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書評:『存在と時間(一)』(岩波文庫)

これで入手可能な『存在と時間』の訳は全五種になった。

桑木務 訳 旧岩波 1960-3
細谷貞雄 訳  理想社1963,ちくま1994
辻村公一 訳 河出1967,創文社1997
原佑、渡邊二郎 共訳 中公1971,中公2003
熊野純彦 訳 新岩波 2013

新岩波訳は今までのすべての邦訳を参照、訳語を取り入れている。例えば、15節Umwelt「周囲」は辻村訳、22節Gegend「方位」、23節Man「ひと」は旧岩波訳を参照している。全体としては中公とちくま版、とくに中公版に印象は近いが、ひらがなを多用し、より現象学的なアプローチとなっている。

ちなみに旧岩波だけ38節 Verfallen は「頽落」ではなく「転落」となっていた(旧岩波版はドイツ語原文を活かした竹を割る文体で逆に読みにくいが三巻本区分の仕方は一番納得出来る)。

これまでの訳の中では中公版が一番読みやすいがちくま版のようにギリシア語の注解が十分だというわけではないのが欠点だった。
ちくま版は少し日本語として読みにくい。全集版と旧岩波版はそれよりもなお読みにくかった。新岩波版はこの両者の欠点を補って決定版となり得ている。
ただし、原著を成立させていた第一次大戦後の死を先取りするような緊張感はここにはない。
本来は木田元が訳すべきなのだが、、、
また挟まれる注解は親切で的確だが別に解説書を書くべきだと思う。ハイデガー自身の注解が存在感を無くしているからだ。
以下の第一巻冒頭に紹介された総目次を読んだ限りでは日本語として一番こなれた翻訳であることは間違いないので続巻(全四巻)を楽しみにしたい。



 ハイデガー『存在と時間』1927 熊野純彦訳 岩波文庫 2013.4 
 (マックス・ニューマイヤー社、一九九三年、第一七版 底本)

   総 目 次

   一九五三年 第七版へのまえがき
序論 存在の意味への問いの呈示
  第一章 存在の問いの必然性と構造、ならびにその優位
   第一節 存在への問いを明示的に反復することの必要性
   第二節 存在への問いの形式的な構造
   第三節 存在の問いの存在論的優位
   第四節 存在の問いの存在的優位
  第二章 存在の問いを仕あげるさいの二重の課題 探究の方法とその概略
   第五節 存在一般の意味を解釈するための地平を発掘することとしての、
      現存在の存在論的分析論
   第六節 存在論の歴史の破壊という課題
   第七節 探究の現象学的方法
    A 現象という概念
    B ロゴスという概念
    C 現象学の予備的概念
   第八節 論述の構図

第一部 時間性へと向けた現存在の解釈と、存在への問いの超越論的
   地平としての時間の解明
 第一篇 現存在の予備的な基礎的分析
  第一章 現存在の予備的分析の課題の呈示
   第九節 現存在の分析論の主題
   第一〇節 人間学、心理学および生物学に対して、現存在の分析論を
       境界づけること
   第一一節 実存論的分析論と未開の現存在の解釈 「自然的世界概念」を
       獲得することのむずかしさ
  第二章 現存在の根本体制としての世界内存在一般
   第一二節 内存在そのものに方向づけることにもとづいて、世界内存在を
       あらかじめ素描すること
   第一三節 或る基底づけられた様態による、内存在の範例化 世界認識
  第三章 世界が世界であること
   第一四節 世界一般の世界性の理念
  A 周囲世界性と世界性一般との分析
   第一五節 周囲世界のうちで出会われる存在者の存在
   第一六節 世界内部的な存在者にそくしてじぶんを告げる、周囲世界の
       世界適合性
   第一七節 指示としるし
   第一八節 適所性と有意義性——世界の世界性
  B デカルトにおける世界の解釈に対して、世界性の分析をきわだだ
   せること
   第一九節 res extensa としての「世界」の規定
   第二〇節 「世界」の存在論的規定の基礎
   第二一節 「世界」をめぐるデカルトの存在論についての解釈学的討議
  C 周囲世界が〈周囲であること〉と、現存在の空間性
   第二二節 世界内部的に手もとにあるものの空間性
   第二三節 世界内存在の空間性
   第二四節 現存在の空間性と空間
                           (以上、第一分冊)

