<   2010年 02月 ( 12 )   > この月の画像一覧

『いずれ均(なら)しの世が来るぜよ』

書評:
坂本竜馬 (PHP文庫)
黒鉄 ヒロシ著

龍馬関連で一冊選べと言われれば、書簡集を選ぶべきだろうが、初心者には劇画である本書も棄てがたい。幕末の雰囲気がよく出ているからだ。
著者の資質的には新撰組の方があっているのだが、以下の表紙のカバー裏の言葉が「自由」を強調しがちな後世の研究家に、平等(龍馬の言葉では「均(なら)し」)の重要さを気づかせてくれる(自由を強調することは龍馬の活動が自由民権運動に繋がることからも間違いではないが)。
「平等」は、当時ではあたりまえでなかったが故に重要だったし、国に殉じる覚悟を持った龍馬が「自由」よりも「平等」を重視していたであろうことは頷ける。龍馬の経済活動を通じた革命志向に関して認識するには、他の書籍が必要になるが、このカバーの言葉だけでも本書は価値がある。

「龍馬さんはね、そりゃ怖かった、ト。
『龍馬さんが来た!』と言うだけで泣
いていた子は泣き止み、外で遊んで
いた子は家に逃げ帰った、 ト。ある
日、龍馬さんが通りかかって『いず
れ均(なら)しの世が来るぜよ』と、ひひ
ばあちゃんに言うた、ト」
祖母が語ってくれた、曾々祖母(ひいばあ)さんの
目撃談である。曾々祖母さんに、何の
つもりで龍馬さんがそんなことを告げ
たのであろう?
僕は土佐の産である。幕末への僕の
扉の前には、龍馬さんが立っていた。
龍馬さんは笑いながら、扉を開けて
くれたーー。        著者
[PR]
by yojisekimoto | 2010-02-28 15:21 | 歴史

スポーツと国家

スポーツと国家ということで考えたいのは、いきなり文化が国境を越えるというようなことではなく、まず国家と地方との関係である。
ドゥルーズは、自己の反対は非自己ではなく自己の部分である、というようなことを言っていた。

今回のオリンピックで明らかになったのは、日本スポーツが地域のスポーツ施設に依拠しながらも、全体的ヴィジョンがないために有効に機能していないということだった。

例えば、青森と長野にはカーリングチームがあるが、全日本選抜をつくる余裕はない。
中京大学に最先端のスケートリンクはあってもそれは全国に開かれてはいない。

これらあからさまに地域の自助努力を如何に有効に開かれたものにするかが問われているという点で、かつて投稿したNAM構造図、SBS組織図、QF図解が参考になるのではないかと思う(以下はNAM構造図だが他も同じ構造だ)。

 セ
評ン
議タ\ __   __   __   __
会| |  | |  | |  | |  |
 & |\ | |  | |  | |  |
\事_|_\|_|__|_|__|_|__|_
 務 |  | |  | |  | |  | |
 局\|◯ |\|◯ | |◯ | |◯ | |
 |_\__|_|__|_|__|_|__|_|
   |\ | |\ | |  | |  |
   | \| | \| |  | |  |
 関 |  \ |  | |  | |  |
 心_|__|\|__|\|__|_|__|_
 系 |  | |  | |  | |  | |
 | |  | |\ | |\ | |◯ | |
 |_|__|_|_\|_|_\|_|__|_|
   |  | |  | |  | |  |
   |  | |  |\|  |\|  |
 階_|__|_|__|_|__|_|__|_
 層 |  | |  | |\ | |\ | |
 系 |◯ | |  | |◯\| | \| |
 |_|__|_|__|_|__|_|__|_|
   |  | |  | |  |\|  |\
   |  | |  | |  | |  | \
   |__| |__| |__| |\_|  \
    地域系  京都   東京   海外  /
    各地             など\/

国家に求められるのは上記図における斜めのネットワークだ(今現在はノマド的な超人たちが個人の力で全国をカバーしようとしている)。過度の期待は禁物だが、税金を払った分だけぐらいは期待してもいのではないか?

そしてこうした分節統合されたアソシエーションの環が、世界に対して「モデル」として参照されるようになることを期待したい。国家と地方の関係が、そのまま世界的な問題に直結するのだ。

追記:
本来これらは教育に予算を回さないことからくる弊害なのだが、教育全体に関してはまたの機会に論じたい。
[PR]
by yojisekimoto | 2010-02-27 01:09 | スポーツ

ゲーデルの不完全性定理:メモ

a0024841_184736.jpg

 ゲーデルの不完全性定理の証明について簡単に触れたいと思います.
 http://mathematics.web.infoseek.co.jp/column/incomplete.html

 証明における主なステップは,次の通りです.

1. 数学を形式的に表現することに関して,「各自然数ごとに表現可能」という概念を導入する.
2. 「原始帰納的」と呼ばれる関数が各自然数ごとに表現可能であるという,「表現定理」を証明する.
3. 数学の証明の一部を 「ゲ ー デ ル 数」と呼ばれる数に対応させることで証明をある意味で計算できるようにする.

