<   2010年 03月 ( 9 )   > この月の画像一覧

38度線、パレスチナ、『近代の超克』、四つの交換図

先の長池講義で言及された、政治的に分断された朝鮮半島の問題は、
その政治的図式、地政図を以下の4つの交換図にそのままトレースできるだろう。
要するに、北朝鮮は国家が支配し、韓国は資本が支配的だということだ。

 国家  | 国民
_____|____ ←38度線?
     |
 資本  | X

ただし、両国とも右半分(北朝鮮には国民が、韓国にはアソシエーションの原型)が
足りない。

日本は韓国とアソシエーション的(草の根的に)に交流し、北朝鮮とスポーツ文化等を通じて
国民と直接交流する必要があるだろう(柄谷の指摘した詩の重要性はそこに起因する)。

柄谷の推奨した白楽晴(ぺクナクチョン)の論考は、先日も述べたように、彼自身がキリスト教徒で知識人でもあるので、
そうした国民(というより大衆)文化的な側面へのフォローが弱い。

また、アジアのことはアジアで、アラブのことはアラブで自己解決、自主運営する必要がある。
その点で国連にはサッカーW杯の予選のような地域ごとの代表制が求められると思う。
(現在W杯予選はアジアとアラブは同じグループだが、地政学的には分けた方がよいだろう。)

さらに、
イスラエル=国家
アメリカ=資本
アラブ=国民、ととらえると、
以下のように考えることも出来るだろう。

     パレス
     チナ問題
     ↓
 国家  | 国民
_____|____ 
     |
 資本  | X

また、『近代の超克』の話題が出た際、昔ゼミで扱った座標図を思いだした。


      近代以前 
       | 西谷啓治 
 (西郷信綱)| 亀井勝一郎
科______|______宗
学      |      教 
       | 小林秀雄
 下村寅太郎 |
       近代

これらは小林秀雄をアソシエーションの位置においた場合、柄谷の交換図と重なり合う。

ただし、西郷信綱の名は座談会に参加していないから、後づけである。
図を見ると、交換図では国家に相当する位置は科学的復古主義である。
そして古事記を科学的に研究した西郷のような科学的な復古主義が日本に不足していると言える。
(丸山真男の江戸研究もここに位置づけられる。)

意外なことに、国家に関する科学的な研究がないために日本国民は官僚制を許しているのだ。

柄谷が歴史を捉え直しているのはこの空白を埋める作業かも知れない。
[PR]
by yojisekimoto | 2010-03-27 01:14 | 柄谷行人

世界選手権女子カーリング

エンド   12345678910  計
デンマーク*100010040 2 8
日本    003101101 0 7

世界選手権、日本女子カーリングチーム。
苦戦の原因は沢山ある。
選抜チームが無理だったこと、過密日程による疲労、テレビ中継による緊張、、、etc。
ただし、最終デンマーク戦の敗因は簡単。
ノルウェーに勝利を収めた後、オーダーを変えたのがすべてだ。
勝った試合の後は,よほどのことがない限りオーダーをいじってはいけない。
オリンピックでもそれで間違えた。

勝った後オーダーを変えたがるのは監督の自己顕示欲と言える。

////////////

第10エンド:日本(黄)4th、2投目投石後(図の数字は時計の目盛りと同じ)、

            赤
        |  黄
   _____|_____
  |  ___|_黄_  |
  | |  _|_  | |
  | | | |黄| | |
9_|_|赤|_|_|_|_|_3
  | | | | | | |
  | | |_|_| | |
  | |___|赤__| |
  |_____|_____|
        6
        
       
     :デンマーク(赤)ラスト投石後、

            赤
        |  黄
   _____|_____
  |  ___|_黄_  |
  | |  _|_  | |
  | | | | | | |
9_|_|赤|_|_|_|_|_3
  | | | | | | |
  | | |_|_| | |
  | |___|赤__| |
  |_____|_____|
        6

日本7:8で逆転負け

以下、参考動画(上記で記述した最終戦ではない):

[PR]
by yojisekimoto | 2010-03-26 08:14 | スポーツ

ミルの論理学

ミルの論理学

演繹(deduction)             帰納( induction)

