<   2008年 02月 ( 6 )   > この月の画像一覧

横浜、夜明け前

2月28日、29日と横浜で画期的なイベントがあった。
第二回地域SNS全国大会が前回の神戸に続いて横浜で開かれたのだ。

SNSに関してはmixiが有名だが、全国の地域のSNSも数多くあり頑張っていることがよく分かったフォーラムだった。

そもそもこのイベントは横浜開港150周年を記念して創られたハマっち!というSNSが母体となって運営されたイベントなのだ。まだSNSとしては実験段階だが創設一年にしては驚くべき成果だ。これによって、横浜における地域通貨の展望も開けるかも知れない。

さて、イベント終了後のパーティで横浜の目指すべき方向性が話題になった。
これに対する答えとしては個人的には漁村を目指すべきだと言いたい。
150年かけて近代化したが、今後150年かけて漁村を目指すのだ。それは主に環境面のことを言いたいがためのレトリックだが、失われた砂浜を取り返そうという運動などは実際に存在しているのだから決して冗談ではない。

よくいわれるハマッコも実は漁村のメンタリティなのだ。

昨日のイージス艦と漁船の事故を鑑みても、歴史の出発点を忘れてはならないと思った。。。

追記:
本当は、イベントに関して書きたかったのですが、、、、
関係者、スタッフの皆様お疲れ様でした。また,貴重な機会をつくっていただきありがとうございました。
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by yojisekimoto | 2008-02-29 23:21 | 横浜

プルードンとクールベ

クールベによるプルードン関連の作品をご紹介します。mixiフォトアルバムから転載いたしました。
プルードンとクールベは同郷で、二月革命の時期には共闘と言える関係を結びます。プルードンには有名なクールベ論があり、一方クルーベは絵を見ればわかるようにプルードンを私淑していました。
最近『at』(vol.10)に載った論考などには誤解を招く記述がありますが、その歴史観にも関わらず、プルードンのクールベ論は、クールベという固有名にパラドックスを見ている点でクールベ個人を捨象したものではないということを付記しておきます。

1853年のプルードン↓
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「画家のアトリエ」
解説:裸婦から右に三番目の正面を向いた男性がプルードンです。追記:『画家のアトリエ』の左側に座っている、「猟師」はナポレオン三世がモデルと言われています。
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1865年の肖像画
参考:
http://www.the-athenaeum.org/art/detail.php?ID=7266
Owner/Location: Musee d'Orsay (France)
Dates: 1865
Dimensions: None listed
Medium: Painting - oil on canvas
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プルードン夫人の肖像  
Portrait de Madame Euphrasie Proudhon
1865 油彩・カンヴァス 73x59cm 仏・パリ、オルセー美術館 Musee d'Orsay, Paris
参考サイト:http://www.ne.jp/asahi/art.barbizon/y.ide/3MYEXH4.HTM 以下引用。
「モデルはクールベの故郷の先輩で同年没した哲学者のP.J.プルードンの妻ウーフラジー。 クールベはこの肖像画において、モデルを悲運の哲学者に連れ添い疲れ果てた未亡人、また子供に次々と先立たれてしまう不幸な母親とは現実的に描かずに、美しい襞の帽子を被らせて微笑ませ、彼女に精一杯の同情心を見せている。」
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死の床でのプルードン
Proudhon sur son lit de mort
1868年 21×21cm
リトグラフ
クールベ美術館蔵
解説:
「このデッサンは消失してしまった。クールベが1868年にカルジャの写真から制作したリトグラフが残っているだけである。カルジャの写真は『ラ・リュ』という政治色の強い新聞に掲載されていた筈だが、発禁になってしまった。偉大なる哲学者でクールベの友人、1809年2月にブザンソンで生まれ、「所有は盗みである」という有名な格言を残したプルードンは、1865年1月20日に世を去った。クールベは彼の死んだ日に、「我々を襲った救いのない不幸に打ちひしがれた私は、私の親友であり、19世紀を代表する人物の肖像画を描きたい・・・」と書いている。彼はこの哲学者の単身像と二人の娘と一緒にいる肖像画を制作している。クールベは「彼はこの時代の賢者であり、そして天才の名にふさわしい人物である」とも書いている。(TN )」2001年、クールベ展図録より
(このリトグラフは、2001〜2年のクールベ展で日本で展示されたが、2005年のクールベ展には来ていない。)