           ___
          |   |
          |超数学|
          |___|
      1    /  \↓ 算術化 3
   超数学的考察↑ /    \(ゲーデル数)
   ______/_    _\ _    ______ 
  |形式的自然数論を|  |超算術的|  |原始帰納的 |2
  |含んだ形式的体系|←→| 体系 |←ー|関数(述語)|
  |________|2 |____|  |______| 
           表現定理    形式的体系の有限    
                   の立場での記述    
           図5.1全体の構図

http://www.sanynet.ne.jp/~norio-n/NIKKI/45.html
< 若干の蛇足。足立恒雄著『たのしむ数学10話』に、ライプニッツが命題に文字をあてはめた(命題変数を導入した)最初の人であったこと、「それどころか、原始的概念に素数を割り当て、合成数に積を割り当て、「論証を数の計算に還元する」という驚くべき構想まで書き残して」いたこと、そしてこの「論証の算術化」という構想の実現は二十世紀のゲーデルをまたなければならなかったことが書かれている。>


4. カントールの 対 角 線 論 法 のアイデアを用いて, 「対角化定理」と呼ばれる,論理式における不動点定理のようなものを証明する.

補足:
            内容
   | 1,  2,  ・ ・ ・,  n,  ・ ・ ・
___|____________________
f1(y) |f1(1) f1(2)  ・ ・ ・ f1(n) ・ ・ ・
f2(y) |f2(1) f2(2)  ・ ・ ・ f2(n) ・ ・ ・   
・  |・   ・   ・     ・
・  |・   ・     ・   ・
・  |・   ・       ・ ・
fn(y) |fn(1) fn(2)  ・ ・ ・ fn(n) ・ ・ ・
・  |・   ・         ・  ・  
・  |・   ・         ・     ・ 
・  |・   ・         ・       ・

< ¬は否定だから最後につけ加えればよいから、ヨxP(x,n,n)について考えてみよう。これは、「ゲーデル数がnである一変数 y を含む命題(すなわちfn(y) )の変数 y に数nを代入した命題の形式証明のゲーデル数となる x が存在する」という内容を持ち、したがって¬∃xP(x,n,n)はこれの否定、すなわち繰り返しを嫌わずに書けば「ゲーデル数がnである一変数 y を含む命題の変数yに数nを代入した命題の形式証明のゲーデル数となる x が存在しない」となる。
 ところが、ゲーデル数nを持つ一変数を持つ一変数yを含む命題とは fn(y)のことであり、fn(y)とはすなわち¬ヨxP(x,y,y)であった。すなわち上の文章を簡単に書けば,「¬∃xP(x,n,n)の形式証明は存在しない」ということで「¬∃xP(x,n,n)は証明できない」ということになる。ところが、この「 」内の命題こそ¬∃xP(x,n,n)に他ならない!
 ついにわれわれは「この命題は証明できない」のきちんとした数学的表現を入手することに成功したのである。
(略)
 ここで用いられた論法が一種の対角線論法であることに十分注意を払ってもらいたい。一変数の命題をすべて一列に並べ、f1(y) ,f2(y) ,・・・とし f1(1) , f1(2) ,・・・f n(n),・・・を考察するというのはまさしく対角線論法そのものである。カントールによって集合の階層構造を引き出すために考案された一線論法は,集合論内のパラドックスと絡まりあいながら、ゲーデルによる決定不能命題の発見という20世紀数最高の結果の一つを生み出すにいたったのである。>

(『はじめての現代数学』瀬山士郎著、講談社現代新書p161-163より。早川文庫より復刊)

5. 決定不可能な論理式,つまり自分自身もその否定も体系内では証明できないような論理式 U を構成する.(第一 不 完 全 性 定 理)
6. 「体系は無矛盾である」という命題を体系内の論理式として表現する. その論理式を C とおく.
7. 「 C が体系内で証明できるならば U も体系内で証明できる」ということを証明する. このとき, U は体系内では証明できない論理式だから, C もまた体系内では証明できない論理式である. (第 二 不 完 全 性 定 理)

           ___
          |   |
          | U |
          |___|
      1    /  \↓ 算術化 3
   超数学的考察↑ /    \(ゲーデル数)
   ______/_    _\ _    ______ 
  |形式的自然数論を|  |    |  |原始帰納的 |2
  |含んだ形式的体系|←→| C  |←ー|関数(述語)|
  |________|2 |____|  |______| 
           表現定理    形式的体系の有限    
                   の立場での記述    
           図5.1全体の構図



///////////

           ___
          |   |
          |超数学|
          |___|
           /  \↓ 算術化 3
   超数学的考察↑ /1   \(ゲーデル数)
   ______/_    _\ _    ______ 
  |形式的自然数論を|  |超算術的|  |原始帰納的 |2
  |含んだ形式的体系|←→| 体系 |←ー|関数(述語)|
  |________|4 |____|  |______| 
           表現定理    形式的体系の有限    
                   の立場での記述    
           図5.1全体の構図

 次に不完全性定理の証明の概略を説明しておこう。問題になる公理系は自然数論を実質
的に含む形式的体系でなくてはならない。

そこでまず第1に、自然数論の形式的体系をみることにする。このような形式的体系、す
なわち自然数論でのさまざまな記号や記号の列や証明図を扱うのが超数学であるが、これ
は直観的数論をもとに記号を扱う一種の算術、いわば超算術的体系ということができる。

そこで第2に、前章で定義した原始帰納的関数(述語)や一般帰納的関数(述語)がいず
れもこの超算術的体系の中に展開できることをみる。原始帰納的述語は有限の立場にもと
づいていたものであるが、一般帰納的述語は必ずしもそうではない。

