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クーラの神話

ハイデガーの『存在と時間』第42節に以下のような神話が引用されており、その他者への気遣いをめぐる考察が福祉関連の人びとに参照されている。


クーラ(気遣い)の神話
in Hyginus’ Fabulae ヒュギーヌスの寓話より

昔、クーラ(気遣い、関心)が河を渡っていたとき、クーラは白亜を含んだ粘土を目にした。
クーラは思いに沈みつつ、その土を取って形作りはじめた。
すでに作り終えて、それに思いをめぐらしていると、ユピテル(ジュピター、収穫)がやってきた。
クーラはユピテルに、それに精神をあたえてくれるように頼んだ。そしてユピテルはやすやすとそれを成し遂げた。
クーラがそれに自分自身の名前をつけようとしたとき、
ユピテルはそれを禁じて、それには自分の名前があたえられるべきだ、と言った。
クーラとユピテルが話し合っていると、テルス(大地)が身を起こして、
自分がそれに自分のからだを提供したのだから、自分の名前こそそれにあたえられるべきだ、と求めた。
かれらはサトゥルヌス(クロノス、時間)を裁判官に選んだ。そしてサトゥルヌスはこう判決した。
ユピテルよ、お前は精神をあたえたのだから、このものが死ぬとき、精神を受け取りなさい。
テルスよ、お前はからだをあたえたのだから、(このものが死ぬとき)からだを受け取りなさい。
さてクーラよ、お前はこのものを最初に形作ったのだから、このものの生きているあいだは、このものを所有していなさい。
ところで、このものの名前についてお前たちに争いがあることについては、
このものは明らかに土humusから作られているのだから、人間homoと呼ばれてしかるべきであろう。



(Fabulae のラテン語テキストには異本が複数ある。これは Heidegger が Sein und Zeit. S.197. で用いているもの。Fabulae の邦訳は、ヒュギーヌス、松田治・青山照男訳『ギリシャ神話集』、講談社学術文庫、2005)
以上、下記サイトより引用。
http://edu-pdc.edu.wakayama-med.ac.jp/kyweb/kantake/ethics/sono2/curamyth.pdf.

注:
サトゥルヌスはクロノス、時間の神
ユピテルはジュピター、収穫の意
クーラは気遣い、関心の意、Cura (Greek Kore)、ペルセポネーのこと
→http://www.bellissimoyoshi.net/romamito.htm

ローマ神 ギリシャ名 機能
テルス ガイア 大地女神
サトゥルヌス クロノス 農耕の神
ユピテル ゼウス ローマの最高神
プロセルピナ ペルセポネ 農業の女神、あるいはペルセポネの移入

画像は、すべてクーラ=ペルセポネーを題材にしたもの。
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ハイデガーはこのギリシャ神話、厳密にはローマ神話(寓話)を使って、現存在における気遣いの重要性、時間の優位性を説明しているのだ。ローマ的な契約の原理が印象的だが、前述したようにここには人間の相互性としての福祉、ケアの原理がある。

以下、 田畑 邦治氏のサイトより。
http://secondlife.yahoo.co.jp/health/master/article/d102tkuni_00011.html
<このハイデガーの言う「ゾルゲ」という言葉は、英語では最近よく耳にする「ケア」(care)と訳されていますが、古いラテン語では「クーラ」(cura)という言葉がこれに相当します。ちなみにこれは現代のキュアー(cure)の語源です。日本語では「憂い」とか「関心」「配慮」などと訳されています。>

<さて、この思想を私たちの現代の生活や、介護福祉・医療の現場に置きかえて考えてみると、意外に明るい展望が開かれるのではないかと思います。もちろん関心・配慮に生きることはいつも明るいことばかりではありません。curaが「憂い」とも訳されているように、私たちはこの世界の中で日々さまざまなことに憂慮しています。意に添わない人や仕事を引き受けなければならないとか、それでなくとも人生の無理難題は果てることもないほどです。しかし、ハイデガーが言うように、人間という存在者は、関心(ゾルゲ)のうちに自分の存在の「根源」を持っているのであり、生まれつき「憂い」の刻印を帯びているのです。(中略)高齢社会は「ヒト」から「人」への進化の時代だという趣旨のことを述べましたが、その「人」が「他人の身」を「憂うる」者にまで成長するとき、「優しい人」すなわち人間的「善」が少しずつ実現されるのではないでしょうか。「優しさ」という字は「人」を「憂うる」と書きますから。>

