『森の生活』と東洋思想:メモ


ソローHenry David Thoreau 『森の生活 WALDEN』(1854)には東洋思想が多く引用されている。ヴェーダ、孔子、孟子、曾子(『大学』『論語』『孟子』『中庸』、いわゆる「四書」)などだ。老子はなぜかない。
小学館今泉吉晴訳はソロー自身の日記からとったスケッチが上部に参照されていて楽しい。
訳はですます調で読みやすいが、中国の古典に関しては引用元がわかりにくいので補足してみたい(この点においては講談社学術文庫あるいは岩波文庫の注の方が参考になる)。()内は今泉訳の頁番号。

まずは孔子Confucius,King Tching Thang 、論語からの引用。

"To know that we know what we know, and that we do not know what we do not know, that is true knowledge."

「知るとは、本当に知ったということ知ることです。知らないことは知らないと、はっきり知ることです。」(今泉訳第1章経済A21頁 )
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「知るを知るとなし、知らざるを知らずとせよ、これ知るなり」巻第一為政2−17
「子曰、由誨女知之乎。知之爲知之。不知爲不知。是知也。」(岩波文庫33頁)

"Kieou-pe-yu (great dignitary of the state of Wei) sent a man to Khoung-tseu to know his news. Khoung-tseu caused the messenger to be seated near him, and questioned him in these terms: What is your master doing? The messenger answered with respect: My master desires to diminish the number of his faults, but he cannot accomplish it.. The messenger being gone, the philosopher remarked: What a worthy messenger! What a worthy messenger!"

略(今泉訳第二章どこで、何のために暮らしたか 120頁)

「遽*伯玉使人於孔子、孔子與之坐而問焉、曰夫子何爲、對曰、夫子欲寡其過而未能也、使者出、子曰、使乎使乎、」(憲問第十四、14-26、岩波文庫199頁)

「遽*伯玉(きょはくぎょく)、人を孔子に使いせしむ。孔子これに坐を与えて問いて曰わく、夫子(ふうし)何をか為す。対たえて曰わく、夫子は其の過(あやま)ち寡(すく)なからんことを欲して、未だ能わざるなり。使者出ず。子の曰わく、使いなるかな、使いなるかな。」

「遽*伯玉が孔子の所へ使いをよこした。孔子は使いの者を席に着かせてから、訊ねられた、「あの方はどうしておられますか。」答えて、「あの方は自分の過ちの少ないようにとしておりますが、未だ出来ないでいます。」使いの者が退出すると、先生は「[立派な]使いだね、[立派な]使いだね。」と言われた。 」
http://www.asahi-net.or.jp/~pd9t-ktym/7_2.html#anchor417122

"Confucius says truly, Virtue does not remain as an abandoned orphan; it must of necessity have neighbors."

「美徳も仲間なしには立っていられません。美徳もまた、仲間によって支えられています。(今泉訳5独り居173)
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「徳は孤ならず、必ず隣あり」( 里仁4−25、岩波文庫60頁)
「子曰、徳不孤、必有鄰」
http://sentetu.blogspot.com/2007/02/blog-post_22.html

"You who govern public affairs, what need have you to employ punishments? Love virtue, and the people will be virtuous. The virtues of a superior man are like the wind; the virtues of a common man are like the grass; the grass, when the wind passes over it, bends."

「上に立つ人の徳は風のようです。民衆の徳は草のようと言えるでしょう。」(今泉訳8村220)
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「君子の徳は風なり。小人の徳は草なり、草はこれに風を上うるとき必ず儒す」顔淵12ー19、岩波文庫166頁
「君子之徳風也、小人之徳草也、草上之風必偃、」

「孔子の三つの文章」(今泉訳12動物の隣人288頁)
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岩波文庫、飯田実の解説では、第5章孤独(今泉訳では「独り居」173頁)に引用された中庸第16章または13章の文章*のこと(岩波文庫『大学・中庸』210頁)。今泉訳は注が詳しくないので、文脈から言って論語の有名な冒頭の文章「子曰、学而時習之、不亦説乎。/子曰く、学びて時に之を習う、また説しからずや。」のことかと勘違いした。"There never is but one opportunity of a kind."=機会は一度ならず、とソローは書いている。


白文
(略)鬼神之為徳、其盛矣乎、視之而弗見、聴之而弗聞、体物而不可遺、使天下之人、斉明盛服、以承祭祀、洋洋乎、如在其上、如在其左右、 (略)(中庸、第十三章)

読み下し文
将に至らんとすれば、善も必ず先にこれを知り、不善も必ず先にこれを知る。故に至誠は神(しん)の如し。
子曰わく、「鬼神(きじん)の徳たる、其れ盛んなるかな。これを視(み)れども見えず。これを聴けども聞こえず、物を体(たい)して遺(のこ)すべからず。天下の人をして、斉明盛服して、以て祭祀を承(う)けしむ。洋洋乎(ようようこ)として、その上に在るが如く、その左右に在るが如し」

現代語訳
「神霊のはたらきというものは、いかにも盛んだね。形を視(み)ようとしても見えないし、音を聴こうとしても聞こえないが、(それでいて、)どんな事物とでもすべて洩(も)れなくいっしょになってはたらいている。天下の人びとに潔斎(けっさい)して身を清め、りっぱな礼服をつけて祭祀を受けつがせ、(祭場の)辺りいっぱいに満ちあふれて、人びとの頭上にあるかのようであり、また人びとの左右にあるかのようである」
http://csk.web.infoseek.co.jp/nikki-2008-2.html


"From an army of three divisions one can take away its general, and put it in disorder; from the man the most abject and vulgar one cannot take away his thought."

