<   2013年 06月 ( 1 )   > この月の画像一覧

エイゼンシュテインと柄谷行人

形式化を徹底することによって形式化を打ち破るというプログラムは、かつての柄谷行人のものだが、個人的にはエイゼンシュテインが『イワン雷帝』で試みたものが歴史的に最高の成果だと思う。
(柄谷を最初に読んだ時、エイゼンシュテインと同じことをやっているなと、思ったことを覚えている。)
エイゼンシュテインはゲーデルを知っていたかは疑問だが、その論理学の成果を実体化するかのようにスターリン時代を生き抜き晩年の作品を作り上げた。
エイゼンシュテインとスターリンの戦い、、、、それはチャップリンとヒトラー、プルードンとナポレオン3世の戦いに匹敵する。
形式に対する戦いは柄谷の場合、世界史を交換という視点から見ることで近年『世界史の構造』という新たな枠組みを獲得するに至ったが、エイゼンシュテインがイワン雷帝に商業的改革者の側面を見たことにそれは対応する。
イワン雷帝は信長と同時代なのだが、その後の(あくまで資本主義分析を経たあとでの)封建社会の再評価を切り開くものであるとしたら、チャップリンに詩人的と言われたエイゼンシュテインのこの遺作と(詩的であることを禁じた)柄谷の近著はある奇妙な相似関係にあることになる。
今日、『イワン雷帝』に見出せるのは圧倒的美である。
そこにピラネージ、プロコフィエフといった諸要素は見事に統合されてある。
ただし、統合されているのはそれだけではない。
宗教(雷帝の唯一の親友が司教だ)、権力、商業、アソシエーション(あくまで雷帝の親衛隊がそう言えたらの話だが)、、交換図のすべての要素を集めて圧倒的美を誇るこの作品が柄谷の理論と照らし合わされる時、そこに新たな人類の再生の道があるような気がしてならない。
[PR]
by yojisekimoto | 2013-06-15 22:12 | 柄谷行人