      演繹法     |      帰納法
 (帰納的推理の記録の解釈)|(既知の事例より未知の事例へ)
     事実の検証    |  事実の発見(観察・実験・説明)
    三段論法の法則   |     自然の類似
             /|\ 
        ↓     | \   ↑
       法   /  |  \   帰 
      繹    則 三|普  \   納
  ◯  演   /法  段|遍  自\   法  ◯
諸        の   論|的   然\       諸
事      /法    法|自    の\      事 自 因
物 ◯    論     の|然     類\   ◯ 物 然 果
・    /段      大|法      似\    ・ の←の
意    三       前|則        \   意 斉 法
識 ◯/_________提|__________\◯ 識 一 則
現      ← 真  の | 推  理        現
象             |             象
の ◯           |           ◯ の
事             |             事
実             |             実


J.S.ミルは上の図における形式的な演繹法(図:左側)よりも、実質的な帰納法(図:右側)を重視
した(とはいえそれは理性による真の推理とは異なる)。

「我々は帰納による以外には『普遍』を知ることができない。なぜならば抽象的な思考
によって到達された概念を理解せしめ得るのは帰納によってのみである。」
(「分析論」後篇1部18章、白水社『ミル推理論』35、38頁より、竹田加壽雄作成の図を参照)

ヒュームを受け継ぐミルの論理学は自由連想法を含み、フロイトも影響を受けた。
[PR]
by yojisekimoto | 2010-03-24 14:41 | 研究

左翼が見るべき10本の映画

左翼が見るべき10本の映画

パゾリーニ『奇跡の丘』
ロッセリーニ『神の道化師』
ゴダール『中国女』
ブレヒト『クーレワンペ』
エイゼンシュテイン『イワン雷帝』
小津安二郎『生まれてはみたけれど』
黒澤明『七人の侍』
宮崎駿『風の谷のナウシカ』
リノ・ブロッカ『マニラ 光る爪』
ユルマズ・ギュネイ『路』
[PR]
by yojisekimoto | 2010-03-16 23:37 | 映画

3月13日:メモ

白 楽晴(ぺクナクチョン『朝鮮半島の平和と統一』)の朝鮮統一案について言及されたが、白には確かに理知的な魅力(以前読んで感銘を受けた)はあるにしてもキリスト教徒で知識人向けだから大衆に訴えかけない。金芝河の方が大衆には人気があるだろうし、国民に訴えかけるには映画やスポーツが必要だろう。

参考:中国とのピンポン外交
http://japanese.cri.cn/781/2008/12/01/1s131210.htm


言及されたトルコの三つの可能性は交換図のA(イスラム)B(アジア)C(ヨーロッパ)に相当する。

アレヴィー派(アレリ派)にはアソシエーションの原型があったとされたが、「善行は礼拝に勝る」と説くアレヴィー派は形骸化した宗教の殻を内側から破るものと考えられる。これは国を越えた普遍的な現象だ。

参考:
「善行は礼拝に勝る」イマーム・アリー(アレヴィー派第一の教訓)
http://74.125.153.132/search?q=cache:STbwdcGyDHYJ:kotobank.jp/word/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%BC%E6%B4%BE+%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%BC%E6%B4%BE&cd=10&hl=ja&ct=clnk&gl=jp

ちなみにアレヴィー派にはセマーという舞踊がある。


パゾリーニは王女メディアでトルコのカッパドキアをロケ地に使っている。


共産主義者で娯楽映画(俳優)上がりのトルコの映画監督、ユルマズ・ギュネイの演説?

同インタビュー

[PR]
by yojisekimoto | 2010-03-14 13:00 | 柄谷行人

kant:メモ

画像は1799年B版の『純粋理性批判』より

以下、判断表、




     1.
     Quantität der Urteile.
     Allgemeine
     Besondere
     Einzelne
2.           3.
Qualität .       Relation
Bejahende       Kategorische
Verneinende      Hypothetische
Unendliche       Disjunktive
      4.
      Modalität
      Problematische
      Assertorische
      Apodiktische

              1.
             判 断 の 量 
              全称的(すべての〜は−である)
              特称的(幾つかの〜は−である)
              単称的(一つの〜は−である)
 2.                          3.
質                          関 係
 肯定的(〜である)                  定言的(〜である)
 否定的(〜でない)                  仮言的(〜ならば、−である)
 無限的(〜は非−である)                選言的(〜か−である)
              4.
             様 相
              蓋然的(〜かもしれない)
              実然的(〜である)
              確定的(〜であるに違いない)

以下、カテゴリー表、





      Tafel der Kategorien.
       I.
      Der Quantität:
       Einheit
       Vielheit
       Allheit
2.             3.
Der Qualität :      Der Relation:
Realität          der Inhäenz und Subsistenz
Negation            (substantia et accidens)
Limitation          der Kausalität und Dependenz
                   (Ursache und Wirkung)
              der Gemeinschaft (Wechselwirkung
                 zwischen dem Handelnden
                      und Leidenden).
      4.
      Der Modalität:
      Mölichkeit - Unmölichkeit
      Dasein - Nichtsein
      Notwendigkeit - Zufäligkeit.


