<   2009年 08月 ( 6 )   > この月の画像一覧

キルケゴール(1813-1855)の世界:試作

       <キルケゴール(1813-1855)の世界>
左手=倫理的、              右手=宗教的
   この世的
『現代の批評』     _______  『建徳的講話』
 ↑ 『後書き』    |宗教的世界  |         ↓
『人生行路の諸段階』 |(キリスト) |    
『不安の概念』  二階|______『死に至る病』『野の百合・  
『哲学的断片』    |倫理的世界  |      空の鳥』
『反復』     一階|(ソクラテス)|
『おそれとおののき』_|_______|___
『あれか、これか』//|審美的世界  |///
         //|(ドン・   |///
         //|_ジュアン)_|///
         地下////////////
      『あれか、これか(第一部:誘惑者の日記)』

キルケゴール内部は、
2階=宗教的(キリスト) 、
1階=倫理的(ソクラテス)、
地下=審美的(ドン・ジュアン) という構造になっている。

参考:
http://homepage.mac.com/berdyaev/kierkegaard/kierkegaard_1/kierkegaard2.html

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by yojisekimoto | 2009-08-28 02:40 | 研究

ドゥルーズとカント:メモ

「ジル・ドゥルーズのわかりやすい言葉でいえば、この現実のほかにいろんな可能性があるということではなく、ほかならぬこの現実が潜在性においていかに多層的で豊かであるかを発見することが重要なんだ、と。そこのところを、そのあとで出てきたSFやアニメやコンピュータ・ゲームの類は全部間違えている。(略)本当はこの現実しかない、言い換えればメタロジックなんてものはないんだから。」浅田彰

http://frequency123.tumblr.com/post/144546614
「オウムとは何だったのか」 『諸君! 1995年8月号』(文藝春秋)所収
http://d.hatena.ne.jp/kataru2000/20060616
『「オウム事件」をどう読むか』 (文藝春秋)再録

カントは第一批判で、以下のように言う。
「存在=ある」はリアルな(実在的な)述語ではない、と。
カントはリアルと現実性とを分けるが、ドゥルーズはそれを再びつなげようとする。

ドゥルーズにとって潜在性はリアルな述語なのだ。
しかし、この一般性に対して単独性を主張する潜在性なる用語は、誤解を与えやすい。
ドゥルーズは潜在性を、リアル(実在的)というよりも、カントで言えば様相のカテゴリーにおける現実性として考えているように見えるのだ。それは可能性ではないと言ったときにあくまで差異として潜在性を規定するために生まれる曖昧性なのだ。
自由間接話法の欠点とも言えようか。

ドゥルーズに対してはそのプラトン主義(実在主義)を批判するバディウ(これは先の曖昧性を逆から解釈している)、先に引用した浅田彰のような意見に対しては「ゲーム的リアリズム」を主張した東浩紀がいる。

ただし、ここでは状況論的な可能性を論ずる余裕はないので、それよりも思想的潜在性としてハイデガーの存在の重要性を示しておきたい。
先日の日記にもデリダ、ドゥルーズ双方の思想を準備したハイデガーについて書いたが、そこにはスピノザに対する無視という問題があった。

ドゥルーズは明らかにスピノザよりの実在論的な思想家だが、スピノザをライプニッツ的多数性に位置づけることでハイデガーを受け継いだのだ。

個人的にはスピノザの単独性を明らかにしつつ、潜在性の哲学の展開が可能なのではないかと考えている。


追記:
冒頭の浅田の発言に呼応するものとして、以下の言説がある。
<クリプキが現実社会から出発して可能世界を考えるとき、その現実社会とは、素朴な経験的世界ではなく、すでに可能性から見られた現実性の世界である。ここに一種の循環がある。クリプキの批判者はこの論理的循環を衝く。しかし、この循環は、「現実性」が「可能性」なしに考えられないということにすぎない。最初にのべた多数世界論に欠けているのは、この現実性なのである。>(『探究2』(単行本版p52)
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by yojisekimoto | 2009-08-22 20:27 | カント

インド唯名論と実在論

『ウパデーシャ・サーハスリー』:
(千の教説、シャンカラ著)最近岩波文庫でヒンズー教唯名論の古典が再刊されたので、以前書いた関連著作の書評を採録します。 ☆図

インド哲学七つの難問 (講談社選書メチエ) (単行本)
宮元 啓一 (著)

