くように多くのシステムを説明するために試みた 時間の測定。 年現在によく既にある (1876年か1878年)哲学者の記事は出た 名声の彼の小さい時間を過したポールジャネット。 その 説明は非常に利発、面白かった。 私達が住んでいること現在、時間が、常に認められることを主張する 私達の生命の残りと比較される。 私達が10年の古い子供のとき、1年間の私達の生命は生命の第10である。 第10のそれは生命の大部分である; 従って、10年の古い子供のため、1年、それは非常に長いである。 私達が60年およびもっと住んでいたときに、1年は何ももうしかし私達の生命の第60部分でない; それは非常に小さい、第10より大いに小さい。 それはそれのため年は短いこと年齢の発見かだれにである民を住まわせる。 この説明は論理的な事実のpatho-の前に事がどこに不明確に変わるか保持しない。」

うーん、自分で辞書を引いた方が早いかも。
[PR]
by yojisekimoto | 2007-01-06 02:21 | 心理学