     カテゴリー表.

       1.
      量:
       単一性
       多数性
       全体性
2.              3.
質:             関 係:
 実在性            内属と自体存在(実体と偶有性)
 否定性            原因性と依存性(原因と結果)
 限界性            相互性(能動的なものと受動的なものとのあいだの相互作用).
       4.
      様 態:
       可能性ー不可能性
       現存在ー非存在
       必然性ー偶然性.


判断表の様相が番号1になっているのが気になる。多分誤植だろうが、、、、
(誤謬心理の順番としては様相が最初になり得るから間違いとも言い切れない)



以下、wikiより



 ________純粋理性批判のアウトライン__________________________
|献辞                                             |
|序文二種                                           |
|_______________________________________________|
|  |1、純粋認識と経験的知識との区別について                        | 
|序 |2、我々は或る種のア・プリオリな認識を有する、そして常識でも決してこれを欠くものではない|
|  |3、哲学は一切のア・プリオリな認識の可能、原理および範囲を規定するような学を必要とする |
|  |4、分析的判断と綜合的判断との区別について                       |
|  |5、理性に基づく一切の理論的な学にはア・プリオリな綜合的判断が原理として含まれている  |
|論 |6、純粋理性の普遍的課題                                |
|  |7、純粋理性批判という名をもつ或る特殊な学の構想と区分                 |
|__|____________________________________________|  
|  |       |1、空間                                |
|  |       |____________________________________|
|  |       |2、時間                                |
|  |       |____________________________________|
|  |1、感性論  |先験的感性論に対する一般的注                      | 
|  |       |____________________________________|
|  |       |先験的感性論の結語                           |
|  |_______|____________________________________|
|  |       |緒言:先験的論理学の構想                        |  
|1 |       |____________________________________| 
|  |       |     |           |1純粋悟性概念を発見する手引き   |
|原 |       |     |1概念の分析     |__1悟性の一般的使用、2判断表、3範疇表  
|  |       | 分析論 |           |2純粋悟性概念の演繹について    |  
|  |       |     |___________|__________________|
|  |       |     |           |緒言:先験的判断力一般について   |
|  |       |     |           |__________________|
|  |       |     |           |1純粋悟性概念の図式論について   |
|  |       |     |2原則の分析     |__________________|
|  |       |     |           |2原則の体系            |
|  |       |     |           |__________________|
|理 |       |     |           |3現象的と可想的とに区別する根拠  |
|  |       |     |           |__________________|
|  |       |     |           |附録:反省の概念の二義性      |
|  |2、論理学  |_____|___________|__________________|
|  |       |     |はじめに       |1先験的仮象について        |
|  |       |     |           |__________________|
|  |       |     |           |2仮象の在処としての純粋理性について|
|  |       |     |___________|__________________|
|  |       |     | 1、純粋理性の概念について                |
|  |       |     |______________________________|
|論 |       | 弁証論 |           |1誤謬推理             |
|  |       |     |           |__________________|
|  |       |     | 2、        |心理学から宇宙論への移行に関する注 |
|  |       |     | 純粋理性の弁証法的 |__________________|
|  |       |     | 推理について    |2二律背反*            |
|  |       |     |           |__________________|
|  |       |     |           |3理想               |
|  |       |     |___________|__________________|
|  |       |     |           |理念の統整的使用          |
|  |       |     | 附録:弁証論    |__________________|
|  |       |     |           |弁証法の究極意図          |
|__|_______|_____|___________|__________________|
|2 | はじめに                                       |
|  |1、訓 練                                       |
|方 |2、規 準                                       |
|法 |3、建築術                                       |
|論 |4、歴 史                                       |
|__|____________________________________________|


◇ 「ANTINOMIE展」カタログ(近畿大学四谷ギャラリー 2003年)がネット上に公開されたようです。 柄谷行人の朗読も聞けます(本来はステレオだがこれはモノラルバージョンのようだ)。
http://correlative.org/exhibition/antinomie/



