アドルノの言説を分析/総合すると、ジャズはアドルノの記述順には以下の4つの現れ方をする(歴史的にはリズムが先と考えるべきだろうが)。
一つ目は音色として表れ(ドビュッシー、ベルク)、 二つ目はそれが大衆に対しては風俗として現れ(ドビュッシー)、 三つ目はシンコペーションとして現れ(ブラームスが先駆、シェーンベルク、ストラビンスキー)、 四つ目は時間の乖離、空間重視として作品構造を支配する原理となって現れる(シェーンベルク、ストラビンスキー)。 1と2、3と4で作曲者名の重複があるのが解りづらい原因だろう。 一つ目の音色に関しては、ドビュッシーに似たコードを使うジャズピアニスト、ビル・エバンズを聴くとよく分かる。 三つ目のリズムに関しては、本来はもっと身体論的な分析が必要だろう。これにはドゥルーズのリズムと拍子は違うという指摘が参考になる(アドルノは拍子しか見ていない)。 重要なのは四つ目で、これはドゥルーズの映画におけるイメージから時間への支配要素の断絶的移行の指摘に似ている。これは両者の力点の置き方が時期的に違うにしても、歴史的な視点の提示として貴重であろう。 まとめると、ジャズは全体の構造として、 リズム+世界観 _________ 音色+大衆イメージ といったように分子/分母が交互に更新すると考えた方がいいかも知れない。 一般にアドルノの理論としては二つ目が一般に知られている。 その結果エリート知識人の単なるジャズ嫌いと受け止められる。 参考:『楽興の時(1928-62)』p132,158(◯ジャズの音色),148(☆エキセントリック)、『不協和音(1956)』p78(*シンコペーション)、『新音楽の哲学(1949)』p90(△ジャズ) アドルノ参照、音楽=哲学対照表: 音 楽 | 哲 学 |参照元:『否定弁証法』p21,135(兄弟),151 バッハ |ライプニッツ(モナド) |『プリズメン』p210『音楽社会学序説』p359 | ヘンデル | |『否定弁証法』p204(ライプニッツ) | | | | |モーツァルト(イタリア的)| |『音楽社会学序説』p115,276 | 『ドン・ジョバンニ』| キルケゴール | 『キルケゴール』p42 ハイドン (自然の魔術)| | | | | | ベートーベン前/後期 | |カ ン ト |『音楽社会学序説』p276(ドイツ的),357(カント) (ソナタ形式/ | |ヘ ー ゲ ル(弁 証 法) |『新音楽の哲学』p277(ヘーゲル) | 地方ドイツ的) | | |『新音楽の哲学』p276(ソナタ形式) | | | | | | シューベルト | | | | (ハンガリー的) | | | 『新音楽の哲学』p280 |ムソルグスキー | | | 『新音楽の哲学』p210,317 | (ロシア) | | | ワーグナー(ロマン主義、魔術|ショーペンハウアー |『アドルノ伝』p280『マーラー』p95 | 、唯名論的)| | 『マーラー』p87『新音楽の哲学』p87,232 |_ブラームス*____|| | 『新音楽の哲学』p86 |_ブルックナー(素朴)|| | 『マーラー』p44 | || |*シンコペーション『不協和音』p78 |_マーラー______|| フロイト(自我=エス) | 『マーラー』p53(フロイト),129(ソナタ形式) | || /ニーチェ/プルースト | 『マーラー』P143(シェーンベルク),196(ニーチェ) ドビュッシー(印象主義) || ベルグソン? |『新音楽の哲学』p267『音楽社会学序説』p335 /ジャズの理念☆、音色◯ || |『楽興の時』p132(◯ジャズの音色),148(☆ジャズの理念) || | ストラビンスキー* ||ユング/マッハ/ニ ー チェ |『新音楽の哲学』p227,233,247(ニーチェ) (退行、野蛮?、 || | |『新音楽の哲学』p301 キュビスム) || | | 『新音楽の哲学』p90(△ジャズ) /ジャズ△ || (反体系)| 『否定弁証法講義』p72(ニーチェ) || | | シェーンベルク*_____|| マルクス(唯物論的弁証法) | 『新音楽の哲学』p86(唯物論),112,307(表現主義), 表現主義、後期/ジャズ△| | /フロイト | | 90(△ジャズ)『メディア論集』p20(フロイト) | | | | ベルク◯_| | | |◯ジャズの音色『楽興の時』p132,158(ベルク) ヴェーベルン_| |ヘーゲル | |『不協和音』p235 ワイル? |ブレヒト | |『不協和音』p142(歌唱運動),175(プラトン,着想信仰) | | | アイスラー |アドルノ(否定弁証法)_| |『音楽社会学序説』p115『アドルノ伝』p371-2 | | ヴァーレーズ |アンナ・フロイト(攻撃者への |『不協和音』p284 | 同化)| 参考: 『音楽・メディア論集(1927-68)』p20(フロイト) 『楽興の時(1928-62)』p132(ジャズ,印象主義),148(ドビュッシー/ジャズ),p158(ベルク,ジャズの音色) 『キルケゴール(1933)』p42(モーツァルト,自然の魔力) 『新音楽の哲学(1949)』p86(シェーンベルク,唯物論),86(ブラームス),87(ワーグナー),90(ジャズ), 