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ジジェク『パララックス・ヴュー』(書評)

ジジェク『パララックス・ヴュー』=政治革命から社会革命への転換?

全六章の大著。
精読できていないが、ざっと見渡すと1、2章が哲学、3、4章が精神分析、5、6章が社会的な
ものを扱っている。これらは決して(循環はしても)止揚されることはないヘーゲル的にフラクタ
ルなトリアーデを形成している(結局ジジェクはヘーゲルをラカン的に構造化しているのだが)。

いつものジジェク節全開だが、柄谷(序文からそのヘーゲル批判がジジェクに影響を与え、これに
全体が呼応する)、アガンベン、バディウら、同時代の並走者への言及が多いのが特徴だ。

いつものジジェクと書いたが、(同時代評の多さ以外に)本質的に違う部分もある。

ジジェクがキャリアを通じて政治的レベルを重視し、経済的レベルを決定的なものと見なしていな
いといった訳者による解説は、これまでのキャリアを考えればかなり的を射ており、パララックス
を「交換」(経済も含まれる)へと還元した柄谷とその点においてジジェクは対照的だと思う。

とはいえ、この作品で徐々にジジェクはバディウのようなあからさまな政治主義からは離れ、社会
革命寄りに転回しているように思えるのだ(柄谷の影響か?)。
例えば、ラストの『バートルビー』映画化の話題等は消費者からの変革の志向と読める。
そもそも狭義のマルクス主義に対抗するためにヘーゲルを持ち出しているのだからこの転回は意外
であっても必然であったのかも知れない。

とくに第5章のラストにある以下のような盟友バディウに逆らった極めて柄谷的な言葉が印象的
であり、今後のジジェクの転回を期待させるのに充分だ。

「‥…この行きづまりから脱出する唯一の途は、「経済的」領域に<真理>の尊厳を返還すること、
<出来事>の潜勢力を返還することである。」(585頁)


追記:

肝心なところは映画論でごまかしている気もするが、スターウォーズ、エイゼンシュテイン、タル
コフスキー、黒澤明『羅生門』へのコメントは(近年の映画評をかき集めたものであっても)とて
も興味深いし、めずらしく正論ばかりだと思う(ワーズワース、ヘンリー・ジェイムズ、メルビル
らが扱われるが、全体的に文学の影は薄い)。潜勢力を現実界に解き放つ出来事としての力は映画
が突出しているということだろう。

有名な映画ばかり言及されているが、最後の方で触れられたドキュメンタリー『砂の城』(チベッ
ト映画『ザ・ゴール』の監督らがインタビューされ、資本主義から距離をとるべきだというメッセ
ージがあると言う)は日本公開されていないようだ。
http://icarusfilms.com/new2004/san.html

附録:
邦訳『パララックス・ヴュー』主要言及映画リスト

キェシロフスキ(『カメラマニア』p60,『十戒』p134他)
『ジョーズ』p71
ヒッチコック(『白い恐怖』『汚名』p84『マーニー』p85『サイコ』p565,683,『北北西に進路を取れ』p620)
ベルイマン(『秋のソナタ』p122『ペルソナ』p132,344,698『沈黙』p132『ミラー(魔術師、夜の儀式?)』p308)
『卒業』p134-7
タルコフスキー『サクリファイス』p156-8
☆『スターウォーズ』 新シリーズp185-188,703
メル・ギブソン『パッション』p193,634-7
『ブラジル』p212
『エイリアン』p215
デビットリンチ(『ロストハイウェイ』p131,『ワイルドアットハート』p216-218)
『街の灯』p217
『ビフォアサンセット』イーサンホークp242
『ザホイップハンド(『私は見た!』)』メンジースp307
『羅生門』p315
エイドリアンライン『運命の女』p344
『恍惚/ナタリー』p344
『グラディエーター』p357
☆『マトリックス』(レボルーションズp359,564,リローデットp558-564)
『ファインディングニモ』p564
☆スピルバーグ『マイノリティリポート』p366-378,718
『太陽に灼かれて』p511
『イワン雷帝』p524
コルホーズミュージカル(『陽気な子どもたち』『ヴォルガヴォルガ』p525)
『北の星』p525
『プルートの化け猫裁判』p526
『ニクソン』p527
『セックス発電』p558
『エネミーオブメリカ』p570
『インサイダー』p570
『逃亡者』ハリソンフォードp608
『タクシードライバー』p609
ジョンフォード(『捜索者』p611『アパッチ砦』p614他)
『ローンスター』ジョンセイルズp612
『ミスティックリバー』イーストウッドp613
マルクス兄弟p615
イェリネク『ピアノ教師』p629
イニャリトゥ『21グラム』p631
『ア フューググッドメン』p656
『地獄の黙示録』p657
『最後の誘惑』p665
『砂の城(未公開)』p681
『バートルビ』アンソニーフリードマンp683
『バートルビ』ジョナサンパーカーp683
『脱走者』プドフキンp706
『黄金の盃』p709
ヴィスコンティ『熊座の淡き星影』『ヴェニスに死す』p711
『AI』718
『フランケンシュタイン』p720
『夕暮れにベルが鳴る』p720



