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Bhartrihari

Bhartrihari
バルトリハリ [[:en:Bhartrihari|Bhartrihari]][[Category:人物]]

=概略=
生没年不詳だがおよそ5世紀後半または6世紀前半頃。インドのサンスクリット語詩人,文法学者,哲学者。言語の実体を,[[ヴェーダーンタ学派]]の哲学に基づいて解明した。抒情詩に《シュリンガーラ・シャタカ(恋愛百頌)》などがあるが,別人の作という説も有力。

=理論=
音韻学のバルトリハリの「スポータ理論」。まず、声によってスポータ(蕾)が破られて開顕し、開顕したスポータが意味を発生される。

[[聖教量]]。
バルトリハリは、言葉と意味との結合関係は常住不変であるとして、言葉の本性としての「spoTa」という概念を提唱した。

=詩=

 「偉大な人々の心は/富貴においては/蓮の花のように柔和である。逆境においては/大山の岩石のように堅固だ」
([[上村勝彦]]著『インドの詩人』春秋社)

=参考文献=

バルトリハリ『古典インドの言語哲学1、2』(赤松明彦訳註、東洋文庫、平凡社)

バルトリハリの『ヴァーキヤ・パディーヤ』
「ブラフマンとことば」
「文について」

春秋社『夢幻の愛 インド詩集』
〔バルトリハリ/著〕 〔ビルハナ/著〕 上村勝彦/〔訳〕著 出版社名

http://blogs.yahoo.co.jp/fminorop34/50638416.html
[[ヘルマン・ヘッセ]]の「インドの詩人バルトリハリに」

西欧では著名な存在であるらしい。Webではすでに彼の詩の英訳がなされている。彼は詩のみならず言語学の分野でも注目されているらしい。Webでの紹介記事では、チョムスキーやヴィトゲンシュタインも彼に注目したという。ヘッセの詩にあるように、快楽と禁欲の間を揺れ動いていた人物とされている。東洋趣味のヘッセが取り上げたくなる人物である。

An den indischen Dichter Bhartrihari

Wie du, Vorfahr und Bruder, geh auch ich
Im Zickzack zwischen Trieb und Geist durchs Leben,
Heut Weiser, morgen Narr, heut inniglich
Dem Gotte, morgen heiß dem Fleisch ergeben.
Mit beiden Büßergeißeln schlag ich mir
Die Lenden blutig: Wollust und Kasteiung;

Bald Mönch, bald Wüstling, Denker bald, bald Tier;
Des Daseins Schuld in mir schreit nach Verzeihung.
Auf beiden Wegen muß ich Sünde richten,
In beiden Feuern brennend mich vernichten.

Die gestern mich als Heiligen verehrt,
Sehn heute in den Wüstling mich verkehrt,
Die gestern mit mir in den Gossen lagen,
Sehn heut mich fasten und Gebete sagen,
Und alle speien aus und fliehen mich,
Den treulos Liebenden, den Würdelosen;
Auch der Verachtung Blume flechte ich
In meines Dornenkranzes blutige Rosen.
Scheinheilig wandl’ ich durch die Welt des Scheins,
Mir selbst wie euch verhaßt, ein Greuel jedem Kinde,
Und weiß doch: alles Tun, eures wie meins,
Wiegt weniger vor Gott als Staub im Winde.

Und weiß: auf diesen ruhmlos sündigen Pfad
Weht Gottes Atem mich, ich muß es dulden,
Muß weiter treiben, tiefer mich verschulden
Im Rausch der Lust, im Bann der bösen Tat.

Was dieses Treibens Sinn sei, weiß ich nicht.
Mit den befleckten, lasterhaften Händen
Wisch ich mir Staub und Blut vom Angesicht
Und weiß nur: diesen Weg muß ich vollenden.

Hesse


インドの詩人バルトリハリに


君や先祖や兄弟のように、私もまた
生涯本能と精神の間を往来し
今日は賢者、明日は愚者、今日は心から
神に従い、明日は肉欲に従う。
私は肉体を打った二つの改悛の鞭打ち
快楽と苦行。

ときに苦行者、ときに放蕩者、ときに思索者、ときに獣。
私の存在の罪は赦しに歩を進める。
いずれの道を選んでも私は罪へと向かい
いずれの業火も私を焼き尽くすに違いない。

昨日はみな私を聖人と尊敬し
今日はみな私を放蕩に戻ったのを知り
昨日はみな私と共に溝に横たわり
今日はみな私に食事を与えず、非難し
不誠実な友で不名誉である私を
みな唾きし、避けて遠ざかり
私は不名誉の花を織り
血まみれの荊の冠にする。
だが承知している。君の行為、私の行為
全て神の前では風の中の塵のように揺れない。

承知している。この不名誉な罪深き荊の道では
神の息吹は私に吹きつける。私はこれに耐え
これを追い返し、欲望の陶酔と悪業の呪縛の中で
さらに罪を重ねるに違いない。

この行動の罪の本質は私には分からない。
私はこの汚れた悪の手で
顔からと塵と血を拭い
承知している。私はこの道を歩み続けるに違いない。

ヘッセ
by yojisekimoto | 2010-10-10 19:37 | インド哲学


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