参考:
http://d.hatena.ne.jp/sxviir/20091006

カント『純粋理性批判』

本, イマヌエル・カント, ☆☆☆
純粋理性批判 岩波文庫

献辞

第一版序文

第二版序文

緒言

 I 純粋認識と経験的認識との区別について

 II 我々は或る種のア・プリオリな認識を有する、そして常識でも決してこれを欠くものではない

 III 哲学は一切のア・プリオリな認識の可能、原理および範囲を規定するような学を必要とする

 IV 分析的判断と綜合的判断との区別について

 V 理性に基づく一切の理論的な学にはア・プリオリな綜合的判断が原理として含まれている

 VI 純粋理性の一般的課題

 VII 純粋理性批判という名をもつ或る特殊な学の構想と区分

I 先験的原理論

 第一部門 先験的感性論

  緒言(1)



  第一節 空間について

   空間概念の形而上学的解明(2)

   空間概念の先験的解明(3)

   上記の諸概念から生じる結論



  第二節 時間について

   時間概念の形而上学的解明(4)

   時間概念の先験的解明(5)

   これらの概念から生じる結論(6)

   説明(7)

   先験的感性論に対する一般的注(8)

   先験的感性論の結語

 第二部門 先験的論理学

  緒言 先験的論理学の構想

   I 論理学一般について

   II 先験的論理学について

   III 一般論理学を分析論と弁証論とに区分することについて

   IV 先験的論理学を先験的分析論と弁証論とに区分することについて

  第一部 先験的分析論

   第一篇 概念の分析論

    第一章 すべての純粋悟性概念を残らず発見する手引きについて

     第一節 悟性の論理的使用一般について

     第二節 判断における悟性の論理的機能について(9)

     第三節 純粋悟性概念即ちカテゴリーについて(10-12)

    第二章 純粋悟性概念の演繹について

     第一節 先験的演繹一般の諸原理について(13)

          カテゴリーの先験的演繹への移り行き(14)

     第二節 純粋悟性概念の先験的演繹

          結合一般の可能について(15)

          統覚の根原的-綜合的統一について(16)

          統覚の綜合的統一の原則は一切の悟性使用の最高原則である(17)

          自己意識の客観的統一とは何かということ(18)

          およそ判断の論理的形式の旨とするところは判断に含まれている概念に統覚の客観的統一を与えるにある(19)

          およそ感性的直観はかかる直観において与えられた多様なものが結合せられて一つの意識になり得るための条件としてのカテゴリーに従っている(20)

          注(21)

          カテゴリーは経験の対象に適用され得るだけであってそれ以外には物の認識に使用せられ得ない(22・23)

          感官の対象一般へのカテゴリーの適用について(24・25)

          純粋悟性概念の一般的に可能な経験的使用の先験的演繹(26)

          悟性概念のかかる先験的演繹から生じた結論(27)

          この演繹の要約

   第二篇 原則の分析論(判断力の先験的理説)

    緒言 先験的判断力一般について

    第一章 純粋悟性概念の図式論について

    第二章 純粋悟性のすべての原則の体系

     第一節 一切の分析的判断の最高原則について

     第二節 一切の綜合的判断の最高原則について

     第三節 純粋悟性のすべての綜合的原則の体系的表示

      1 直観の公理

      2 知覚の先取的認識

      3 経験の類推

       A 第一の類推 実体の常住不変性の原則

       B 第二の類推 因果律に従う時間的継起の原則

       C 第三の類推 相互作用或は相互性の法則に従う同時的存在の原則

      4 経験的思惟一般の公準

       (観念論に対する論駁)

       原則の体系に対する一般的注

    第三章 あらゆる対象一般を現象的存在と可想的存在とに区別する根拠について

     付録 経験的な悟性使用と先験的な悟性使用との混同によって生じる反省概念の二義性について

      反省概念の二義性に対する注

あとがき

(『純粋理性批判』上巻目次)

  第二部 先験的弁証論

   緒言

    I 先験的仮象について

    II 先験的仮象の在処としての純粋理性について

     A 理性一般について

     B 理性の論理的使用について

     C 理性の純粋使用について

   第一篇 純粋理性の概念について

    第一章 理念一般について

    第二章 先験的理念について

    第三章 先験的理念の体系

   第二篇 純粋理性の弁証法的推理について

    第一章 純粋理性の誤謬推理について

           心〔心霊〕の常住不変性に対するメンデルスゾーンの証明を反駁する

           心理学的誤謬推理に対する論定

           理性的心理学から宇宙論への移り行きに関する一般的注

    第二章 純粋理性のアンチノミー

     第一節 宇宙論的理念の体系

     第二節 純粋理性の矛盾論

      第一アンチノミー(先験的理念の第一の自己矛盾)

            正命題

            反対命題

       第一アンチノミーに対する注

            正命題に対する注

            反対命題に対する注

      第二アンチノミー(先験的理念の第二の自己矛盾)

