『 「東洋的専制主義」論の今日性—還ってきたウィットフォーゲル 』(湯浅 赳男 )はルサンチマンが漂う文体だが、非常に興味深い研究書だ。
湯浅氏の訳した『オリエンタル・デスポティズム』などは、日本の官僚機構を見ると今日的な書だと思うが、本書はその絶好のイントロダクションだろう。
ネットワーク理論を研究していて思ったことだが、地政学的視点(ウィットフォーゲルの理論も一義的には地政学だ)がないとその理論そのものがスケールフリー(格差拡大的)、デスポティズム(専制主義的)になってしまうのだ。
内容的には、思想の状況論よりも実質において、亜周辺が中心に移行する過程が解明されるともっと有意義ではあろうが、、、
『源氏物語』が中心にいる中国の宦官の目から見れば冒涜の書であるという記述(p90)など、中心/周辺/亜周辺の考察がいかにアクチュアリティを持つかがわかる。マルクスの相対化などはこうした考察抜きには不可能だろう。
また冒頭の図式付きの要約がありがたい。以下引用です(ちなみに図で捨象されたという遊牧民の問題に関しては『世界史の誕生』 (ちくま文庫) 岡田 英弘が示唆に富む)。
本書の要点
*水力国家とは、単に水利・治水を行う国家ではなく、自然と間接的に関わる工業社会型国家と同じレヴュルの概念で、自然と直接的に関わる国家である。
*文明は中心・周辺・亜周辺の三重構造をつくっている (上図)。
*階級の社会学には、(権力)の階級社会学と(所有)の階級社会学とがある。
*『オリエンタル・デスポティズム』(東洋的専制主義)を一般理論とすれば、『資本論』は特殊理論である。