「臨終の床にあるプルードン」はジュール・ヴァレスの主催する「街角で」という新聞に掲載される予定であったが、政府の干渉によって禁止されている。(近藤昭『クールベ』p91,岩崎美術社)
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番外編:「セーヌ河畔の娘たち」(1857年度作品。この作品に対して、プルードンの有名な論評がある)
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阿部良雄の『クールベ』(新潮社美術文庫)、坂崎担の『クールベ』、カシュニッツの『ギュスターヴ・クールベ』、などはプルードンへのブルジョア的な偏見が満ち満ちていて、ブルジョア側の理解度の低さが今日でもうかがわれる。
坂崎の岩波新書版『クールベ』には巻末にプルードンの論考の翻訳が掲載されているが、原著の情報がないので原著は未確認である。
推薦できるのは、近藤昭『クールベ』、ジェームズ・H. ルービンの図版が充実した『クールベ』だ。特に近藤昭の論考は革命に関する歴史的な理解があり素晴らしい。ジェームズ・H. ルービンには未邦訳だが、プルードンとクールベの関係に特化した本があり邦訳が待たれる。


追記:
カシュニッツ(p.95)によればゾラはプルードンのクールベ論を合理主義的な計画経済的?なものとして批判したという。刊行中の『ゾラ・コレクション』で未刊行の「美術評論9」に所収されることを願う。
それにしてもプルードンは右からも左からも批判されていてややこしい、、、
(個人主義及び自由主義の立場からは、ゾラ、ワルラス、シュティルナー、計画経済?からはマルクスなどからの批判がある。)

参考サイト:
クールベ画像リスト。画像一つ一つは小さいですが、収録数は最大級の充実振りです
http://www.the-athenaeum.org/art/by_artist.php?id=347

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by yojisekimoto | 2008-02-20 17:02 | プルードン

ゲゼルの減価式貨幣

ゲゼルの減価式貨幣の減価率は『自然的経済秩序』(ぱる出版)によると、一週間で1/1000、一年で5/100だそうだ。
プルードンが商品と労働を貨幣の位置にまで引き上げるといったのを受け継ぎ、ゲゼルは貨幣を商品と労働の位置にまで引き下げたのだが、その論理はわかっても、細かい減価率の根拠は実はわからない。
ちょうどどの貨幣も20年でゼロになる計算なので、これは一世代の期間といっしょである。ここに根拠があるのかもしれない。
実際には流通する紙幣は一年で回収され新札に戻される。その際の差額が貨幣管理者の収入だそうだから大きな政府を目指す場合は原価率を上げるという事例もあり得るのかもしれない。
それでも20年で消える、言い換えれば二十年で世代が入れ替わる紙幣というのも面白い。
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by yojisekimoto | 2008-02-13 21:38 | 地域通貨

『哲学の貧困』へのプルードンの書き込み(簡易版)

別ブログで作業中の『哲学の貧困』へのプルードンの書き込み(全54箇所)の簡易版をご紹介します。
全体としてはマルクスによる剽窃といった事件が浮かび上がります。第一章第3節で批判された「構成された価値」などは後の「価値形態論」そのものではないでしょうか(マルクスはプルードンが冒頭に貨幣論をおいたことを非難しているのに[岩波文庫p80]、のちに『資本論』で自身もそれを模倣する)。
////////////////

<>内は通し番号(全54箇所)、
大月全集版(第四巻)頁数/岩波文庫版頁数、()内はマルクスの言葉(大月版)、「」内はプルードンの書き込み、「()」内はプルードンの言葉の邦訳。

<1>
第一章
第2節より
100/69
(政治的平等は、目的としては誤謬であり、手段としてもまた誤謬である。)
       「Oui.(そうだ。)」

<2>
第二章
第1節方法より
第一考察
129/111
(しかし、諸カテゴリーは生産諸関係の理論的表現にほかならないのであるから、生産諸関係の歴史的運動を追求しない限り、これらのカテゴリーをば、自然発生的な、現実的諸関係とかかわりのない諸観念や諸思考としてしかもはや考えようとしないかぎり、純粋理性の運動をこれらの思考の源泉とみなすほかなくなる。)
     「Il est bien forcé, puisque, dans la société,tout est,quoi qu'on dise,contemporain;comme,dans la nature,tous les atomes sont éternals.(それは必然なのだ。今日、あなたが何と言おうと社会のすべての原子が永遠であるように。)」

<3>
131/114
(ヘーゲルが次のようなことばで語るのは、この絶対的方法のことなのである。) :
   「Très bien; cela est-il si bête?(大いに結構、でもこれは馬鹿げていないかね?)」

