<   2007年 06月 ( 9 )   > この月の画像一覧

スピノザとカント

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スピノザとカントの哲学の関係を図解↑してみた。
実体は理性よりも上位概念の神と対応するはずなので、間違っているかもしれないが、スピノザ=空間的、カント=時間的など、以前描いたものよりも個人的にはしっくりくる図だ。
直観知などは理性と悟性、または理性と神の中間におけばいいのだろうか?

ちなみにヒンズー哲学は実体を認めるからスピノザに、仏教哲学は実体を認めない認識論だからカントに対応すると思う。

追記:
今度はこれまでの論考を参考に近代西欧哲学の構図を図解↓してみた。
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デリダ等も含むユダヤ的思想の西欧近代(市民)哲学への回収がなければ、イスラエル=パレスチナ問題等、世界政治の問題も解決しない。アメリカに関してもユーロッパからの玉突き的な問題の転移と考えられる。
四角右下のアソシエーションに関してはあえて空白にしてある。
もう少しわかりやすくすると以下↓のようになる。
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この図の理解にはフラクタルといった数学的センスが必要となるだろう。
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by yojisekimoto | 2007-06-30 19:45

スピノザの「マルチチュード」とプルードン

プルードンは『革命と教会における正義』(邦訳なし)の第八章(「良心と自由」)でスピノザの『エチカ』から、精神の感情に対する関係に関した部分(第5部定理20備考)を引用している。
この引用部分にはネグリによって有名になった「マルチチュード」という言葉が入っているが、実は『エチカ』には「マルチチュード」という語の用例はここにしかないのだ。
以下、プルードンの引用した箇所を転載する。

「これをもって私は感情に対するすべての療法を、あるいはそれ自体のみで見られた精神が感情に対してなしうる一切のことを、総括した。これからして感情に対する精神の能力は次の点に存することが明白である。
1 感情の認識そのものに。
2 我々が混乱して表象する外部の原因の思想から感情を分離することに。
3 我々が妥当に認識する物に関係する感情は我々が混乱し毀損して把握する物に関係する感情よりも時間(継続)という点でまさっているその時間(継続)という点に。
4 物の共通の特質ないし神に関係する感情はこれを養う原因が多数(引用者注:=マルチチュード、この場合「群衆」の意味ではない)であるということに。
5 最後に、精神が自己の感情を秩序づけ、相互に連結しうるその秩序に。
   しかしながら感情に対する精神のこの能力をいっそう明瞭に理解するためにはまず第一に次のことを注意しなくてはならぬ。我々が一人の人間の感情を他の人間の感情と比較して同じ感情に一人が他の人よりも多く捉われるのを見る時、あるいは我々が同一の人間の諸感情を相互に比較してその人間が他の感情によりもある一つの感情に多く刺激され、動かされるのを知る時、我々はその感情を大と呼ぶ。」
(『エチカ』第5部定理20備考より。引用は岩波文庫から)

ネグリは「以下ヲ欠ク」(『現代思想』1987.9)という論考で、ここでの「マルチチュード」という言葉の用法は『国家論』で展開される群衆論とは一見無関係だが、思考法として深く関係するのだと述べている。
プルードンのスピノザへの評価はアンビバレントなものだが、のちにネグリによって評価された部分をいち早くピックアップしているのは興味深い(ちなみに『以下ヲ欠ク』という言葉は未完となったスピノザの『国家論』の最後に書かれた言葉である)。

この『エチカ』の一節は、自由連想による観念連合をどう集合論的に束ねるかという問題として位置づけられるが、政治的な組織化の問題と直結するということでもある。
ネグリは政治主義的に捉えたが、プルードンのそれは政治組織を経済組織に還元するものであり、人民銀行案などがその具体例だった。

ネグリや上野修(『精神の眼は論証そのもの』)はスピノザを契約論者ではないと述べている。たしかにスピノザはホッブズやルソーのような社会契約論者とは違う。しかし、柄谷行人が『世界共和国へ』でプルードンは社会契約(片務的でない双務的なそれ)をさらに徹底したと述べたように、スピノザもその契約論を力能に重点を置いて徹底したと考える方が、さらなるスピノザの可能性を開くと思う。

そしてその視点こそがプルードンとスピノザをつなぐ潜在的な可能性をも解き放つと思う。
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by yojisekimoto | 2007-06-26 21:11 | プルードン

