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マルクス『経済学・哲学草稿』長谷川宏訳より



 だから、そこでは「揚棄」という語がーー否定と保存(肯定)とが結びついた「揚
棄」という語がーー独自の働きかたをする。
 たとえば、ヘーゲルの法哲学を例に取れば、


揚棄された私法=
道徳、
倫理◯
 揚棄された道徳=家族、
 揚棄された家族=市民社会、
 揚棄された市民社会=国家、
  揚棄された国家=世界史、

となっている。現実においては私法、道徳、家族、市民社会、国家、等々
は存続しているわけで、ただ、それらが運動の要素にーー孤立して存在するのではな
く、たがいに解体し合ったり産出し合ったりする、人間の生存や存在様式の要素
にーーなっているというだけのことだ。

(略)

 別の例でいうと、

論理学◯
 有論◯
  揚棄された質=量、
  揚棄された量=限度量、
  揚棄された限度量= 

 本質、
  揚棄された本質=現象、
  揚棄された現象=現実、
 概念論◯
 揚棄された現実=概念、
  主観◯
  揚棄された概念=客観性、
  理念◯
   揚棄された客観性=絶対理念、
   揚棄された絶対理念=
自然、
精神◯
 揚棄された自然=主観的精神、
 揚棄された主観的精神=共同の客観的精神☆、

 絶対精神◯
  揚棄された共同の精神=芸術、
  揚棄された芸術=宗教、
  揚棄された宗教=絶対知。


 一方で、こうした揚棄は思考された存在を揚棄するものだから、思考された私有財
財産は揚棄されて道徳の思考となる。



マルクス『経済学・哲学草稿』長谷川宏訳 光文社文庫194~5頁

◯は補足
by yojisekimoto | 2013-11-03 15:04 | ヘーゲル


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