<4>
133/116
(彼は思考の運動によって世界を建設することができると信じこんでいる。しかし彼が[実際に]おこなっていることは、ただ、万人の頭脳のなかにある諸思考を体系的に再建設し、絶対的方法に従わせることであるにすぎない。).
      「Je ne prétends pas faire autre chose; et je crois que c'est quelque chose. Votre première observation n'observe rien.(私は何か他のものを装ったりはしない。そして私はそれが何か大事なものであると信じている。あなたの最初の考察は、何も考察していない。)」

<5>
第2考察
133/117
(しかし、これらの一定の社会的諸関係もまた麻布、リンネル等々と同様に、人間によって生産されるものであるということ、それを彼は理解することができなかった。)
     「Mensonge : c'est précisément ce que je dis. La société produit les LOIS et MATÉRIAUX de son expérience.(嘘だ。それは私が正確に言っておいた。社会は経験を通じてその法と素材をつくるのだ。)」(Les mots sont soulignes par Proudhon.(この言葉は、プルードンによって下線を引かれている。))

<6>
134/117
(それゆえ、これらの観念、これらのカテゴリーは、それらの表示する諸関係と同様に、永久的なものではない。)
「Oui, éternelles comme l'humanite, ni plus ni moins; et toutes contemporaines.
Votre deuxième observation n'aboutit pas.(いや、人間性が永遠であるように、すべては同時代のものでもある(それ以上でも以下でもない)。
あなたの第2考察は失敗している。)」

第3考察
<7>
134/138
(ついで、プルードン氏が純粋理性の力によって、他の諸局面の産出にとりかかると、彼はあたかもそれらが生まれたばかりの赤ん坊であるかのように取り扱い、それらが最初の局面の局面と同じ年齢であることを忘れてしまうのである。)
    「Je dis précisément tout cela.Dites-moi donc comment vous vous y prendrez pour parler tour a tour des objets de l'Econ.pol.? (私はこれをすべて正確に述べておいた。
どこまで経済、政治の事象からかけ離れたおしゃべりをするというんだ?)」

<8>
134/119
(諸カテゴリーをもって一個の観念体系という建築物を建造することにより、)
 「Oui vous parle de tout cela ?  Votre observation n'est qu'une calomnie.
(わかった、これがあなたの言わんとするすべてかね。あなたの考察は、中傷にすぎない。)」

第4考察
<9>
135/119
(彼は、小ブルジョアたちが…歴史上の偉人を考察するのと同じように[経済的に]諸カテゴリーを考察するのである。)
「J'ai fait moi-mêre la critique de cette manière de raisonner.(私は自身でこのような推論をすでに批判しておいた。)」

<10>
135/119
(解決すべき問題は、悪い面を除去して良い面を保存することである。)
  「Calomnie effrontée.(厚かましい中傷だ)」

<11>
135/120
(奴隷制度も、ほかの経済的カテゴリーと同様な一つの経済的カテゴリーである。)
「 Cela n'est que perfide ,mais raisonnable,point.―L'esclavage, extrême du proletariat, c'est-à-dire de l'infériorité relative, a sa raison d'être, qui le fera toujours exister, non comme esclavage, mais comme apprentis-sage, ou tout autre analogue. C'est toujours comme la douane.(これは、信頼するには足らないが、理にかなった見方だ。奴隷制度、ここでいう増大するプロレタリアートは、いわば相対的な下層階級であり、常に存在するその存在理由においては、奴隷制度というより、模倣または類似した別ものとしての奴隷制度である。それは、あたかも常なる習慣となったかのようだ。)」

<12>
136/121
Comment M. Proudhon s'y prendra-t-il
(ヘーゲルは提起すべき問題をもたない。彼がもっているのは弁証法である。ヘーゲルの弁証法についてプルードン氏のもっているのは、ただ、そのことばづかいだけである。彼独特の弁証法的運動[方法]は、独断的な、善悪の区別である。)
        「Absurde.(馬鹿げている。)」

<13>
136/122
(悪い面を除去するという問題をみずからに課することだけで、弁証法的運動は中断されてしまう。)
        「Qui vous a jamais parlé d'élimination ?(除去するなどと誰がいったであろうか?)」

<14>
137/123
(:第4の考察の終わり)
       「Votre quatrième observation n'est qu'un mensonge, qu'(?) une calomnie.
(あなたの第4の考察は嘘ばかりで、中傷だ。)」