  第四章 共同存在ならびに自己存在としての世界内存在 「ひと」
   第二五節 現存在が〈だれ〉、であるかへの、実存論的な問いの着手点
   第二六節 他者の共同現存在と日常的な共同存在
   第二七節 日常的な自己存在と〈ひと〉
  第五章 内存在そのもの
   第二八節 内存在の主題的分析の課題
  A〈現〉の実存論的構成
   第二九節 情態性としての現—存在
   第三〇節 情態性の一様態としての恐れ
   第三一節 理解としての現—存在
   第三二節 理解と解釈
   第三三節 解釈の派生的様態としての言明
   第三四節 現—存在と語り。ことば
  B〈現〉の目常的存在と、現存在の頽落
   第三五節 空談
   第三六節 好奇心
   第三七節 あいまいさ
   第三八節 頽落と被投性
  第六章 現存在の存在としての気づかい
   第三九節 現存在の構造全体の根源的な全体性への問い
   第四〇節 現存在のきわだった開示性である、不安という根本的情態性
   第四一節 気づかいとしての現存在の存在
   第四二節 現存在の前存在論的自己解釈にもとづいて、気づかいとしての
       現存在の実存論的解釈を確証すること
   第四三節 現存在、世界性、および実在性
    a 「外界」の存在と証明可能性の問題としての実在性
    b 存在論的問題としての実在性
    c 実在性と気づかい
   第四四節 現存在、開示性、および真理
    a 伝統的な真理概念とその存在論的基礎
    b 真理の根源的現象、ならびに伝統的真理概念が派生的なものであること
    c 真理が存在するしかたと、真理の前提
                           (以上、第二分冊)

 第二篇 現存在と時間性
   第四五節 現存在の予備的な基礎的分析の成果と、この存在者の根源的な
       実存論的解釈の課題
  第一章 現存在の可能な全体的存在と、死へとかかかる存在
   第四六節 現存在に適合的な全体的な存在を存在論的に把握し、規定する
       ことの見かけ上の不可能性
   第四七節 他者たちの死の経験可能性と、全体的な現存在の把握可能性
   第四八節 未済、おわり、および全体性
   第四九節 死の実存論的分析を、当の現象について他に可能な解釈に
       対して境界づけること
   第五〇節 死の実存論的—存在論的構造をあらかじめ素描すること
   第五一節 死へとかかわる存在と、現存在の日常性
   第五二節 おわりへとかかかる日常的な存在と、死の完全な実存論的概念
   第五三節 死へとかかわる本来的な存在の実存論的投企
  第二章 本来的な存在可能の現存在によるあかしと、決意性
   第五四節 本来的な実存的可能性のあかしという問題
   第五五節 良心の実存論的—存在論的な諸基礎
   第五六節 良心の呼び声の性格
   第五七節 気づかいの呼び声としての良心
   第五八節 呼びかけの理解と負い目
   第五九節 良心の実存論的解釈と通俗的な良心解釈
   第六〇節 良心にあっておかしを与えられた本来的な存在可能の
       実存論的構造
  第三章 現存在の本来的な全体的存在可能と、気づかいの存在論的意味
     としての時間性
   第六一節 現存在の本来的な全体的存在の劃定から、時間性の現象的な
       発掘へといたる方法的な歩みをあらかじめ素描すること
   第六二節 先駆的決意性としての、現存在の実存的に本来的な全体的
       存在可能
   第六三節 気づかいの存在意味を解釈するために獲得された解釈学的
       状況と、実存論的分析論一般の方法的な性格
   第六四節 気づかいと自己性
   第六五節 気づかいの存在論的意味としての時間性
   第六六節 現存在の時問性、ならびにその時間性から発現する、実存論的
       分析のより根源的な反復という課題