p308の『ミラー』は邦題が確認できなかった。多分『魔術師』だろうが、似たようなストーリーでベルイマンは作品を撮っていることがわかった。
どれも見るものが見られる側へ移行し、合理主義的立場が敗北するというものだ。

夜の儀式



狼の時間


魔術師



改訂版:
『パララックス・ヴュー』主要言及映画リスト(頁は邦訳書)

第一部:
『カメラマニア』、
『ふたりのヴェロニカ』キェシロフスキp60
『ジョーズ』p71
『白い恐怖』、
『汚名』ヒッチコックp84
『マーニー』p85
『秋のソナタ』ベルイマンp122
『ロストハイウェイ』デビットリンチp131☆
『ペルソナ』p132☆、
『沈黙』ベルイマンp132
『十戒』キェシロフスキp134
『卒業』p134-7
『サクリファイス』タルコフスキーp156-8
『スターウォーズ』 新シリーズp185-188☆
『パッション』メル・ギブソンp193,634-7
『ブラジル』p212
『エイリアン』p215
『ワイルドアットハート』デビットリンチp216-218☆
『街の灯』p217☆

『ビフォアサンセット』イーサンホークp242

第二部:
『ザホイップハンド(『私は見た!』)』メンジースp307
『ミラー(魔術師)』p308
『羅生門』p315
『運命の女』エイドリアンラインp344
『恍惚/ナタリー』p344
『ペルソナ』p344☆
『グラディエーター』p357
『マトリックス』(レボルーションズp359)☆
『マイノリティリポート』スピルバーグp366-378

第三部:
『太陽に灼かれて』p511
『イワン雷帝』p524☆
『陽気な子どもたち』、
『ヴォルガヴォルガ』コルホーズミュージカルp525☆
『北の星』p525
『プルートの化け猫裁判』p526☆
『ニクソン』p527
『ヘラクレス対マチスタ』p558
『セックス発電』p558
『マトリックス』(レボルーションズp564,リローデットp558-564)☆
『ファインディングニモ』p564
『サイコ』p565☆
『エネミーオブメリカ』p570
『インサイダー』p570
『逃亡者』ハリソンフォードp608
『タクシードライバー』p609
『捜索者』ジョンフォードp611
『ローンスター』ジョンセイルズp612
『ミスティックリバー』イーストウッドp613
『アパッチ砦』p614
『(不明)』マルクス兄弟p615☆
『北北西に進路を取れ』p620
『ピアノ教師』イェリネクp629
『21グラム』イニャリトゥp631
『ア フューググッドメン』p656
『地獄の黙示録』p657
『最後の誘惑』p665
『砂の城(未公開)』p681
『バートルビ』アンソニーフリードマンp683
『バートルビ』ジョナサンパーカーp683
『サイコ』p683☆

注:(第一部)
『ペルソナ』p698☆
『スターウォーズ』 新シリーズp703☆
『レベッカ』、
『めまい』p704☆
『脱走者』プドフキンp706
『黄金の盃』p709
『熊座の淡き星影』、
『ヴェニスに死す』ヴィスコンティp711
『AI』p718
『マイノリティリポート』p718
『フランケンシュタイン』p720
『夕暮れにベルが鳴る』p720

☆はDVD"The pervet's guide to cinema"で言及あり。
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by yojisekimoto | 2010-01-29 00:54 | 書評