第5考察
<14,b>137/123
(すなわち、プルードン氏の言によると、(諸カテゴリーがそのなかに自己を顕現したところの)歴史的継起を、)   
            「 Il n'y en a pas.(そんなものはありはしない。)」

<15>137/124
(彼がわれわれに経済的諸カテゴリーを与えるその順序はもはや経済的諸カテゴリーが相互に生みだしあうその順序ではない、)
「Faux.Apprécier à sa juste valeur la logique, ce n'est pas nier la logique.(虚偽だ。公正価格の論理で評価されたものは、その論理を否定することはできない。)」

<16>138/124
(世紀が原理に所属していたのであって、原理が世紀に所属していたのではなかった、)
  「Oui vous parle de cela ? Quand je dis positivement le contraire?
(誰がそれを言ったのだ?私が言ったのは正反対のことなのに?)」

<17>138/125
(しかし、人間を彼ら自身の歴史の俳優兼作者として表現するやいなや、)
   「 Voila donc que j'ai le malheur de penser encore comme vous!
Ai-je jamais prétendu que les PRINCIPES sont autres choses que la représentation intellectuelle,non la cause génératrice des faits?
    Votre cinquième observation est une imputation calomnieuse.
    Le veritable sens de l'ouvrage de Marx,C'est qu'il a regret quepartout j'aie pense comme lui,et que je l'aie dit avant lui.
Il ne tient qu'au lecteur de croire que c'est Marx qui,apres m'avoir lu,a regret de penser comme moi! Quel homme!
   (そう、あなたのように考えるならそれは私の不幸だというものだ。
私は原理が、事実から生起していない知的な表象だと言っただろうか?
あなたの第5の考察は名誉を毀損するものだ。…マルクスの著作の本当の意味は、とりわけわたしがかれと同じように考え、そしてかれよりも前にわたしがそのことを言ったことを残念がっているところにあるのだ。いやはや何という男だ!)」

第6考察
<18>139/126
(経済的諸関係が、活動的でかつ現に活動しつつある人間に先だって存在していたということに、一応しておこう。)
      「Je n'ai pas besoin de votres supposition.(私にはあなたの推測は必要ない。)」

<19>139/126
(諸矛盾を生みだす力は、これほどまでにすさまじいものであるので、)
       「Apparaître et exister sont deux choses différentes, dont la premiere n'est vraie que pour nous.
(現象と存在は2つの異なるものであり、そして、最初のものが我々にとっての真実である。)」

<20>140/127
(なにものかが生産されうることを拒否するのである。)
   「Oui,production,c'est apparition.(そうだ。生産は外観上のものだ。)」

<21>140/127
(そうするために彼は、一つのあらたな理性を発明した。)
        「Vous plaisantez toujours par avance :commencez par avoir raison.
(あなたは、前提を常に間違えている:正確に始めるべきだ。)」

<22>141/129
(このようなことばの入れかえには、もはや、(プルードン氏の名において)われわれを驚かしうるほどのものは一つもない。…
…プルードン氏の理想だからである。)
       「Bavardage.(無意味なおしゃべり。)」

<23>142/130
(だから神意は、…
…歴史の進行を説明するために今日もちいられている大言壮語である。…)
       「Me voilà coupable encore d'adoration à la Providence !…(ここでまだ私は神意を崇拝するという罪を犯しているのだそうだ!)」

<24>142/130
(神意にたいして、あれほど優しい気持を抱いているのであるから、)
      「Pasquinade!(皮肉か!)」

<25>142/130
(…事実のありふれた言いかえ方の一つである)
「ー Quelle est cette chicane ? ― les générations transforment ! ―Je dis moi que le mème principe unit, gouverne, toutes les manifestations; ― je ne sais ce que c'est que transformation.
     La France de 89 a transformé son monarque absolu en monarque constitutional. Soil. Voilà votre style.
     Je dis, de mon côté, que l'Etat, en 89, a régularisré la division des pouvoirs politiques qui existait avant 89.
     Le lecteur jugera.
     La sixiéme observation tombe sur Hegel, et n'a trait à rien.(この詭弁は何だろうか?ー世代は移り変わる!-すべての病状を呈している政府について、私の原則、政府がどのように変化するかはわからないと私は自身に言い聞かせる。
1789年、フランスは、立憲君主制においてその専制君主を土塊に変えた。それは、あなたの[政治革命の]スタイルだ。
私が主張するのは、私の見方では、1789年の国家は1789年以前と 政治勢力の分割を変えたということだ。これは読者が判断することだ。
第6の考察はヘーゲルを攻撃しているが、それは何も成し遂げていない。)」