哲学における失われたミッシングリンクとして、今後重要となるであろう仏教以外のインド哲学(ヒンドゥー教側)の紹介である。
類書よりも本書をわかりやすいものにしている、実在論のヒンドゥー教側と唯名論の仏教側の論争という構図は、著者も言うようにおおざっぱな位置づけとしては有効だろう。
それは中国において老子と孔子が、西欧哲学においてスピノザとカントがあるようなものだ。
ただ、ヒンドゥー側に立つ著者には少し「外道」としてのコンプレックスがあり、それが参考文献の紹介の少なさに加えて本書の欠点となってしまっている。しかし、それを補って余ある貴重な論考でもある。
特に、( 索引がついておりそれも便利だが)前作『牛は実在するのだ』にあったものからさらに推敲されたインド哲学相関年譜↓(p24)は役に立つ。
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改訂版:インド哲学相関年譜(参照:宮元啓一『インド哲学七つの難問』24頁)↓

               <ヴェーダの宗教>     (『ブリハドアーラニヤカ・ウパニシャッド』)
               最初期ウパニシャッド文献(前8〜前7)、ヤージュニャヴァルキヤ(観念論)vs.
前8             ウッダーラカ・アールニ『チャーンドーギア・ウパニシャッド』6章(実在論)=「有」の哲学
     沙門たちの宗教     |____________________________☆文法学派          
前6 <ジャイナ教 <◯仏教>仏陀|                             |
      など>(前6〜前5)<ヒンドゥー教>                       |
前4         |     |_____________◯ヴァイシェーシカ学派(前2) パーニニ(前4)
           |     |              カナーダ『ヴァイシェーシカ  |
前2       『ミリンダ王  |____☆ミーマーンサー学派    スートラ(定句集)』 パタンジャリ
   <大乗仏教> の問い』   |           |         (前2〜後1) |(前2〜前1)
西暦紀元   |   |(前2) | 『ミーマーンサースートラ』(1〜2)     |    |
       |   |     |___________|____◯ニヤーヤ学派 |    |  
 2 ナーガールジ  |     |_☆ヴェーダ     |『ニヤーヤスートラ』  |    |   
   ュナ=龍樹(2)|     |  ーンタ学派    |      (2〜3) |    |     
 『方便心論』|   |     |__|________|_______|____|____|_サーンキヤ学派
 4 <ヴァスバンドゥ=世親>  シ 『ブラフマ  シャバラス      |    |    |   |___ヨーガ学派
『唯識三十頌』|   |(5)  ャ  スートラ』 ヴァーミン ヴァーツヤーヤナ チャンドラ |『カーリカー』『ヨーガ
    ディグナーガ |     ク  |(4)    (4) 『ニヤーヤ(5) マティ=慧月|   |(4)スートラ
 6 =陳那(6)『 |     テ  |『ウ      |  バーシヤ』|『十句義論』(5)|   |   |  (4)
因明正理門論』|   |     ィ パデーシャ・  __|   ウッディヨー   |    バルト |   ヴィヤーサ 
     ダルマキ  |     時 サーハスリー』|  |   タカラ(6) プラシャス  リハリ |   |  (5)
 8   ールティ  |     代  シャンカラ |クマーリラ     |  タパーダ(6)(6) |   |  
『他相続の存(7)  |     |  |(8)  |  |(8)    |  『バーシヤ』 |   |   |
   在論証』|   |     |  |   プラーバ |       |____|    |   |   |
       |   |     |  |   ータカラ |       ウダヤナ(10)  |   |   |
       |   |     |  |   (8)  |          |      |   |   |
       |   |     |  |        |    アンナンバッタ(15)  |   |   |
       |   |     |  |        |  ?『マニカナ』(17?)   |   |   | 
       |   |     |<一元論>     <___多____元____論____>   <二元論> 
       <___唯___名___論__>     <___実____在____論____>   <唯名論or実在論?>


☆=語は常住、『顕現論者』、
◯=語は人為的、『生起論者』、中村元選集第25巻p418より


本書においては著者が学問的飛翔を試みている部分が貴重だが、研究上より正確を期すなら他の参考文献(ヒンドゥー教側と仏教側との論争、特にニヤーヤ学派と龍樹から陳那にかけての仏教側との論争については本書には記述が少ないので中公新書の類書、『インド人の論理学』がよい)に本書以降当たることが望ましい。
なお、石飛道子氏のHPに本書に対する批評が掲載されていることを追記しておく。