スピノザの構造とNAM

以前書いたNAM構造図↓は、スピノザの哲学Aとも、東浩紀の量子家族Bとも相似である。
http://yojiseki.exblog.jp/9279508/

A
 実  思惟   観念   精神   様態
/体\ __   __   __   __
   |  | |  | |  | |  |
   |\ | |  | |  | |  |
\ _|_\|_|__|_|__|_|__|_
 延 |  | |  | |  | |  | |延
 長\|◯ |\|◯ | |◯ | |◯ | |長
 |_\__|_|__|_|__|_|__|_|
   |\ | |\ | |  | |  |
   | \| | \| |  | |  |
   |  \ |  | |  | |  |
 物_|__|\|__|\|__|_|__|_
 体 |  | |  | |  | |  | |
 | |  | |\ | |\ | |◯ | |
 |_|__|_|_\|_|_\|_|__|_|
   |  | |  | |  | |  |
   |  | |  |\|  |\|  |
  _|__|_|__|_|__|_|__|_
 身 |  | |  | |\ | |\ | |
 体 |◯ | |  | |◯\| | \| |
様|_|__|_|__|_|__|_|__|_|
態  |  | |  | |  |\|  |\
   |  | |  | |  | |  | \
   |__| |__| |__| |\_|  \
                    \  /
                     \/


(ネグリ流に、身体を実体の位置に置換することも出来る)


B

 汐  葦船   リキ   妻    その他
/子\ __   __   __   __
   |  | |  | |  | |  |
   |\ | |  | |  | |  |
\ _|_\|_|__|_|__|_|__|_
 \ |  | |  | |  | |  | | 現在
 |\|◯ |\|◯ | |◯ | |◯ | |
 |_\__|_|__|_|__|_|__|_|
   |\ | |\ | |  | |  |
   | \| | \| |  | |  |
   |  \ |  | |  | |  |
  _|__|\|__|\|__|_|__|_
 | |  | |  | |  | |  | | 過去
 | |  | |\ | |\ | |◯ | |
 |_|__|_|_\|_|_\|_|__|_|
   |  | |  | |  | |  |
   |  | |  |\|  |\|  |
  _|__|_|__|_|__|_|__|_
 | |  | |  | |\ | |\ | |
 | |◯ | |  | |◯\| | \| | 未来
 |_|__|_|__|_|__|_|__|_|
   |  | |  | |  |\|  |\
   |  | |  | |  | |  | \
   |__| |__| |__| |\_|  \
                    \  /
                     \/

参考:QF年表
http://f.hatena.ne.jp/superficial-ch/20100130054951


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by yojisekimoto | 2010-01-28 09:55 | SBS

ゲゼルとベーシックインカム

ゲゼルの経済学において、ベーシックインカム論議に対応するのはその土地政策案ではないだろうか?
(理想論として分配は生産時にされていなければならないと考えているので、ベーシックインカムをめぐる議論に本気で取り組んでいるわけではないのだが)

また、世界経済に関してはEVAを提議しているのでそれが検討されるべきだろう。

減価マネーにしても、
マクロ経済に組み込める政策だ。つまり、

総予算=n(=減価マネーを導入する地域数)× ひとつの減価マネーにかかる原資

ということになり費用対効果、効率性の問題になりうるだろう。
(nの数が多いほどセーフティーネットの網は強い。ちなみに減価された分が回収時に職員の手数料になるとゲゼルは言っており、これは税金ゼロの社会を導く画期的な考え方だ。)

ただし現在のマクロ経済では(極論すれば)足し算ばかりで割り算が出来ないので成長の質が問えないのだろう。

例えばマクロ経済学では小型風力発電機を数万と原発一個が同じ経済効果として勘案されてしまうという弊害がある。
長期的にもセーフティーネットとしても前者の自律分散(=ダグラスを語る際のキーワード?)型エネルギーが優れているのは明白なのだが、、、、


そこで疑問なのだが、減価マネーの減価率はどう導かれるのだろうか?状況によって変化すべきなのだろうか?