<26>143/132
(神意にたいして、あれほど優しい気持を抱いているのであるから、), nous le renvoyons à l'Histoire de l'économie politique, de M. de Villeneuve-Bargemont, qui, lui aussi, court après un but providentiel. Ce but ce n'est plus l'égalité,c’est le catholicisme.
       「Quelle bêtise après ce que j'ai écrit ! ー En vérité, Marx est jaloux.
       (わたしが書いておいたというのに何という馬鹿なことを! 本当のところ、マルクスは嫉妬しているのだ。)」


第7考察
<27>145/134
(だから、封建的生産について正しい判断をくだすために、), il faut la considérer comme un mode de production fondé sur l'antagonisme.
        「Est-ce que Marx a la prétention de donner tout ceci comme sien, en opposition avec quelque chose de contraire que j'aurais dit ?(マルクスは私が正反対のことを言ったことにして、すべてが自分の言葉であるかのように主張するのか?)」

<28>146/135
(たえず増大するプルレタリアート).
 「Mais tout cela c'est moi!(しかし、すべて私の言葉だ!)」

<29>146/136
(この闘争に参加するプロレタリアートは、)
      「J‘ai dit tout cela.(もうすべて私が書いたことだ。)」

<30>147/138
(しかし彼らは、他の人々よりもブルジョア的なのである。)
 「Marx fait comme Vidal.(マルクスは寄生虫のようだ。)」

<31>147/138
(これらの理論家たちは、(被抑圧階級の欲求にそなえてそれにこたえるため、)もろもろの体系を一時のまにあわせにつくり、)
      「Plagiat de mon chapitre I(er).(私の第一章の剽窃だ。)」

<32>148/139
(ではプルードンに話を戻そう。)
      「Comment! revenons! Mais les pages qui precedent sont une copiu de moi.
      (なんと!、話を戻そうだと! だがこれまでの数頁はわたしのひき写しではないか。)」

第2節分業と機械
<33>149/141
(ものごとをあまりにも簡単なものにしてしまうことであろう。)
        「Qu'est-ce que tout cela prouve ?
        Que l'humanité progresse lentement.(このことは、何を証明しているだろうか?
人類は、ゆっくり進歩しているということだ。)」

<34>150/142
(アダム・スミスはプルードン氏が考えているよりも、もっと先を見ている。)
 「Bien.(よろしい。)」

<35>150/142
(このことはまったく、プルードン氏が別の箇所で、アダム・スミスは分業の生みだす欠陥に気づいてもいなかった、と述べることを妨げないのである。)
        「Bien. Mais Smith a-t-il éclairci le problème ? ーNon.(よろしい。しかしスミスは、問題をはっきりさせただろうか?ーいいや。)」

<36>152/144
(Citation de Ferguson et deux paragraphes suivants.ファーガソンの引用と2パラグラフに続いて)

Le problème n'est pas éclairci.(問題は解決されていない。)


<37>153/146
(「細分された労働の第一の結果は」とプルードン氏はつづける、…
…プルードン氏は、この賃金の低下が堕落した魂に相応することを証明するために、…だと言って、)
       「Allons, cher Marx, vous êtes de mauvaise foi ,et tout à la fois vous ne savez rien.
(さて、親愛なるマルクスよ、あなたは不誠実だ、そして、ここから先あなたは何も理解していない。)」

<38>154/148
(機械は一つの生産力であるにすぎない。)
        「C'est un philosophie qui dit cela.(これは言わば一つの哲学[思弁]だ。)」

<39>158/153
(ものごとを見るにしてもそれを逆に見るプルードン氏にとっては)
        「Non pas la division dans le sens d'A. Smith , mais la grande division naturelle des métiers.
         (アダム・スミスの意味での分割ではなく、職業の自然的大分割なのだ。)」

<40>
158/154
(本来の意味での機械は、一八世紀末から存在している。機械を分業の反定立と考えたり、細分された労働の統一を回復する総合と考えたりするほど、ばかげたことはない。)
        「Je maintiens cela.(私はそれ[=矛盾]を維持する。)」

<41>
158/154
(分業によって…バビッジ、パリ、1833)
        「Donc la machine vient après la division.(そして、機械は分業の後到来する。)」