不完全性定理の証明には原始帰納的関数(述語)だけが使われる。

第3に、超数学で扱う対象の算術化、すなわちゲーデル数化によって超算術的体系を考え、
必要な述語の定義をおこなう。

そして第4に、超算術的体系での帰納的述語が形式的体系の論理式として表現できること
をみる。こうして形式的体系と超数学と超算術的体系との問の対応づけによって、証明
の準備が完了し、前述した決定不可能な論理式を構成し、不完全性定理の証明がおこな
われることになる。全体の構図は図5.1のようになる。

『ゲーデルの世界』(海鳴社p114より。図は番号を振り左右を反転した。)



不完全性定理の証明は、対角線論法とゲーデル数のアイデアの意義だけ解ればOK

超初心者には以下がお勧め
不完全性定理 ―数学的体系のあゆみ 野崎 昭弘 著 ちくま学芸文庫
はじめての現代数学 (講談社現代新書) (新書) 瀬山 士郎 (著)


            内容
   | 1,  2,  ・ ・ ・,  n,  ・ ・ ・
___|____________________
f1(y) |f1(1) f1(2)  ・ ・ ・ f1(n) ・ ・ ・
f2(y) |f2(1) f2(2)  ・ ・ ・ f2(n) ・ ・ ・   
・  |・   ・   ・     ・
・  |・   ・     ・   ・
・  |・   ・       ・ ・
fn(y) |fn(1) fn(2)  ・ ・ ・ fn(n) ・ ・ ・
・  |・   ・         ・  ・  
・  |・   ・         ・     ・ 
・  |・   ・         ・       ・

 ¬は否定だから最後につけ加えればよいから、ヨxP(x,n,n)について考えてみよう。これは、
「ゲーデル数がnである一変数 y を含む命題(すなわちfn(y) )の変数 y に数nを代入した命題
の形式証明のゲーデル数となる x が存在する」という内容を持ち、したがって¬∃xP(x,n,n)は
これの否定、すなわち繰り返しを嫌わずに書けば「ゲーデル数がnである一変数 y を含む命題
の変数yに数nを代入した命題の形式証明のゲーデル数となる x が存在しない」となる。
 ところが、ゲーデル数nを持つ一変数を持つ一変数yを含む命題とは fn(y)のことであり、
fn(y)とはすなわち¬ヨxP(x,y,y)であった。すなわち上の文章を簡単に書けば,「¬∃xP(x,n,n)の形式
証明は存在しない」ということで「¬∃xP(x,n,n)は証明できない」ということになる。ところ
が、この「 」内の命題こそ¬∃xP(x,n,n)に他ならない!
 ついにわれわれは「この命題は証明できない」のきちんとした数学的表現を入手すること
に成功したのである。
(略)
 ここで用いられた論法が一種の対角線論法であることに十分注意を払ってもらいたい。一変数
の命題をすべて一列に並べ、f1(y) ,f2(y) ,・・・とし f1(1) , f1(2) ,・・・f n(n),・・・を考察
するというのはまさしく対角線論法そのものである。カントールによって集合の階層構造を引き出
すために考案された一線論法は,集合論内のパラドックスと絡まりあいながら、ゲーデルによる
決定不能命題の発見という20世紀数最高の結果の一つを生み出すにいたったのである。

(『はじめての現代数学』瀬山士郎著、講談社現代新書p161-163より。早川文庫より復刊)

http://www.sanynet.ne.jp/~norio-n/NIKKI/45.html
 若干の蛇足。足立恒雄著『たのしむ数学10話』に、ライプニッツが命題に文字を
あてはめた(命題変数を導入した)最初の人であったこと、「それどころか、原始
的概念に素数を割り当て、合成数に積を割り当て、「論証を数の計算に還元する」
という驚くべき構想まで書き残して」いたこと、そしてこの「論証の算術化」とい
う構想の実現は二十世紀のゲーデルをまたなければならなかったことが書かれてい
る。

http://mathematics.web.infoseek.co.jp/column/incomplete.html
 ゲーデルの不完全性定理の証明について簡単に触れたいと思います.

 証明における主なステップは,次の通りです.

1. 数学を形式的に表現することに関して,「各自然数ごとに表現可能」という概念を導入する.
2. 「原始帰納的」と呼ばれる関数が各自然数ごとに表現可能であるという,「表現定理」を証明する.
3. 数学の証明の一部を 「ゲ ー デ ル 数」と呼ばれる数に対応させることで証明をある意味で計算できるようにする.
4. カントールの 対 角 線 論 法 のアイデアを用いて, 「対角化定理」と呼ばれる,論理式における不動点定理のようなものを証明する.
5. 決定不可能な論理式,つまり自分自身もその否定も体系内では証明できないような論理式 U を構成する.(第一 不 完 全 性 定 理)
6. 「体系は無矛盾である」という命題を体系内の論理式として表現する. その論理式を C とおく.
7. 「 C が体系内で証明できるならば U も体系内で証明できる」ということを証明する. このとき, U は体系内では証明できない論理式だから, C もまた体系内では証明できない論理式である. (第 二 不 完 全 性 定 理)

 上の証明のステップ6において,「形式的体系が無矛盾である」という命題を表現する論理式の選び方は一通りではありません.
[PR]
by yojisekimoto | 2010-02-26 14:51 | 数学