            正命題

            反対命題

       第二アンチノミーに対する注

            正命題に対する注

            反対命題に対する注

      第三アンチノミー(先験的理念の第三の自己矛盾)

            正命題

            反対命題

       第三アンチノミーに対する注

            正命題に対する注

            反対命題に対する注

      第四アンチノミー(先験的理念の第四の自己矛盾)

            正命題

            反対命題

       第四アンチノミーに対する注

            正命題に対する注

            反対命題に対する注

     第三節 これらの自己矛盾における理性の関心について

     第四節 絶対に解決せられ得ねばならぬ限りにおける純粋理性の先験的課題について

     第五節 すべてで四個の先験的理念によって示される宇宙論的問題の懐疑的表明

     第六節 宇宙論的弁証論を解決する鍵としての先験的観念論

     第七節 理性の宇宙論的自己矛盾の批判的解決

     第八節 宇宙論的理念に関する純粋理性の統整的原理

     第九節 これら四個の宇宙論的理念に関して理性の統整的原理を経験的に使用することについて

      I 現象を合成して世界全体とする場合にその合成の全体性に関する宇宙論的理念の解決

      II 直観において与えられた全体を分割する場合にその分割の全体性に関する宇宙論的理念の解決

        数学的-先験的理念の解決に対するむすびと力学的-先験的理念の解決に対するまえおき

      III 世界の出来事をその原因から導来する場合におけるかかる導来の全体性に関する宇宙論的理念の解決

        自然必然性の普遍的法則と調和するところの自由による原因性の可能

        普遍的自然必然性と結合された自由という宇宙論的理念の解明

      IV 現象の現実的存在に関して現象一般の依存の全体性に関する宇宙論的理念の解決

        純粋理性の全アンチノミーに対するむすび

    第三章 純粋理性の理想

     第一節 理想一般について

     第二節 先験的理想について

     第三節 思弁的理性が最高存在者の現実的存在を推論する証明根拠について

     第四節 神の存在の存在論的証明の不可能について

     第五節 神の存在の宇宙論的証明の不可能について

          必然的存在者の現実的存在に関するすべての先験的証明における弁証的仮象の発見と説明

     第六節 自然神学的証明の不可能について

     第七節 理性の思弁的原理に基づくあらゆる神学の批判

    先験的弁証論・付録

       純粋理念の統整的使用について

       人間理性にもちまえの自然的弁証法の究極意図について

(『純粋理性批判』中巻目次)

II 先験的方法論

  緒言

  第一章 純粋理性の訓練

   第一節 独断的使用における純粋理性の訓練

   第二節 論争的使用に関する純粋理性の訓練

        自己矛盾に陥いった純粋理性を懐疑論によって満足させることの不可能について

   第三節 仮説に関する純粋理性の訓練

   第四節 理性の証明に関する純粋理性の訓練

  第二章 純粋理性の基準

   第一節 我々の理性の純粋使用の究極目的について

   第二節 純粋理性の究極目的の規定根拠としての最高善の理想について

   第三節 臆見、知識および信について

  第三章 純粋理性の建築術

  第四章 純粋理性の歴史

   付録

   I 純粋悟性概念の演繹



    第二節 経験を可能ならしめるア・プリオリな根拠について

         差当っての注意

       1 直観における覚知の綜合について

       2 構想力による再生の綜合について

       3 概念による再認の綜合について

       4 ア・プリオリな認識としてのカテゴリーの可能に関する差当っての説明

    第三節 対象一般に対する悟性の関係と対象をア・プリオリに認識することの可能とについて

         純粋悟性概念のこの演繹が正当でありまた純粋悟性概念にはかかるただ一つの演繹しか可能でないという説の要約

   II (純粋理性の誤謬推理について)

     第一誤謬推理 実体性の誤謬推理

     第二誤謬推理 単純性の誤謬推理

     第三誤謬推理 人格性の誤謬推理

     第四誤謬推理 (外的関係の)観念性の誤謬推理

     これら誤謬推理の結果に基づく純粋心理学の総括的考察

   III 第一版からの補遺・一九項

   IV 第一版の目次

     索引

     I 人名索引

     II 事項索引

(『純粋理性批判』下巻目次) 
[PR]
by yojisekimoto | 2010-03-11 15:26 | カント

Trust yourself

"Trust me"なる言葉が外交ニュースで飛び交っているが、そこで思いだすのがディランのこの曲だ。
ステイプルシンガースあたりのゴスペルからの影響がアルバムバージョンよりよく分かる。