<42>
158/154
(簡単な道具、これらの道具の集積)
       「Donc l'atelier qui groupe les parties du travail vient aussi après la division.(そして職場を束ねる労働団体は、分業の後、到来する。)」

<43>
158/154
(生産諸用具の集中…不可分である。)
       「Sans doute,il ne s'agit que d'une succession logique.(疑いなく、これはただの論理的帰結だ。)」

<44>
158/154
(プルードン氏にとっては、労働用具の集中は分業の否定である。)
「Oui.(そうだ。)」

<45>
158/155
(用具の集中が発展するのに応じて分業もまた発展し、分業が発展するのに応じて用具の集中もまた発展する。)
     「Oui aussi, tout cela est vrai en mème temps.
      (これまたその通り。これらすべては同時に本当のことだ。)」

<46>
159/155
(分業におけるすべての発展がこんどはまた、機械装置におけるあらたな諸発明をもたらすことになるのである。)
  「Très bien, cela s'explique dans ma théorie parfaitement, comme le développement parallèle de la richesse et de la misère.
     (よろしい、これは富と貧困の平行した発展として、完全に私の理論で説明される。)」

<47>
159〜160/156〜156
((引用者注:機械の必要性をマルクスは説き、)自動機械工場は、…自動機械の、発生しつつある絶対的支配にたいして(抵抗したのであった。))
「Absurde, comme l'opinion qui croit déshonorer la balance du commerce par les vexations de la douane.(税関の嫌がらせによって貿易収支が不渡りを出すのを信じるといった意見のように、不合理だ。)」

<48>
160/157
(だが実際、…われわれが今自動機械工場で見るような分業とのあいだには、なんという相違があることだろう!)
         「La division, pour moi, remonte plus haut qu'A. Smith ; elle est prise aussi dans un sens plus large.
(分業は、私の考えでは、A・スミスよりももっとさかのぼり、それはより広い意味に理解される。)」

<49>
161/158
(それゆえ、自動機械制度の原理は、…)
          「 L'un n'est que la conséquence de l'autre; et tout ce qui se dit du premier convient au second.(ものごとはある事柄の帰結であり、そしてすべてははじめからから二番目につづく必要があるということだ。)」

<50>
162/159
(このような配置の転換は、…旧来の慣例に公然と対立するものである。)
           「 Très bien : j'ai marqué cette opposition ―, la dégradation de l'ouvrier est plus avancée dans ce que vous appelez systéme automatique que dans ce qu'A. Smith appelle division : ー quant à moi, j' ai marqué ces deux degrés par la Division, et machines.
      J'ai dit : la Division du Travail morcelle, mutile, éparpille l'homme ; ― Les machines l'asservissent : c'est exactement la même chose que le Dr Ure.(大いに結構。私の意見はその反対だ。労働者の堕落は、スミスが分割とよぶものにおけるよりも、あなた[マルクス]が自動体系とよぶものにおける方が、より以上すすむのである。私についていえば、私は、分割と機械によって、これら二つの程度を示したのである。細分化され、ばらばらにされた分業は、人間を分散させる。機械は、人間を隷属させる。これは、ドクトゥール・ユアとまったく同じことである、と私は、のべたのである。)」

<51>
163/161
(しかし、すべての特殊的な発展が停止するとき、、、)
   「Bon! Et comment entendrez-vous ce développement intégral ?(よろしい。だが、あなたは、この全般的発展をどのように理解するのであろうか)」

<52>
163/161
(プルードン氏は…。そして、たんに一本の針の一二分の一の部分をつくるだけでなくて、一二の部品をすべてつぎつぎとつくることを、労働者に提議する。労働者は、そうすることによって、針の知識と意識に到達するであろう。)
         「Oui, en tant qu'il ne s'agirait que de résoudre l'antinomie de la division; mais je n'ai pas dit que tout fut là.
Il faut que l'habileté anciennne et moderne, sache travailler à la fois, et par ses doigts, et par les machines.
         Car, il est absurde qu'il ne puisse se passer de la machine, lui qui s'est fait remplacer par la machine.
          Le synthétisme, parvenu au plus haut degré, exige de l'ouvrier tout à la fois, et une plus grande capacité, et un développement moindre de…[Sagacité?]
(そうだ、分業の矛盾を解決することが必要なだけだが、しかし、私は問題のすべてがそこにあるとは言わなかった。
我々は、指先と機械とによる、古くて現代的な能力を同時に必要としている。
というのは機械に出来ないことができる職人が機械に取り替えられるのは不合理だからだ。ジンテーゼ(最も高水準の総合)のためには、労働者が、もっと大きな能力と[知恵?]のよりゆるやかな発展とを同時に得る必要がある。)」


