だから、そこでは「揚棄」という語がーー否定と保存(肯定)とが結びついた「揚
棄」という語がーー独自の働きかたをする。
たとえば、ヘーゲルの法哲学を例に取れば、
☆
揚棄された私法=
道徳、
倫理◯
揚棄された道徳=家族、
揚棄された家族=市民社会、
揚棄された市民社会=国家、
揚棄された国家=世界史、
となっている。現実においては私法、道徳、家族、市民社会、国家、等々
は存続しているわけで、ただ、それらが運動の要素にーー孤立して存在するのではな
く、たがいに解体し合ったり産出し合ったりする、人間の生存や存在様式の要素
にーーなっているというだけのことだ。
(略)
別の例でいうと、
論理学◯
有論◯
揚棄された質=量、
揚棄された量=限度量、
揚棄された限度量=
本質、
揚棄された本質=現象、
揚棄された現象=現実、
概念論◯
揚棄された現実=概念、
主観◯
揚棄された概念=客観性、
理念◯
揚棄された客観性=絶対理念、
揚棄された絶対理念=
自然、
精神◯
揚棄された自然=主観的精神、
揚棄された主観的精神=共同の客観的精神☆、
絶対精神◯
揚棄された共同の精神=芸術、
揚棄された芸術=宗教、
揚棄された宗教=絶対知。
一方で、こうした揚棄は思考された存在を揚棄するものだから、思考された私有財
財産は揚棄されて道徳の思考となる。
マルクス『経済学・哲学草稿』長谷川宏訳 光文社文庫194~5頁
◯は補足