ゲゼルの著作では一週間に0.1%減価ですが(約20年で消滅)、ヴェルグルではもっと減価率が(約二倍ほど)高かったはずだ(一ヶ月に1%?)。


マルクス『資本論』での回転率の問題と関係すると思うのだが、こうした具体案をつめ提示してゆく必要があると思う。
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by yojisekimoto | 2010-01-24 14:12 | 研究

ライプニッツの可能世界

可能世界はライプニッツが考案したものであり(『弁神論』のラスト)、世界が基本的な最
小限の論理で成り立っていることと、その論理の重要性が確認されることが主眼になります
(『弁神論』へはアガンベンの批判があるが)。

浅田彰も指摘していますが(オウム事件をめぐる中沢新一との対談)、論理不在のサブカル
における可能世界論は可能性と潜在性と混同することで返って潜在性を隠蔽する結果になっ
ていると思います。

柄谷行人がライプニッツよりスピノザの可能性を重視したのは(探究2)、そうした楽天論へ
の批判があるということでしょう。

クリプキ、ラッセルとライプニッツを批判していることが誤解を生んでいますが、彼らの基本
アイデアはライプニッツのものであることが見直されるべきです。
アリストテレスの可能性を近代に開いたのはライプニッツですが、その「可能性」は未だ潜在
性として留まっていると言わざるを得ません。

参考:

ライプニッツは『自然法の諸要素(自然の法則の説明原理?)』で様相の諸形象を次の図にまとめている。

可能的なもの|             |することができる  |
不可能なもの \ とは存在      / することができない  \ 何かである
必然的なもの /(ないし真として存在)\ しないことができない /
偶然的なもの|             |しないことができる |

Possibile  |         |potest     |
Impossibile \ est quicquid  /non potest   \ fieri
Necessarium /        \ non potest non / ( seu quod verum esse)
Contingens |         |potest non  | 

(アガンベン『バートルビー』58、89頁、Cf. A VI, 1, 466より)

古代から第4の偶然性が問題となって来たが、スコトゥスも言うようにこの(第1と第4の共存という)矛盾は潜勢力の保存を妨げない。
カントは第2を第1に従属させ、潜在性の問題は様相のカテゴリーではなく(否定も含めて)質のカテゴリーに入れた。
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by yojisekimoto | 2010-01-22 21:16 | ライプニッツ

アインシュタインとボーア

以前別ブログで紹介した動画。アインシュタインとボーアの1930年ソルヴェイ会議での論争を5分で紹介している。


相対性理論をトランポリンの様なネットの上におもり(時空が歪む様をあらわしている)をおいて説明した番組もあって、面白かったのだが、Youtubeにはない。CGもいいがこうした視覚的な具体的な装置を使った説明はわかりやすい。
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by yojisekimoto | 2010-01-22 18:00 | 研究

「ゲームの切実さ」(デリダ)

東浩紀『クォンタム・ファミリーズ』書評

小説家東浩紀にとって小説作品は以下のようなレイヤー「ねじれ」をときほぐしかつまとめあげる装置ということだろう(時系列が間違ってるかも)。

                    漱石文学論、       結婚・娘の誕生
35 (『ゲーム的リアリズム』)    柄谷日本近代文学の起源
_____________________________________
30  ノルウェイの森
_________________
             批評空間
20  F.K.ディック     デリダ  
_________________
18  ビューティフルドリーマー 
_________________
16  世界文学
_________________
14  新井素子
_________________
12  小松左京!!
______________________________________
年齢  影響源( 創作 /  理論  /  手本?  /     個人的体験?)


『量子家族』の装幀、出版社、内容等が『存在論的、郵便的』の「続篇」を意識させるものには違いないが、『ゲーム的リアリズム』が文壇に理解されなかったことが小説を書く動機になっているらしい。
主人公がディックの読者という設定で、読者からの指摘を先取りするように『ヴァリス』が書名として出てくる。
(主人公の読書体験という)記憶と実在の曖昧さを表現しているから必然性はないこともないが、ドストエフスキーの名前は納得できても、ディックと春樹の名前は字面として生々し過ぎて作品から浮きすぎている。
(ネタバレを作者自らが作品内でしているからこうして読者が語りやすくなっているのだが)

サンリオ文庫の手触りと言うか、基本的には後期の殺伐としたディック作品の雰囲気全体が導入されているのだが、押井守『ビューティフルドリーマー』の原作であるウェルメイドなSF『虚空の眼』に似ている部分もある(「かわいくて不気味なものが無限ループがら脱するキーワード」)。

ネタとして引用されているものは限りないが、並行世界ものという作品全体の構造にディックは関わるし、柄谷(主人公の名前は葦船往人)は東のファザコンを誘発するように機能し、良くも悪くも異物として作品が娯楽小説へ傾斜することを妨げており、この両者は東にとって決定的な名前なのだろう。

