官僚制について

アジア的生産様式論争を踏まえ、単一時間軸にとらわれない支配のあり方を図にしました。
「アジア的〜」はアジアに限らない、 封建制は中心的帝国の支配の届かない場所でおこる、
封建制は契約を要するので氏族支配とはギャップがある、 などが指摘できます。
アジア的生産様式をどう解釈するかに関しては様々な議論(*)がありますが、一応別枠と解釈しました。
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参照:『世界共和国』(P33) →注:マルクスは1と2とを同じものとして考えている。
1.氏族的社会構成体
 互酬的交換A(A〜Dに関しては文末の4つの交換図を参照)が支配的。
 部分的には他の共同体との間に略取‐再分配Bや商品交換Cがあったと思われる
 ⇒原始共同体

2.アジア的社会構成体
 さまざまな交換形態がありつつ、略取‐再分配Bが支配的。
 常備軍、官僚制、文字、通信のネットワークをもつ、国家機構のほぼ完成された形態
 ⇒古代文明(エジプト、メソポタミア、インダス河流域、黄河流域)

3.古典古代的社会構成体 (奴隷制?)
 アジア的社会構成体の亜周辺。
 文明を享受しつつも、互酬的交換Aを保持。
 民主主義体制が実現されるが、基盤に奴隷制(略取‐再分配B)
 ⇒ギリシアの都市国家

4.封建的社会構成体
 アジア的社会構成体の亜周辺。
 さまざまな交換形態がありつつ、略取‐再分配Bが支配的。
 分権的で、アジア的社会構成体における中央集権的な国家のようにはなりえなかった。
 ⇒西ヨーロッパ、日本

5.資本主義的社会構成体 (消費社会の中の奴隷制?)
 商品交換Cが支配的。
 略取‐再分配B(徴税→再分配、常備軍・官僚機構)・互酬的交換A(ネーション)も存続
 ⇒近代国家
 ⇒資本=ネーション=国家

上記の全体像を時間軸にそって記述すると以下の図になります(一例)。

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ちなみにこの図に先に挙げた社会構成体を当てはめると以下になります。
    1
2      3
5      4
    5?

「歴史の初期には、どこにもごく緩やかな王政があったが、その後の発展は王という一人の権力を貴族という複数の力が代行する方向に向かうか、あるいは温和な王権がだんだん強化されて自分の腹心的な官僚を権力維持の装置とし、これに立脚して温和な王権を強権的な王権に成長させるという方向に向かうか、この二つの途があった。」『古代農業事情』解説(安藤英治『マックス・ウェーバー』講談社学術文庫p343、注:「ライトゥルギー」=「対国家奉仕義務」同p355)

ウェーバー自身は左:ドイツと右:ギリシアとして具体例を考えていたと思います。ただし、上図の左:官僚制と右:封建制を、あえて言えば左:古代中国と右:日本、左:NAM末期と右:FA 、とあてはめて考えることもできます。

また、官僚制の存在は、私的官僚制と公的官僚制があるように、国家に限りません(「新秩序ドイツの議会と政府」『政治社会論集』ウェーバー)。



以下、参考までに、柄谷行人氏の4つの交換図を転載いたします。

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追記:冒頭の図と文末の交換図を合わせると実は驚くべき結果が現れます。
封建制をアソーエーションとして評価することが可能になるのです。
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(くじ引きは双務的には自覚されていなかったので)ギリシア古典的はAが妥当かも知れません。
さらに社会契約(片務的)か相互契約(双務的)かという契約の質が問われるので封建制イコールアソシエーションではありません。
また『国家とは何か』の著者、萱野氏が柄谷氏との公開講義で言及していた奴隷制と資本制の共通性の根拠もはっきりします。ただしこれは柄谷氏も指摘したように消費社会のなかで位置づける必要があるとも思います。
以上、官僚制とはかけ離れた話題になってしまいましたが、NAMに関して僕が提出した、各関心系が封建的に自立分散し、事務局員をセンターに派遣するというNAM末期にありえた処方箋を理論的に裏付けるものだとも思います。

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*追記:構成体論争について

構成体論争(アジア的生産様式、古典古代的、封建的、近代ブルジョア的というマルクスの生産様式をもとにした4つの歴史区分をめぐる論争)自体は労農派からは無視されたので(『服部之総全集21』p14)、日本封建論争ほど有名ではないが、今日、我々がこれからの国家のあり方、特に官僚制を考えるうえで多くのヒントが潜んでいる。
マルクスの提出した構成体に対する見方は、国分幸(『デスポティズムとアソシアシオン構想』p9)が整理しているように、アジア的生産様式をアジア独自のものと認めない派(主にソ連の学者)と独自のものと認める派に分かれ、そして後者でも単線的に捉えるか多発的に捉えるかで分かれ、なおかつ多発派でも連続か非連続かで分かれる。マルクスの『緒形態』が1947年に日本語訳されてから(『歴史学研究』129号)は、独自路線が日本でも支配的だが、それでも、今日でも単線的に捉えるか多発的に捉えるかで意見は分かれている。
柄谷は封建制のとらえ方が鍵だとしてウィットフォーゲルの周辺/亜周辺という見方を称揚する。これは中国と日本を地政学的に分節化し、官僚制の規定にも役立つ見方だ。あえて先の分類に当てはめれば、柄谷は「アジア独自型、多発的」ということになる。
マルクス晩年の「ザスーリチへの手紙」等も単線的歴史観を彼がとらなかったとする根拠になっているが、多くの条件付けがそういった読みを難しくさせているのも事実だ。マルクス自身手紙の草稿から多様性を称揚した多くの部分を削っているからである(全集19巻)。

テーケイ(『アジア生産様式論』など)は土地の所有形態で構成体(マルクスのそれとはズレる)を分けておりこれはかなり有効だと思う(国分p59)。個人が→共同体を通し→土地を所有するか(A)、個人が→土地を所有することで→共同体を統治する(B)という二区分、またはその混交で4つに分けるのだ(アジア的はA、古代的はAB混交、ゲルマン的はB、中国的はAと貴族階級によるBの混交)。これにより構成体に関する議論、特に封建制の定義のずれ(欧、中、日本のそれぞれで定義が違う。マルクス(資本論第一部24章注参照)とウィットフォーゲルの説では日と欧は近い)はかなり解消する。とはいえもっと根本的な分節化が必要だろう。

その点で柄谷がしたように、構成体をさらに時系列でない四つの交換様式で分節化し、文字通りそれらで構成(フォーメーション)されたものとして考えるのは画期的だと思うが(ちなみに柄谷はA互酬制1/B略奪-再分配2,3,4/C商品交換5と分類している。『世界〜』p33)、これは生産ではなく交換を主要なポイントとして重視したから可能になった見方でありマルクスからの逸脱と捉えられなくもない。そこでもやはり封建制の捉え方がポイントである。封建制は軍事力つまり収奪に依存するにしても契約的であり日本のそれは特に地方分権的側面があるから、歴史を多発的に見るにはこれを単にアジア的のなかの一要素と捉えるわけにはいかないのだ。
その意味で先述の周辺(中国)と亜周辺(日本:厳密には亜周辺の周辺)とを分けたウィットフォーゲルの官僚制論はそこに能動的な契機を見出す可能性がある点で重要であり、柄谷もウェーバーなどを参照しつつもこの方向で解釈している。

今日では、マルクスが構成体として提出したパラメーターの組み合わせを国家論のみならず、来るべきアソシエーション論に応用、展開させてゆくということこそが課題のように思える。また、そうでなければ構成体論争自体再考する意味はないのである。
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by yojisekimoto | 2007-02-11 16:04


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