第二章第3節より
<53>
169/163
(恋する男の直接対象が女であるならば、生産活動上の励みあいの直接対象は生産物であって、利潤ではない。)
      「Synonymes ici.(これは同語反復だ。)」

<54>
169/163
((競争は、)生産活動上の励みあいではなくて、商業上の励みあいである。)
       「Autres synonymes.(またしても同語反復だ。)」
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by yojisekimoto | 2008-02-09 23:47 | プルードン

地政学の逆襲

『ネットワーク分析―何が行為を決定するか』(安田雪、新曜社)で紹介されていた、スナイダーとキックの論文*は興味深い。
ウォーラーステインが、直観的に中心、周辺として分けた国際的な従属構造を数値化しているのだ。
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しかし、これらはパラメーターの選び方にもよるが、基本的には軍事力と経済力が従属関係を決定するという結論が先に見えているものだ。ヘーゲルのように主人―奴隷関係として思弁化していない点は偉いとは思うが、、、

これに対して、最近柄谷行人が紹介しているウィットフォーゲル(以前このブログでも紹介した)などはそれに対して地政学の重要性を示している。
こちらのほうが、これからのアメリカ、日本のあり方を指し示しているように思う。
アメリカ合衆国は南米に吸収されるだろうし、日本は「島」だということが重要になるのだ。

追記:
地政学の重要性は、以前にも書いたが、スケールフリーを誘発するネット社会が、「地域」という実体をもつことではじめてスケールフリー化を防ぐことができるという展望にも関わる。



Structural Position in the World System and Economic Growth, 1955-1970: A Multiple-Network
Analysis of Transnational Interactions
David Snyder; Edward L. Kick
The American Journal of Sociology, Vol. 84, No. 5. (Mar., 1979), pp. 1096-1126.
Stable URL:
http://links.jstor.org/sici?sici=0002-9602%28197903%2984%3A5%3C1096%3ASPITWS%3E2.0.CO%3B2-X
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by yojisekimoto | 2008-02-06 16:48 | 研究

プルードンの矛盾の体系

プルードンの経済学を解説したものに以下の図がある。
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(P)は肯定的で、(N)は否定的規定群を意味する。
一見するとヘーゲルのそれと近いのだが、ヘーゲルの場合矛盾は解消されてしまうのに対して、プルードンの矛盾は解消されない。

「アンチノミーは解消されない。ヘーゲル哲学が全体として根本的にダメなところはここだ。アンチノミーをなす二つの項は互いに、あるいは、他のアンチノミックな二項との間でバランスをとる」*(プルードン『革命と教会における正義』、 斉藤悦則氏のHPより)