    解説——『存在と時間』ヘの途上で
                             (以上、第三分冊)

  第四章 時間性と日常性
   第六七節 現存在の実存論的体制の根本的なりたちと、その体制の時間的
       解釈の素描
   第六八節 開示性一般の時間性
    a 理解の時間性
    b 情態性の時間性
    c 頽落の時間性
    d 語りの時間性
   第六九節 世界内存在の時間性と、世界の超越の問題
    a 目くばりによる配慮的気づかいの時間性
    b 目くばりによる配慮的た気づかいが、世界内部的に手もとにあるものを
     理論的に覆いをとって発見することへと変様することの時間的意味
    c 世界の超越をめぐる時間的問題
   第七〇節 現存在に適全的な空間性にぞくする時間性
   第七一節 現存在の日常性の時間的意味
  第五章 時間性と歴史性
   第七二節 歴史の問題の実存論的—存在論的呈示
   第七三節 歴史の通俗的了解と現存在の生起
   第七四節 歴史性の根本体制
   第七五節 現存在の歴史性と世界—歴史
   第七六節 現存在の歴史性にもとづく歴史学の実存論的根源
   第七七節 歴史性の問題のこれまでの呈示と、W・ディルタイの研究
       ならびにヨルク伯の理念との連関
  第六章 時間性、ならびに通俗的時間概念の根源としての時間内部性
   第七八節 現存在のこれまでの時間的分析が不完全であること
   第七九節 現存在の時間性と、時間についての配慮的な気づかい
   第八〇節 配慮的に気づかわれた時間と、時間内部性
   第八ー節 時間内部性と、通俗的時間概念の発生
   第八二節 ヘーゲルによる時間と精神との関係の把握に対して、時間性、
       現存在ならびに世界時間の実存論的—存在論的連関をきわだた
       せること
    a ヘーゲルの時間概念
    b へーゲルによる時間と精神との連関の解釈
   第八三節 現存在の実在論的—時間的分析論と、存在一般の意昧への
       基礎存在論的問い

   書き込み一覧表
   主要訳語対照表
   索引(人名・事項・文献)
                           (以上、第四分冊)
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by yojisekimoto | 2013-05-17 00:31 | ハイデガー

老子 第1、25章他:メモ

100分de名著 老子 第1回 “道”に従って生きよ <新><全4回>

「物有り混成し
  天地に先立ちて生ず 25章」

何かが混沌として運動しながら
天地よりも先に誕生した
天地のはじまりのとき物体の形も無い
このような状態を無と呼ぼう
無から天地が生まれ
天地から万物が生まれた
これを有と呼ぼう
無から有が生まれたのは道のはたらきによるものである
つまり無と有は道によって存在する
道それは万物創世の母であり
無限のエネルギーを持つものである

http://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2013048869SC000/?capid=nte001


老子『道徳経』第二十五章  (別ブログ

有物混成、先天地生。寂兮寥兮、獨立而不改、周行而不殆。可以爲天下母。吾不知其名、字之曰道。
強爲之名曰大。大曰逝、逝曰遠、遠曰反。 故道大、天大、地大、王亦大。域中有四大。而王居其一焉。
人法地、地法天、天法道、道法自然。

物有り混成し、天地に先んじて生ず。寂(せき)たり、寞(ばく)たり、独立して改(かわ)らず、周行して殆(とど)まらず、以って天下の母と成すべし。吾れ其の名を知らず。これに字(あざな)して道という。
強いてこれが名を成して大と曰う。大なれば曰(ここ)に逝く。逝けばここに遠く、遠ければ曰に反(かえ)る。 故に道は大、天も大、王も亦(ま)た大なり。域中に四大あり。而して王は其の一に居る。
人は地に法(のっと)り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然の法る