「軍隊も、大きくなって三つの部隊の連合ともなると、統帥する将軍を討ち取っただけで、たちまち乱れる。ところがひとりの人は、いかに貧しく、下劣であっても、その人らしい、考える力を奪うことは出来ない。」(18結論p419)
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「三軍もその師を奪うべし。匹夫もその志を奪うべからず」(子罕(しかん)第九.26、岩波文庫127頁)
「子曰、三軍可奪帥也、匹夫不可奪志也」
http://www.asahi-net.or.jp/~pd9t-ktym/5_1.html#anchor311391

なおソローはJoshua Marshmanの The works of confucianを参照したらしい。

参考:
http://www.asahi-net.or.jp/~pd9t-ktym/kanmei.html
http://www.1-em.net/sampo/rongo_lingual/index_09.htm
論語各国語訳

森の生活 原文
http://thoreau.eserver.org/walden00.html#toc

 その他に孟子Mencius、曽子Thseng-tseu(Zengzi またはTsang)からの引用がある。

"That in which men differ from brute beasts," says Mencius孟子, "is a thing very inconsiderable; the common herd lose it very soon; superior men preserve it ...

「人が獣類と異なるところは、言うに足らぬほどわずかに過ぎない。大衆は、たちまちのうちにその違いを失い、優れた人は注意深くそれを保とうとする」(今泉訳11法の上の法279)
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「孟子曰、人之所以異於禽獸者幾希、庶民去之、君子存之。」(離婁章句下、『孟子』 第八巻-19、岩波文庫下81頁)

書き下し文:「孟子曰く、人の禽獣に異なる所以(ゆえん)の者は幾ど(ほとんど)希(まれ)なり。庶民はこれを去り、君子はこれを存す(そんす)。舜は庶物(しょぶつ)を明らかにし、人倫を察か(あきらか)にす。仁義に由りて(よりて)行う、仁義を行うに非ざるなり。」

口語訳:「孟子がおっしゃった。『人間と鳥獣とが異なっている点は、ほとんど僅かなものである。庶民は鳥獣との違いを失い、君子はその違いを保持している。舜は万物の理法を明らかにして、人間の踏み行うべき倫理を明らかにした。舜帝は、(先王から続く)仁義の道に依拠して行ったのであり、自分独自の仁義を実践したわけではないのだ。』

http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/knowledge/classic/moushi006.html

「人間の自然なものの捉え方」(今泉訳17章春401頁)

「良心」あるいは「人之情」(孟子告子章句上8「牛山の木の喩」より、岩波文庫下p241)

略(今泉訳第二章どこで、なんのために暮らしたか112頁)

「湯の盤の銘に曰く、荀に日に新たに、日日に新たに、また日にあらたなり。」(大学第二章3岩波文庫45頁)

「湯」とは殷王朝を創始した湯王を指している。聖天子として知られていた。

その湯王が、洗面の器(盤)に「荀日新、日日新、又日新」の九文字を刻み、毎日、洗面する度にそれを見ながら仕事に取り組む姿勢を新たにしたという。

"The soul not being mistress of herself," says Thseng-tseu曾子, "one looks, and one does not see; one listens, and one does not hear; one eats, and one does not know the savor of food." He who distinguishes the true savor of his food can ...

曾子「心が自由でなければ、人は見ても見えず、聞いても聞こえず、食べても味わえない」(今泉訳11章法の上の法、277頁)
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「心不在焉、視而不見、聴而不聞、食而不知其味 」(曾子、『大学』第三章1岩波文庫51頁)


心ここに在らざれば、視れども見えず、聞けども聞こえず、食らえどもその味を知らず、」
その他にヴェーダをはじめヒンズー教経典からの引用もある。

ヴェーダ「あらゆる才能は朝とともに目覚める」(今泉訳113頁)
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原典?

参考:
H.D.ソローの書棚 http://sugaihi.ld.infoseek.co.jp/success/bookshelf3.htm


ソローの、ガンジー、マーティンルーサーキング牧師らに影響を与えた部分は『市民としての反抗』(孔子の引用はここにもある)を読んだ方がわかりやすいが、『森の生活』が重要であることはかわらない(タルコフスキーも今泉約131頁の部分を『映像のポエジア』68頁で引用している)。
わからないところは今後調べて行きたい。
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by yojisekimoto | 2010-02-20 02:32 | 研究


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