ディック風の構造に、自らの性的欲動、恋愛体験、世界観などすべてをぶち込んでいるところがミソだし、そこを評価したい。
柄谷は(外観としては)パロディ風に扱われるが、どこまで本気か判断に困る(ディック→並行世界→固有名論→柄谷→春樹、といった連想ゲームが働いているのだろう)。

ちなみに、柄谷が35歳で『日本近代文学の起源』を書いたことに東はシンパシーをもってるらしい(以前、柄谷の下でコロンビア大学院生になる夢=並行世界をブログで書いていたことがある)。

(読んだ人にしかわからない書き方になるが、)本気で、NAM=アナキズム=テロリズム、と東は連想するのだろうか?(ネタとしてはわからないでもないが)
多分東はプルードンを知らない。今後ルソー論を書くなら必須なのだが、、、、

とにかく不完全ながらも東は批評家には小説も書けるという可能世界の証明に成功し、デリダのいう「ゲームの切実さ」(『エクリチュールと差異』)を顕在化させたのだ。
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by yojisekimoto | 2010-01-22 17:08 | 研究

権力とは何か?

プルードンがナポレオン三世と会談した際、次のような会話があったと言われている。

ナポレオン三世「いったい君はどのような社会を望んでいるのかね?」
プルードン「私は私が保守主義者としてギロチンにかけられる社会を夢見ています」*
http://yojiseki.exblog.jp/5230243/
*(『コンミューンの炬火 -ブランキとプルードン- 』S.モリニエ他  現代思潮社より)

ボブ・ディランの「イッツオーライトマ」のラストのようなセリフだが、ここに権力に対する
プルードンの感受性が見て取れる。

プルードンとナポレオン三世(マルクスでは断じてない)、チャップリンとヒトラー、エイゼン
シュテインとスターリン、このような一騎打ちに比べれば今日の権力闘争をめぐる言説は、(以下
のようなブログ記事**は例外だが)表層的なものである。

ちなみに、権力とは何かを知りたければ、エイゼンシュテインの『イワン雷帝』を観ることを薦める。

**佐藤優の眼光紙背
http://news.livedoor.com/article/detail/4543253/
 本件は、基本的に「国家を支配するのは誰か」という問題をめぐり官僚と民主党の間で展開されてい
る権力闘争だ。国民とは関係のない「彼らの喧嘩」である(略)

この戦いに検察が勝利すると、国家を支配するのは、自民党政権時代と同じく官僚であるということが
確認される。当然、世の中は暗くなる。

ここで、小沢幹事長が勝利するとどうなるか? 小沢チルドレンをはじめとして、民主党の衆議院議員
には、要領だけよく、権力欲が強い偏差値秀才がたくさんいる。こういった連中が「俺たちが国家の支
配者だ」と威張り散らす。それに検察が擦り寄る。検察は組織だ。仮に今回、特捜が小沢幹事長に敗れ
ても、この事案に関与した検察官をパージし、新体制の特捜をつくる。その特捜が、小沢民主党の意向
を忖度(そんたく)しながら、あらたな権力基盤をつくろうとする。この場合も世の中は暗くなる。


**堀江貴文氏のブログより
http://ameblo.jp/takapon-jp/entry-10416652340.html
『小沢さん、ここはやっぱり検察の独自捜査権を奪うべきだ。その代わりFBI的な
組織を警察庁に設ければいい。検察と警察がある程度パワーバランスをとって
お互いに牽制しあう体制にすれば冤罪は減ると思う。そして検察官の起訴便
宜主義を撤廃すべきだ。大陪審の創設が不可欠である。そして、捜査の全面可視化
だけでなく、弁護士の同席を原則認めるべきである。で、すべての否認事件に関
して裁判員裁判を認めるべきである。ここまでやって司法制度改革は完結できる。』

今回の事件に関わらず民主党はこのような事を参考に司法・検察制度の改革を断行すべきである。
(略)

あなたしかいない。参院選で過半数を確保したのちのあなたのライフワークを完璧なる司法制度改革に
絞って欲しい。鳩兄など首にしてしまえ。俺はあなたの突破力に期待している。
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by yojisekimoto | 2010-01-16 07:02 | 歴史

近代から現代へ至る思想の見取り図:メモ

近代から現代へ至る思想の見取り図(図式*)