形はないが、混沌としたものがあり、天と地より先に存在していた。 音もなく、空漠。 あらゆるところに充ち、疲れることがない。 それは天下の母だといわれる。 その名は知られておらず、「道」と呼ぶだけである。
もし私が名をつけようとするなら、それを「大」と呼ぼう。 「大」は無制限に広がっていくことである。 無制限に広がるとは遠ざかることであり、 遠ざかるとは「近くに」返ってくることである。 このように「道」が大であるように、天も大、地も大、人もまた大である。 世界には四つの大があり、人はその一つの位置を占める。
人は地に従い、地は天に従い、天は「道」に従い、「道」は「自然」に従う。


25. Beneath Abstraction
There is a mystery, Beneath abstraction, Silent, depthless, Alone, unchanging, Ubiquitous and liquid, The mother of nature. It has no name, but I call it "the Way";

It has no limit, but I call it "limitless".
Being limitless, it flows away forever; Flowing away forever, it returns to my self:
The Way is limitless, So nature is limitless, So the world is limitless, And so I am limitless.
For I am abstracted from the world, The world from nature, Nature from the Way, And the Way from what is beneath abstraction.

http://thetaobums.com/topic/27039-scholastic-study-did-lao-tze-create-tao-in-chapter-25/
Chapter 25
1. 有物混成
2. 先天地生
3. 寂兮寥兮
4. 獨立而不改
5. 周行而不殆
6. 可以為天地母
7. 吾不知其名
8. 強字之曰道

9. 強為之名曰大
10. 大曰逝
11. 逝曰遠
12. 遠曰反
13. 故道大
14. 天大
15. 地大
16. 人亦大
17. 域中有四大
18. 而人居其一焉
19. 人法地
20. 地法天
21. 天法道
22. 道法自然


Chapter 25
1. There was a thing formed by chaos;
2. Before the sky and earth were born;
3. Soundless and formless;
4. Independent but unchangeable;
5. Moving but never exhaust;
6. It may be the mother of the heaven and earth.
7. I don't know its name.
8. I'm reluctantly calling it "Tao".

9. I'm even more reluctant to have a name "Big" for it.
10.Big but dynamic;
11.Dynamic but far;
12.Far but reciprocating.
13.Therefore, Tao is great.
14.Sky is great.
15.Earth is great.
16.Human is great.
17.In space, there are four great's;
18.Thus human is one of them here.
19.Human follows Earth.
20.Earth follows Heaven .
21.Heaven follows Tao.
22.Tao follows its own nature.



第一章

道可道非常道。名可名非常名。
無名天地之始。有名萬物之母。
故常無欲以觀其妙。常有欲以觀其徼。 此兩者。同出而異名。同謂之玄。玄之又玄。
衆妙之門。

道の道とすべきは常の道に非ず。名の名とすべくは常の名に非ず。
名無きは天地の始め、名有るは万有の母。
故に常無を以ってその妙を見んと欲し、常有を以ってその徼(きょう)を観んと欲す。此の両者は、同じきに出でて而も名を異にす。
同じきこれを玄と謂い、玄のまた玄は衆妙の門なり。

語りうる「道」は「道」そのものではない、名づけうる名は名そのものではない。名づけえないものが天地の始まりであり、名づけうるものは万物の母である。
だから、意図をもたない者が「道」に驚き、意図ある者はそのあらわれた結果しか見れない。
この二つは同じものである。
これらがあらわれて以来、名を異にする。
この同じものは神秘と呼ばれ、神秘から神秘へとあらゆる驚きの入口となる。

1. The Way
The Way that can be experienced is not true; The world that can be constructed is not true.
The Way manifests all that happens and may happen; The world represents all that exists and may exist.
To experience without intention is to sense the world; To experience with intention is to anticipate the world. These two experiences are indistinguishable; Their construction differs but their effect is the same.
Beyond the gate of experience flows the Way, Which is ever greater and more subtle than the world.

第四十章

反者道之動。弱者道之用。天下萬物生於有、有生於無。

反(はん)は道の動なり。弱(じゃく)は道の用なり。天下万物は有より生じ、有は無より生(しょう)ず。

あともどりするのが「道」の動きかたである。 たわみやすいのが「道」のはたらきである。 天下のあらゆるものは有から生まれる。 有は無から生まれる。

40. Motion and Use
The motion of the Way is to return; The use of the Way is to accept; All things come from the Way, And the Way comes from nothing.