注:
今回再刊されたシャンカラの著作はヒンズー教側だが、不二一元論で唯名論側とされる。(『ニヤーヤ・バーシュヤ(論証学入門)』や『勝宗十句義論』など)実在論側の文庫化が望まれる。

ちなみに、『ヨーガ・スートラ』(佐保田鶴治訳)などによると、ヨガは基本的に実在論であり、編纂された経典には仏教唯識派への反論が見られるという。また、ヴァーツヤーヤナは『カーマスートラ』の作者として知られる。

「兎角」など無をめぐる議論はカントのそれと比較すると面白いだろう。

参考:
世界の名著1『バラモン教典原始仏典』(中央公論)

追記、
再改訂版:インド哲学相関年譜(宮元啓一『インド哲学七つの難問』24頁を参照、追加記述した。)

               <ヴェーダの宗教>
               最初期ウパニシャッド文献(前8〜前7)、
            ヤージュニャヴァルキヤ(観念論)vs.ウッダーラカ・アールニ(実在論)=「有」の哲学
前8               |
     沙門たちの宗教     |____________________________☆文法学派          
前6 <ジャイナ教 <◯仏教>  |                             |
      など>(前6〜前5)<ヒンドゥー教>                       |
前4         |     |_____________◯ヴァイシェーシカ学派(前2) パーニニ(前4)
           |     |              カナーダ『ヴァイシェーシカ  |
前2       『ミリンダ王  |____☆ミーマーンサー学派    スートラ(定句集)』 パタンジャリ
   <大乗仏教> の問い』   |           |         (前2〜後1) |(前2〜前1)
西暦紀元   |   |(前2) | 『ミーマーンサースートラ』(1〜2)     |    |
       |   |     |___________|____◯ニヤーヤ学派 |    |  
 2 ナーガールジ  |     |_☆ヴェーダ     |『ニヤーヤスートラ』  |    |   
   ュナ=龍樹(2)|     |  ーンタ学派    |      (2〜3) |    |     
       |   |     |__|________|_______|____|____|_サーンキヤ学派
 4 <ヴァスバンドゥ=世親>  シ 『ブラフマ  シャバラス      |    |    |   |___ヨーガ学派
       |   |(5)  ャ  スートラ』 ヴァーミン ヴァーツヤーヤナ チャンドラ |『カーリカー』『ヨーガ
    ディグナーガ=|     ク  |(4)    (4) 『ニヤーヤ(5) マティ=慧月|   |(4)スートラ』
 6  陳那(6)  |     テ  |        |  バーシヤ』|『十句義論』(5)|   |   |  (4)
       |   |     ィ  |      __|   ウッディヨー   |    バルト |   ヴィヤーサ 
     ダルマキ  |     時  |     |  |   タカラ(6) プラシャス  リハリ |   |  (5)
 8   ールティ  |     代  シャンカラ |クマーリラ     |  タパーダ(6)(6) |   |  
      (7)  |     |  |(8)  |  |(8)    |  『バーシヤ』 |   |   |
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       <___唯___名___論__>     <___実____在____論____>   <唯名論or実在論?>
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by yojisekimoto | 2009-08-08 14:50 | インド哲学

カント哲学体系立体図(試作)

何のことかわからないかもしれませんが、カント哲学体系立体図を試作してみました。

          __________________________________            
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       /  |             /  |             /オ |
      /___|____________間___|____________/   |          
     /|   |           /|   |           /| プ |
    / |   |          / |   | 学        / |   |
   /  |   |         /  |   |         /  | ス |
  /___|___|________/___|___|________/   |   |
 |    |   |       |    |   |       |    | ・ |
 |    |   |       |    |   |       |    |   |
 |    |  論|       |    |   |       |    | ポ |論
 |    |  理|_______|____|___|_______|____|___|理
 |    |  学|       |    |  /|       |    | ス/|学
 |    | / | 純   粋 | 理  |性/ |批   判  |    | / |
 |    |/  |       |    |/  |       |    |/ト | 
 |永   |___|_______|____|___|_______|____|   |           
 |遠  /|   |       |   /|   |     (美|学) /| ゥ |
 |平 / |実 践|理 性 批 判|  / |判 断|力 批 判  |  / |   |
論|和/  |   |       | /(目|的 論|)      |論/  | ム |
理|/___|___|_______|/___|___|_______|理   |   |
学|の   |   |       |    |   |       |学   | ム |
 |た   |   |       |    |   |       |    |   |
 |め   |   |_______|____|___|_______|____|___|
 |に   |  /        |    |  /        |    |  / 
 |    | /  自  然  の|  形 |而/ 上   学   |    | /
 |    |/          |    |/          |    |/
 |    |___________|____|___________|____/
 |   /          (徳|論) /            |   /
 |  /  人 倫 の      |  / 単なる理性内に     |  /
 | /(法学) 形 而 上 学  | /    おける宗教(目的論)| /
 |/_______________|/_______________|/