         [近代主観主義]
          ヘーゲル
         (絶対精神)
            |
            |  ↓ 
            |   
 [個人の内面]    |     [社会の現実]
 キルケゴール_____|_____ マルクス
(主体的実存)\    |    /(共産主義社会)
        \   |   /
         \  |  /
          \ | /↓
           \|/ 
          [現代思想]
           ニーチェ
          (神の死)


上記はK・レヴィットの図式(『キルケゴール 人類の知的遺産』p.32の図を90度回転させた)。
近代はへーゲルの絶対精神に発し、現代のニーチェの神の死へ至る。
その際、観念と物体、内面と社会のバランスが大切だとレーヴィットは言う(『ヘーゲルからニーチェへ』)。
柄谷行人ならキルケゴールではなくカントを導入するだろう。


追記:図式について

カントによれば、図式とは概念と直観の媒介者であり、時間規定である(図式によって全体を見渡せるとはカントは考えていない)。
そして、図式は時間規定(量→質→関係→様相というカテゴリー内、つまり系列→内容→秩序→総括のうちのどれか)であるというカントの主張を、ハイデガーは『カントと形而上学の問題』で「対象つまり存在とは時間である」と読み替える。
さらに、カントが第一批判の第二版で図式を機能させる構想力の地位を悟性以下に格下げしたことを非難するのだ。

ハイデガーによる、図式という媒介を称揚しつつ構想力つまり存在了解を擁護する戦略は巧みだが、それがヘーゲルの場合、媒介そのものを拒絶する戦略が採用される。しかもこの場合はトリアーデというヘーゲルによって採用された図式**が実体化及び象徴化、さらにはカントの言葉でいえば形象と化しているのである。

**参考:
ヘーゲルのメモ
神的三角形及び(マラブー『ヘーゲルの未来』の表紙に採用された)自然哲学草稿への落書き
http://pds.exblog.jp/pds/1/200707/04/41/a0024841_1514745.jpg

http://pds.exblog.jp/pds/1/200711/19/41/a0024841_13504597.jpg
http://pds.exblog.jp/pds/1/200708/18/41/a0024841_17322374.jpg

追記の追記:
こちらの方がいいかも。

         [現代思想]
          ニーチェ
         (神の死)
           /|\
          / | \↑
         /  |  \
 [個人の内面]/   |   \ [社会の現実]
 キルケゴール/____|____\マルクス
(主体的実存)     |    (共産主義社会)
            |
            |
            |  ↑
            |
         [近代主観主義]
          ヘーゲル
         (絶対精神)
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by yojisekimoto | 2010-01-15 23:07 | ヘーゲル

折口信夫の文学史観

以下は別ブログで以前紹介した折口信夫の文学史図(日本文学系図)。



横向きにして簡略化し、さらに折口自身による解説を加えると以下になる。

                                  階級 図では
         __祝詞___女房日記、記紀_隠者の文学     上層 左
        | (のりと) <上から下へ>
        |「祝詞は、上から下に対して云ふものである」
        |
呪詞(唱詞)__|__鎮護詞__ものがたり、歌______浄瑠璃  中流 中央
(じゅし)   | (いはひごと)<上から間接的に下へ>
        |「『俺もかうだから、お前達も、かうして貰はなければならぬ』」
        |
        |__寿詞___歌垣、万葉詞、芸能_____小説  下層 右
          (よごと)  <下から上へ>
         「寿詞は、下から上に対して云ひ、其と共に、服従を誓ふ」

        (「」内は『呪詞及び祝詞』↓より)

「祝詞と、鎮詞との区別は、大体左の如きものである。

祝詞
      ┌→イ
 a─→a’│→ロ
      └→ハ
鎮詞
     ┌→イ
 a─→b│→ロ
     └→ハ
aは天皇、a’は中臣、bは斎部、イロハは中臣・斎部それ/″\の命令をきくもの
祝詞は、天皇の資格で、その御言葉のとほりに、中臣が云ふのであるが、鎮詞は、少し趣きが違ふ。氏族の代表者が、ほんとうに服従を誓うた後、其下に属してゐる者に、俺もかうだから、お前達も、かうして貰はなければならぬ、といふやうな命令の為方である。」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/46952_26569.html
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by yojisekimoto | 2010-01-15 15:26 | 文学

パスカルとライプニッツとヴァレリー:メモ

「幾何学的精神」と信仰を一致させようとしたパスカルをライプニッツは受け継いだ。
実際、微分と積分の発見もパリ時代にパスカルの「四分円の正弦論」*を読んだことに起因している。

