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哲学=鉄学?


ウパニシャドに関して面白い論考を見つけたので引用したい。

http://furuido.blog.so-net.ne.jp/archive/c333352-1

中村元の『古代思想』。「第五章 古代的思惟 -- 結語」の全文を少し長いが引用しておく(中村元選集第17巻、522頁~)。

「ウパニシャドの哲人と、イオーニア学派の哲学者たちとは、ほぼ同時代(西暦前七世紀)に現れている。それは何故か?相互の思想的影響があったかということになるが、はっきりとはわからない。ただ、この時代の顕著な一つの事実は、この時代でもインドでも、鉄器使用が急激に盛んになったということである。この時代以前にも鉄器は使われていたが、しかしこの時代になって急激にひろがったと考古学者は報告している。鉄という材料をとって、それに熱を加えていろいろな道具を作るということが、当時の人々の生活において直接に経験されるようになった。すると、世界原因は一つだけれども、それが異なって現れてくるという思惟が成立しやすくなる。そのためにギリシアでもインドでも同時代に、ただ一つの世界原因を追求する哲学的思索が現れたのだと考えられる。

 究極の原理を求めようとした点では、インドの哲人もギリシアの哲人も共通であった。ただしタレース、アナクシマンドロス、アナクシメネースなどの思弁は先駆的な科学的仮説とみなすべきものであり、これに反して、ウパニシャドの哲人には科学的仮説への志向は顕著ではない。他方、ギリシアの哲人が、究極的な原理を道徳的観念から切り離して考えていたのに、ウパニシャドの哲人は、究極的な原理を人生の安住の境地と見なしている。

 これに対してシナでは、鉄は戦国時代の初めにひろく使われるようになった。殷代には白銅を多く使っていたという。しかし、いずれにしても金属が変容して種々のかたちを示すということは、日常生活において熟知されていたにもかかわらず、もとのものやブラフマンを求める思惟が起こらなかったということは、シナ人が形而上的思弁を好まなかったためではなかろうか。シナでは哲学的思惟の興起というこの段階ははっきりとしていない。シナ人は哲学的思惟に弱かったから、ギリシアやインドの哲学的思惟に対応する段階はどうも出てこなかったようである。

 ひるがえって日本人の問題として考えてみるに、日本にはこのような哲学的思惟の成立に相当する段階がなかった。日本では古神道の民俗宗教の段階からいきなり普遍的世界宗教の段階に跳んでしまったのである。つまり飛躍したのである。この事情は東アジア、南アジアの大部分の諸民族や、また西洋のゲルマンの諸民族に共通に見られる思想史的現象である。

 それぞれの文化圏における思想と生活環境ないし社会生活との連関については改めて深く追求検討されねばならないが、ただ古代の異なった文化圏において文明が一応の発展爛熟の段階に到達したときに、どこでも共通の問題がそれぞれ異なった仕方において論ぜられたという思想史的事実はここに明確になったと言えるであろう。」
by yojisekimoto | 2010-12-03 10:36 | インド哲学


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