ハイデガーの他者把握には賛否両論はあるだろうが、注目すべきテーマだ(ちなみに、制作を主題としてみたとき上記の神話はまた別の側面を持つようにも思う。またローマにおける制作に対する法律の優位という主題も読み取れる)。
ハイデガーの考察を中間におくことにより、季刊「at」に連載中のケア論と世界歴史の把握をめぐる柄谷氏の論考の間などにも、補助線が引かれ得る。

参考関連サイト及び書籍:
高橋隆雄・中山將編『ケア論の射程』九州大学出版会
http://www.let.kumamoto-u.ac.jp/takahashi/issue/Care_Theory.htm
村田久行『ケアの思想と対人援助』
http://tatetaka1974.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_e472.html
村田久行氏は傾聴理論で知られている。
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by yojisekimoto | 2007-12-31 15:46 | ハイデガー

還ってきたウィットフォーゲル

『 「東洋的専制主義」論の今日性—還ってきたウィットフォーゲル 』(湯浅 赳男 )はルサンチマンが漂う文体だが、非常に興味深い研究書だ。
湯浅氏の訳した『オリエンタル・デスポティズム』などは、日本の官僚機構を見ると今日的な書だと思うが、本書はその絶好のイントロダクションだろう。
ネットワーク理論を研究していて思ったことだが、地政学的視点(ウィットフォーゲルの理論も一義的には地政学だ)がないとその理論そのものがスケールフリー(格差拡大的)、デスポティズム(専制主義的)になってしまうのだ。
内容的には、思想の状況論よりも実質において、亜周辺が中心に移行する過程が解明されるともっと有意義ではあろうが、、、
『源氏物語』が中心にいる中国の宦官の目から見れば冒涜の書であるという記述(p90)など、中心/周辺/亜周辺の考察がいかにアクチュアリティを持つかがわかる。マルクスの相対化などはこうした考察抜きには不可能だろう。

また冒頭の図式付きの要約がありがたい。以下引用です(ちなみに図で捨象されたという遊牧民の問題に関しては『世界史の誕生』 (ちくま文庫) 岡田 英弘が示唆に富む)。

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本書の要点
*水力国家とは、単に水利・治水を行う国家ではなく、自然と間接的に関わる工業社会型国家と同じレヴュルの概念で、自然と直接的に関わる国家である。
*文明は中心・周辺・亜周辺の三重構造をつくっている (上図)。
*階級の社会学には、(権力)の階級社会学と(所有)の階級社会学とがある。
*『オリエンタル・デスポティズム』(東洋的専制主義)を一般理論とすれば、『資本論』は特殊理論である。
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by yojisekimoto | 2007-12-20 18:02 | 歴史

メタレベルの否定

メタレベルを措定すればより高度になるわけではない。
メンガーのズポンジなどは、非整数次元(この場合は2.72)の図形だが、下記のアンドレイ・ルブリョフの逆遠近法は、そうした現代的な試みよりも根本的な視点(というよりは触覚)を提示している。
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三位一体↑
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menger's sponge
http://homepage1.nifty.com/metatron/zone-19/jingu02.htmより
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by yojisekimoto | 2007-12-19 14:58

ヘーゲルとパーソンズと柄谷:メモ

ヘーゲルの体系とパーソンズのAGIL図式は、三角形と四角形の違いはあるが、共にフラクタル構造になっている。
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↑ヘーゲル『エンチクロペディー』全体系の図解。
http://www.hegel.net/en/e0.htmより
(上記サイトは、画像をクリックすると詳細。七カ国語に対応。日本語はない。)
http://www.geocities.co.jp/NatureLand/4270/natphi/hegel.html
(↑日本語で図解された、論理学、自然哲学。色分けはこちらの方が優れている。)
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↑パーソンズAGIL図式(四機能図式)wikipediaドイツ版
http://de.wikipedia.org/wiki/AGIL-Schemaより
(『経済と社会2』他参照)

パーソンズは大学や家族の分析にもこの図式を使っているようだが、映画製作の分析にも使えると思う。
ハリウッド映画と作家映画とでは違うだろうし、観客をどこに入れるかも迷うところだ(*)。