112(シェーンベルク), 203(ドストエフスキー),210(ムソルグスキー317),227(ユング),232(ショーペンハウアー), 233(マッハ),247(ストラビンスキー,ニーチェ),251(カフカ),267(印象派),276(ソナタ),277(ヘーゲル), 301(退行),307(シェーンベルク, 表現主義) 『In search of Wagner(1952)』第十章(ヘーゲル,ショーペンハウアー,ニーチェ) 『プリズメン(1955)』p210(バッハ=融合) 『不協和音(1956)』p284(ヴァーレーズ) 『マーラー(1960)』p44(ブルックナー),53(フロイト),95(ショーペンハウアー),129(ソナタ形式), 196(プルースト,ニーチェ) 『音楽社会学序説(1962)』p115(アイスラー),118(モーツァルト),243(ブロッホ,地方主義),276(イタリア),335(ベルグソン, ドビュッシー),357(ヘーゲル,ベートーベン),359(モナド) 『否定弁証法(1966)』p135(音楽,哲学),21,151,204(ライプニッツ=全体,同一性,統一) 『ベートーヴェン(1993)』p67(カント,へーゲル),102(ヘルダーリン) 『否定弁証法講義』p72(ニーチェ) 『道徳哲学講義』p132,252(ベートーベン),264(イプセン『野鴨』=カント定言命令),181(シラー×) 『アドルノ伝(2003)』p280(ワーグナー),371−2(アイスラー) 追記:アドルノに基づく「音楽=哲学対照表」再改訂版(勝手に文学者、科学者を加えてみた) 音 楽 哲 学 文 学 ホ メ ー ロ ス バッハ___ |ライプニッツ(モナド) シェークスピア?? | | | |モーツァルト(イタリア的)| | 『ドン・ジョバンニ』| (キルケゴール) ハムレット?? ポオ?? | (自然の魔術)| ホフマン | || ベートーベン(ソナタ形式)||カ ン ト モリエール、シラー×、ヘルダーリン、イプセン 前/後期(地方ドイツ的)||ヘ ー ゲ ル(弁証法) ゲーテ?? | | || | シューベルト || ゲーテ?? | (ハンガリー的)|| ワーグナー(唯名論的、__||ショーペンハウアー/ニーチェ ボードレール?? ダーウィン?? | ロマン主義)_ | |_ブラームス*____|| ハイデッガー?? ヘルダーリン?? |_ブルックナー(素朴)||(*シンコペーション) | || |_マーラー || フロイト(自我=エス) ドストエフスキー ポアンカレ? | | || ニーチェ(『マーラー』p196) /プルースト、ポー、 | | || /ボードレール(『マーラー』p196) | | ドビュッシー◯|| ベルグソン? | |印象派/ジャズ?||(◯ジャズの音色) | シェーンベルク*__|| フロイト マン、ゲオルゲ ゲーデル?? | 表現主義、後期/ジャズ| /マルクス(唯物論的弁証法) ストラビンスキー* |ニーチェ/マッハ/ユング ドン・キホーテ?? アインシュタイン?? (退行、野蛮?、キュビスム)| /ドストエフスキー /ジャズ |ベンヤミン?? ブレヒト ヴェーベルン、ベルク◯ | フッサール?? カフカ?? アイスラー | アドルノ(否定弁証法) ベケット、ツェラン 追加: 「ベートーヴェンは弁証法的なのだ。その意味がもっとも明瞭なものとなっている作品が、『熱情』の第一楽章である。」(アドルノ、邦訳『ベートーヴェン』p95) 「フロイト理論における、自我に対するエスと超自我との了解という事柄は、マーラーにぴったりである。(略)第八交響曲の「過ぎ去りゆくものはすべてただ一つの比喩」の第一稿は、何十年もアルバン・ベルクの家にあったが、トイレットペーパーの上に書かれている。マーラーの隠された衝動は、上部構造を拒絶し、音楽文化の内在が覆い隠しているものへと迫ろうと欲する。」(アドルノ、邦訳『マーラー』p53-4) 「この五重奏曲(シェーンベルクop.26)において、ソナタは自らの正体を知り尽くしてしまっている。」(『楽興の時』p214) 「「傑作という観念を馬鹿にしている『兵士の物語』」(『新音楽の哲学』p244) 「ストラヴィンスキーは実際、ニーチェのヴァーグナーに対する敵対関係の過程を最後まで突き詰めたのである。」(『新音楽の哲学』p247) 「『変わり者のラヴィーヌ将軍』というドビュッシーの前奏曲の表題は、計画的にジャズの理念を先取りしているように思われる。」(『楽興の時』p148)
by yojisekimoto
| 2010-05-15 06:29
| 音楽
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プロフィール
横浜在住。ナマケモノ倶楽部、TCX会員。参加している地域通貨は、Q(ID名は6463749)、三鷹seeds、鴨川安房マネー、多摩COMO、千姫プロジェクト(IDは「ヨウジ」)、千葉ピーナッツ、ccsp各種(IDはyojisekimoto)です。
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