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デカルトの四則演算:メモ

デカルトは『精神指導の規則』後半の第18規則(全21規則)で四則演算の説明をしている(著作集4ほか)。
題名から連想される倫理的な説明ではなく、機械的な説明で、特に最終部分で計算の方法を子供に教えるように説明しているのだ。

例えば、

3足す2は
___ __
 a   b
_____
  ab

と説明される。

3引く2は、
a___
b__


_

と表現される。

3掛ける2は、

 ____
| a
|b

 _____
|_|_|_|
|_|_|_|

と表現される。
割り算はこの逆である。

現在の研究水準でどう評価されるのかわからないが、例えば百升計算よりは優れた説明だし、
水道方式のようにタイルを使うよりも優れているように思える(デカルトの説明だとかけ算の概念が方程式に直結するから)。

デカルトは数論と幾何の両方を重視しており、こうした態度は「我思うゆえに我あり」という命題よりも説得的だ。
スピノザのように「思いつつ、ある」(注)とも言えるが、一目瞭然、百聞は一見に如かず、という言葉であらわされる直観(どちらかといえば数論的というより幾何学的)の優越に理論的根拠があたえられることのモデルのような気がしてすがすがしい。


注)これは、スピノザの『デカルトの哲学原理』のなかの言葉だが、この言葉には、「思惟することに対する思惟の能力は、存在し作用することに対する自然の能力より大ではない」という注釈が付け加わり得るだろう(書簡40)。國分功一郎氏はこの言葉を近著(『スピノザの方法』p211)で精神は自然の力に劣るという意味に解釈しているが、思惟と延長(この場合は自然の能力のような実体ではない)は同時共存し得ると肯定的に解釈してもいいと思う。
四則演算をする際の観念、思惟は、デカルトの図式という延長と、互いに一対一対応をすることから説明でき、これは思惟の無限(というより無限定、無際限)の遡行を直観により能動化する良い例だと思う。

ちなみに百升計算は無際限な遡行と言える(百升計算のような人間の計算は決して真無限ではない。なぜなら人間には寿命があるから無限に数を数えることはできないから)。
by yojisekimoto | 2011-02-26 00:24 | 数学


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