あるいは、


          __________________________________            
         /| (性格学)         /|         (認識)  /|
        / |      人       / |              / |
       /  |             /  |             /オ |
      /___|____________間___|____________/   |          
     /|   |           /|   |    (快、不快) /| プ |
    / |   |          / |   | 学        / |   |
   / (|欲求)|         /  |   |         /  | ス |
  /___|___|________/___|___|________/   |   |
 |    |   |       |    |   |       |    | ・ |
 |    |   |       |    |   |       |    |   |
 |    |   |       |    |   |       |    | ポ |論
 |    |   |_______|____|___|_______|____|___|理
 |    |  /|       |    |  /|       |    | ス/|学
 |    | / |  自   然| の  |形/ |而   上  |学   | / |
 |    |/  |       |    |/  |       |    |/ト | 
 |永   |___|_______|____|___|_______|____|   |           
 |遠  /|   |     (徳|論) /|   |       |   /| ゥ |
 |平 / |人 倫|の      |  / |理性の|限界内に   |  / |   |
論|和/(法|学) |形 而 上 学| /  | おける宗教(目的論)| /  | ム |
理|/___|___|_______|/___|___|_______|/   |   |
学|の   |   |       |    |   |       |    | ム |
 |た   |   |       |    |   |       |    |   |
 |め   |   |_______|____|___|_______|____|___|
 |に   |  /        |    |  /    (数学)|    |  / 
 |    | /   純   粋 | 理  |性/  批   判  |    | /
 |    |/          |    |/   (物理学)  |    |/
 |    |___________|____|___________|____/
 |   /         (倫理|学) /          (美|学) /
 |  / 実 践 理 性 批 判 |  /  判 断 力 批 判  |  /
 | /              | /(目的論)         | /
 |/_______________|/_______________|/

追記:
フーコーの『カントの人間学』を参考に書き直してみた(2010/5/24)。

          __________________________________            
         /|               /|     (教育論/認識)  /|
        / |      人       / |              / |
       /  |             /  |             /  |
      /___|____________間___|____________/   |          
     /|   |           /|   |    (快、不快) /|   |
    / |   |          / |   | 学        / |   |
   / (欲求) |         / (性格論)|         /  |   |
  /___|___|________/___|___|________/   |   |
オ|    |   |       |    |   |       |    |   |
 |永   |   |       |    |   |       |    |   |
プ|遠   |   |       |    |   |       |    |   |論
 |平   |   |_______|____|___|_______|____|___|理
ス|和   |  /|       |    |  /|       |    |  /|学
 |の   | / |  自   然| の  |形/ |而   上  |学   | / |
・|た   |/  |       |    |/  |       |    |/  | 
 |め   |___|_______|____|___|_______|____|   |           
ポ|に  /|   |     (徳|論) /|   |       |   /|   |
 |  / |人 倫|の      |  / |理性の限界内における |  / |   |
ス| /(法学)  |形 而 上 学| /宗教(目的論)       | /  |   |
 |/___|___|_______|/___|___|_______|/   |   |
ト|    |   |       |    |   |       |    |   |
 |    |   |       |    |   |       |    |   |
ゥ|    |   |_______|____|___|_______|____|___|
 |    |  /        |    |  /    (数学)|    |  / 
ム|    | /   純   粋 | 理  |性/  批   判  |    | /
 |    |/          |    |/   (物理学)  |    |/
ム|    |___________|____|___________|____/
 |   /         (倫理|学) /          (美|学) /
 |  / 実 践 理 性 批 判 |  /  判 断 力 批 判  |  /
 | /              | /(目的論)         | /
 |/_______________|/_______________|/
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by yojisekimoto | 2009-08-07 20:10 | カント

利子率について

atプラスの最新号(2009.8)に利子率に関する興味深い図↓が載っていた。
a0024841_1934329.jpg

以前紹介したアリギ『長い20世紀』にあった図↓をさらに精緻にし、対応させたものとも考えられる。

a0024841_1412079.jpg

雑誌全体としては、現状分析は優れているが、対案がないといった印象だ。

今の経済学者はケインズが賛美したゲゼルをどう考えているのだろう。
ゲゼルの減価式マネーは、国際社会で今すぐ導入は難しいだろう。ゲゼル自身も国際通貨はバスケット方式または天秤方式の複数の通貨のバランスをとったものを考えていたからだ。