パーソンズの『政治と社会構造』を訳した新明正道は、大正時代にプルードンの『財産とは何ぞや(所有とは何か)』を訳しているし(T10、発売禁止)、作田啓一も『行為の総合理論をめざして』を訳している。
特に作田のプルードン概念図↓は、パーソンズの影響にあると言えるだろうが、プルードンとパーソンズをつなぐものとして興味深い。

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↑『プルードン研究』岩波書店、河野健二編より

先のヘーゲルは通時的、パーソンズは共時的だが(『社会類型』においても共時性が強調される)、柄谷の4つの交換図などはその両方を兼ね備えている(最近では歴史社会学者のマイケル・マンが似たような通時-共時的分析を行っているが、技術、軍事力といった変数を追加しているところが柄谷と違う)。
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↑(『世界共和国へ』他参照)

柄谷のアソシエーション=Xは、パーソンズのL(Latency=潜在性)にあたるだろう(より外枠の生命システムを当てはめるなら、テリックtelic system=究極的目的システムに相当するかもしれない**)。
あくまでも柄谷は仮象としてアソシエーションを措定するのだ。
作田なら、同じ構造がアソシエーション内部にあると言う所だが、柄谷はそうしたフラクタルな構造を(Xという文字で)45度の角度で一旦否定しているかのようだ。これは柄谷が、アソシエーションを事後的に考えるのではなく、事前的に考えているということだ。むろん宗教などに関する柄谷の評価は、パーソンズと一致する部分もある(主意主義を貫いたパーソンズは特に晩年のカント評価、特に telic system を超越論的仮象としての導入している点において柄谷と共通性がある)。

柄谷の場合は交換の諸相であるが、パーソンズは個々のエレメント同士が「交換」をする↓。
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http://arekore.nobody.jp/media.html より
ただし、これは『トランスクリティーク』(岩波版p361〜)でも指摘されているように、単一体系を前提としているということになりかねない。


追記:
「3」と「4」のどちらを使った分析法が正しいかについては以前サッカーに関連づけて書いたことがある。また、最近話題になったiPS細胞に関しては、4つの遺伝子で作製可能だが3つの遺伝子でも時間はかかるが可能らしい。


注:*

あえて書けば、

制作者  監督
Aa    Ag
シナリオ 俳優
Al    Ai

(参照:『経済と社会2』)
となろう(作家映画とハリウッド映画では監督と俳優が逆になるだろう。上記は作家映画の場合)。
野球チームを例にとると以下になるそうである。
http://www7.ocn.ne.jp/~ooguro/css07.htmより

(A) 備品・予算・選手獲得
↑ |
(G) 監督のリーダーシップ
| |
(I) 自発的チームワーク・チームの親睦
| ↓
(L) ルールに対する遵守

また、パーソンズはフロイトを援用し、

A娘、G息子
L父、I母

という家族分析をしているようだが(『人間の条件パラダイム』他----この晩年の書には自ら「頑固なカント主義者」(邦訳p160)を自称するなど、パーソンズのカントへの傾倒が見られて興味深い)、
これは、ヘーゲル流に、

 嬰児
父  母

と、まとめることも出来る(参照:「愛」『初期ヘーゲル哲学の軌跡』所収)。
これはドゥルーズの批判するエディプス的三角形の典型でもある。

注:**
以下の図を参照するとわかりやすいかも知れない。
『人間の条件パラダイム—行為理論と人間の条件第四部 』(p264)富永健一作製の図↓
(条件づけの順序のAGILではなく制御の順序であるLIGA図式になっている。)
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生命システムにはカントの三批判書が対応する(同書p82,150?,158,161参照)↓。
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追記:
パーソンズによれば、LIGA図式にはそれぞれのレベルに思想家が対応している。
カント、フロイト、マルクス、デュルケムの位置づけが以下のようになされている。
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個人的にスピノザを新たに導入し、LIGA図式を描き直してみた↓。
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プルードンは(i)ではなく、ひとつ左の信託システム(L)の位置に来るかも知れない。
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by yojisekimoto | 2007-12-13 17:50 | パーソンズ

パーソンズ『政治と社会構造』 専門用語に関するノート

以下資料です。

タルコット・パーソンズ『政治と社会構造(下)』 (誠信書房、新明正道訳)
第四部 理論と政治 
第十四章 政治的権力の概念について p125 -132より (原注は省略)。

