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ヘーゲルと柄谷行人(メモ)

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定本柄谷行人集(*)の構成を図にしてみた。
この選集には全編にわたってヘーゲルへの批判的言及があり、興味深い。
この図では逆にヘーゲルの体系から柄谷の思考を検討してみた。
柄谷は、概念と概念の間にありつづけるという点でヘーゲルの神秘主義を回避している。

追記:
第四巻のフロイトの欲動というタームをキャピタルとして解釈した。アソシエーションは大きな三角形の真ん中の逆三角形内にあり、第四巻は直接アソシエーションを扱っているので内部に「4」という数字がある。
ステート・ネーション・キャピタルは、通常四角形でも表現されるが、柄谷の初期論文に思想の三角形を扱ったものがあり(**)それも参考にした。


「定本柄谷行人集」・岩波書店・2004年
  第1巻『日本近代文学の起源』(改訂増補版)
  第2巻『隠喩としての建築』
  第3巻『トランスクリティーク』
  第4巻『ネーションと美学』
  第5巻『歴史と反復』

以下、NAM学生作成の総合索引より「ヘーゲル」の項目を引用。
http://d.hatena.ne.jp/yojisekimoto/20060526
第一巻・J、第二巻・M、第三巻・T、第四巻・A、第五巻・H、世界共和国へ・W、NAM原理・N or 、@は引用あり。
ヘーゲル.Hegel,Georg,
 ・J.33,115@?,200,/・M.163/・T.156~,157@,164@@,184,185,212(-左派,256),239,256(-左派(青年-派)),257,472/・A.39,139,140.258,259-/・H.28@,193-203,202(-の体系),258/・W.25(青年-派),28,35(-的),121@,122,190(青年-派),197@,220,122/・N.62
 『小論理学』,・T.185,
 『精神現象学』, ・J.33/・T.164@@/・A.77/・H.193,207,207
 『精神哲学(エンチクロペディー)』, ・J.200/・T.239/・A.77/・H.198-9@
 『大論理学』,・T.157@,
 『法権利の哲学』,・T.198(『法の哲学』<・N.62>),256,421@,424@,430(:マルクス),507/・A.39(『法の哲学』)/・84
 『歴史哲学』,・A.139,258/ ・H.28@,258

重要なのは、1巻p33,115,200、2巻p225、3巻p422,430、4巻p77,139、5巻p193。



**
「思想はいかに可能か」(1966年)
ここでは三島由紀夫・吉本隆明・江藤淳がそれぞれ三極構造(「明晰」-「自立」-「成熟」)として固定されている。
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by yojisekimoto | 2007-07-26 13:53 | 日記

ラカンによる思想地図とヘーゲルへの対抗(メモ)

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上記は、ラカンの描いた図を応用して、思想家の位置関係を図示してみた(ヘーゲルの位置にある「自我理想」は「理想自我」の間違い)。
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ヘーゲルの論理への対抗は、ヘーゲルの論理を逆行させればよい。
資本論、量子力学、協同組合は一例にすぎないが、こうして構造的に位置づける必要がある(この場合「精神」は社会科学を意味する)。
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by yojisekimoto | 2007-07-18 20:53

思考の包容力と状況への抵抗の両立(2007年7月柄谷行人講演会)

柄谷行人講演会2007.7.14

はじめは期待していなかったし、雨のなか行くのを躊躇したが結果的にかつてないほど面白い講演だった。
柄谷のなかにはじめて思考の包容力のようなものを感じることができ、うれしい驚きだった。

柄谷は、丸山真男の「個人析出のさまざまなパターン」を軸に、明治期と昭和戦後期に同じようにおこったデモへの不参加に代表される日本人の持つ政治への関心から個人主義への退行をわかりやすく論理的かつ段階的に述べていた(後述)。
また、講演後のロビーでの若者を中心とした質問会では、柄谷の現在の困難と若者の困難との相似性を指摘していた。中国の知識人との邂逅の具体的な話を通じて、まだ見えぬ革命に対する準備をするべきだとの意見は個人的にも納得できるものだった。

日本人の資質を率直に分析した和辻哲郎や丸山真男への肯定的な評価は、年を取ったというより、先述したように柄谷らしからぬスケールの大きさを感じさせるものだ。
現在世界史に関心がある柄谷に関しては、雑誌連載の勉強ノート風の体裁が本人のいう「素人」っぽさの悪い面として危惧されるが、現在の思考の柔軟性は逆に「素人」ならではのものかも知れない。
上記した柄谷の困難は、文学に対する既得権を捨てたことからくるが、その困難は新たな収穫を予感させる。