スピノザの無限2

スピノザは、『エチカ』では無限について、また少し別の説明をしている。
『エチカ』に出てくる最初の図(第1部定理15備考より)では、2本の線が無限に延びるとしたら、BとCのあいだと、既存の線と2種類の無限が外在的に存在してしまい、おかしいと説く。
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次の図(第2部定理8備考より)は任意の線であるDとEの矩形*は無限に存在し得ると説く。こちらでは内在的無限の合理性を説明している。
これらは、「神はすべてのものの内在的原因であって、超越的原因ではない」(1:18)という神の説明に関係しており、従来のキリスト教における神の説明との違いは明白である。
二つの図が対になっていることは、記号が順列されていることからも容易にわかる。

*ユークリッド(3:35)が基礎づけとしてある。
http://mis.edu.yamaguchi-u.ac.jp/kyoukan/watanabe/elements/book3/proposition/proposition3-35.htm
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by yojisekimoto | 2007-06-20 12:55 | スピノザ

スピノザの無限

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上はスピノザ自身による無限の説明。『書簡12』(書簡50には無限の説明があるが図はない)、『デカルトの哲学原理』に採用されている。
円と円の比率が無限に存在するということは、実体に対して様相が無限に存在するということでもある。
これは、契約における実定法と自然権、歴史における真理と教義、主体における意識と無意識(またはその代理表象)、証明における思惟と延長といった、即時的(同時的)かつダブルバインド的な二項にそれぞれ相当するだろう。
「二つの円」と「二つの円の比率」の関係は、「実体」と「人間に認識できる二つの属性(思惟と延長)」の関係ということもできる。
(参照:『精神の眼は論証そのもの』上野修)
赤線、青線はドゥルーズ、マシュレーによる任意の教義の恣意性の説明に相応する(参照:『ヘーゲルかスピノザか』マシュレー)。

下は『論理学史』(山下正男)p208より。
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デカルトの場合、属性はS(=実体)に連なり、スピノザの場合、属性はM(=様態)に連なる。
上の図と下の図との対照に関して言えば、S実体が二つの円、M様態が無限にある両円の比率ということになる。山下氏によればヘーゲルはその両者を混同してしまっているという。

追記;
冒頭の図は『デカルトの哲学原理』の表紙↓にも使われている。
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by yojisekimoto | 2007-06-17 13:50 | スピノザ

自由連想(free association)

フロイトは初期の神経学的論考『失語論』の中で人間の認識機能を対象連合と語連合とに分けている(平凡社p131に「語表象の心理学的図式」が掲載されている)。
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対象連合はいわゆる五感すべてを含み、他の感覚へも開かれている。ここでは視覚が一番強い。
語連合は言語機能全般を含み、閉じたシステムである。ここでは音声が優位となっている。
両連合は末端において触れ合っているということだが、これは実践の中で使い分けられているということだろう。

ここで対象連合は右脳、語連合は左脳、ということも出来るだろう。
ドゥルーズは対象連合の中で線を引き、デリダは語連合の中で音声中心主義に逆らったということも言えるのではないか?
ヒュームらイギリス経験主義の流れにあるミルの論理学の影響を受けた初期フロイトの可能性は隠されたままだと思う。

追記:
自由連想(free association)という方法は、それなりの理論的バックボーンがあったからこそ出来る治療法だと言うことができる。
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by yojisekimoto | 2007-06-14 13:28

地域通貨とグラフ理論

柄谷行人氏も西部忠氏も、スモールワールド(=情報がすぐ伝わる)とスケールフリー(=弱肉強食)のジレンマについて語っている。
ネットワーク社会ではこれらは同時に起こるのだ。

参考:柄谷行人氏書評欄より↓

http://book.asahi.com/review/TKY200504030099.html

<たとえば、自由な市場経済では富は一部に集中するが結局は全体に拡散する、というような見方が今でも強い。しかし、それはまちがいであり、「金持ちほどますます豊かになる」メカニズムを本書は明らかにしている>

参考: 西部忠氏SFC講演より(ビデオ視聴可、画像は下記サイトから)↓
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http://gc.sfc.keio.ac.jp/class/2005_19872/slides/09/




スケールフリーに関しては、パレートなどの研究があるがマルクスの再生産表式がその代表例だろう。
スモールワールドは、アソシエーションの原理として、弱者の武器として活用可能だが、こちらがうまくいっていないことが問題だ。
地域通貨は基本的に中間領域の拡大であるが、一つの地域通貨のなかにもこの二つのジレンマがある。


地域通貨にはこうしたジレンマのような問題点を顕在化させて、対処の必要性をいちはやく認識させるというところに利点があるが、過剰な期待は出来ない。
田中優氏も言うように、地域通貨はインフレ対策にしか効力がないとも言える。
ただ、円建ての地域通貨(地域横断型の「市民通貨」<by柄谷行人>がその一例)はデフレ時にも有効であり、それと純LETS(口座式、ゼロサム型)の組み合わせが模索されるべきだろう。