ヘーゲル「討論テーゼ」

以下、ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel、1770- 1831)が1801年、大学で講義資格を得るための討論に際して事前に提出した12ヶ条からなる「討論テーゼ(Dissertationi philosophiae. De orbitis Planetarum decía en su segunda tesis)」(あるいはドイツ語で"Hegel's Habilitationsthesen")。ローゼンクランツが伝記で触れているが、残念ながら討論そのものの内容は残されていない(参考『ヘーゲル哲学の基本構造』中野肇308頁より)

参考サイト:
http://books.google.co.jp/books?id=uY4OAAAAQAAJ&pg=PA253&dq#v=onepage&q=&f=false

1. Contradictio est regula veri, non contradictio falsi.
2. Syllogismus est principium Idealismi.
3. Quadratum est lex naturae, triangulum mentis.
4. In Arithmetica vera nee additioni nisi unitatis ad dyadem, nee subtractioni nisi dyadis a triade neque triadi ut summae, neque unitati ut differentiae est locus.
5. Ut magnes est vectis naturalis, ita gravitas planetarum in solem pendulum naturale.
6. Idea est synthesis infiniti et finiti et philosophia omnis est in ideis.
7. philosophia critica caret ideis et imperfecta est Scepticismi forma.
8. Materia postulati rationis, quod philosophia critica exhibet, Cam ipsam philosophiam destruit, et principium est Spinozismi.
9. Status naturae non est injustus et eam ob causam, ex illo exeundum.
10. Principium scientiae moralis est reverentia fato habenda.
11. Virtus innocentiam tum agendi tum patiendi excludit.
12. Moralitas omnibus numeris absoluta virtuti repugnat.


1. 矛盾は真理の規則にして、非矛盾は虚偽の規則なり
2. 推論は観念論の原理なり
3. 四角形は自然の法則にして、三角形は精神の法則なり
4.真なる算術にては、一を二に加うるほかに加法はなく、三より二を引くほかに滅法はなし。また三は和と考うベからず、一は差と考うベからず
5. 磁石が自然の梃子であるように、太陽に向かう諸惑星の重力は自然の振り子である
6. 理念は有限と無限の総和にして、全哲学は理念のうちにあり
7. 批判哲学は理念を欠くがゆえに懐疑論の不完全なる形式なり
8. 批判哲学の樹立せる理性の要請なるものは、まさしくこの哲学そのものを破壊し、スピノザ主義の原則なり
9.自然状態は不義にあらず、さればこそこれより脱れ出でざるべからず
10. 道徳学の原理は運命に捧げられるべき畏敬なり
11. 徳は能動および受動いずれの無罪潔白をも排除す
12. すべてにおいて絶対的なる道徳は徳と矛盾す

和訳と対照しやすいように記述順をあらためると、

1. Contradictio est regula veri, non contradictio falsi.
1.矛盾は真理の規則にして、非矛盾は虚偽の規則なり

2. Syllogismus est principium Idealismi.
2.推論は観念論の原理なり

3. Quadratum est lex naturae, triangulum mentis.
3.四角形は自然の法則にして、三角形は精神の法則なり

4. In Arithmetica vera nee additioni nisi unitatis ad dyadem, nee subtractioni nisi dyadis a triade neque triadi ut summae, neque unitati ut differentiae est locus.
4.真なる算術にては、一を二に加うるほかに加法はなく、三より二を引くほかに滅法はなし。また三は和と考うベからず、一は差と考うベからず

5. Ut magnes est vectis naturalis, ita gravitas planetarum in solem pendulum naturale.
5.磁石が自然の梃子であるように、太陽に向かう諸惑星の重力は自然の振り子である

6. Idea est synthesis infiniti et finiti et philosophia omnis est in ideis.
6.理念は有限と無限の総和にして、全哲学は理念のうちにあり

7. Philosophia critica caret ideis et imperfecta est Scepticismi forma.
7.批判哲学は理念を欠くがゆえに懐疑論の不完全なる形式なり

8. Materia postulati rationis, quod philosophia critica exhibet, Cam ipsam philosophiam destruit, et principium est Spinozismi.
8.批判哲学の樹立せる理性の要請なるものは、まさしくこの哲学そのものを破壊し、スピノザ主義の原則なり

9. Status naturae non est injustus et eam ob causam, ex illo exeundum.
9.自然状態は不義にあらず、さればこそこれより脱れ出でざるべからず

10. Principium scientiae moralis est reverentia fato habenda.
10.道徳学の原理は運命に捧げられるべき畏敬なり

11. Virtus innocentiam tum agendi tum patiendi excludit.
11.徳は能動および受動いずれの無罪潔白をも排除す

12. Moralitas omnibus numeris absoluta virtuti repugnat.
12.すべてにおいて絶対的なる道徳は徳と矛盾す


これらは重要なヘーゲルの宣言文でもあるが、ある種のはったりでもあるので、評価が難しい(前半は神秘的な自然観に基づく論理学であり、後半は批判哲学批判と考えられる)。ただ、大学とは討論の場であったことが原点として確認出来ればいいだろう。ヘーゲル批判に関しては同時期の『惑星軌道論』などを見る必要があるが、その自然科学観(これは現在再評価される部分もある)よりも論理学に的を絞った方がわかりやすいだろう。例えば以下のような批判がある。