第四十二章
道生一、一生二、二生三、三生萬物。 萬物負陰而抱陽、冲氣以爲和。 人之所惡、唯孤寡不殼。而王公以爲稱。故物或損之而益、或益之而損。 人之所教、我亦教之。強梁者不得其死。吾將以爲教父。

道は一を生じ、一は二を生じ、三は万物を生じる。万物は陰を負いて陽を抱き、沖気以って和を為す。 人の悪(にく)む所は、唯(た)だ孤(こ)、寡(か)、不穀(ふこく)なるも、而も王公は以って称と為す。故に物は或いはこれを損して益し、あるいはこれを益して損ず。
人の教うる所、我れも亦たこれを教えん。強梁者は其の死を得ず。吾れ将(まさ)に以って教えの父と為さんとす。

「道」から「一」が生み出される。 「一」から二つのものが生まれ、二つから三つのものが生まれ、 三つから万物が生み出される。 これらすべては肯定と否定の統一によって調和し、 あらゆるものによって包まれる。 長所もなく、価値もなく、孤立したものを誰れも好まない。 ところが、統治者はそれらのことばを自称して使っている。 このように、ものは価値を減らすことによって、かえって価値をふやし、 価値をふやすことによって、かえって価値を減らすのである。 昔の日とはこれを教えている。 「凶暴な人は凶暴さによって自分野人生を終える。」 これが基本的な標語である。

42. Mind
The Way bears sensation, Sensation bears memory, Sensation and memory bear abstraction, And abstraction bears all the world; Each thing in the world bears feeling and doing, And, imbued with mind, harmony with the Way.
As others have taught, so do I teach, "Who loses harmony opposes nature"; This is the root of my teaching.


http://www.fullbooks.com/Tao-Teh-King-by-Lao-Tze.html
42. 1. The Tao produced One; One produced Two; Two produced Three;
Three produced All things. All things leave behind them the Obscurity
(out of which they have come), and go forward to embrace the
Brightness (into which they have emerged), while they are harmonised
by the Breath of Vacancy.


2. What men dislike is to be orphans, to have little virtue, to be as
carriages without naves; and yet these are the designations which
kings and princes use for themselves. So it is that some things are
increased by being diminished, and others are diminished by being
increased.

3. What other men (thus) teach, I also teach. The violent and strong
do not die their natural death. I will make this the basis of my
teaching.

http://space.geocities.jp/afptrsnk/rousi.html

老 子 

老子の亡命の途上で道徳経が成立する言いつたえ
                       ブレヒト

   1
七十のよわいを重ね、からだにはおとろえが来た
師は、しかも、隠棲を迫られていた
なぜなら、国ではまたもや善意が衰弱を
そして悪意が蔓延を見せていた。
で、師は結んだ、わらじのひもを。


   2
荷ごしらえした、要るものを。ことのほか
僅かだ。とはいってもあれこれとあった、
たとえば、晩にはいつも咥えるキセルとか
くりかえして読む小さい本とか。
それから餅を、師は目分量ではかった。


   3
住みなれた谷にもういちど眼をよろこばせ、さて忘れて
山あいへの道をわけいった。
みちみち、牡牛は新鮮な草を喰みつづけて
たのしく歩を運んでいた。
牛歩にもあせらぬ老師を乗せて。


   4
しかし四日め、道はまた岩のあいだ──
と、税関史がひとり、柵を構えて道をふさいだ。
(課税対象になるものは?」──「何もない」
牛をひく童子がつけ加えた、「このひとは先生だ」
なるほど、じゃあカネメのものは持ってない。


   5
が、男はふいに明るく
たたみかけた、「では何を教える?」
童子はいった、「水は柔軟で、つねに流れる、
流れて、強大な岩に時とともにうちかってゆく。
つまり、動かぬものがついに敗れる」


   6
童子は牛を駆りたてた、
いつか日はしだい暮れ
ひとと牛は黒松の幹をまわって消えかけた、
と、とつぜんぼくらの税関史は、生気にあふれ
叫んだ、「おおい、待ってくれ!