[PR]
by yojisekimoto | 2010-03-05 19:42 | ディラン

トロツキーと『戦艦ポチョムキン』:改稿版

最近、柄谷行人はトロツキーの永久革命論を社会革命から乖離したものとして批判しているが*、無論これはカント的批判=吟味でもある。


   |
 国家|国民
___|______
 資本|アソシエーション
   |

(上記の区分をとりはらってしまうような永続革命計画は無効であり、上記の区分を維持しつつ内外で同時に課題に取り組む限りで世界同時革命計画は有効なのだということであろう。後者の場合、トランスバーサルな移動が重要になるが、この方法論に関して後述する。)

さて、ネットでトロツキーの動画を見つけましたが、トロツキーの動画や音声はどの程度残っているのだろうか?
trotsky speaks the truth
http://jp.youtube.com/watch?v=fKI9oi1YJNM
上の動画におけるトロツキーの発言内容は以下。スターリンに反論している。

"Stalin's trial against me is built upon false confessions, extorted by modern Inquisitorial methods, in the interests of the ruling clique. There are no crimes in history more terrible in intention or execution than the Moscow trials of Zinoviev-Kamenev and of Radek-Piatakov. These trials develop not from communism, not from socialism, but from Stalinism, that is, from the irresponsible despotism of the bureaucracy over the people!"


ちなみに、1926年に公開され、2005年にドイツで修復され最近日本でもDVDが販売された『戦艦ポチョムキン』の冒頭には本来はトロツキーの以下の言葉が掲げられていた。

「革命の精神がロシア国土のうえに漂っていた。ある巨大で秘密に満ちたプロセスが、無数の心のなかで成就した。すなわち、
ようやく自分自身を認識したばかりであった個人性が、大衆のなかに解消され、そして大衆が、大いなる飛躍のなかに解消されたのだ。」

参考:
http://osiris22.pi-consult.de/view.php3?show=54670727
「ベンヤミン 救済とアクチュアリティー」(河出書房新社p.115)
『1905年』という本の「艦隊反乱」という章からだそうだ(現代思潮社p.197。ほとんどこの十数頁の短い章が映画の原作と言っていい)。
http://8025.teacup.com/trotskylibrary/bbs(トロツキー研究所掲示板)
エイゼンシュテイン、シネクラブ↓
http://www2.neweb.ne.jp/wd/eisenstein/reikai-2000.html
(「水声通信」no.4にも関連記事があった。ペットショップボーイズが『ポチョムキン』につけた音楽の紹介もある。)

最新版DVDはトロツキーの言葉が復元され、音楽もマイゼル版というもっともエイゼンシュテイン自身が評価していたものが使用されている。

エイゼンシュテインはトロツキーを意識していただろうが(たしか『十月』はトロツキーの出演シーンが検閲でカットされていたはず)、『メキシコ万歳』などはトロツキーのメキシコ亡命を先取りした「永久革命論」だったのではないだろうか?(地域間移動によって歴史を描く手法は『惑星ソラリス』の高速道路のシーンを思い出させますし、『メキシコ万歳』はパゾリーニの生の三部作を想起させる。)

追記:
(通時的な構造を共時的な移動によって表現することは、世界同時革命説が持っていた観念性を解消する方法論として有効だろう。もともと世界同時革命論は非均質的な世界観が基盤なのだが、過度に政治的になってしまった。それを映像を通じて非政治化することは可能だし、そうすることによって永続革命という通時的なヴィジョンに転化しうるのである。)


少なくともスターリンとの一騎打ちにエイゼンシュテインだけが歴史的に勝利したと言えるのではないだろうか?
(ヒットラーVSチャップリン、ナポレオン三世VSプルードンに匹敵する闘いだった。。。)

スターリンによる粛正への抵抗(この件に関しては数年前にNHKのドキュメンタリーがあった)であることは無論のこと、トロツキーの指向した軍事的政治革命、柄谷に言わせれば行き過ぎた革命を、エイゼンシュテインは社会革命化したとも言える。

トロツキーのメキシコ時代に関心がある方はジョセフ・ロージー監督、アラン・ドロン主演『暗殺者のメロディ』がおすすめ。
写真は同映画より有名なトロツキーの遺書を自身(リチャード・バートンが扮している)で録音するシーンより。
トロツキー1







トロツキー2





トロツキー3







トロツキーの遺書は以下。
。。。。。。。。。。


私の血圧が高いことは(それはますます上昇している)、周囲の者たちに、私の活動状況に関して誤解を与えている。私は意気軒昂であるし、仕事をする能力もある。しかし、おそらく、終末は近づきつつあるようだ。この一文は私の死後に公表されるだろう。