(地域通貨を重視するのであれ、市民通貨を重視するのであれ)複数の地域通貨を使い分けて、はじめてこうした状況を乗り切ることができるのかもしれない。

追記:
ネットを使った地域通貨は関係グラフ(=関係性のみを抽出したグラフ)であり、完全グラフ(=すべてがそれぞれつながったグラフ)を目指す。しかし、地産地消、循環型社会、を目指す立場からはある程度空間グラフ(=空間が固定されショートカットがないグラフ)であるべきだろう。
空間グラフは基本的にスケールフリーにならないからだ。
循環型社会を完全グラフとのアレゴリーで語るなら、地域通貨のネットワークは、完全グラフがいくつも集まったものが空間グラフ(各クラスターが完全グラフになることが望ましい)として配置されるのが理想かもしれない。
循環型社会のノウハウをシェアするうえでは関係グラフとしてスモールワールド化されているのがよいが、基本は空間グラフの安定だ。それは地域生命主義的に水系などを考えれば、生存環境を捨象できないわけだからから容易にわかる。

関係グラフと空間グラフの中間にあたる遷移可能なグラフの例として、サッカーのパスコースなどがある。このように現実は中間であり、こうした中間あることの自覚が必要かもしれない。

例えば地域通貨の情報をそとにもたらすことで利益を得るひとがよくいるが、これは内側の小さなグラフへの配慮が足りないのである。

その意味で、フラクタルという自己相似性という概念は、自分から考えて大小どちらのグラフへも思考を開くので、有効である。

追記2:
NAMは各地域系、関心系といったクラスターに分けられ、特に地域系へのフィードバック(完全グラフへ向けられたそれ)が準備されていて、興味深い組織構造↓をもっていた。
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すくなくともNAMそれ自体が、日本の社会運動全体のショートカット足り得ていたと思う。少なくとも僕自身にとってのブリッジになったということは言える。

追記3:
スケールフリー→スモールワールドだが、スモールワールド→スケールフリーというわけではない(参照『「複雑ネットワーク」とは何か』ブルーバックスp118)。
これは完全グラフや、枝の本数が一律のグラフを考えればわかる。
ここでは関心グラフに対する空間グラフの重要性を強調しておきたい(参照『スモールワールド』ダンカン・ワッツ著)。
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by yojisekimoto | 2007-06-11 12:50 | 地域通貨

上からか?下からか?(シェルピンスキーギャスケット )

さて、組織のセルオートマン及び自己組織化は、下から、つまりひとつひとつ個々から行うのがいいのだろうか?効率を考えて上からも行うことはできないのか?
結論から言えば、両方から出来るし、行うべきだということになる。
フラクタルでも、シェルピンスキーギャスケット という作画法がある。これは全体を塗りつぶしてから三角形を面積ゼロになるまで分節化する作画法である。
これは上からの組織化ということになり、フラクラルの代表的なものである。
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しかし、ほとんど同じ図形を簡単なアルゴリズム(パスカルの三角形の奇数と偶数を塗り分ける作業)によって、座標点ゼロから増殖させていくことも出来る。
これは下からの組織化であり、文字通り自己組織化ということになる。
(下の図では、縦が空間、横が時間軸。起点は左下から。)
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しかし、そもそも、上記の図に即して言うなら、最初のひとつの三角形の頂点と各辺に、どのような概念を託すのかが問われるだろう。
(上の図だと、横が地域系、縦が関心系、斜めがセンター評議会と考えることができるかも知れない。)

参考サイト:
シェルピンスキーギャスケット
http://www.fortunecity.com/emachines/e11/86/mandel.html
http://obog.ome.meisei-u.ac.jp/~tuchiyaob/applet/Gasket.html
↑おすすめ。遊べる
http://www.geocities.jp/supermisosan/fractaljava.html

参考書籍:
『フラクタル』(高安秀樹著、朝倉書店)
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by yojisekimoto | 2007-06-08 23:30

フラクタルと年金問題

フラクタルの提唱者マンデルブロは、その著書(*)でカントの星雲説を引用しているが、哲学史的にはベルグソンの『創造的進化』あたりが一番的確にフラクタルという自己相似形を言語化していると思う。
ちなみに、ドゥルーズの『アンチ・オイディプス』におけるベルグソンの思想の要約では、全体と生命が、開かれているが故に相似形だということになっている。