専門用語に関するノート

 以上の分析は、全く散漫な術語で提示された。しかし、範疇化や分析の具体的処置に関する決定事項の多くは、社会体系として考えられた社会の主要な構成要素や過程的範噂や諸関係の公式化した範例を参考としたものである。社会体系理論にもっと専門的な関心をもっている読者のためには、ここで一般的な範例のもっとも直接に関連ある部分についてごく簡単に概観を試み、これが上述の論議とどのように関連するのかについて簡単に解明することが望ましいように思われた次第である。
 このさい、構造的準拠点となるものが本質的に二つある。すなわち第一に社会の十分に分化したレベルでは、構造単位が何を主要な機能とするかという点で、経済、政治、統合的体系が経験的に区別されるようになるということである。たとえば、私的企業と政府の行政機関と裁判所との間には重要な構造分化がある。第二に、このような単位はすべてその状況からの機能要件の大部分----つまり要因インプットfactor input----と、他方「分業」上の他の単位に寄与する条件、----つまり「産出」アウトプットの処理に関連して、他の単位との複数的な相互交換関係に包含されている。この種の分化は、それぞれ対をなす単位範疇、たとえば企業体と家族、企業体と政治的機関(かならずしも政府検閲とはかぎらないことを記憶すべきである)などに属するあらゆる構造的な要素間の二重の相互交換を必要とする。この二重相互交換的な状況は、帰属的な期待または物々交換のとりきめ、あるいは、両者の結合による過程の媒介を不可能とする。それは一般化した象徴的な媒体の発展を必然的に要請するものであって、私たちはこれに該当するものとして、貨幣、権力および影響力を取り扱ったのである。
 一般化の十分に発展したレベルでは、「支配的」な相互交換(サイバネティック的なハイラーキーの意味における)は、権力が政治を基盤としているように----さまざまな機能的下位体系を基盤とする諸媒体の問で発生する。これらの媒体は、また期待の充足にとって必要な「下位にある」資源の統制を獲得するための用具となる。すなわち、「財」に対する貨幣の支出は、体系または(ケインズによって分析されたような)「集合」aggregateのレベルでは、特定の商品の所有せ獲得するものではなく、「満足な」市場的条件によって財を利用することができるという一般化された期待となっている。これは消費者に対する経済の主要なアウトプットである。これと同じように、私たちが生産力の統制が有効性の要因であるという場合、その意味するものは、特定の生産設備の管理的統制ではなく、細目を明記せずに、市場のメカニズムを通じて経済の一般的生産力の分け前を統制することである。
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 コミュニケーションの一般的な媒体の間におこなわれる相互交換の範例は、図1と図2に表示されている。図1は、たんに範例のこの部分の考えられている図形を示しているだけである。この図形には、次の三つの仮定があって、ここでの解説の範囲内では、これらの仮定を根拠づけたり、正当化することはできない。すなわち、(一)社会体系の分化の型は、それぞれ社会の主要な機能下位体系の焦点となっている四つの機能的範疇によって分析することができる。本論文のなかで述べたように、経済と政治はこのような下位体系であると考えられている。(二)これらの下位体系が互いに統合される主要な相互交換過程は、私が貨幣や権力をもってそれであると推定したような一般化した象徴的媒体を通じて作用する 。(三)ここで問題となっている分化のレベルでは、おのおのの相互交換体系は二重の相互交換であって、それは、資源や産物がその本源的な体系から他の体系へ「疎外」されることと物々交換的な相互交換のレベルを越えることを同時に意味している。以上の諸仮定のもとで、図1のなすところは、社会の四つの主要な機能的下位体系のなかでそれぞれ論理的に組合わされた一対の下位体系問の合わせて六つの二重相互交換の体系を図示しようとするにある。便宜上、この六つの二重相互交換体系のそれぞれには暫定的な名称が付けられている。
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次に、図2は、六つの相互交換体系をそれぞれ横に並列したものである。その方が読みやすいという理由だけである。この図は、おのおの六つの相互交換体系のそれぞれ四つの場所に対して、範疇の名称や流れの方向や媒体の呼び方(貨幣、権力など)を付け加えて、図1を補足したものである。かくして二十四の範疇がそこに表示され、四つの基本的媒体のおのおのは、それぞれ四つの「形態」のなかに現われている。
 私たちの分析によると、六つの相互交換のなかで、権力の媒体は、ただ三つの、すなわち政治(G)とそれぞれ他の三つの体系との相互交換をもつだけである。これらは、経済に対する「資源動員体系」、諸決定のアウトプットと統合体系に対する支持体系(このなかには政治的支持のインプットと諸決定のアウトプットを含む)、型象維持体系の価値側面に対する正統化の体系(私がそう名づけたのだが)である。この三つのうち最後のものは、媒体としての権力を含まないで、むしろ権力の制度的使用を規定するものとしての権威を支配する規範の構造、したがって権威の正統化を含む特殊なケースである。したがって主要な注意は他の二つのものに与えることにしてよいわけである。
 A−G(経済・政治、もしくは資源動員)相互交換に含まれる範噂は、それぞれ権力や貨幣(または富) の「諸形態」ということができる。これらは本論文の主部をなす散漫な解明のなかの適当な部分で用いられた範噂であることがわかるだろう。ここでの二重相互交換には、古典的経済----または労働・消費の場合のように、第一には、一つの要因--相互交換すなわち有効性の機会(資本の場合には、生産要因)と交換される有効性の要因としての生産力統制が含まれている。生産力は資金を通じて統制される資源のプールであるから、それは貨幣要因である。もちろん、それはまた特定の必要な便益、とくに財およびサーヴィスと交換することができる。しかし、機会は上述の意味での権力の一形態である。