彼らはともに理性と信仰を一致させようと苦労したのだ。そして、そんな彼らの心情を表現するのにぴったりの言葉がある。

「神は測度と数と重さに従ってすべてを秩序づけた(Numero pondere et mensura Deus omnia condidit,God created everything by number, weight and measure.)」(旧約外典「ソロモンの知恵」11:20or21)という聖書の言葉である。

この言葉を、パスカルは「幾何学的精神について」**で、ライプニッツは「普遍的記述法」***で引用しているし、ニュートンも引用しているらしい(一部ではニュートンの言葉だと思われている節がある)。

さて、パスカルの「人間は考える葦(un roseau pensant)である言葉も聖書に関連するらしいが****、そこにはやはり無限に関する数学的考察が背景としてあるということが特筆される。

パスカルが無限と有限の間に掛けた思考としては、例えば以下のようなものがある。

                           1
                         1   1
                       1   2   1
                     1   3   3   1
                   1   4   6   4   1
                 1   5  10  10   5   1

Leibniz and Pascal Triangles (an Interactive Gizmo)
http://www.cut-the-knot.org/Curriculum/Combinatorics/LeibnitzTriangle.shtml

パスカルは次元と次元の間に断絶を見たらしいが、上記の「パスカルの三角形」は奇数を塗りつぶせば小数点以下の次元を表現するフラクタル図形を顕現させる。

そしてパスカルは賭博論で確率に関する議論で現代を先取りしたことも重要だ(オイラーはライプニッツを位置解析学の先駆者と見るが〜これはグラフ理論の先駆ということでもある〜、パスカルはゲーム理論の先駆者かもしれない)。

数学と信仰というより理性と信仰、または理性と倫理の一致は現代でも課題となるものであろうが、その時現代人の胸に、パスカルが無限の宇宙を前にして震えたことが想起されていいだろう。


注:

**共に人文書院版全集1巻所収
***著作集10巻所収(この三つの中で「数字」をライプニッツは特権視する。デカルトも同じ箇所を『世界論』または『宇宙論』第7章終盤で引用しているので科学者の合い言葉のようなものだったということだろう。)
****「人間は考える葦である」という言葉は、岩波新書『パスカル』(p.5)では以下のようにイザヤ書と関連していると指摘されている。

イザヤ書
http://bible.50webs.org/sj/isaiah.html

第40章
40:6声が聞える、「呼ばわれ」。わたしは言った、「なんと呼ばわりましょうか」。「人はみな草だ。その麗しさは、すべて野の花のようだ。 40:7主の息がその上に吹けば、草は枯れ、花はしぼむ。たしかに 人 は 草 だ 。 40:8草は枯れ、花はしぼむ。しかし、われわれの神の言葉はとこしえに変ることはない」。

第42章
42:1わたしの支持するわがしもべ、わたしの喜ぶわが選び人を見よ。わたしはわが霊を彼に与えた。彼はもろもろの国びとに道をしめす。 42:2彼は叫ぶことなく、声をあげることなく、その声をちまたに聞えさせず、 42:3また 傷 つ い た 葦 を折ることなく、ほのぐらい灯心を消すことなく、真実をもって道をしめす。

追記:
ニュートンが微分(流率)をライプニッツが積分を発見したと大雑把に考えていいが、今日広く使われる記載法は(両者の逆数としての関係性をあらわしやすいことにも起因するだろうが)ライプニッツが考案したものである。

(さて、積分の発見に寄与したサイクロイドに関する論文をパスカルが歯の痛みを克服しながら考えたというエピソードはドストエフスキーの『地下室の手記』を想起させる。そうなるとニーチェや現代的無神論の先駆者としてパスカルを考えていいかも知れない。)

「パスカルはアナーキストの典型だ。それはわたしがパスカルの内に見出す、最良の部分だ。
<<アナーキスト>>とは、人間が習慣的に見るものではなく、自分の眼が見るところのものを見る人である。
 パスカルはこの問題について考えている。」(ポール・ヴァレリー『純粋および応用アナーキー原理』筑摩、邦訳p.13より)

ヴァレリーはこう述べているが、彼の言うアナーキーとは「証明不能なものの命令に服従することを一切拒絶する各個の姿勢である」(同p.14)だそうだ。
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by yojisekimoto | 2010-01-13 00:04 | ライプニッツ