先述した丸山の図式を詳述すると、

2自立化 1民主化
3私化   4原子化

という4分法がまず提示された。縦軸は上が結社生成的(政治的関心あり)、下が非結社形成的(政治的関心なし)である。
横軸は、左が遠心的で国家に距離を持ち、右が求心的で国家に同一化しやすいという特徴を持つ。 
1、2、3、4と明治の文学は移行した。3を代表するのは自然主義であり、石川啄木など2の立場からの自然主義への批判を丸山が正確に指摘しているのを柄谷は評価する。
おなじような移行は、戦後昭和文学でもおこり、3の立場にある村上春樹(そのイロニーは明治期の国木田独歩「忘れえぬ人びと」とパラレル)などの政治離れというよりも公的なものからの退行は深刻で、4の専制的な体制を招くものだとしている。

専制的な抑圧を含むその状況に対抗する意味で、中間集団、中間勢力、アソシエーションといった集権化に逆らう集団を柄谷は称揚する。
それは最近指摘されたものではなく、モンテスキューなどがいち早く指摘していたという。
封建的ということばもこれによって分権的、非中央集権的なものとして積極的な評価(封建的=互酬的というより双務的な契約および交換の種類)が可能になるのだ。

丸山などもこうした両義的な指摘をしているので単なる近代主義者ではないと柄谷は言う。これは柄谷自身にも言えることだろう。

複数の中間団体には連合が不可欠であり、この具体的展望は示されていないが、アメリカ、中国、韓国での柄谷自身のエピソードがそれを補っていた。
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by yojisekimoto | 2007-07-15 13:27

ドリブラーの不在

2007年アジアカップ、7月9日の日本サッカー代表カタール戦は残念な結果だった。
1対1の引き分けだったが、本当は勝てた試合だった。
ドリブラーの不在、ミドルシュートの力のなさに加え、何よりも全体に覇気がないのが気になった。
パス練習ばかりするからこうなるのだろう。
最後は前線に巻というターゲットを入れてセーフティーなクリアーを第一にするべきだったと思う。
平等に汗をかくオシムのコミュニズムサッカーは理想としては素晴らしいが、シュートを打ったりドリブルをする判断のためには、自律的なアナーキズムというべきものが必要になると思う。
その点、今カナダで戦っているu-20のチームは、才能の点で劣ってもドリブルとパスの判断が素晴らしい。
サッカーには日本の現状を反映するだけではなく、新たなモデルケースになって欲しい。
その意味で、日本サッカー代表の今後の健闘に期待したい。



追記:
興味深い記事を見つけた。


375 名前: み Mail: 投稿日: 2010/01/19(火) 15:32:58 ID: L50r806x0

ドゥンガの指摘
・日本人選手に望んでいるのは、フィジカル、戦術面、技術面、そして精神面といったものをバランスよく持つことである。
しばしば日本人は、いくつかの要素に気を使い過ぎるあまり、ほかの重要な要素をおろそかにしてしまう傾向がある。
良い結果を出すためには、あらゆる要素をバランスよく同時に発揮できなくてはならない。
・日本人選手は、基本的な技術を往々にして軽視しがちだが、ゲームの中での重要性は決して低いものではない。
日本人は、非常に難しいことはできるのに、ショートパスやディフェンスのカバーリングといった基本的なことができなかったりする。
・日本人選手に強く望むのは精神面を鍛えること。ピッチ上では“チームメイト”ではあっても“お友だち”ではない。
それぞれが責任感をもってプレーするのはプロとして当たり前のことだろう。
・控えの選手も、もっと貪欲にレギュラーの座を狙っていってほしい。『給料だけをもらっていればよい』というような、サラリーマン的な選手が多いのが非常に気になる。
・日本に来てから目にしたのは、誰もがみな自分のことだけをやっているという姿だった。まるで工場みたい。
自分の仕事だけをし、まるで機械の歯車のように働いている。そして、まわりの人を助けようとは思いもしない。他人のことなど、まったく眼中にないのだ。
・日本でサッカーをしてみて、日本人はすぐに集中力を失うということに気がついた。
・自己満足なプレーをしている選手が多い。カッコつけなくてもよい、泥くさくてもよいから、しっかりと結果を出してほしい。
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by yojisekimoto | 2007-07-09 22:26 | スポーツ

small is beautiful(石橋湛山の小日本主義)

2007年7月4日放送のNHK「その時歴史が動いた」の石橋湛山特集は素晴らしかった。
石橋湛山は太平洋戦争時にほとんど唯一日本の植民地拡大政策に反対した人物だ。
しかも、それを経済的な視点から、損をするからやめろと合理的に述べた人物なのだ(以前、太田出版の事務所に行った時、石橋湛山全集がおいてあって感激したことがあるが、柄谷行人が買うように勧めたらしい)。