 スターリンとその手先たちのばかげた下劣な中傷を、ここでもう一度反駁する必要はない。私の革命的名誉には一点の曇りもない。私は直接的にも間接的にも、労働者階級の敵と、どんな舞台裏での協定もしたことはないし、交渉したことさえない。スターリンに反対した何千人もの人々が、同種の偽りの告発によって犠牲となった。新しい革命的世代は、これらの人々の政治的名誉を回復し、クレムリンの死刑執行人たちにその報いを与えるだろう。

 私の生涯の最も困難な時期に私に忠実でありつづけた友人たちに、心から感謝したい。とくにその友人たちの名前をここに挙げることはしない。そのすべてを挙げることはできないからである。

 けれども、わが伴侶、ナターリャ・イワノーヴナ・セドーヴァについてだけは例外をもうけても許されるだろう。運命は、私に、社会主義の大義のために闘う戦士となる幸福にくわえて、彼女の夫となる幸福を与えてくれた。私たちが生活をともにしたほとんど40年もの間、彼女は、愛と広い心と優しさの尽きることのない源泉でありつづけた。彼女は多大な苦難を嘗めることになった。とりわけ私たちの生涯の後半においては。しかし、彼女には幸福の日々もまたあったのだということに、私は慰めを見出す。

 私は、自分の意識的生涯の43年間というもの革命家でありつづけたし、そのうちの42年間はマルクス主義の旗のもとで闘った。たとえはじめからやり直すことになったとしても、もちろん、私はあれこれの過ちを避けるように努めるだろうが、私の生涯の全般的な方向性は変わらないだろう。私は、プロレタリア革命家、マルクス主義者、弁証法論的唯物論者、したがってまた非和解的な無神論者として死ぬだろう。人類の共産主義的未来に対する私の信念は現在、青年のころに劣らず熱烈であり、その時よりも強固でさえある。

 ちょうど今、ナターシャが中庭から窓のところにやって来て、私の部屋に風がもっと自由に入るよう窓を開けてくれた。塀の下には、輝くばかりの青々とした芝生が細長く伸びているのが見える。塀の上には澄みわたった青空が広がり、太陽の光があたり一面にふりそそいでいる。人生は美しい。未来の世代をして、人生からすべての悪と抑圧と暴力を一掃させ、心ゆくまで人生を享受せしめよ。

1940年2月27日

『日記と手紙』所収


追記:
「あっと+3」誌上の柄谷行人論考で考察された、永続革命と世界同時革命の根拠は『ドイツ・イデオロギー』の以下にある。

「共産主義は、経験的には、主要な諸民族が《一挙に》、かつ同時に遂行することによってのみ可能なのであり、そしてそのことは生産力の普遍的発展とそれに結びついた世界交通を前提としている。」(柄谷論考あっと+3p86 、マルクス全集3大月p31参照)

「共産主義とは、われわれにとって成就されるべきなんらかの状態、現実がそれに向けて形成されるべき何らかの理想ではない。われわれは、現状を止揚する現実の運動を、共産主義と名付けている。この運動の諸条件は、いま現にある前提から生ずる。」

http://www.econ.hokudai.ac.jp/~hasimoto/Resume%20on%20Marx%20German%20Ideology.htm

「あっと」1号の柄谷の論考によると、1850年(『ドイツ・イデオロギー』はそれ以前の執筆)に永続革命を主張し、その半年後撤回しているそうだ(全集7p259、8巻p586参照)。簡単に言えば政治革命から社会革命への転換だが、柄谷の指摘するように、恐慌待望論(第7巻p450)を伴っているために評価は難しい。


上記引用前半で気になるのは、マルクスが民族なるものを過小評価している部分だ。これだとインターナショナルが民族のメタレベルに位置することが要求されるが、歴史を観るとそれは不可能なのではないだろうか?