以下、山下正男『論理学史』(p225)より

「(ボルツァーノは)例えばヘーゲルの好む表現 "運動とは質点Mが同じ瞬間に同じ場所mにあり,そして,ないことである"(大論理学邦訳岩波中p79より)を論理学の自殺だときめつけ,運動はそうした矛盾律を犯さなくてもつぎのように正しく把握できると主張した. "質点Mが一定の時間Tに運動するとは,Mが同一の場所に静止するようなTの部分tは一つも存在しないということである".」
[PR]
by yojisekimoto | 2010-02-25 13:35 | ヘーゲル

『森の生活』と東洋思想:メモ


ソローHenry David Thoreau 『森の生活 WALDEN』(1854)には東洋思想が多く引用されている。ヴェーダ、孔子、孟子、曾子(『大学』『論語』『孟子』『中庸』、いわゆる「四書」)などだ。老子はなぜかない。
小学館今泉吉晴訳はソロー自身の日記からとったスケッチが上部に参照されていて楽しい。
訳はですます調で読みやすいが、中国の古典に関しては引用元がわかりにくいので補足してみたい(この点においては講談社学術文庫あるいは岩波文庫の注の方が参考になる)。()内は今泉訳の頁番号。

まずは孔子Confucius,King Tching Thang 、論語からの引用。

"To know that we know what we know, and that we do not know what we do not know, that is true knowledge."

「知るとは、本当に知ったということ知ることです。知らないことは知らないと、はっきり知ることです。」(今泉訳第1章経済A21頁 )
  ↓
「知るを知るとなし、知らざるを知らずとせよ、これ知るなり」巻第一為政2−17
「子曰、由誨女知之乎。知之爲知之。不知爲不知。是知也。」(岩波文庫33頁)

"Kieou-pe-yu (great dignitary of the state of Wei) sent a man to Khoung-tseu to know his news. Khoung-tseu caused the messenger to be seated near him, and questioned him in these terms: What is your master doing? The messenger answered with respect: My master desires to diminish the number of his faults, but he cannot accomplish it.. The messenger being gone, the philosopher remarked: What a worthy messenger! What a worthy messenger!"

略(今泉訳第二章どこで、何のために暮らしたか 120頁)

「遽*伯玉使人於孔子、孔子與之坐而問焉、曰夫子何爲、對曰、夫子欲寡其過而未能也、使者出、子曰、使乎使乎、」(憲問第十四、14-26、岩波文庫199頁)

「遽*伯玉(きょはくぎょく)、人を孔子に使いせしむ。孔子これに坐を与えて問いて曰わく、夫子(ふうし)何をか為す。対たえて曰わく、夫子は其の過(あやま)ち寡(すく)なからんことを欲して、未だ能わざるなり。使者出ず。子の曰わく、使いなるかな、使いなるかな。」

「遽*伯玉が孔子の所へ使いをよこした。孔子は使いの者を席に着かせてから、訊ねられた、「あの方はどうしておられますか。」答えて、「あの方は自分の過ちの少ないようにとしておりますが、未だ出来ないでいます。」使いの者が退出すると、先生は「[立派な]使いだね、[立派な]使いだね。」と言われた。 」
http://www.asahi-net.or.jp/~pd9t-ktym/7_2.html#anchor417122

"Confucius says truly, Virtue does not remain as an abandoned orphan; it must of necessity have neighbors."

「美徳も仲間なしには立っていられません。美徳もまた、仲間によって支えられています。(今泉訳5独り居173)
  ↓
「徳は孤ならず、必ず隣あり」( 里仁4−25、岩波文庫60頁)
「子曰、徳不孤、必有鄰」
http://sentetu.blogspot.com/2007/02/blog-post_22.html

"You who govern public affairs, what need have you to employ punishments? Love virtue, and the people will be virtuous. The virtues of a superior man are like the wind; the virtues of a common man are like the grass; the grass, when the wind passes over it, bends."

「上に立つ人の徳は風のようです。民衆の徳は草のようと言えるでしょう。」(今泉訳8村220)
  ↓
「君子の徳は風なり。小人の徳は草なり、草はこれに風を上うるとき必ず儒す」顔淵12ー19、岩波文庫166頁
「君子之徳風也、小人之徳草也、草上之風必偃、」

「孔子の三つの文章」(今泉訳12動物の隣人288頁)
  ↓
岩波文庫、飯田実の解説では、第5章孤独(今泉訳では「独り居」173頁)に引用された中庸第16章または13章の文章*のこと(岩波文庫『大学・中庸』210頁)。今泉訳は注が詳しくないので、文脈から言って論語の有名な冒頭の文章「子曰、学而時習之、不亦説乎。/子曰く、学びて時に之を習う、また説しからずや。」のことかと勘違いした。"There never is but one opportunity of a kind."=機会は一度ならず、とソローは書いている。


白文
(略)鬼神之為徳、其盛矣乎、視之而弗見、聴之而弗聞、体物而不可遺、使天下之人、斉明盛服、以承祭祀、洋洋乎、如在其上、如在其左右、 (略)(中庸、第十三章)