ただ、小さな自治体単位では減価式は有効だと思うがどうだろう?
税金と給料を、出入り口を押さえていないと意味のない政策だと想うが、、、
(自治体主導でない場合、1970年代にアメリカで実験されたコンスタンツのような資源を担保した通貨が民間主導としては現実的だろう)。
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by yojisekimoto | 2009-08-06 19:33 | 歴史

スピノザとデリダ(:メモ)

デリダはハイデガーを批判的に受け継いでいると言われるが、ハイデガーと同じくスピノザへの言及は少ない。
スピノザと同じユダヤ人異教徒=マラーノでも戦略が逆なのだ。

批判哲学を受け継ぐハイデガー=デリダのラインは、時間軸を大切にする。
一挙に(幾何学的に)真理を把握するスピノザのような実在論は危険なのだ。スピノザの哲学を導入すればハイデガー、デリダの哲学は一瞬で終わってしまう。極端に言えば、ハイデガーはスピノザを無視することで膨大な講義が可能となり、デリダもスピノザを無視することで物書きとして延々と書き続けられたのだ。

しかし、原理的に外部のないデリダのエクリチュールが体現するのは、後述するように、スピノザ的心身並行論以外の何ものでもない。

歴史的にはニーチェはスピノザに親近感を覚え、ヘーゲルはスピノザの心身並行論を一挙に解消しようとし、ラカンはスピノザの決定論と平行論を精神分析の基礎に据えるなど、スピノザはカント的批判哲学の外部からは常に宵の明星のような座標であった。

こんな重要な存在をどうして無視して来たかと言えば、スピノザを安易に援用するとそこで差異が解消し、発生論的な矛盾が解消されてしまうからであるからだが、両者が真逆であるがゆえに、ここにある種の歴史の皮肉が見出せる。

つまり、フッサールにおける発生論の取り扱いを論ずるデリダは自らの生の条件を負の条件から逆に照射しているが、逆にテクストに外部がないというデリダのテクストは(ドゥルーズとは違って)外部と連結するスピノザのテクストとは正反対であるがゆえに、スピノザ哲学はデリダを明確に浮き彫りにするのだ。

「いかなる物も、外部の原因によってでなくては滅ぼされることができない。」(『エチカ』3:4)

テクスト内部においてそこに内在する権力をひっくり返そうとするデリダの脱構築はハイデッガーの存在論史の読み直し(=解体、『存在と時間』より)を受け継いだものであるが、これはスピノザの言う物質が持続して存在しつづけようとする性質(=努力、コナトゥス)を浮かび上がらせる。
むしろディコンストラクションとは、行為としては終わることのないコナトゥス(努力)そのもののことだと言ってもいい。スピノザの終わることのない心身並行論は、デリダのテクストにこそそのサンプルを見出す。

ハーバーマスとさえ共闘したデリダは「理性に導かれる人間」として「共同の決定にしたがって生活する国家」(『エチカ』4:73)を統整的に求めたし、そのために戦ったことにおいてはスピノザと同じだと言えるし、その存在は異なるポジションにおいてお互いを照射し合う。

デリダの死は、デリダをそのテクストから引きはがし、デリダを生物学的にユダヤ人としてスピノザと同じ引き出しに入れるだろうが、デリダのテクストは、スピノザのテクストの逆を表現するものとして隣同士に並べてもいいかも知れない。


追記:
本文と関係ありませんが、デリダの遺言の画像を紹介しす。
a0024841_2121330.jpg


http://churchandpomo.typepad.com/conversation/2006/12/derridas_last_w.html

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「ジャックは、儀式と演説を望みませんでした。彼は、経験から、この仕事を引き受ける友人にとってつらいだろうということがわかっています。彼は、私にあなたに来たことに対して礼を言って、あなたを祝福するよう頼みます。あなたが彼に彼と分担する機会を与えた多くの幸せな瞬間だけについて考えるために、彼はあなたに悲しまないように嘆願します。

私のために微笑んでください、私が終わりまであなたのために微笑みます、と彼が言います。

いつも生を謳歌し、絶えず生き残りを主張してください...

私はあなたを愛しています、そして、私のいる場所から微笑みます。」
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by yojisekimoto | 2009-08-06 01:20 | スピノザ