 第二のものは、産出物アウトプットの相互交換である。この相互交換は、通例雇備による組織へのサーヴィスのコミットメント----私はこれを権力の一形態と解釈してきたが----と、サーヴィスの提供者にその義務の遂行に不可欠な便益として流動資源の配分をおこなうこととの間に発生する。----後者はそれはどまで一般化が拡充されていないことが多いが、通例予算資金にょってまかなわれる。そこで理念型的な場合、流動資源は資金という形潜をとるものである。
 第二の主要な相互交換体系----便宜上これを私は支持体系とよんでおこう----をなすものは、政治と統合的体系(G・I)との相互交換である。統合的体系には、集団構造の結社的側面と価値から区別された(法的ならびにインフォーマルな)規範体系と関連する連帯性が含まれている。この場合、権力は貨幣とではなく影響力と相互交換されるという点、またそれは貨幣に対しては「統制的」媒体であるが、影響力に対しては統制されるという点に、基本的な相違がある。このような相違は、A−Gの場合、権力の範疇が(L・Aの場合の貨幣の範噂と同じように)内側におかれているのに反して、ここでは外側に位置づけされているということによって象徴されている。
 この場合問題の要因相互交換は、上記の意味における「連帯性要因」としての政策決定と有効性要因としての利害要求 interest-demandsとの間におこなわれる。ぜひとも言っておきたいことは、利害要求が政治的意思決定に対して「状況を規定する」ということである。----もちろん、だからといって、初発形態における要求が無制約的に「容認」されるとか、容認されるべきであるというわけではない。他の要因と同様に、利害要求は政治過程のなかで変化するのが通例である。したがって、政策決定は、集合的行為に対して利害当事者がある限度で期待できるコミットメントをなすという点で、連帯性の一要因である。
 ところで、「産出物」アウトプットの相互交換は、政治のアウトプットとしてのリーダーシップの責任(影響力の一形態であって、権力形態ではないことに注意すべきである)と、「結社的」体系----たとえば、政治の場合、権力の政治的「所得」の源泉となる選挙民----のアウトプットとしての政治的支持とからなっている。もちろん、注意すべきこと は、これら二つの相互交換の個々の場合における単位が通例同一ではないということである----すなわち、政党指導者は支持を得ようと努めるが、他方行政官は一定の政策決定をおこなうといった具合である。この種の「分裂」(どの程度みられるかは種々異なるが)は、あらゆる高度に分化した体系を特徴づけるものである。
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 図3は、一般的媒体を、そのハイラーキー的な序列化の観点からだけでなく、規典code的要素と伝達message的要素との関係という観点からながめようとするものである。このさい、後者では一方さまざまな機能的下位体系に不可欠な要因を統制し、他方これらの下位体系からの産出物アウトプットを統制する制裁としての伝達的な要素の位置づけが考慮されている。各行は、四つの媒体をそれぞれあらわしたもので、すでによく知られている統制のハイラーキーによって上から下へと配列されている。他方、各列は、相互行為を媒介する媒体の作用の基礎条件のいくつかを理解するために、各媒体について分解してみなければならない構成要素をあらわしている。
 本論文のなかで私は各媒体の規典的側面における二つの構成要素、すなわち一方でほ重要な価値原理、他方では「調整基準」coordinative standardとよばれてきたものを区別することがなぜ必要と思われるかという理由を説明しておいた。もっともよく知られている効用という概念が重要な価値原理であるのに対して、支払能力の概念は調整基準であるように思われる。効用は経済的意味における価値の基本的「尺度」であり、これに対して支払能力を維持しなければならない至上命令は、経済行為において諸単位を導く指針となる一種の規範である。政治の場合について、私は経済の効用に相当するものとしてバーナードの用いた意味での有効性の概念を採用した。これに対して、調整基準にもっとも役立つ用語は、おそらく当該単位、とりわけ集合体的単位にとっての成功である(多分、適切な限定をつけて使用されるならば、主権という用語が、調整基準になおさらふさわしいことであろう)。
 政治と接続する他のもっとも重要な直接的境界では、デュルケームの用いた意味での連帯が、効用や有効性に相当する統合の価値原理であるように思われる。これに対して、合意consensusという政治理論にとってきわめて重要な概念は、統合の調整基準を適切に定式化するもののように思われる。これらの概念は、当面の相互交換体系には直接かかわりがないので、私は、型象維持体系の価値原理を完結性integrityと、その調整基準を型象整合性pattern-consistencyと名づけている点を注意するに止めておこう。