読み下し文
将に至らんとすれば、善も必ず先にこれを知り、不善も必ず先にこれを知る。故に至誠は神(しん)の如し。
子曰わく、「鬼神(きじん)の徳たる、其れ盛んなるかな。これを視(み)れども見えず。これを聴けども聞こえず、物を体(たい)して遺(のこ)すべからず。天下の人をして、斉明盛服して、以て祭祀を承(う)けしむ。洋洋乎(ようようこ)として、その上に在るが如く、その左右に在るが如し」

現代語訳
「神霊のはたらきというものは、いかにも盛んだね。形を視(み)ようとしても見えないし、音を聴こうとしても聞こえないが、(それでいて、)どんな事物とでもすべて洩(も)れなくいっしょになってはたらいている。天下の人びとに潔斎(けっさい)して身を清め、りっぱな礼服をつけて祭祀を受けつがせ、(祭場の)辺りいっぱいに満ちあふれて、人びとの頭上にあるかのようであり、また人びとの左右にあるかのようである」
http://csk.web.infoseek.co.jp/nikki-2008-2.html


"From an army of three divisions one can take away its general, and put it in disorder; from the man the most abject and vulgar one cannot take away his thought."

「軍隊も、大きくなって三つの部隊の連合ともなると、統帥する将軍を討ち取っただけで、たちまち乱れる。ところがひとりの人は、いかに貧しく、下劣であっても、その人らしい、考える力を奪うことは出来ない。」(18結論p419)
  ↓
「三軍もその師を奪うべし。匹夫もその志を奪うべからず」(子罕(しかん)第九.26、岩波文庫127頁)
「子曰、三軍可奪帥也、匹夫不可奪志也」
http://www.asahi-net.or.jp/~pd9t-ktym/5_1.html#anchor311391

なおソローはJoshua Marshmanの The works of confucianを参照したらしい。

参考:
http://www.asahi-net.or.jp/~pd9t-ktym/kanmei.html
http://www.1-em.net/sampo/rongo_lingual/index_09.htm
論語各国語訳

森の生活 原文
http://thoreau.eserver.org/walden00.html#toc

 その他に孟子Mencius、曽子Thseng-tseu(Zengzi またはTsang)からの引用がある。

"That in which men differ from brute beasts," says Mencius孟子, "is a thing very inconsiderable; the common herd lose it very soon; superior men preserve it ...

「人が獣類と異なるところは、言うに足らぬほどわずかに過ぎない。大衆は、たちまちのうちにその違いを失い、優れた人は注意深くそれを保とうとする」(今泉訳11法の上の法279)
 ↓
「孟子曰、人之所以異於禽獸者幾希、庶民去之、君子存之。」(離婁章句下、『孟子』 第八巻-19、岩波文庫下81頁)

書き下し文:「孟子曰く、人の禽獣に異なる所以(ゆえん)の者は幾ど(ほとんど)希(まれ)なり。庶民はこれを去り、君子はこれを存す(そんす)。舜は庶物(しょぶつ)を明らかにし、人倫を察か(あきらか)にす。仁義に由りて(よりて)行う、仁義を行うに非ざるなり。」

口語訳:「孟子がおっしゃった。『人間と鳥獣とが異なっている点は、ほとんど僅かなものである。庶民は鳥獣との違いを失い、君子はその違いを保持している。舜は万物の理法を明らかにして、人間の踏み行うべき倫理を明らかにした。舜帝は、(先王から続く)仁義の道に依拠して行ったのであり、自分独自の仁義を実践したわけではないのだ。』

http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/knowledge/classic/moushi006.html

「人間の自然なものの捉え方」(今泉訳17章春401頁)

「良心」あるいは「人之情」(孟子告子章句上8「牛山の木の喩」より、岩波文庫下p241)

略(今泉訳第二章どこで、なんのために暮らしたか112頁)

「湯の盤の銘に曰く、荀に日に新たに、日日に新たに、また日にあらたなり。」(大学第二章3岩波文庫45頁)

「湯」とは殷王朝を創始した湯王を指している。聖天子として知られていた。

その湯王が、洗面の器(盤)に「荀日新、日日新、又日新」の九文字を刻み、毎日、洗面する度にそれを見ながら仕事に取り組む姿勢を新たにしたという。

"The soul not being mistress of herself," says Thseng-tseu曾子, "one looks, and one does not see; one listens, and one does not hear; one eats, and one does not know the savor of food." He who distinguishes the true savor of his food can ...

曾子「心が自由でなければ、人は見ても見えず、聞いても聞こえず、食べても味わえない」(今泉訳11章法の上の法、277頁)
 ↓
「心不在焉、視而不見、聴而不聞、食而不知其味 」(曾子、『大学』第三章1岩波文庫51頁)


心ここに在らざれば、視れども見えず、聞けども聞こえず、食らえどもその味を知らず、」
その他にヴェーダをはじめヒンズー教経典からの引用もある。

ヴェーダ「あらゆる才能は朝とともに目覚める」(今泉訳113頁)
 ↓
原典?

