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スピノザ/カント/マルクス/柄谷

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カントの理性/悟性/感性に対して、普通だったらスピノザの直観知/理性/表象力が対応すると考えるべきだろう(正確にはむしろボロメオの環的に?理性/判断力/悟性に対応する:純理b100,101参照)。しかし、認識の3つのレベルを言ったという意味では、スピノザの実体/属性/様態が対応すると言う方がわかりやすいしすっきりする。

「属性とは、知性(=悟性)が実体についてその本質を構成していると知覚するもの、と解する」(エチカ1:定義4)

この場合、観念論的な解釈は全く不要であり、スピノザの属性(思惟/延長)をカントの悟性概念(量/質/関係/様相)に機械的に対応させればいいのだ。
思惟は質と様相に、延長は量と関係に対応すると見てもいいだろうし、あるいは、判断表が思惟に、カテゴリー表が延長に対応するといったように単純に考えてもいいだろう。こうすることでスピノザとカントの哲学は介在物なしにつながり、比較検討できるようになる。
カントから見れば、スピノザの実体云々は量のカテゴリーの3契機に対応するし、直観知云々は自らの理性/判断力/悟性とともに様相の3契機が対応する。つまりカント哲学は第三アンチノミーのアンチテーゼを含め、スピノザ哲学を自らの哲学に内包していると言い得るだろう。
他方スピノザも、延長は感性と悟性に、思惟は理性と悟性に対応しているとして、カント哲学を自らの哲学に内包しているという主張がこちらも可能である。

スピノザがカントに先行すると見られる箇所を以下挙げる。

第一批判関連では、エチカ2:29備考で理性批判のメカニズムが先取りされている。
さらに、5:3における受動性に関しての記述は、むしろフロイトに先行するものだが、構造的にはやはりカントを先取りしている。

第二批判関連では、例えば定言命法と仮言命法の区別はスピノザ書簡(21)に既にある。

第三批判関連では、カント自身によるスピノザ批判に反して、カントが求めた「目的なき合目的性」に関してはスピノザが先行していると言うべきだろう。

余談だが、先日も書いたようにカントのカテゴリーに関してはマルクスの価値形態論がこれに対応し(武市健人説。ヘーゲル『大論理学(下)』解説より)、

単純な価値形態=質
拡張された価値形態=量
一般的な価値形態=関係
価値形態=様相

になる。

柄谷の交換形態論もカントのカテゴリーと対応させて考えていいだろう。
この場合、

量=国家   質=ネーション
関係=資本  様相=アソシエーション

になる。

追記:
スピノザは自然権及び消極的自由を、カントは実定法及び積極的自由を主張したとされるが、世界共和国への理念的基盤も含め、これも再検討が必要である。
なおプルードンは自著(『革命と教会における正義』)にエチカ(5:20)を引用しており、連合の理念の先駆者としてのスピノザも興味深い。
by yojisekimoto | 2006-09-11 19:55 | 研究


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