<   2007年 05月 ( 5 )   > この月の画像一覧

コンドラチェフの長期循環

コンドラチェフの波(長期循環という言い方が正しい)という経済用語がある。60年にわたる設備投資などを要因とした景気の波のことだ。
ソビエト連邦のコンドラチェフはトロツキーとも論争し、資本主義に内在的な論理を数値化した。人口を変数に入れたのが重要だと思うが、外在要因を主張するトロツキー(マンデルもその系譜)との論争は、内在と外在という典型的な論争のあり方を示していて興味深い。
日本の封建論争なども、労農派が内在的で講座派が外在的、と区分けするが出来るからだ。

ところで、僕の興味はコンドラチェフがスターリンの粛正で、1938年9月に銃殺されているということにある。彼の主張が通っていれば国営化以外の農村の開発があり得たし、農業と工業の関係を捉えた彼の視点は海外にもいいモデルとなっただろう。

さて、まったく経済学とは無関係だが、コンドラチェフの死の60年後(同じ9月)に黒澤明が死んでいるという事実に僕はある種の符号を見出し、感慨を持つ。

天才の孤独。こちらは波ではなく粒子として全く偶然の点と点でしかあり得ないが、黒澤が若い時社会主義運動をしていた点を思えば全く無関係でもないだろう(ちなみに黒澤は『デルスウザーラ』という少数民族の猟師を主人公にした映画をソ連で撮っている)。

黒澤に色彩映画を撮るきっかけを与えたエイゼンシュテインなどは自らの師のメイエルホリドや同じく海外に名声のあったコンドラチェフの死をどう受け止めたのだろう?
生き延びたことに対する負い目と同時に生き延びることに対する確信犯的な責任感が彼にはあったろうと推測する。
トロツキーの死などは、直接映画の内容に影響があったろうが、 『イワン雷帝』第三部の構想で慮る限りでは、こちらもまた波動ではなく粒子として孤立しているように思える。

参考文献:
『コンドラチエフ景気波動論 』(亜紀書房)
『コンドラチェフと経済発展の動学』(世界書院)
[PR]
by yojisekimoto | 2007-05-21 13:15

『批評の原理』と『美学』

保田与重郎は変名でヘンリー・ホームの『批評の原理』の序文を訳している(「『芸術批評学原理』序説」全集別巻1所収)。
そのなかで視覚と聴覚の純粋性を論じているあたりは反動的で、僕としては多くのローマ詩人に典拠を持つバウムガルテン『美学』(松尾大訳玉川大学出版刊行だが入手困難)の方に好感を持つ。
原典がラテン語の『美学』は学術的にはライプニッツの系譜だが、『変身物語』やホラティウスを引用している態度は、スピノザを連想させる。一元論的な態度に見えるが、決して超越的ではないのだ。
一方『批評の原理』は(序文を読んだだけで断定は出来ないが)文章は滑らかだが、一元論的な美学、ファシズムのそれに近づく危険性があるように思えてならない。
ホームの故郷であるスコットランドは、最近僕が興味を持って研究している地域ではある(映画『ブリガドーン』が秀逸)。しかし、ある種の近代批判が自らの純粋性を根拠にした論理を展開する際の欺瞞性も指摘しておきたい。岡倉天心や折口信夫に多くを負った保田の欺瞞性もそこにある。保田は自らの出自を、岡倉や折口らから理論を剽窃する同時に、ロマン派的に偽造するのだ。

とはいえこの文章はロマン派批判が主題ではない。
最近、定本柄谷行人集の第4巻(ネーションと美学)を読み返していて、特に前半の先進性に心を奪われているので、その注釈を試みたにすぎない。ちなみに、カント及び柄谷の両者に対する評価は上記とは全く逆である。
媒介を顕在化する根拠がバウムガルテンの方にあると僕は考えるのだが、それはカントに対するアンチノミーとしてのスピノザの再評価につながるのだろう。
[PR]
by yojisekimoto | 2007-05-09 11:06

小沢さんのパンの歌

資本主義のあわただしさの中で
あなたのつくるパンが唯一の救い

パンのみにて生くるに非ずと人は言う
生きていけるんじゃないかな、あなたのようなパンを作る腕さえあれば


小沢さんのパンが今日も焼けたよ


さゆりさんは本当はパンよりもお酒の方が好き
だけど小沢さんが作ったパンだけは例外だ



子どもを連れた近所の主婦が大声で聞く
積み上げられた古本には見向きもせずに



小沢さんのパンは今日はないの?

小沢さんのパンが今日も焼けたよ
[PR]
by yojisekimoto | 2007-05-08 22:28

スティーブの歌(五月のために)


スティーブもスレイブももういない
すべては土に還る定め

命令も奴隷もありはしない
運命なんてあとから決めたもの


放射能の雨が降ったとしても
ホウキで掃くゴミが増えたとしても




(間奏)


仕切りたがる奴らが仕切ればいい
シカバネを越えて君は行け


[PR]
by yojisekimoto | 2007-05-08 22:24

ミンコフスキー空間と価値形態論

ミンコフスキー空間=四次元をめぐる考察はマルクスの価値形態論とも響き合う。
マルクスの考察が「上着、お茶、小麦、鉄」といった特殊な商品によってそのつど計られる価値形態から、(亜麻布のような一定の商品によって計られる)一般的価値形態へ移行したのと同じように、物理学における相対性理論も特殊から一般へいたる過程で難度を増す。
ただし、貴金属貨幣に交換価値が特権化される状況をミンコフスキー空間にあてはめるならば、タイムライクが支配的な状況ということになり、スペースライクが増えることは交換価値というより複数の地域通貨が交換可能になる状況を指すだろう。
これによって、近代主義的な多くのマルクス主義者による解釈とは逆に、貴金属貨幣に支配される状況こそが反動的であり特殊だということがわかる。

価値形態論には「質→量→関係→様相」(量→質ではない)といったカントの思考回路がそのままあてはまるという指摘が以前あったが(武市健人『大論理学』解説より)、この場合、ミンコフスキー空間に当てはめることで貴金属貨幣の自明性がはぎ取られ得るのだ。

ちなみに、ミンコフスキー空間において交換の範囲(スペースライク)が広がることは、ドゥルーズの言う「映画=運動」(ここでは運動における因果関係が保証される)から「映画=時間」(ここでは同時性だけが共通原理となる)という状況への変化にも対応するだろう。

追記:
「人間相互の関係を支配する崇高な理想」(日本国憲法前文)といったプルードン的な概念の獲得をあえて図示するならば、それは一時的なスペースライクの拡大ではなく、複数の世界線を総合した際に出来る帯状の包絡線(湯川秀樹『物理講義』)ということになり、これらの獲得には人類というより個々人間同志のさらなる意志的な努力を要するだろう。
[PR]
by yojisekimoto | 2007-05-04 23:40 | マルクス