図の制作者、佐藤茂行氏の解説を見てみよう。

 「まず、各カテゴリーが大別して、相異なる二つの概念規定をもつということは、カテゴリー(類概念)が、相異なる、不調和な、つまり「矛盾」した規定(種概念)から構成されている、ということである〔この規定は、経験的なものとして考えられている〕。また、各カテゴリーに共通した二つの規定がみられる、ということは、共通した基準にもとづいて、それらの規定が分類されていることを物語る。つまり各カテゴリーの規定は、共通した、ある基準にもとづいて二つのグループに二分されているということである。この共通の基準が「体系」の論証主題(区分原理)としての平等=正義にあたることは明らかである。各カテゴリーの規定の(P)グループは、平等=正義の基準からみ肯定的(positive)な規定群であり、これにたいして(N)グループは、同様に否定的(negative)な規定群である。このようにして、各カテゴリーは、平等=正義の基準からみて、相異なる(=矛盾した)肯定的規定と否定的規定の「アンチノミ−」からなっているのである。そしてこれらの肯否それぞれの規定が、平等=正義を基準とした二分法によって区分され、分類されたものであることは明白であろう。
 つぎに、各カテゴリー相互の関連をみると、最初の「分業」を除けばそれらは先行するカテゴリーを否定するかたちをとっており、相互に「矛盾」する関係にあることがわかる。すなわち第二期の端緒たる「分業」を例外として各カテゴリーの肯定的規定が、いずれも先行するカテゴリーの否定的規定を否定するかたちで定立されていることがわかる。ここから先行するカテゴリーの否定的規定が、つぎのカテゴリーの〔肯定的規定の〕設定のいわば否定的契機の役割を果していることは明らかであろう。
以上、第一期から第五期までのカテゴリーについてみると、平等=正義を区分原理とし、否定的規定を展開の契機とした種概念(肯否の規定)の分類体系が成立していることが明らかとなる。これを「表(タブロー)」として表わしてみると上表のようなものとなろう。
 これらのカテゴリーの関係はすでに触れた通り、各カテゴリーの否定的規定を契機として結びついているわけであるが、これは各カテゴリーがプルードンのいう系列関係にあることを示している。
しかもこの関係は、いずれも㈱と脚との「矛盾」によって成立しているところから、この系列はまさしく弁証法的系列にほかならない。そしてこの系列は、一定の分頼主題(平等=正義)のもとに統括された弁証法的系列の体系でもある。
 ブルードンによれば、系列は法則すなわち必然性を表わすものであり、それを証明するには系列の諸項を継続的にたどる(parcourier)ことによって、諸項の間に同一性を検証すればよい(Creation,p.200.)。この考え方からすると、各カテゴリーの諸規定をたどることによって、それらの規定の間に「平等」なり「貧困」なりの同一性つまり共通性を検出できれば、これによって「平等」と「貧困」の対立関係の系列=法則が確証されたことになり、その結果それは必然的な法則として証明されたことになる。ブルードンは、平等については既述の通り正義と解し、また貧困については、のちにみるように、悪と考えているから、したがって、カテゴリーの「弁証法的系列」は、平等=正義と、貧困=悪との対立の必然性を論証する体系を構成していることになるわけである。以上、第五期までの「矛盾の体系」の展開について、「系列の弁証法」が適用されていることは明瞭であろう。」
佐藤茂行『プルードン研究―相互主義と経済学』(木鐸社、p148-9)より

プルードンの思想を図解したものは他に以下がある。これは時間軸が無視された構造的な把握だ。
参考:『プルードン研究』(岩波書店、p48)作田啓一作成の図。
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この図は、柄谷行人の四つの交換図に似ているが、実際にはパーソンズの影響を受けたものだろう。

参考サイト:ヘーゲルとパーソンズと柄谷:メモ

話は戻ってプルードンの経済論だが、これはマルクスによる意図的誤読による攻撃があったために、無視され続けている。マルクスに対するプルードンの反論は本の余白への書き込みというかたちで残っている。検証サイトをつくったので参考にしていただけると幸いです。

参考サイト:マルクス『哲学の貧困』へのプルードンの書き込み

プルードン(対マルクス)に関してはスペイン語の以下のブログが詳しい。
http://franciscotrindade.blogspot.com/2005/11/polmica-das-duas-misrias.html

追記:
プルードンに関しては斉藤悦則氏の以下のサイトが必読と思われる。
プルードンとマルクス
http://www.kagomma.net/saito/travaux/P&M.html
以下上記サイトより。

 分業・機械・競争・独占・租税・貿易・信用・所有・共有・人口という十のカテゴリーのそれぞれにプラス面とマイナス面がある。ひとつのカテゴリーの否定面を否定する形でつぎのカテゴリーがあらわれるが,これもまたあらたな否定面を不可避的に随伴する。善(肯定面)のみを保持し,悪(否定面)のみを除去しようとしても,それはむなしい。なぜなら,両者はともにそのカテゴリーの本質的な属性であり,ともに必然で等価の存在理由をもっているからである。プルードンはこうした関係をカント*風にアンチノミーと名づけ,現実の経済社会をアンチノミーの連鎖(すなわち矛盾の体系)として描き出そうとした。経済事象の内的対立が経済にダイナミズムをもたらし,アンチノミーがあるからこそ社会は前進する。矛盾がない状態とは停滞であり,生気の欠如であり,死のごとき無にひとしい。たとえば私的所有の弊害を見て共有の賞揚にむかうのはありがちな図式だが,こうした共産主義に永遠の楽園を期待するのは愚劣かつ危険である。もちろん私的所有の弊害を無視するのはさらにナンセンスかつ有害である。われわれはどこまでも矛盾とともに生きることを覚悟しなければならない。


この言葉はベンヤミン『パサージュ論』邦訳第4巻にも孫引きされている。ベンヤミンは『パサージュ論』で20箇所くらいプルードンに言及しているが(マルクスの半分以下だろう)、孫引きが多い。ボードレール論を書く際にもその素材をフーリエやブランキを描写したようには活用しなかった。このことは再度書いてみたい。
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by yojisekimoto | 2008-02-04 23:47 | プルードン