経済のつながりがイデオロギーを越えるという主張は、坂本龍馬の失われた可能性を受け継ぐものでもあるだろう。

脳梗塞に倒れて首相を辞めたあと、冷戦を終結させるきっかけを得るために中国へ周恩来に会いにいくあたりは「後退戦」の最たるものだ。
「後退線」とは中野重治が言い出し柄谷行人が再び言及した態度で、最悪の状況の中で後退しつつも全力を尽くすという、ロマン的イロニーと対局にある態度だ。

石橋湛山の声を聞けたのがNHKの番組における収穫だったが、脳梗塞で倒れたあとの石橋の声を聞けたのがさらによかった。

番組では、その先見の明が報われたかのように描かれていたが、石橋湛山のような思考と行動がまだまだ必要とされる時代だと思う。

NHK番組サイト:
http://www.nhk.or.jp/sonotoki/2007_07.html
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by yojisekimoto | 2007-07-05 00:03

ヘーゲルとフラクタル

ヘーゲルの体系をフラクタル状のものとして解説した素晴らしいサイトがある。
(とはいえ本当のフラクタルなら変数に対応するはずだが、、、 )

ここで注意したいのは、ヘーゲルの自然、論理、精神といった思考の順番は任意のものだということだ。
この感覚はじゃんけんに近いだろう。

唐突だが、虫キングというゲームを見ると、いつもヘーゲルのことを思い出す。
ヘーゲルの思想には他者がないが、じゃんけんを応用したこのゲームには他者=偶然があるのだ。
ヘーゲルの、スピノザ=カントの矛盾を止揚したことによって閉じてしまった弊害のある哲学体系を、再びどう他者に開くかは、ネット上のアプリケーションも含め今後の課題だろう。

参考サイト:
『エンチクロペディー』全体系の図解。
http://www.hegel.net/en/e0.htm
(クリックすると詳細。七カ国語に対応。日本語はない。)

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ヘーゲル哲学体系のポスター ↑

http://www.hegel-system.de/de/poster.htm


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http://www.levity.com/alchemy/a-archive_oct01.html

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ヘーゲルがベーメの影響で描いた「神的三角形」↑

http://www.levity.com/alchemy/a-archive_oct01.html


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http://www.geocities.co.jp/NatureLand/4270/natphi/hegel.html

(日本語で図解された、論理学、自然哲学。三色の色の使い分けが最初に紹介したものより的確。)


ちなみに『現代思想』(1978,12臨時増刊総特集=ヘーゲル)で、ヘーゲルが書いたという「神の三角形について」という断片記事が紹介されている。
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by yojisekimoto | 2007-07-04 02:00 | ヘーゲル

ヘーゲル、マルクス、フロイトの位置づけ

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スピノザ(縦=空間)とカント(横=時間)を軸に、ヘーゲルとマルクスとフロイトを位置づけてみた。
フロイトは、無意識、前意識、自我、超自我、
マルクス1は、等価、多等価、一般、貨幣、
マルクス2は、不変資本(C)、可変資本(V)、剰余価値(m)、生産物(W)、
ヘーゲルは、精神、市民、国家、絶対精神、
と進む。
ヘーゲルとマルクス1の位置はヘーゲル=理性の狡知ということでこの位置にしたが、

左上から、
マルクス1(赤)  フロイト(青)
ヘーゲル(赤)   マルクス2(青)
でもよかった。

追記:
「A 単純な、個別的な、または偶然的な価値形態」=質、「B 総体的または拡大せる価値形態」=量、「C 一般的価値形態」=関係、「D 貨幣形態」=様相、と解釈した。
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上記は4つの交換図(左上から、ステート、資本、 ネーション、アソシエーション)と対応させてもっと簡単にしたが、質と量の文字の位置を間違えて逆にしてしまいました。
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by yojisekimoto | 2007-07-01 11:07

スピノザ/カント対照図(改訂版)

より厳密な、スピノザ/カント対照図です。
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参考:
関係↓
定言的(〜である)
仮言的(〜ならば、−である)
選言的(〜か−である)

実体性、因果性、相互性

これはスピノザの実体、属性、様態に対応する。


様相↓
蓋然的(〜かもしれない)
実全的(〜である)
確定的(〜であるに違いない)

可能性、現実存在、必然性

これはスピノザの表象力、理性、直観知に対応する。

上山春平によると、量質関係様相は外的/内的、形式的/質料的に区別できる。 
(世界の名著48パース他,解説p41)
            < 質料的>
      量                質
外            _|_            内
的             |             的
       関係        様相
             <形式的>

http://yojiseki.exblog.jp/4201299


ちなみに以前(2007.4.27)描いたようにカントに関してはミンコフスキー時空を採用するといい。
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http://yojiseki.exblog.jp/5493434

量は「空間的」における横線、
質は「時間的」における縦線と考えられる。
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by yojisekimoto | 2007-07-01 01:29