   7
じいさん、あの水のたとえは何かね、いってえ?」
老人は牛をとどめた、「それに興味あるのか?」
男はいった、「あっしゃあ、しがねえ
税関史だ、でも何が何に勝つってのはおもしれえ。
わかってるならしゃべってくれ!どうか


   8
書いてってくれ、その子に口授するって手もある!
出し惜しみして、あの世へ持ってっちゃいけない。
わしらのとこに紙はある、墨もある
晩メシだってある、それにあっしの家は近い。
さあ、どうだい?」


   9
老人は肩ごしにふりかえり
男を見た。男の足は素足、服にはつぎがあたり
ひたいにはひとすじの深い皺があった。
ああ、ここで師に近づくのは、勝者ではなかった。
師はつぶやいた。「おまえもやはり?」


   10
ていちょうな願いをしりぞけるのに
師は、どうやら、としをとりすぎていた。
ききたまえ、師のはっきりしたことば、「答えは問う者に
あたえられて当然だ」すると童子が、「それにもう冷えてきました」
「よかろう、ちょっと泊まろう、ここに」


   11
で、賢者は牡牛の背からおり
七日のあいだ、童子を手助けとして書いた。
税関史が食事をはこんだ(そんなおりおり
きつくはなく、密輸業者らのことをこぼした
そして、道徳経は成立した。


   12
ある朝、童子の手から税関史は
あの八十一章を受ける。
ささやかな餞別に礼をのべ、ひとと牛は
岩のかなたへ、松の幹をまわって消える。
いってくれきみたち、誰が、この師にまさる礼をつくせる?


   13
しかし、ぼくらが讃えるのは賢者だけではない、
かれの名が書物の上にかがやいた機縁を思おう!
まず賢者の智慧をもぎとるひとがいなくては、賢者の智慧もない。
だから、あの税関史にも感謝しよう、
かれがのぞまなかったら、すでに師の智慧はない。


 以上がベルトルム・ブレヒトの詩「老子の亡命の途上で道徳経が成立する 言いつたえ」(ブレヒトp131ベンヤミン著作集9よりの引用、ブレヒト全 集には載っていない。)であるが、ハンナ・アレントは此詩について以下のような解説をしている。

 『今世紀に書かれた詩のなかでも最も静穏で──奇妙な言い方だが──最も心の慰 められるものの一つである。ブレヒトの詩が多くそうであるようにこれも教育を目的 としているが、この場合は非暴力と智慧についてである。

 「柔らかい水も動いていれば、いつかは固い石に勝つ。わかるか。固いものが 負けるのだ」

  まさしくそうであった。この詩は戦争の初期にフランス政府がドイツからの亡命者を 強制収容所に入れる決定をしたときはまだ刊行されていなかった。しかし1939年春、 ヴァルター・ベンヤミンがデンマークにいたブレヒトを訪問してそれを持ち返ると、 ちょうど良い便りについてのうわさのように、こうした知恵が最も必要とされている ところで──慰めと忍耐と持久力の源泉として──急速に口から口へと伝えられた。』 (暗い時代の人々p295)  

 非暴力としての知恵に水の力をとらえたアレントではあるが、ベンヤミンは次のように 解説している。

 『この詩は、友情が詩人の表象世界のなかで演じている特別の役割を、明らかにする 手がかりとなるであろう。ブレヒトは友情に高い位置をあたえている。
 …
 さらにこの詩は、約束および理論とならんで、モラルをも含んでいる──つまり 動かぬものを打ち破ろうとしている人間は、友情を実現する機会をやりすごしては ならないのだ。』(ブレヒトp136-140ベンヤミン著作集9)
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by yojisekimoto | 2013-05-10 11:26 | 老子