母体と主体の見極めが現実的でないのである。

その点、『ドイツ・イデオロギー』のシュティルナー論は興味深い。デリダが論考し、廣松渉が省略した部分に、個体性論があるのだが、これはマルクスが後に価値形態論に応用した箇所だ。個体性と普遍性の転換はまさに拡大された価値形態と一般的等価形態の転換に相当する。

この時期のマルクスは、明確に政治革命に挫折した後ではなかったが故に、そのシュティルナー批判は生々しい抵抗のあと(理論的敗北の過程、「シュティルナー以上にさいなまれ、取り憑かれ、虜となっていたかもしれないマルクス」邦訳デリダ『マルクスの亡霊たち』p291)を見事に記録しているのである。

追記の追記:

柄谷のカント及び丸山真男を受け継いだ国連改革論は、
以下のようなNAMの構造とパラレルのような気がしてならない。

 セ
評ン
議タ\ __   __   __   __
会| |  | |  | |  | |  |
 & |\ | |  | |  | |  |
\事_|_\|_|__|_|__|_|__|_
 務 |  | |  | |  | |  | |
 局\|◯ |\|◯ | |◯ | |◯ | |
 |_\__|_|__|_|__|_|__|_|
   |\ | |\ | |  | |  |
   | \| | \| |  | |  |
 関 |  \ |  | |  | |  |
 心_|__|\|__|\|__|_|__|_
 系 |  | |  | |  | |  | |
 | |  | |\ | |\ | |◯ | |
 |_|__|_|_\|_|_\|_|__|_|
   |  | |  | |  | |  |
   |  | |  |\|  |\|  |
 階_|__|_|__|_|__|_|__|_
 層 |  | |  | |\ | |\ | |
 系 |◯ | |  | |◯\| | \| |
 |_|__|_|__|_|__|_|__|_|
   |  | |  | |  |\|  |\
   |  | |  | |  | |  | \
   |__| |__| |__| |\_|  \
    地域系  京都   東京   海外  /
    各地             など\/


NAMセンター評議会の位置に国連本部が位置づけられる。
また、各地域系は諸国家に、各関心系は様々なNPOに取って替わる。
[PR]
by yojisekimoto | 2010-03-02 02:51 | 柄谷行人

普遍論争と「ヒュームの原理」

クワインは20世紀の論理学の三つの立場(論理主義/直観主義/形式主義)を普遍論争の3つの立場(実念論/概念論/唯名論)に対応させている(邦訳『論理的観点から』より)。

さて、論理主義の代表フレーゲに「ヒュームの原理」(略称HP)というものがある(命名はジュージ・ブーロス『フレーゲ哲学の最新像』)。数を認識する時、一対一対応が最も確実で、幾何学等の延長は不確実になるというものだ。

「ヒュームの原理」は、フレーゲの『算術の基礎』(§63、著作集2勁草書房122頁)において、デイヴィッド・ヒュームの『人間本性論』第1巻第3部第一節からの引用というかたちで言及されている。「例えば、二つの数を集成する各々の単位がそれぞれ常に相応するとき、我々は二つの数が等しいと宣言する。」(岩波文庫人性論1p123)。

ヒュームはカントと対照させると、実念論の近代初期版と言える。実感を強調したヒュームは数学を分析的なものと考え、あくまでも実体を重視した。カントはそれに対して数学を総合的なものと捉え、様相を擁護した。先のクワインの指摘はヒュームとフレーゲを実念論に位置づけるものということになり、カント(唯名論者とする)との比較においては的確であることがわかる。

ちなみに、フレーゲの立場は、数学大系を準備しうるものだということがわかっており、再評価されている。
ライプニッツ影響もあるが(フレーゲはライプニッツの『不可識別者同一の原理』を支持しており、これは必然的にカント的空間論を採用しないことを意味する)、そこにヒュームの名前がでるのは面白い。

一対一対応は、秋山仁が数学を日常に見出すことができるといったときの四つの事例のなかのひとつである「靴を下駄箱に入れること」に相当するだろう。

そもそもクワインの冒頭の指摘も一対一対応だ。一対一対応を実念論者?スコトゥスのこだわった一義性に変換すれば神学にも応用できる考え方だ。

ただし、ゲーデルが破壊した形式主義に対して、唯名論は破壊されてはいない。また,ゲーデルはカントの哲学を新しい世界観(=例えば相対性理論)に対応していないとは考えていなかった。ここに論理学(純粋)と哲学(非純粋)の対応と同時に浮かび上がる非対応があるような気がする。

再考したい。

参考サイト:
The Frege reader
著者: Gottlob Frege,Michael Beaney
http://books.google.co.jp/books?id=4ktC0UrG4V8C&pg=PA110&dq=hume+frege+63&lr=&as_brr=3&cd=13#v=onepage&q=hume%20frege%2063&f=false
When two numbers are so combined, as that the one has always an unite answering to every unite of the other, we pronounce them equal;

Hume
http://www.gutenberg.org/files/4705/4705-h/4705-h.htm#2H_4_0021

Wiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%81%AE%E5%8E%9F%E7%90%86
[PR]
by yojisekimoto | 2010-03-01 16:03 | 数学