 ところで、図3のA列とG列は、それぞれ四つの媒体が制裁として作用する脈絡をあらわしているが、それらの配列は、図2のように、相互交換体系によるのではなく、それぞれ要因インプットと産出アウトプットとの統制によるものである。たとえば、貨幣は、それ自体では生産要因でないが、それぞれA−LおよびA−Gの相互交換体系において主要な要因としての労働と資本とを「統制」する、つまり買うのである。他方、「消費」体系については、貨幣は、経済のアウトプット、すなわち財(A-Lで)とサーヴィス(A−Gで)をそれぞれ買うのである。
 権力のかかわりあいinvolvementも、これに対応するように考えられる。一方では、権力は、有効性の二つの主要な可動要因、すなわち生産力の統制(G-Aで)と利害要求(G-Iで)を「左右」し、規範にアピールすることによって、これらを正当化するのである。他方では、政治過程からのアウトプットの「消費者」ないし受益者は、こうしたアウトプットを流動資源(たとえば、G−Aにおける予算配分や価値づけられた目標に対するリーダーシップの責任(G-Iで)という形で左右するために権力を使用することができる。
 注意すべきことは、図3では、消極的制裁のタイプと積極的制裁のタイプが、統制のハイラーキーのなかで交互に入れ替っていることである。消極的状況的な制裁に依存する媒体としての権力は、積極的状況的な制裁をもつ貨幣(下の段)と積極的意図的な制裁をもつ影響力(上の段)との中間に「はさまれて」いる。

 図2にもどると、権力はまたここでは規典として、つまり、権威の側面として正統化の体系(L-G)に含まれている。これはL行とG行における価値原理と調整基準とを結びつけるメカニズムと考えられえよう。「完結性の要因」として扱われている実施責任(P3a)をとるということは、集合体的有効性だけでなく、社会の最高価値型式の完結性をも含めた価値原理の実現を成功させる責任である。権威の正統化(C3a)は、このような成功への責任を「課する」ものといえよう。他方、職務権力の合法性(P3c)は、政治へのアウトプットの一範疇であり、型象整合性の基準を適用したものである。さまざまな関連的レベルにおいて、行為は価値コミットメントと整合的におこなわれえようし、またおこなわれねばならない。このような行為をとらせる合法的権威づけと交換して、責任ある職務保有者は、その権力使用と解釈決定に対して道徳的責任を引き受けなければならないのである。


参考サイト:
■パーソンズ「社会的システム理論ができるまで——僕の場合」

http://d.hatena.ne.jp/takemita/20070814/p3

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by yojisekimoto | 2007-12-10 16:45 | パーソンズ