先日のベンヤミンについて触れた日記で言いたかったことは、プルードン発見に柄谷は間に合ったが、ベンヤミンは間に合わなかったということだ(*注)。
プルードンを読まなければ、人は政治革命の幻想から脱することが出来ない。
これは吉本や合田氏にも当てはまる。
今生きている人はまだ間に合うかも知れないのだ。
またそうした見地から集合論(表象批判)より集合力(プルードンが強調した)が重要だと言っておきたい。
ハイデガーの図式なら、
存在=集合力(潜在性)
__________
現存在=集合論(現在性)
ということになり、両者の回路はクラインの壷状ということになるかも知れない(集合論のパラドックッス云々は一応そのループを再構築する試みではある)。
集合知を強調してもいいが、今回の震災で重要になったのは集合力(**注)を活かす場の重要性であろう(***)。
注*
ゲゼルを過小評価している時点で柄谷のプルードン評価も十分ではない、と筆者は考える。
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交換的正義は集合力を活かす方法として、分配的正義より優れている。そして前者は後者の構造=ツリーを否定するのではなく、それを偏在化することで交換的正義の条件であるセミラティス構造をつくるのである。ポイントはセミラティスとツリーは矛盾しないということであり、原理的思考の発展の先にセミラティス=自立分散的社会はあり得るということだ。
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なお、集合力を肯定的に定義し得たのはスピノザであり、(ハイデッガーは無視したが)ハイデッガー以上に本質と存在の問題を解決し得た。