ミンコフスキー図やそれをひっくり返したペンローズ図など、視覚的な図式が(それを固定した概念ではなく述語という動詞として活用する限りで)高度な概念を理解する上で有効なものとしてあるが、フラクタルに関しては複素平面(複素数平面、ガウス平面ともいわれる)が1から2次元の立体?を平面に移す際のフォーマットとしてフラクタルCGに欠かせないものになっている。

興味深い事例として、マンデルブロは、株価相場も自己相似形だといっているが、これは10円投資するひとの100円と10万円投資するひとの100万円とが相対的に同じ価値であり、同じ決断の仕方を取ることから説明できる(『フラクタル』高安秀樹、朝倉書店)。

さて、フラクタルが僕に取って魅力的なのは自然環境の自己成長作用における原理として活用できるからであるのも無論だが、組織原理に応用できるからだ。

柄谷行人が言うように、アソシエーションを4象限の図で説明できるとして(参考図1)、アソシエーションの内部もまた4象限に分割できるというのが僕の意見だ(参考図2)。ここでフラクタルの自己相似性という概念が役に立つ。

図1
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(上記の図を以下のような黄金数を活用した自己相似形と同様のものとして考えることができる。指数ではなく対数に比例する対数らせんを想定する。正方形のままフラクタルを製図すればよかったが。↓)
図2
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組織原理を感覚ではなく数式で説明出来るし、立体的に図で説明することも出来るだろう。立体にする場合には、細かい部分ほど頂点が高く鋭い山になると考えることができる。これは小さいからといって費やすエネルギーを節約するなという教訓にもなるし、ミクロからマクロの波及効果も説明できる。(参考図3、4)

図3
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(この図は以下のように考えられる↓。)
図4
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年金問題にしても、地方の窓口の情報が自己相似形を保ったまま中央のデータベースとつながっていればよかったと思うが、当時の役人や政治家にそうした発想は難しかったかもしれない。

カント(**)なら目的なき合目的性と呼ぶかもしれないが、統制的理念として自然成長性を説明するフラクタル(黄金比やフィボナッチ数列などの連分数も概念的に含む)の重要性は増しており、何より一般的になりつつある(***)。

肝心の、相似系をなす最初の自己がそれ自身で多元性を持つべきだとも思うが、そうした視点をもたらす離散数学ともフラクタルは相性がいいと思う

*『フラクタル幾何学』(日経サイエンス)
**ポプラの枝を切らせて教会の尖塔を見たがったカントは、フラクタルの概念をどう思っただろうか。
***最近だと北野武監督「takeshis’」の原題が『フラクタル』だったが、残念ながら改題されてしまった。

参考サイト:
http://t16web.lanl.gov/Kawano/gnuplot/fractal/mandelbrot.html

日経サイエンス1999.5
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by yojisekimoto | 2007-06-07 11:36

フロイトの性図式

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石澤誠一氏(『翻訳としての人間』)も言うようにフロイト初期の理論は単純だが奥深い(この他に記憶におけるニューロンの作用に言及した草稿はデリダや東浩紀にインスピレーションを与えた)。
上記のフロイトの描いた図(性図式)は、 縦横の軸をはさみ、
下が身体(神経系統含む) 、
上が心、
左が自己、
右が他者、を意味する。

四分表としては、
左上が意識/無意識の場所、右上が他者の場所、
左下が自己の身体、右下が理想化された他者である。

セクシャリティー(性的嗜好)の流れは時計回りに流れる。
右上の他者がなくなり、右下から矢印が引かれると自慰行為等を引き起こし、神経衰弱をもたらす。
冷感症/不感症/ヒステリーの違いは問題点の位置に起因する。
例えば、性的緊張の部分に不安があるとヒステリーの原因になる。 これは男女間で非対称的関係に作用する。

逆流した場合、この時期は緊張、神経症という症状にいたるが、これは後の死の欲動につながるのではないか?
リビドーの概念のまだない時期なのだが応用範囲の広い図である。

ラカンの欲動のグラフとも逆回転ながら一致する。
対象/自我理想の図や、「自我とエス」の無意識図とも重なる(それぞれ性図式の上部、左半分に対応)図と言える。


神経衰弱→神経症(ヒステリー/強迫神経症/パラノイア)→精神病
という進行状況にも対応している図である。


また、上記はラカンの4つのディスクールに対応するだろう。
ラカンによると、

動因(左上)  他者(右上)
真理(左下)  生産物 (右下)

において
(Sbarreは去勢された主体<barreは斜線を意味する> 、S1はイデオロギーなどのシニフィアン1、S2は知識などのシニフィアン2、a は剰余としての対象a。)

