佐々木中の新著に、東浩紀、千葉雅也などがツイッターで反応している。
個人ブログでは柄谷の『世界史の構造』と比較しているものもある。
近年一般に、柄谷の用語では交換Aが言及されることが多くなったのは柄谷本人がasahi.comで語った通り、社会主義やナショナリズムの限界に起因するが、佐々木にはヒップホップ的感性があり、それが語り手としての基盤になっているのだろう。
そのルター観は『世界史の構造』におけるルター批判(ルターは体制側と妥協して聖書の内面化にとどまった)を読んでいる物にとっては不十分に感じる。
逆に交換Dは交換Aからは不十分に見えるだろうが(国連は子供を育てていないという批判がある。ユネスコもキャンペーン優先だと言うことだろうし、NPO参画も十分ではない)、、、
交換Aの内部は千葉の言うように分節化されるべきだろうし、東の言うように具体的な議論に繋がってくべきだろう。
とはいえ各論に入る前に『世界史の構造』の構造が基本的な議論の枠組みとして有効なことに驚かされる。
普遍宗教が位相として理解されていない傾向はあるにしてもだ。