参考:
H.D.ソローの書棚 http://sugaihi.ld.infoseek.co.jp/success/bookshelf3.htm


ソローの、ガンジー、マーティンルーサーキング牧師らに影響を与えた部分は『市民としての反抗』(孔子の引用はここにもある)を読んだ方がわかりやすいが、『森の生活』が重要であることはかわらない(タルコフスキーも今泉約131頁の部分を『映像のポエジア』68頁で引用している)。
わからないところは今後調べて行きたい。
[PR]
by yojisekimoto | 2010-02-20 02:32 | 研究

構成的理念と統整的理念

サッカー日本代表の岡田監督(及び大木コーチ)の采配を見ていると、理想を追っているのはいいが、選手を型にはめすぎているような気がする。
これはカントのいう構成的理念を想起させる。

オシムの場合は、最初の頃はワンタッチを強要して、同じく理想を追いすぎていた面があったが、選手の判断を尊重するところがあった。こちらはカントのいう統整的理念のモデルと言っていいだろう。

岡田監督の誕生そのものの背景が、そもそも協会の独断による就任な訳で、構成的理念そのものを体現しているとさえ言える。

オールスターのファン投票を二年連続中止にするような協会の姿勢には問題がある。もっと観客からのフィードバックを考えないと組織のボトムアップもできないだろう。
クリストファー・アレグザンダーのセミラティスではないが、ツリー状の構造は必ずしもリゾームを排除しないのだから、協会、岡田監督はやり方を反省するべきだ。
[PR]
by yojisekimoto | 2010-02-17 14:35 | スポーツ

ヘーゲル『宗教哲学講義』諸宗教分類表

ヘーゲル『宗教哲学講義』諸宗教分類表
(堀池信夫『中国哲学とヨーロッパの哲学者』下584頁より。原本は縦書き)
 _________________________________________________
|         |         |        |精神的なものと   |         |
|         |         |        |自然的なものの統一 |原始宗教(理神論)|
|         |         |        |__________|_________| 
|         |         |直接的宗教   |宗教的契機が感性的な|         |
|         |         |(自然的宗教) |もののうちにあり、超|         | 
|         |         |        |出の契機が自然性のう|呪術       |
|         |         |        |ちに閉じ込められてい|         |
|         |         |        |るもの       |         |
|         |         |________|__________|_________|
|         |自然宗教     |        |度量の宗教     |中国の宗教    |
|         |         |        |__________|_________|
|         |         |意識の自己内分裂|想像の宗教     |インドの宗教   |
|         |         |        |__________|_________|
|実定宗教     |         |        |自己内存在の宗教  |仏教       |
|         |         |________|__________|_________|
|         |         |        |善の宗教・光の宗教 |ペルシャの宗教  |
|         |         |        |__________|_________|
|         |         |自由の宗教への移|苦悩の宗教     |シリアの宗教   |
|         |         |行段階の宗教  |__________|_________|
|         |         |        |謎の宗教      |エジプトの宗教  |
|         |_________|________|__________|_________|
|         |         |崇高の宗教   |ユダヤの宗教              |
|         |         |________|____________________|
|         |精神的個性の宗教・|美の宗教    |ギリシャの宗教             |
|         |自由な主観性の宗教|________|____________________|
|         |         |合目的の宗教・ |                    |
|         |         |悟性の宗教   |ローマの宗教              |
|_________|_________|________|____________________|
|概念・絶対的宗教・|                                       |
|完成された宗教  |                 キリスト教                 |
|_________|_______________________________________|
                 
実定宗教と自然宗教を背理的なものと考えるなら両者の分類に異論が出るかも知れない。
また、ヘーーゲル全体系も(三角形ではなく)上記のような格子状の図で図解できるだろう。
ちなみにライプニッツは中国の「理」とヨーロッパの「神」との間に相似を見出した。


追記:
ヘーゲル『宗教哲学講義』諸宗教分類表、三角形バージョン
大枠は『歴史哲学講義』と同じだが、微妙に違う。
(参照:堀池信夫『中国哲学とヨーロッパの哲学者』下584頁より。原本は縦書き)

                               /\
                              /__\
                             /\  /\  
                            /__\/__\
                           /\      /\
                          /__\    /__\   
                         /\  /\  /\  /\ 
                        /__\/__\/__\/__\
                       /\   概念・絶対的宗教・  /\
                      /__\  完成された宗教   /__\ 
                     /\  /\          /\  /\
                    /__\/__\ キリスト教  /__\/__\
                   /\      /\      /\      /\
                  /__\    /__\    /__\    /__\
                 /\  /\  /\  /\  /\  /\  /\  /\
                /__\/__\/__\/__\/__\/__\/__\/__\     
               /\                              /\
             謎の宗教\                            /__\
             /エジプト\                          /\  /\
            /__\/__\      ヘーゲル『宗教哲学講義』      /__\/__\
           /自由の宗教への移・                      合目的の宗教・悟性の宗教
          /_行段階の宗教/__\                    /__\ローマ /__\
         /ペルシャ\  /シリア/\                  /\  /\  /\  /\
     善の宗教・光の宗教_\/_苦悩の宗教\                /__\/__\/__\/__\
       /\    実定宗教A     /\              /\   実定宗教B      /\ 
      /__\          自己内存在の宗教          /__\  精神的個性の宗教・ /__\
     /\  /\  自然宗教    /\仏教/\          /\  /\ 自由な主観性の宗教/\  /\
    /__\/__\        /__\/__\        /__\/__\        /__\/__\
原始宗教\ 直接的宗教/\      /\意識の   /\      /\ ユダヤ  /\      /\美の宗教  /\
(理神論)(自然的宗教)_\  度量の宗教\自己内分裂__\    /__崇高の宗教/__\    /__\ギリシャ/__\
精神的なもの\  /\呪術/\  /\中国/\  /インド/\  /\  /\  /\  /\  /\  /\  /\  /\
と自然的なもの\/__\/__\/__\/__\/想像の宗教_\/__\/__\/__\/__\/__\/__\/__\/__\
の統一     宗教的契機が感性的な
        もののうちにあり、超
        出の契機が自然性のう
        ちに閉じ込められてい
        るもの
[PR]
by yojisekimoto | 2010-02-16 18:58 | ヘーゲル