S1  S2
---- ----

S barre   a

が主人の言説であり、
Sbarre  S1
---- ----
a  S2

がヒステリーの言説であり、
a  Sbarre
---- ----
S2   S1

が分析家のディスクールであり、


S2  a
---- ----
S1   Sbarre

が大学のディスクールである。

「メランコリーの場合、穴は心的領域にある」とするならば、メランコリー及び神経衰弱は動因に穴である対象aを持つ
分析化のディスクール、


a  Sbarre
---- ----
S2   S1


に相当するかもしれない(メランコリーにおける他者の不在を重視し、大学のディスクールとみなすこともできるが、、、、)。
これは分析家のディスクールを高く評価するラカンには反しているが、他者が欠けた場合の分析家の危うい一面をうまく表現している。
ここからひとつ退行するとヒステリーの言説、

Sbarre  S1
---- ----
a  S2

ということになる。

参照:
『フロイト フリースへの手紙—1887‐1904 』(誠信書房)
加藤弘一氏のサイト
http://www.horagai.com/www/salon/edit/ed2006l.htm
http://www.loc.gov/exhibits/freud/freud02a.html


以下、参考までに『フロイト フリースへの手紙』(誠信書房、p95)より「草稿G」の一部を引用する。

「しばしば使用される性図式を使って、今、心的性群(ps.S.)がその興奮量を失う諸条件が論じられる。ここでは二つの場合が明らかになる。

一、身体的性的興奮(s.S)の生産が低下するか途絶えるとき、
二、性的緊張が心的性群から別の方向に逸らされるとき。

第一の場合、身体的性的興奮の生産の中止は、多分、周期的に回帰する本物の真性重症メランコリーにおける、あるいは生産上昇の時期と生産中止の時期が交代して現れる循環性メランコリーにおける、特徴的なものである。さらに、過剰のマスターベーション-----これはそれについての理論によれば、終末器官(E)の過度の負荷軽減およびそれと同時に終末器官における低い刺激水準に行き着く-----は身体的性的興奮の生産に干渉し、身体的性的興奮の永続的な貧困化に、それと同時に心的性群の弱化に行き着く、と仮定することができる。これは神経衰弱性メランコリーである。
身体的性的興奮の生産は減少していないのに性的緊張が心的性群れから逸らされる第二の場合は、身体的興奮が他の場所で(境界で)使用されることを前提としている。しかし、これは不安の条件であり、それと同時にこれは不安メランコリーの、つまち不安神経症とメランコリーの混合形態の場合を覆っている。
 それ故、この議論においてメランコリーの三つの形態(引用者注:冷感症/不感症/ヒステリー)が説明されるが、これらは実際区別されなければならないのである。」

引用以上。

この場合、メランコリーは単純に抑圧を意味する。
コカインを研究していたフロイトらしく、ケミカルな神経回路に精神分析の根拠を見ていいる点が興味深い。
ヒステリーも神経衰弱も他者の喪失である悲哀と構造的にパラレルであり、性的原因に起因するという点が画期的なのだが、これは後に撤回される。
後に残った自己と他者の二元論のみが画期的ということになる。

追記:
図のキーワードを日本語訳したものを以下に載せる。

 性図式(アンダーライン)
          <自我境界>       

心的群       <特異的→>       外界 
                     性対象
ps.S(心的群)


                  反応↓      
                      <精神ー身体>
快感の伝道路↑ 性的緊張↑            境界

          脊髄中枢 <感覚>  
        E終末器官↑    ←有利な位置における性対象
反射的行為 ↓

s.S([身体的性的緊張]の生産障害) *

///////////////////
*注
s.S=メランコリーの原因
 貧困化現象

追記2:
ところで、私見では、アドラー的解釈だが、この時期(初期)のフロイトを動かしたのはジャネに対する無意識の先取権争いという名誉欲であって、性欲ではない。
ただし、柄谷行人も指摘するように性への視点によってフロイトはロマン主義から脱するのは間違いない。フロイトによるジェンダーの固定化の弊害に関してはゴドリエのレヴィ・ストロース批判と同様である。
男性の不能(神経衰弱)が女性のヒステリーを引き起こすという指摘も関係の非対称性という視点から見たとき重要となるだろうし(p29) 、ヒステリーを表象機能の問題とした点、心身並行論及び自他の二元論を維持した点が今なお画期的だろう。
また、初期フロイトの率直な以下の言葉も興味深い。

「僕を煩わせている主要な患者は僕自身です」(邦訳『フリースへの手紙』p272 , 1897.8 .14)
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by yojisekimoto | 2007-06-02 18:36 | フロイト