Phoenician alphabet(フェニキア文字)

a0024841_1454277.jpg

http://houseofthebeloved.blogspot.com/2010/01/oral-hebrew-alphabet-phoenician-to.html
マイミクの方が日記にアルファベットの起源が絵文字であり、牛、家といった衣食住を起源に持つと書いていた。
絵文字を解説した画像を探しているのだがあまりいい図がない。
また探してみようと思う。
[PR]
by yojisekimoto | 2010-02-13 14:08 | 研究

IN PERFORMANCE AT THE WHITE HOUSE | Bob Dylan "The Times, They are a Changin" | PBS



In his first performance ever at the White House, Bob Dylan performs "The Times, They are a Changin'." "In Performance at the White House: A Celebration of Music From the Civil Rights Movement"airs on PBS stations nationwide on Thursday, February 11 at 8 p.m. ET (check local listings at http://bit.ly/b2S2ox ). More at http://www.pbs.org/inperformance

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=50104431&comment_count=12&comm_id=10512
Twitter #bobdylanjp
[PR]
by yojisekimoto | 2010-02-12 02:40 | ディラン

日本資本主義論争(1933-1937)とラテンアメリカ封建論争(1967-)                  

日本資本主義論争(wiki、1933-1937)とラテンアメリカ封建論争(あるいは周辺従属論争、1967-1977):メモ                  

      |原理   |歴史、現状認識
______|_____|________________    
労農派   |生産重視 |明治維新はブルジョア革命   
      |     |
講座派   |流通重視 |民主革命、政治革命が必要       
      |     |
      |     |
ラクラウ  |生産重視 |ラテンアメリカは封建的
      |     |
フランク  |流通重視 |ラテンアメリカは資本主義に含まれる
(ウォーラ |     |
ーステイン |     |
 従属論) |     |
  
/////////////////////

        生産重視
          |
    ラクラウ  |  労農派
   (マルクス) |  
政治革命______|________社会革命
が必要       |        が必要
    講座派   |  ウォーラーステイン アミン
          |  フランク(従属論)
   (ネグリ)  |  (柄谷、プルードン)
        流通重視


明治維新がブルジョア革命だったと言う認識(そこからの社会革命の必要性の認識を含める)においては労農派が正しくて、流通重視の姿勢は講座派が正しい。

ラテンアメリカ封建論争においては、上記と立場が交差しているが、どちらかと言えばラクラウは生産重視寄りの「講座派」と言ってよい。
(図の位置づけは柄谷の交換図に対応している。)


注:
従属理論は、不均等を二者に分け、後者の不均等を重視して検討を行なっている。

* 剰余価値率は等しいが資本の有機的構成が異なる第1次の不均等
* 賃金格差があり剰余価値率が異なる不均等

これに反し、新古典派経済学の批判は第1次の不均等に限定されていると言われる。


 従属理論において、中心地域による第三世界の「経済的余剰」の収奪は、世界経済を舞台とした不等価交換による余剰の移転として現れる。また、経済的余剰はある経済の内部において獲得されるけれども、それは輸出という行為を媒介として外国市場において実現されると考えるがゆえに、資本主義の発展は外国市場における中心による周辺の収奪によって可能になったとする点を強調する。つまり、「周辺」から「中心」への「経済的余剰」の流出を実現市場における不等価交換を中心に把握するがゆえに、一国規模での労働力の搾取の問題は国際的な流通過程の中で認識される。それゆえ、従属理論では、不均等発展は、世界市場における不等価交換によって生み出されたものであるということになる。
 したがって、一国規模の問題は世界システムに内在する中心=周辺関係を軸に把握されるがゆえに、それは、世界経済における支配=被支配関係を反映したものと考えられた。
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/law/lex/96-1/MINAMINO.HTM


参考:
ラクラウ「ラテンアメリカにおける封建制と資本主義」『資本主義 ・ファシズム ・ポピュリズム』柘植書房 横越英一監訳
柄谷行人『トランスクリティーク』定本版397頁
(同著で柄谷は宇野弘蔵の言う「世界資本主義の共時的構造」に即して見なければならないというニュートラルな立場にある。)
ウォーラーステイン『近代世界システム』岩波162頁

追記:

        生産重視
          |
    ラクラウ  |  労農派(犬好き)
   (マルクス) |  
政治革命______|________社会革命
が必要       |        が必要
    講座派   |  ウォーラーステイン
   (猫好き)  |  フランク(従属論)
   (ネグリ)  |  (柄谷、プルードン)
        流通重視

宇野は著作集別巻「犬・猫・人間」で猫は封建的で犬は資本主義的だと言っているが、これは逆だろう。
ただ、猫好き犬好きで封建論争を分類したのは面白い(宇野は犬猫両方飼っているというオチ)。
[PR]
by yojisekimoto | 2010-02-10 11:06 | 研究